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Sweet&Bitter  作者: みずの
雨と涙の告白
19/152


 天気は晴れているのに、空が灰色に見えるのはどうしてだろう。自分の気分が落ち込んでいるからなのか、涙で視界がぼやけそうだからなのか。自分の席から見えるそんな窓の外を見上げながら、私は漠然とそんなことを思った。



「機嫌でも悪かったんかね」

 由実が、私の前の席に座ってこちらを向いたままポツリとそう呟いた。

 日誌を持っていって帰ってきた私の様子がおかしいことに気づいたらしい由実は、教室から他の人たちがいなくなるのを待って私の話を聞いてくれた。本城先生とのさっきまでのやり取りを聞き終えて、由実が漏らした感想はそんな一言だった。



「試験前とか試験中って、生徒だけじゃなくて先生たちだってピリピリすんじゃん?」

 慰めるつもりで由実はそう言ってくれたのかもしれないけれど、私はその言葉に頷くことはできなかった。



 機嫌が悪いとかそんな理由で…生徒にああいう態度を取る人じゃないと思うからだ。



「じゃなきゃさ、和美。そもそも本城と最後に話した…つーか会ったのは都築先輩と出かけた時なんでしょ?」

 由実の問いに、今度は私は小さく頷く。気を緩めると涙が出そうだったので、眉間に作った皺に力を込めて必死でこらえたままだった。



「それってさぁ、都築先輩と出かけたことが気に入らなかったってことじゃない?そうだとしたらユキサダの奴、妬いてるだけなんじゃないの?」

 小首を傾げてブリックのコーヒー牛乳を飲みながら、由実はそう言った。

「だってさぁ、それ以外でユキサダが和美に冷たい態度取る理由なんてないじゃん?」

 確信したように言い切った由実だったけれど、私は小さく吐息を漏らす。…私には、分かっていたからだ。先生が、由実の言うような理由で冷たくしているわけではないことを。



「違うよ、それは」

 小さく否定して、私は唇を噛み締めた。



 あれは…『嫉妬』とかそういう感情じゃなかった。



 もっと……そう、確固たる『拒絶』。




「なんか本当に…私と話したくなかったんだと思う。嫉妬とか八つ当たりとか…そういう感じじゃなくて」

「だったら余計に意味わかんなくない?和美が何したって言うんだろ」

 それは…確かに私も疑問だったけれど。確かに最近は私が先生の周りをチョロチョロしていたから、そういうのがうっとうしいとか理由は考えればなくはなかったけれど…。でも、急に態度を変えるほどのことではない気がする。私が迷惑だったら、先生はそもそもCDを貸してくれたりしないだろうし、徐々に距離を取るに違いないから。



「まぁ、ちょっと様子見てみたら?」

 椅子から立ち上がりながら、由実は言う。明後日からはテストが始まるし、私もあまり由実を拘束するわけにもいかない。自分も立ち上がりながら、私は小さく頷いた。

「もしかしたら今日のは気のせいで、次は普通かもしんないしね」

 励ますように言う由実は、そう言って私の背中をバンと大きく叩いた。






 とりあえず、私はテストに集中しなきゃいけない。だけどなかなか手につくはずがないのも事実で、寝不足な上に疲労がきて状態は最悪だった。加えて、事態は私が思っているより最悪な方向へ進んでいるようだった。


 由実の言うように、この前の先生の態度が気のせいならどれだけ良かっただろう。…いや、気のせいじゃなくても、話しかけようと思えばそれができるだけマシだったのかもしれない。


 あの後から先生は、化学準備室にいなくなった。いつもなら煙草も吸えない、うるさい教頭のいる職員室を嫌って準備室にこもっていたのに。あれからは授業中以外は職員室にしかいないようで、話かける機会すらなくなってしまった。生徒は、テスト前と期間中は許可なく職員室に出入りできないからだ。HRを終えれば先生はすぐに戻ってしまうし、一瞬の隙さえ与えてくれない。



(これは…避けられてる?)

 そう思うのは自意識過剰だろうか。でも、他の生徒に話しかけられた時はそれなりに今まで通り応じている気がしたんだ。元々なっちゃんのように人当たりの良い先生じゃないから、はっきりと確信を持つことはできないけれど。




 仕方なく、一度も話しかけることもできないまま私はテスト期間を終えた。その間は部活もなかったので、都築先輩と顔を合わせることもなかった。先生の都合でテスト後も一週間部活はないということだったので、私は不安と安堵という矛盾した想いを同時に胸に抱えた。



 そして、テストが終わって翌週。早速どの授業でもテストの答案が返ってくる。直前に色々なことがありすぎたせいで私のそれはどれも散々なものだった。ただ…。


「白石」

 大好きなはずの低い声に呼ばれたのに萎縮しそうになりながら、私は小さく返事をする。歩いて行った先の教壇の前で、本城先生に化学の答案を返された。手渡す時も、先生はこちらを見ようとはしない。

「………」

 その横顔に、胸が少しだけ痛んだ気がした。



 そこを抑えながら、私は自分の席へと戻る。次に呼ばれた子とすれ違いながら、渡された答案の点数を確認した。



(92…)

 ホッと安堵の息を漏らし、私は自分の席の椅子を引く。精神状態は最悪でテスト勉強に集中できなくても、化学だけは死ぬ気で頑張ったからだ。


 先生と、約束したから。もし約束の点数も取れなかったら、今度こそ本当に話かける機会を失ってしまう予感があったのだ。




 できれば、もう一度ちゃんと先生と話がしたい。借りていたCDも返さなくちゃいけないし、何より…。



 先生が、何を考えているのかを知りたい。そして許されるなら自分の想いを少しでも伝えたい。それができるのは、この答案が最後の口実だと思った。





 化学はその日の最後の授業で、後はSHRだけだった。相変わらず、先生はSHRを終えるとさっさと職員室へと戻って行ってしまう。

「……」

 その日も話すきっかけすらもらえず、私は小さく吐息を漏らした。



「和美、大丈夫?」

 部活に行く準備をしながら、智子がそう尋ねてくる。うん、とそれに小さく頷いて、私も力なく帰り支度を始めた。私の方は部活もないし、先生と話もできないなら長居をする理由もない。智子たちを見送って、そのまま帰ろうとした……その時、だった。




『2-A 白石和美』

 鞄を持ち上げた瞬間に流れた校内放送に、私は大きく目を瞠る。

『至急化学準備室まで』

 聞きなれた、低い声。まさかそんな呼び出しを受けるとは思っていなかったので、私は驚きの余り一瞬声を失ったほどだ。だけど何とかすぐにそこから立ち直り、顔を上げる。ここでこうしていたって仕方ないし、自分にとっても絶好の機会がきたんだと思うことにした。


 鞄を手にしたまま、小走りに化学準備室へと向かう。テスト前には教師の元を訪れる生徒が多かったので雑然としていた各教科の部屋が並ぶ廊下も、テスト明けの今は静かなものだった。人のほとんどいない廊下を進み、行き慣れたはずの場所で足を止める。ドアの前に立つと言葉にならないほどの緊張感が押し寄せてきて、私は小さく息を飲んだ。


 それから、深呼吸をする。吐き出すのと同時に腕を持ち上げ、控えめだけど聞こえるくらいの大きさでそのドアをノックした。




「どうぞ」

 先生の声と同時に、「失礼します」とそこのドアを開ける。いつも通り椅子に座っていた先生は、窓の方を向いて煙草に火を点けているところだった。赤い光を灯したそれから、薄い煙が立ち上る。先生は唇からそれを吐き出しながら、ゆっくりと椅子を回転させてこちらを振り返った。



「…白石」

 何気ない呼びかけすら、私は緊張に身を強張らせる。何を言われるのかと身体を竦めた私に、先生は少しだけため息をついたようだった。その表情に、何となく読み取ってしまう。


 分かっていたことだけれど、いい話じゃないことは確実だ。



「あ、あの…っ」

 今すぐその話をされるには少し覚悟が足りなくて、私は先生が次の言葉を続ける前に声を出してしまっていた。私が先に口を開いてしまったせいで、先生が開きかけた唇を閉ざす。代わりに、そこに煙草を咥えた。


 放っておくと沈黙が降りてきそうな空気。それを打ち破るように、私は鞄に手を入れる。そこから借りていたCDを取り出して、先生の方へ差し出した。

「これ、ありがとうございました」

 緊張した面持ちで、私はお礼を言いながら先生を見る。


「……」

 手の中のそれを一瞥しただけで、先生は無言だった。そのまま、受け取らずに再び椅子を回転させてあちらを向いてしまう。それから小さく呟くように言った。

「やるよ、それ」

 言われた言葉の意味が一瞬分からずに、私は「…え」と目を見開く。

「90点以上取ったご褒美の代わり」

「……え?」

「呼び出した話ってのはそのことだったんだ」

 続けた先生は、こちらを見ないままフーっと長い息を吐き出した。



 それはつまり…誕生日の日にジャズバーに連れて行ってくれるという約束は守れないということ…?目を見開いたまま立ち尽くした私は、茫然と体の横で拳を握る。そうして力をこめていないと、真っ白になりかけた意識を持っていかれそうだったから。



「どうして…ですか?」

 小さく尋ねた私の前で、先生はゆっくりと立ち上がる。外の方を向いたまま、煙草に手をやった。紫煙を燻らせるその姿は、いつも以上に絵になっているというのに…。余計に、遠い存在に感じられる。



「悪ぃな」

 答えになっていない返事に、私は大きく首を振った。



「だって、先生あの時約束してくれたじゃないですか!」

「…だから、謝ってんだろ」

 明らかに言葉と不似合いな口調で続けた先生は、不機嫌そうにだけれどようやくこちらを振り返る。その目はこちらを見ないままだったけれど、拒絶という壁を感じさせるのはこの前と同じだった。そのひんやりとした冷たい空気を感じながら、私は息を飲む。



 先生は、約束を破るような人じゃないと思う。…というより、破るくらいなら元々約束なんてしない人だと思う。そうだとしたら…先生が頑なに拒む理由が何かあるはずなのに。



「……理由を教えてください」

 言うと、先生は小さく息を吐き出した。煙とは違う…今度は本当のため息だ。

「2時間だ」

 呟くように言った先生は、諦めたように重い口を開く。



 「え?」と眉を寄せた私に、先生は続けた。

「昨日、校長と教頭に呼ばれて2時間説教された」

 急な話に、私は再び目を丸くする。

「菅原とのことが噂になって、とうとう耳に入ったらしい」

 事実じゃないことなのに…いや、事実じゃないからこそ、校長先生たちに注意を受けたのかもしれない。その時のことを思い出したのか、先生は苦々しく表情を歪めた。

「教師としての自覚を持って行動しろってな」

 言って、先生は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

「それが理由」

 そこでようやく、先生は私の目を見て告げた。




 …『嘘』だ。


 根拠はないけれど、私の直感がそう告げる。校長先生たちにお説教されたのは本当だろうけれど、それだけが理由だとは思えない。それこそ、それを理由に断るくらいなら先生は最初から約束なんてしなかったに違いない。



「分かったら帰れ」

 短く言い放つ言葉は、私の胸に突き刺さる。

「…私は…」

 搾り出す声に、喉が渇いて焼きつきそうだった。


「先生は、約束を破るような人じゃないって知ってるから」

 はっきりと告げると、先生が少しだけ目を見開く。だけどそれも一瞬のことで、次の瞬間にはまた体ごとあちらを向いてしまった。

「待ってますから。ずっと…!先生が来るまで!」

 言い切った私は、大きく息をつく。肩越しに少しだけこちらを振り返った先生は…表情は見えなかったけれど、相変わらず私との間に壁を作っていた。



「行かないぜ、俺は」

 最後通告のような先生の言葉が、冷たく冷たく室内に静かに響いた。





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