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Sweet&Bitter  作者: みずの
雨と涙の告白
20/152


 6月1日、17回目の誕生日を迎えるはずのその日、空はまた暗いグレーに染まっていた。今の自分の心境を鏡にでも映したかのような色だ。…この色は、どうしても好きになれない。光るような青い色を見たかっただけなのに。



「和美」

 ずっと授業なんて身に入らないままだった私に、放課後になって智子が声をかけてきた。控えめなその声に振り返ると、案の定心配させてしまっている顔。

「ホントにいいの?和美さえ良ければ、私今日は部活を休んでも…」

 優しい智子の言葉に、私は無理にでも口元に薄く笑みを浮かべて大きく首を左右に振る。

「いいの、大丈夫」

「でも…せっかく誕生日なのに」

 先生と過ごすことができなくなってしまった今日。ただでさえ予定がなくなった上に、大好きな人に完全に拒絶されていて…智子は本気で心配してくれていた。

 智子の申し出は嬉しかったけれど、それでも部活を休ませてまで落ち込んだ私に付き合わせるわけにはいかない。それに、一人になりたい気持ちもどこかにあった。



 尚も心配そうにこちらを見つめる智子の視線を感じながらも、私は帰り支度をする。机の中の教科書を鞄の中へ移していると、その中に化学の教科書があるのが目に入った。



「……」

 今日の授業中も、一度も目を合わせてもらえなかったな…。漠然とその時のことを思い出しながら、胸が痛む。



「白石」

 低めの声に呼ばれたのは、その時だった。声のした方を振り返ると、その主は教室のドアのところに立ってこちらを見ていた。

「…都築先輩」

 手招きされて、私はためらいながらも鞄を机に置いてそちらへ向かった。






 ほとんどの生徒は部活へ向かうか下校してしまっている時間になっていた為、呼ばれた廊下に人気はほとんどない。それでも何となく廊下の隅の方へ移動しながら、私は内心でため息を漏らした。…今は、都築先輩にもできれば会いたくなかったからだ。



「どうかしたんですか?」

 それでもそんな感情を態度に出すわけにもいかず、私は無理に笑って聞いてみる。先輩が私を訪ねてここまで来ることは今までに何度も会ったので、珍しいことではないのだけれど。

「うん、ちょっとこれを渡したくて…」

 言われて差し出されたのは、ピンク色のかわいい袋だった。見覚えのあるその袋に…すぐにピンとくる。これは、あの例の雑貨屋さんのものだ。



「…え…っと…?」

 意味がよく分からずに驚いて顔を上げると、先輩はそれを差し出したまま照れくさそうに笑う。

「今日誕生日だろ?おめでとう」

「…あ」

 沈みすぎた気分のせいで、ふとした瞬間には自分が誕生日だということすら忘れそうになってしまう。先輩の言葉で思い出したそれと、目の前に出されたそれがようやく線で繋がる。



 先輩が妹さんにと買っていたピアススタンドの包みより、少しそれは大きかった。…つまり…またあそこへ行って私が欲しがっていたものを買ってきてくれたということなのだろうか。



「えっと…深く考えずに受け取ってもらえると…」

 いつまでも手を伸ばさない私に、先輩は苦笑い気味に言った。『深く考えずに』…ということは、普通に先輩の気持ちに気づかないフリをして受け取ればいいということだろうか?



「……」

 小さく、私は頭を振った。…そんなこと、さすがにできるわけがない。物をもらうのはそこにこもった気持ちごともらうことのような気がしたからだ。

「白石…」

「すみません、先輩」

 私はやっぱり、先輩の気持ちはどうしても受け止められない。それに、まだ自分の気持ちすら先生に伝えていないのに…。人の気持ちを受け入れるだけのキャパシティを持ち合わせていなかった。




 『おめでとう』と、言ってくれるのがあの人だったらどれだけ良かっただろう。先輩には本当に申し訳ないことだけれど、そう思ってしまう自分も心のどこかにいて…。そんな残酷な気持ちを持ったまま、先輩に笑顔を向けるわけにもいかなかった。




「…」

 先輩もさすがに笑みを消して、ふと真剣な面持ちになった。その表情をまっすぐ見つめ返すこともできず、私は少しだけ目線を逸らす。…だけどそのせいで、窓の外に一つの影を見つけてしまった。



(…先生)

 3階のここから見えた先生は、帰り支度をした後らしく下を歩いていた。もちろん、こちらに気づくはずもない。まっすぐに向かっているのは…恐らく教員用の駐車場の方。帰ってしまうんだとすぐに気づくと、それまで抑えていたはずの感情がぶわっと蘇ってきそうだった。



 私は、やっぱり先生と一緒にいたい。それが叶わないなら、せめて先生にどうして私を避けるのかちゃんと聞きたい。…その理由が聞けなくても…自分の想いは伝えたい。頑張らないまま、全てが自然に消えて終わってしまうのだけは嫌だったからだ。



「…先輩、すみませんっ」

 頭を下げて謝って、私は踵を返す。先生を、追いかけなきゃ。頭の中はそれだけでいっぱいだった。




「……」

 私のさっきまでの視線の先を追ったらしい先輩が手を伸ばしたのは、私が走り出そうとした瞬間だった。

「!」

 グイ、と手首をつかまれて、そのまま引っ張られる。

「……本城のとこに行きたい?」

 後ろから私を抱き寄せた先輩は、ぎゅっと腕に力をこめながらそんな言葉を耳元で囁いた。先輩が手を離したプレゼントが、床に落ちて固い音をたてる。

「…え?」

 驚いて目を見開いた私だったけれど、それはつまり先輩が私の想いに気づいていたのだと理解した。



「どうせ避けられてるんだろ?行ったって無駄だよ」

「……先輩…」

 『無駄』という言葉に胸を突かれそうになりながらも…私は次の瞬間にはハッと顔を上げた。先輩…どうして私が先生に避けられてることを知ってるの…?




「俺が、言ったから」

 私の胸に浮かんだ疑問を読み取ったのか、先輩はそう続けた。

「……どういう…ことですか?」

 声を絞りだしながら、そう弱く尋ねる。私の問いを受けて、先輩はぎゅっと更に自分の腕に力をこめる。




「白石が本城のことを好きなんだろうってことは分かったから…聞いた。先生はどう思ってるんですかって」

「……っ」

「どうも思ってない、普通の生徒だって言ってた。だから、頼んだんだ。だったら期待をもたせるような接し方しないでくれって」

「……」

 それで、先生のあの態度…?納得できるような、できないような…複雑な感情が胸の中で渦を巻く。



「……」

 …やっぱり、先生本人に聞きたい。そう思った私は、ぶん、と勢いよく先輩の腕を振りほどいた。

「白石!」

 勢い余ってよろけそうになった先輩は、走り出そうとした私に再び声をかける。

「言っただろ、先生は…何とも思ってないって言ってたんだよ!」

 先輩の必死な声に…私は泣きそうになっているのをこらえながら振り返った。

「それでも…!」

 先生が私のことを何とも思ってないことなんて知ってる。だけど、だからこそ…。

「先生本人の口から聞かなきゃ、諦められません!」

 先輩にというより…私自身に言い聞かせるように、大声ではっきりとそう口にする。走り出した私に、先輩はそれ以上引きとめようとはしなかった。





 …先生。


 避けるのは、本当に都築先輩に言われたから?


 それとも、私の気持ちが迷惑だから?



 必死で走りながら、私はとうとうこらえきれずに涙を流す。溢れるそれで顔がぐちゃぐちゃになっているのが分かる。今もう校舎内にほとんど人がいないのだけが救いだった。



 2階への階段を降りて、窓の外を一度確認する。先生は、もう大分向こうへ行ってしまっていた。


「…先生っ!」

 ガラッとそこの窓を開けて、私は大声で呼ぶ。だけど振り向きもしない先生は、そのまま駐車場の方へと向かって行った。


 …もう…ここからじゃ声も届かない。再び踵を返して、私は1階への階段を急いだ。



「…おっと」

 1階の廊下に降り立って角を曲がろうとしたところで、誰かにぶつかった。「すみません」と謝りながら顔を上げたけれど、今はとにかく急ぎたかった。早くしないと、先生が行っちゃう。気持ちだけが焦りながら、私は再び走ろうとした。


「待て、白石」

 ぶつかったその相手が…私の腕を掴む。驚いて振り返ると、そこにいたのはなっちゃんだった。

「なっちゃん、ごめんっ。ぶつかったのは謝るから…」

「そうじゃなくて、どうしたんだお前」

 ぐちゃぐちゃの顔で、私は首を横に振る。

「今はとにかく行かせて!」

 叫ぶように言ったけれど、なっちゃんは手を離してくれなかった。代わりに…低い静かな声で、「ユキのとこか」とため息まじりに呟く。



「行かないと後悔するの!早くしないと先生が行っちゃう!」

「…ダメだ」

 気持ちだけが先走って、前へ進もうとする私になっちゃんは低くそう言った。都築先輩とは違って…なっちゃんなら行かせてくれると思ったのに。そう思って目を見開いた私は、次の瞬間にはなっちゃんの腕に抱きしめられていた。…さっきの、都築先輩と同じように。


「なっちゃん…!?」

 だけど、先輩の時のように勢いだけでは振り切れない。ものすごい力に抗うこともできずにいた私を、なっちゃんはそのまますぐそこにあった資料室に押し込んだ。




******



 自分の想いが溢れて私をぎゅっと抱きしめた都築先輩と違って、なっちゃんの抱きしめ方は私を羽交い絞めにするような感じだった。まるで、飛び出して行こうとしたペットを押さえつけるような感じ。資料室に押し込まれて、もうきっと本城先生に追いつくことはできない。吐息まじりに諦めて力を抜いた私に気づいて、なっちゃんはようやく離してくれた。



「とりあえず、ちょっと落ち着け」

 誰かが入って来れないように鍵をかけながら、なっちゃんは手近の椅子に私を座らせる。

「…ごめんなさい」

 取り乱していたのがようやく落ち着いてきた頃に、私はなっちゃんにそう謝った。壁にもたれかかったままこちらを見下ろしたなっちゃんの方は、椅子に座ろうとはしなかった。立ったまま腕を組み、ため息を漏らしながら口を開く。



「で?何があったんだ?」

 聞かれて思わず目線を逸らしてしまった私に、なっちゃんは今度はもっと大きな吐息を漏らした。

「…まぁ、ユキから大体のことは聞いてるけどよ。お前も話してみろよ。順を追って話してるうちに見えてなかったものも見えるかもな」

 言われて、私はふと顔を上げる。


 …そっか、なっちゃんは先生の親友なんだから、何かを聞いていてもおかしくはない。ただ、先生がなっちゃんに話した内容は私に教えてくれることはないだろう。それでも…確かになっちゃんに聞いてもらうことで見えてくるものもある気がした。




 ポツリポツリと、私は小さい声でだったけれど一連の流れを話す。先生と約束していたこと、それが守られなかったこと。急に避けられてしまって、私にはその原因が分からないこと。それと…都築先輩のこと、菅原先輩のこと。



「…なるほどね」

 聞き終えたなっちゃんは、かけた眼鏡の位置を直しながら呟いた。

「どうりでユキが最近仕事熱心なわけだ。お前のこと避けてたんか」

 小さく頷きながら言うなっちゃんに、私は思わず目を丸くする。

「…って、なっちゃん…先生から聞いてるんじゃ…?」

 尋ねると、なっちゃんは直した眼鏡の向こうで少し笑って見せた。

「ユキが俺にそんな話するわけねぇじゃん」

「!?…ひど、騙したのっ?」

 思わず大声を出しそうになった私に、なっちゃんは「しぃ」っと口元に長い人差し指を立ててみせる。確かに、鍵のかかった部屋から声が聞こえてきたら近くを誰かが通った時に怪しまれる。



「まぁ、それはおいといて、だ」

「ひどいっ。おいておける問題じゃないです」

「とりあえずおいとけ、今は」

 自分勝手なセリフを口にしながら、なっちゃんは小さく首を傾けた。



「そんでお前は、なんでユキに避けられてると思う?」

 聞かれて、私は眉間に皺を寄せる。…まだ、自分なりの答えも出てない部分だったからだ。



「都築先輩は…自分が言ったからだって言うんです」

「うん」

「先生は…菅原先輩とのことを校長先生たちに説教されたからだって…」

「…うん」

「でも私は…正直、分からなくて」

 どっちの言うことも本当かもしれない。でもどっちの言うことも、違う気がする。根拠のない勘だけれど…そんな予感がしていた。



「それが、正解」

 はっきりとそう告げたなっちゃんのそんな言葉に、私は思わず顔を上げた。



「都築が『白石と親しくするな』って言ったからって…それだけでお前を避けるような奴じゃない、ユキは」

「…はい」

「だけど、都築の言葉が一つのきっかけではあるかもな」

「……『きっかけ』…」

 その言葉を繰り返すと、なっちゃんは小さく頷いた。


「それと、ユキが校長と教頭に散々説教されたのも本当。だけどそれだけでお前を避けるわけない」

「……はい」

「でもそれもきっかけの一つ」

「……」

「でもその二つだけが原因なら、お前に悟られないように徐々に距離を取ればいい。そういうところあいつは上手いからな」

「……」

 …ということは…。



「私を避ける理由が、まだ他にあるってこと…?」

 問いかけるように尋ねたけれど、なっちゃんは頷きはしなかった。だけどその無言が、逆に私の言葉を肯定しているようだ。



「…あいつの傷は深い」

「……え?」

 やがて再び口を開いたなっちゃんのそんな言葉に、私は思わず目を見開いて聞き返した。そんな私から少しなっちゃんが視線を逸らしたのは…気のせいじゃないだろう。



「お前なら、それを癒してやれるかと思ったんだ」

 それが、なっちゃんがずっと私を応援してくれていた理由…なんだろうか?

「まさか、逆にここまでお前が傷つけられるとは思ってなかった」

「…なっちゃん…」

「ごめん」

 いつも俺様ななっちゃんにしては、珍しい言葉。その優しさに思わず泣きそうになってしまいながら、私は慌てて首を横に振った。

「私なら、大丈夫だから」

 それは、嘘じゃない。確かに精神的にはボロボロになりそうだったけれど、まだ…頑張れる。というより、私はまだ何もしてきていないはずだ。先生が何を考えて、何を見ているのか…。なっちゃんの言う通り癒えない傷を抱えているのが私を避ける原因なら…それを知りたい。



「なっちゃん、私行くね」

 もう、帰ってしまった先生に追いつくことはできないけれど。それでも私には、やらなきゃならないことがまだある。



 先生を、待ちたいんだ。きっと、約束を守ってあの場所へ来てくれると信じて…。



「……」

 小さく頷いて、なっちゃんは今度は止めようとはしなかった。それに少しだけ笑って私も頷き返して、資料室の鍵を開ける。



 急いで教室へと戻って鞄を持った私は、約束の場所へとただ急いだ。





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