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Sweet&Bitter  作者: みずの
雨と涙の告白
22/152

8 side:Yukisada


『先生は、白石のことどう思ってるんですか?』

『何とも思ってないなら、期待させるような態度で接しないでほしいんです』

『教師じゃできなくて、同じ生徒の俺なら彼女にしてあげられることはいくらでもある』


 都築の言葉を思い出すたび、俺は自分の中での苛立ちが大きくなっていっていることに気がついた。

 …いや。苛立ちというよりも、自分の傷を抉られるようで目を背けたかっただけかもしれない。



「…ちっ」

 ジッポで火を点けた煙草から、煙が立ち上る。その煙が目にしみるようで、俺は思わず眉を寄せた。




『あなたは、彼女のことどう思ってるんですか?』

 都築の言葉に付随して思い出されたのは、4年前のあの男の言葉だった。俺を目の前にして、怯えたように小さくなった男。丸い縁の眼鏡をかけた、絵に描いたような真面目そうな男だった。

 怯えて震え上がっているのに、土下座をした態勢でも俺に投げかける言葉は一歩も退かない勇気を振り絞っていた。


『あなたにはできなくて、僕なら彼女にしてあげられるってこともあると思うんですっ』

 だから?と思った覚えもある。

 それ以上その男の言葉を聞きたくなくて、蹴り上げたくなった衝動を必死で抑えたことも。



 …ただ、あの時も今回の都築とのことも…。



 本気で俺が殴り飛ばして蹴飛ばしたかったのは、相手じゃなくて俺自身だったんだ。




******



「やっぱりここにいたな」

 何杯目かのコーヒーを飲みながら外を眺めていた俺に、ふと声がかかった。顔の向きはそのまま、俺は目線だけを上げる。そこにいたのは声の通り、今できれば会いたくない奴だった。


「あ、俺もコーヒー」

 ちゃっかり俺の前に座って、貴弘はそう注文する。いちいちリアクションするのも面倒で、俺は頬杖をついたまま無視することを決めた。



「随分お早いお帰りでしたねぇ、本城先生」

 椅子の背もたれに尊大な態度でもたれかかりながら、貴弘は嫌味っぽく言う。

「そのくせ来てるのはここだもんな」

 貴弘の言葉に、答えないまま俺は外を眺めていた。



 昔から、ジャズバー以外でよく来るとしたらこの穴場のカフェだった。静かな上に、ほとんど常連客しか来ない。長居してもマスターもウェイトレスも迷惑そうな顔一つしないし、むしろいつでも歓迎してもらえる。必要以上に干渉されることもないので、余計な人間に会いたくない時はここに来ることにしていたのに…。



「…お前が来たら意味ねぇだろ」

 八つ当たりまがいなことを毒づきながら、俺は舌打ちする。

「?」

 貴弘はそんな俺の胸の内を知ってか知らずか、唇を持ち上げて笑っていた。




「お前、ここでこんなことしてる場合じゃねぇだろ」

 タイミングよく運ばれてきたコーヒー。ウェイトレスに笑顔で軽く礼を言いながら、貴弘は俺にそんな言葉を投げかけてきた。ミルクを注ぎこんで、スプーンで半ば乱暴にかき回す。


「白石待ってんだろ?早く行って来いよ」

「…お前、何でそんなこと知ってるんだ」

 相変わらずな情報通…と言えば聞こえはいいが。俺からしたら余計なおせっかい焼きなこいつは、一体どこからそういう情報を得るのだろう。

「本人に聞いたから」

 そんな言葉を受けて、俺は思わず頭を抱え込みたい心境に駆られた。…白石と貴弘の仲が良いのもこちらとしては考えものだ。



「俺は行かねぇって言ってある」

「それでも待つって言われたんだろ」

「……」

 あっさり返されて、俺は思わず返答に詰まった。言葉を返さない代わりに、再び窓の外を見やることで貴弘との距離を保とうとした。



 …そう、そもそも白石のその頑固さが俺の中では想定外だった。



 約束を守れないと言ったからといって…どうしてそこまで固執するのか。白石からしたら、俺に「約束も守れない嘘つき」というレッテルを貼りつけて終わりな話ではなかったか。俺の予想が正しければ、白石は都築のことが好きなはずだ。都築に「一緒に説明を聞くか」と誘われた時は嬉しそうにしていたし、何より土曜日の放課後に一緒に出かけていたほどだ。別に誕生日に俺とジャズバーに執着しなくてもいいはずなんじゃないか。




 そう思った瞬間、あの日の都築とのやり取りが再び蘇ってくる。思い出したくなかったそれに眉を顰め、俺は無意識に胸の辺りに手をやった。




『先生は、白石のことどう思ってるんですか?』

 急に尋ねられたそんな質問に、思わず目を見開いたのを覚えている。誰にもバレていないと思っていたはずが、都築にはバレてしまったのかと内心で少し焦った。

『何言ってんだ、お前』

 ため息まじりに煙草の煙を吐き出しながら、そう言い返した。

『…白石は、先生のことが好きなんだと思います』

 急にバカなことを言い始めた都築の顔は、それでも真剣だったけれど。

『何とも思ってないんなら、期待させるような態度で接しないでほしいんです』

『……そりゃお前のことだろ』

『?』

『白石が好きなのは、どう見てもお前だろ。くだらねぇ心配してんじゃねぇよ』

 何が悲しくてこんなセリフを吐かなきゃいけないんだ。内心でそう毒づきながら、俺は自分にトドメを刺すようなセリフを口にした。


『…本気でそう思ってるんですか』

 少し呆れたような、都築の言葉。俺からしたら、こいつが何を心配しているのか理解できない。こいつは何を怖がっているのか…。本気で白石が俺のことを好きだと思っているのか。


『……』

 応えない俺に、都築は長いため息を漏らした。そして、もういいと言わんばかりに肩を竦めてみせる。

『まぁ、いいです。俺、先生には負けませんから。教師じゃできなくて、同じ生徒の俺なら彼女にしてあげられることはいくらでもある』

『…だから、あいつが好きなのは俺じゃねぇっつってんだろ』

 俺の言葉を聞かずに自己完結させようとする都築の言葉が、それでも胸を抉るように引っかかったのは事実だけれど。




「…なぁ」

 そんな回想をしていた俺は、貴弘の控えめな呼びかけでハッと我に返った。ごまかすように、ブラックコーヒーの注がれたカップを持ち上げる。それに口をつけると、生ぬるくなったマズイ味が口いっぱいに広がった。



「何で白石が、お前とジャズバーに行くのにそこまでこだわってると思う?」

 貴弘の問いに、俺は苛立ちを隠せなかった。顔を歪めたまま足を組み、眉間に皺を寄せる。

「知らねぇよ。最近ジャズにハマッてるからだろ」

 イライラしながら答えて、俺は指に挟んでいた煙草を口元にやった。その返事を受けて俺の様子を眺め、貴弘は小さく息をつく。



「んじゃあ、質問変える。お前が露骨に白石を避けてるのは何で?」

「……」

「都築に『期待させるな』って言われたから? それとも、白石が都築のことを好きだと思ってるから?」

「………」

「校長に菅原とのことを説教されたから、特定の生徒と親しくしない方がいいと思った?」

「……るせぇ」

「それとも、4年前のことを思い出すから?」

「うるせぇって言ってんだよ!」

 気がつくと、俺は大声を上げながら身を乗り出していた。向かいに座る貴弘の胸倉を掴み上げる。



 だけどそれも一瞬のことで、すぐにここが静かな店内だったということを思い出した。幸い今は他に客もいなかったからか、マスターもウェイトレスも見ないフリをしてくれたようだ。殴り合いのケンカにでもなれば、さすがに追い出されていただろうけれど。



「図星、か」

 力を抜きかけた俺の手から自分のシャツを引き戻して、貴弘はそう呟いた。わざと無神経なセリフを吐きながら、あいつは唇を歪めて笑う。

「でもそのことが、白石に何の関係があるんだよ」

「……」

「お前のやってることは単なる八つ当たりだろ」

 うるさい、うるさい!!

 そう怒鳴ってしまいそうになるのを何とか堪えながら、俺は思い切り肩を上下させて怒りを静めようとする。拳にそれを乗せるのは簡単なことだけれど、ここで貴弘を殴ったらそれこそ八つ当たりだ。



「じゃあ、俺帰るわ」

 本気で何しに来たんだと、聞いてやりたくなる。そんな俺の感情も見向きもしないまま、貴弘は平然とした面持ちで立ち上がった。

「あ、ついでに言わせてもらうけどよ」

 俺の分までまとめて伝票を拾い上げながら、続ける。



「お前、いつまでそうしてるつもり?」

「…あぁ?」

 眉を寄せて不機嫌そうに顔を歪めながら、俺は立ち上がったあいつを見上げた。




「いつまで、もういない女のこと引きずってんだよ」



 …言いたいことを言ってくれる。


 そう言い捨てた貴弘は、こちらの返事なんて待たないまま踵を返して帰って行った。…いや、俺が何か答えられるわけがないと分かっていたんだろう。




「……くそっ」

 机の脚を蹴り飛ばしたい衝動にも駆られたけれど、それを必死で押し込める。そんな俺に同情したのか、ウェイトレスがタイミングを計ってコーヒーのおかわりを持ってきた。




******



 7時頃になって、俺はようやくその店を出た。マスターに迷惑をかけたことを謝ったが、向こうはさほど気にしていないようで「若いっていいな!」と豪快に笑っていた。店の脇にある駐車場に向かおうと扉を開けると、予想に反してかなりの雨が降っている。一瞬驚いて目を見開いてから、俺はふと胸のどこかで何かがひっかかるのを感じた。




 まさか…という思いと、あいつなら雨くらいで帰らないだろうという確信に近い思いがある。思ったより頑ななところがある性格をしているせいで、これくらいの雨では退かないかもしれない。嫌な予感がして、俺は車に乗り込みながら携帯電話を取り出した。


 電話帳から出した一つの番号にコールすると、相手はすぐに出た。仕事中なら出ないだろうと思ったけれど、運が良かったのかもしれない。

『珍しいな、ユキから電話なんて』

 電話の向こうで、修司はのんきに笑ったようだ。

「修司、今日そっちに白石行ってねぇか?」

『ん?和美ちゃん?』

「あぁ、店の中にいるならいいんだけど、制服で入れなくて店の前に立ってるかもしれねぇんだけど」

『…え、ちょっと待てよ、ユキ』

 言葉を継ごうとする俺を、半ば慌てたような声で修司が制した。



『今日、うちの店臨時休業だけど』

「…え?」

 どうりで、修司が簡単に電話に出たわけだ。タイミングよく休憩だったりしたわけではないらしい。

『しかも何で和美ちゃんが一人で?……なんかあった?』

「………」

 俺は答えなかったけれど、修司は電話の向こうで細く長いため息を吐いた。事情は分からなくても…俺の状況は理解できたのだろう。



『…分かった、迎えに行けばいいんだろ』

「悪い」

『いいよ、別に。家から近いし』

「修司」

 通話を終わらせようとした修司に、俺は改めて呼びかける。ボタンを押しかけた手を止めたのか、修司は俺の言葉の続きを待った。

「もし白石が帰らないって言ったら…はっきり言ってほしいんだ。俺は行かないって」

『……よくわからないけど…その辺は俺の判断でやらせてもらうよ』

 言い切ってから、修司は少し笑う。

『また連絡する』

「……悪いな」



 そうして通話を終わらせる頃には、雨足は本格的になっていた。フロントガラスを叩く音が、まるで何かのメロディーを奏でるようにリズミカルだった。



 何となくそこから動く気になれず、しばらくそうして雨の音に耳を傾けていた。そうしていれば、幾分か癒される気がしたんだ。だけどそんな静寂を破ったのは、携帯電話の着信音だった。

「はい」

 相手はもちろん修司だった。さっきの通話から、20分ほど経った頃だ。



『ユキ、和美ちゃんコーヒーとココアだったらどっちが好きだと思う?』

「………」

 どこかのんびりした声の修司だった。思わず脱力しかけながらも、前に白石自身が言っていたことを思い出しながら「ココアだろ」と小さく答える。その問いはつまり、やはりその場所で白石が俺を待っていたということを示している。


『帰らない、って言ってるよ』

「……」

『ちなみに、ユキが言ってた通りのことは言わなかった』

「修司…っ」

 悪びれもせず、平然とした口調。こいつのこういうところはある意味貴弘より食えない。



『いい?ユキ。俺、9時までは一緒に待つことにした。それ過ぎたらお前との約束通り、ちゃんと連れて帰るよ』

「……」

『さすがに雨でびしょぬれの子をそのまま帰すわけにはいかないから、ユキが来ないなら俺の家連れて行っちゃうけど』

「……お前なぁ」

『じゃあ、待ってるから』

 最後にはおかしそうに笑って、あいつは通話を一方的に終わらせた。……家に連れて行くだなんて、そんなこと実際にはしないくせに。



 それが修司の手だと分かっていながらも、無視することもできない。




「……っ」

 舌打ちまじりに鍵を差込、俺はエンジンをかけて車を乱暴に走らせた。






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