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Sweet&Bitter  作者: みずの
雨と涙の告白
23/152


 長い…長い時間だった。


 実際には数分だったのだろうけれど、私にはその間が永遠にも感じられるほど長くて…。留まることを知らない涙に、声は押し殺すことすらできなかった。ただ、子どもみたいに泣きじゃくるだけ。




 私に抱きつかれた先生は、その間微動だにしなかった。私を受け止めるでもなく、受け入れるわけもなく。ただ、腕を所在なさそうに持て余しただけだった。




 やがて、ほとんど人通りのないこの裏通りにも一次会帰りらしいサラリーマンがやって来た。それをきっかけに、私たちはどちらからともなくパッと離れる。酔っ払ったサラリーマンが訝しげにこちらを見ていたけれど、先生はそれを気にする様子もなく身を翻した。

「帰るぞ」

 短く、一言だけ言い置いて…。




 近くにあるお店の駐車場に、先生は車を停めていた。その前までやって来て、先生はリモコンで車の鍵を開ける。ずぶ濡れの格好で車の中に入るのは気が引けてしまったけれど、そう思って躊躇しているうちに後ろから先生に押し込むように乗せられてしまった。




「……」

 修司さんに借りたバスタオルと傘を、先生は乱暴に後部座席に投げる。代わりに、新しいタオルを引っ張ってきて私の頭に乗せた。

「このまま家まで送ってくから、親への言い訳ぐらい考えとけよ」

 車のエンジンをかけて一番先に暖房をつけながら、私に向けてそう言った。



 …相変わらず、冷たい声。それとは反対に、暖房は暑過ぎるほど強くつけられていた。恐らく、寒さと雨の冷たさで震えていた私の為にだろう。乗せられたバスタオルで自分を包み込みながら、私はそれでも未だ涙を止められずにいた。




「……何で泣くんだ」

 車を走らせてしばらくして…先生は短くそう言う。信号待ちになってから、煙草に火を点けた。そう言えば…前に乗せてもらった時は一度も吸わなかったっけ。煙草を口にする先生の横顔が、何かにイラついたように不機嫌に歪んでいる。



『何で』…?


 聞かれてから、自分に問い直した。どうして私は泣いてるんだろう。




 先生に、ここ数日冷たくされたから?

 先生が、約束を破ろうとしたから?


 浮かぶ要素はいくつかあったけれど、そのどれもが違うということを自分は知っていた。



「…先生が…来てくれたから」

 胸に浮かんだ一番の答えを、私は小さく…でもはっきりと口にした。

「……」

 だけど返ってくる答えは、なかった。




 再び車内に落ちた沈黙。先生の吸う煙草の匂いだけが充満していく。その匂いも嫌いじゃなかったはずなのに、今日はやけに目に染み入りそうな気がした。



「行かねぇって、言っただろ」

 やがてポツリと、先生が言う。

「でも…来てくれたじゃないですか」

「魔が差しただけだ。あそこで何かあって俺のせいにされても後味悪ぃしな」

 サラリと答えて、煙草の灰を灰皿に落とした。黒と白の入り混じったそれが、ポトリと落ちるのを何気なく見やる。




「お前さ、何がしたいんだよ」

 不機嫌そうに煙草を再び口に咥えながら、先生はそんな質問を口にした。言われている意味がよくわからなくて、私は思わず先生を凝視してしまう。冷たいその横顔は、紫煙を吐き出しながらも前を見据えたままだった。



「何って…どういう意味ですか?」

 尋ね返すと、先生は今度は煙草のせいではなく本気でため息を吐き出す。

「そんなにあのジャズバーに行きたいなら修司にでも頼め」

「…っ」

「それか都築にでも言えば、付き合ってくれんじゃねぇか?」

 嫌味なのか、本気で言っているのか…。どちらかは分からなかったけれど、私の胸を突き刺すのには十分だった。



「私は…別にあのお店に行きたくて意地になってるわけじゃないです」

 これ以上泣きたくなくて、堪えようと眉間に皺を寄せる。すると睨みつけるように先生を見据える結果になった。そんな眼差しのまま、私は搾り出すように声を上げる。

「私は…先生と話がしたかっただけです」

 言うと、目の前の先生はハンドルを右に切りながらわずかに鼻を鳴らした。



「話って、何の」

 まるで「俺には話すことなんて何もない」と言わんばかりの口調。拒絶されそうな壁を感じながら、私はそれでもぐっと顔を上げた。

「先生の態度が急に変わった気がして…その理由が知りたかった」

 力を込めていないと、涙がまた溢れ出しそうだ。

「私は、先生が何を考えているのか…何を思ってるのか…それだけが知りたいんです」

 …やっと、言えた。避ける先生と、向き合いたかっただけなのだと…。



「…別に、何も考えてねぇよ」

 取り付くしまもないというのは、こういう人のことを言うのだろうか。何も考えてないはずなどないのに、先生は頑としてそう言い張る。

「言っただろ、女子生徒と親しいって勘違いされて校長に説教されんのが嫌なだけだ」

 短くなったらしい煙草を灰皿に押し付けながら、続けた。

「嘘」

「嘘じゃねぇよ」

 呟いた私に、先生はイライラしたように反論する。何度目かの信号でブレーキを踏みながら、「それより」と話を改めた。新しい煙草を箱から取り出しながら、ジッポで火を点ける。



「俺より、都築とちゃんと話した方がいいんじゃねぇのか」

「……え?」

 言われた意味がわからずに目を丸くすると、先生は目を細めて煙を吐き出しながら言った。

「お前がそんなんだから、都築が余計な勘違いすんだろうが」

 ジッポを胸ポケットの中に戻しながら、先生はそれでもこちらを見ないままだった。

「…勘違い…?」

「お前もな、都築のことが好きならそっちとちゃんと向き合え」

 そこまで言われて、ようやく気がついた。先生は…私が都築先輩のことを好きだと思ってるんだ、と。



「俺のところに直談判に来るくらいだ。お前ら2人共、相手間違えてんだよ。お互いにちゃんと話し合えば両想いになって万々歳だろ」

 イラついたような先生の声は、どこか投げやりにも聞こえた。吐き捨てるような言葉は、本心なのか私には計り知れなかったけれど。



「…先生…」

「あ?」

 やっぱり、智子の言うとおりだったんだ。私の行動のせいで、都築先輩には先生のことが好きだと感づかれ、先生には先輩のことが好きなんだと勘違いさせてしまった…。

「私が、都築先輩のこと好きだと思ってるんですか…?」

 恐る恐る、そう尋ねる。できれば肯定されたくなかったけれど、答えは当然のように想像できた。



「…だってそうだろ?」

 前を見たままの先生の横顔は、私になんて興味ないようにも見えた。



 やっぱり。思わず私は、愕然とする。そんなつもりじゃなかったとは言っても、完全にこれは自業自得だった。




「……」

 だから、挽回するのも自分の手でどうにかするしかない。突き放すような先生の声に胸はズキズキと痛んだけれど、私は気づかないフリをした。



「…私は…」

 焼け付きそうなほど緊張で乾く喉から、声を絞る。先生がこちらを見なくても、私は目を逸らさないと決めた。


「先生が思うほど、お人よしじゃありません」

 溢れそうな涙を必死でこらえる。少しでも気を緩めたら、一気に流れ出そうだった。

「本当に私が都築先輩のことが好きなら、好きでもない先生とちゃんと話したいなんて思わない」

 正面からちゃんと向かい合って話したいと思えるのは、先生のことが好きだから。そこに誰かのことを考える余裕なんて、1ミリだってないんだ。



「……」

 私の言葉の意味を瞬時には理解できなかったのか、先生が真意を探ろうとしたらしく、思わずといった感じでこちらを見た。



 …ようやく、私を見てくれた。その事実だけで、私を奮い立たせるには十分だった。




「他の人のことなんて考えられない。私が好きなのは本城先生です」




 云う時は、絶対泣かない。胸に決めていたことを実行するために、私は眉間に更に力をこめた。



 一瞬驚いた表情をした先生だったけれど、その時ちょうど後続車からクラクションを派手に鳴らされた。その音に我に返ったように前を向き直り、信号待ちしていた車をアクセルを踏んで再び走らせる。私の方は、それでも目を逸らさなかった。少し動揺したようにも見える先生の横顔を、ただじっと見つめる。



「……」

 それでもそう見えたのはほんの一瞬のことで、次の瞬間には先生はまたさっきまでと同じ固い表情で前を見据えていた。返ってくる言葉はない。

 だけど私は、待つ以外に何もできないことを知っていた。だから、膝の上で握った拳に力をこめるだけ。




「…着いたぞ」

 どれだけ黙り込んでいただろう。やがて先生が発した声は、私に対する「返事」ではなかった。

 その言葉に私も我に返って辺りを見渡すと、確かにいつの間にか家の前までたどり着いてしまっていた。



「…先生」

「そのタオルは持ってっていい。返す必要もねぇから」

「先生!」

 窓枠に肘をついて、先生はあちら側を向いてしまう。その頑なな拒絶に、私は思わず声を荒げていた。



 『答え』すら、出してくれないの?受け入れてもらえるなんて思ってない。

 それでも……。



「白石」

 胸の奥が、痛みからかツンと熱くなっていく。こみあげてきそうなものを必死で抑えていると、先生が向こうを向いたまま私の名前を呼んだ。

 それから…痛烈な一言。

「…さっきの、聞かなかったことにする」

「!……」

 逸らさないと誓った瞳に、瞬時に涙が溢れ出した。抑えきれずに零れだしたそれが、頬を伝って手の甲を濡らす。



 受け入れてもらえなくても、伝えたかった。でも、なかったことになんてされたくなかったのに…。


「先生っ」

 こっちを、向いてもくれないなんて。

「先生!」

 ちゃんと失恋させてもくれないなんて…。



 胸の痛みが悲鳴をあげながらも先生を呼ぶと、次の瞬間、先生はガンッとものすごい音をたててハンドルに拳を下ろした。その勢いに恐怖すら感じそうになって、私はビクリと肩を強張らせる。

「いいから降りろ!」

 怒鳴るように言われて、私は身を震え上がらせた。そして次の瞬間には、さっきまでとは比にならない涙が溢れ出す。



「……っ」

 口元を押さえ、バスタオルを掴んだまま私は言われた通りドアを開けた。



 そうして外に飛び出してドアを閉めた瞬間、先生はまるで何かから逃げるように車を走らせて行く。




 残された私は、その場にうずくまって泣いた。




 全身に降り注ぐ雨が痛い。




 先生を待っていたあの時よりも、それは遥かに冷たく感じられた。






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