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Sweet&Bitter  作者: みずの
雨と涙の告白
18/152


 あの後、鎌田先輩たちとカラオケに行ったけれど気分が晴れるはずもなかった。気を遣ってくれた先輩たちには申し訳なさでいっぱいで…せめて無理をしてでも笑おうと努力したのにも気づかれていただろうか。2時間ほど歌って帰路に着く頃には、私は精神的にも疲労を感じていた。



 重い足取りで、自宅へと向かう。今日は母が夜勤の日で、夕飯を準備するのは私の当番だ。疲れてそのままベッドに倒れこみたいところだけれど、先に帰ってきているだろう弟の祥太郎がそうはさせてくれないに違いない。



 自宅近くの最後の角を曲がりながら、私は小さくため息をついた。ぐるぐると頭の中を駆け巡るように思い出されるのは、菅原先輩の言葉ばかりだ。都築先輩の気持ちを知っていながら一緒に出かけて最低だと…そんな私は先生のことを好きだという資格もない、と。一つも言い返せなかったそんな言葉が、胸をえぐるように突き刺さっていた。



「さいってい!」

 そんな私の心を見透かされたような声が聞こえたのは、家の門の近くに来た時だった。一瞬自分のことを言われたのかと思い、私は顔を上げながら目を丸くする。声の主を急いで探すと、その女の子は私の前に立っていた。…こちらに背を向けて。



 それと同時に、乾いた平手打ちの音。思わず一瞬目を閉じて肩を竦め、自分が殴られたかのようにその音に感情移入してしまう。

「あんたなんて地獄に落ちろ!」

 凄まじい捨て台詞を吐いたその女の子が、踵を返した。振り返った彼女が、目を開いた私に気がつく。ハッと少し気まずそうな顔をしたけれど、そのまま走り去るように駆けて行った。



「…なんの修羅場?」

 呆れたように、私はそこに取り残された弟に声をかける。玄関のドアの前で立っていた祥太郎は、私の問いかけに少し気まずそうに苦笑いを浮かべて見せた。




******



 祥太郎は、昔からモテる。運動神経も頭も良い方だし、姉の私には分からないがルックスだってすれ違う女の子が振り返るほどだ。2つ年下の中学3年とは思えないほど大人びている。加えて女の子には平等に優しいらしく、影が絶えることがない。

 今まで家に連れてきた女の子も、何人いただろうか。そのせいか、今日のようなことを目にするのも初めてではなかった。



「いて、いてぇって姉ちゃん」

 家の中に入ってすぐ、私はソファに座らせた祥太郎の頬に冷たいタオルを押し当てた。時間がたつにつれて赤みが増してきているので、冷やさないと大変なことになりそうだった。

「文句言わない」

 相当冷たいのだろう。タオルを押し当てられた側の目を閉じながら、祥太郎は顔を歪めていた。



「あの子、新しい彼女?」

 祥太郎の傍から立ち上がりながら、私は何気なくそう尋ねる。特別興味があったわけでもなかったけれど、聞かない方がわざとらしいか思ったからだ。

「いいや?」

 ソファに尊大な態度で座った祥太郎は、平然とそんな答えを寄越してきた。背もたれにだらしなくもたれかかって、足を組む。

「さっき勝手にここまで来たんだよ。そんで平手打ちされた」

「…あんたが何かしたんでしょ」

「何もしてないよ。『好き』だって言われたから俺は好きじゃないって言っただけ」

「……」

 呆れたように祥太郎を見て、私は目を細めた。…世間ではそういうのを『何かした』って言うんじゃないだろうか。



「…もうちょっとさ、言葉の選び方があるでしょ?」

「もちろんそのまま言ったわけじゃないって。もっとソフトにオブラートに包んで言いましたよ」

 タオルを片手で持ったまま、祥太郎は「姉ちゃんコーヒー淹れて」とついでのように我儘を言う。ため息まじりに食器棚からマグカップを出しながら、私は小さく首を捻った。

「じゃあなんでああいうことになるわけ?」

 普通に告白されて、丁重に断って…ではあんな風にはならないだろう。インスタントコーヒーをカップに淹れながら、私は祥太郎にそう尋ねた。



「期待させたから、だってさ」

「……え?」

 思わず眉を寄せて、私は祥太郎の顔を見つめ返してしまう。



「俺さ、女の子大好きじゃん?それこそ皆好きっていうかさ」

 …そう。祥太郎は、よく言えば誰とでも仲良くできるけれど、博愛主義者というか…。誰にでも良い顔をするから人当たりはいいけれど、それは誰のことも好きじゃないことの現れのような気がして、私はそれを彼の欠点だと思っている。誰に対しても優しくできるのはいいことかもしれないけれど、祥太郎の場合は度が過ぎているのだ。



「だから、別にさっきの子にも皆と平等にしてたつもりだったんだけどさ」

「…うん」

「向こうは、その優しさを勘違いしたらしい」

 お湯を注いだマグカップを手渡すと、「サンキュ」と言いながら祥太郎は続けた。

「それで『私の気持ちに気づいてたくせに優しくしてたなんて最低』って言われたわけだ」

「……なるほど」

 小さく頷いて、私は自己嫌悪に陥りそうになる。姉弟そろって、同じような状況に感じられたからだ。



「…それはさ、やっぱり祥が良くないよ」

 菅原先輩の言葉を思い出しながら、私はなだめるように祥太郎にそう言う。その女の子と都築先輩がかぶったように感じられて、なんだか申し訳ない気分にさえなった。



「…何で?」

 目を細め、祥太郎はコーヒーを啜る。少し不機嫌そうに眉を寄せながら、唇を尖らせてこちらを見た。

「何で俺が、彼女にそこまで気を遣わなきゃいけないの」

 誰にでも優しい男にしては、冷たいセリフ。少し意外で目を見開きながら、私は祥太郎を見つめ返した。



「好きなら好きって言えばいいんだ。『態度で表してるんだから分かるでしょ』って、そんなのそっちの勝手だよ。分かる?姉ちゃん。恋愛は頑張った奴だけが幸せになれるんだよ。想いを口にする勇気もないくせに、相手にはその想いを理解して優しくしてほしいなんて自分勝手すぎるだろ」

「……」

「彼女が最初から『好き』だって言ってきてたら、俺だって必要以上に優しくしないよ。それを言わずに接してきて、俺の優しさを勘違いされたっていい迷惑だ」

 きっぱりと言い切る祥太郎は、珍しく真剣な目で怒っているようだった。あまり怒りという感情を表さないタイプだから…。それも少し意外で、私は思わず祥太郎から目線を逸らす。

「でも……私は…」

 それでも私は、都築先輩にひどいことをしたんじゃないかと罪悪感を抱かざるを得ない。祥太郎の言うことが正論だということもわかる。だけど、菅原先輩に言われたことも的を射ていると思わされたから。



「…っ」

 祥太郎の話をしていたはずなのに、自分に置き換えて口にしそうになってしまったことに気づいて私はハッと我に返った。慌てて口を噤み、立ち上がる。取り繕うように「夕飯の用意するわ」とキッチンへ向かおうとしたけれど、そんな私を祥太郎が見上げていた。

「姉ちゃんの元気がないのもそれが理由?」

 さっき口走りかけた一言で、私が同じような状況に立たされていることに気づいたんだろう。…相変わらず、姉に似ず敏い子だ。



「簡単なのでいいよね、私この後テスト勉強あるから」

 祥太郎の言葉に答えずに、私は近くに置いてあったエプロンに手をかける。冷蔵庫から野菜を取り出しながら、その話を終わらせようとした。



 だけど…。



「姉ちゃんが俺と同じような状況だとしたら、悪いのはその男の方だよ」

「……」

「だってさ、好きだって言われたら断りようもあるけど、告白もされてないのに邪険にできないでしょ?姉ちゃんだって」

「…それは…」

 確かに、都築先輩の気持ちに何となく気づいているからと言って、うぬぼれるように冷たい態度を取るわけにもいかない。困ったように眉を寄せる私を見て、祥太郎は少し優しく笑ってみせた。


「言っただろ、幸せになりたきゃ伝えるしかないんだよ。姉ちゃんがその男と正面から向き合うのは、告白された時でいい」

「……祥…」

 呟きながら、私はなんだか涙が滲んできそうになっているのに気がく。あんなに重くのしかかっていた菅原先輩の一言が、少しだけ軽くなったようにさえ感じた。




「…私も、幸せになれるかな…」

 思わずと言った感じで漏らした言葉を、祥太郎はしっかりと聞いていたようだ。少しだけ目を見開いた後、唇を持ち上げて笑う。

「当たり前だろ。ちゃんと伝えれば、の話だけど」

「伝える資格、あるかな」

「資格?」

 菅原先輩には、その資格がないと言われた。それを思い出して言うと、祥太郎は意外そうに眉を持ち上げて私の言葉を復唱した。


「だって、他の人と一緒にいるところを見られちゃったし…。それでも、伝える資格あるかな」

 もうほとんど、私は祥太郎にというより自問しているような気分だった。



 都築先輩の気持ちに何となく気がつきながらも、出かけてしまったのを先生に知られているのに…。そう思うと不安になったけれど、祥太郎の笑顔がそれを一蹴した。

「資格なんて関係ない。好きだって言うのに誰の許可もいらないよ」

「……」

「ま、唯一姉ちゃんが伝えたらダメな相手がいるとしたら…」

 ニヤッと笑って、祥太郎は少し空気を軽くする。…この子、大人びているとは思っていたけれどこんなにも大人な考えをする子だったっけ…。

「彼女もちとか妻子もちとか、他人の男ぐらいかな。それだけは絶対やっちゃダメだ。俺も彼氏いる子にはさすがにしないし」

 冗談っぽく言って、祥太郎は笑った。



 つられるように、思わず私も笑ってしまう。

「…ありがと、祥太郎」

 照れくさいのであまり大きな声では言えなかったけれど、祥太郎の耳にはきちんと届いただろう。



「さて、ご飯作ろうかなっ」

 さっきよりも元気を取り戻しながら、私は腕まくりをする。

「急いで作るね。簡単なのでいいでしょ?」

 先刻と同じ問いを投げかけると、祥太郎は小さく首をすくめて見せた。

「姉ちゃんの作るご飯が簡単じゃなかったことあったっけ」

「………やっぱりかわいくない、あんた」

 唸るように低い声で言うと、祥太郎は声を上げて笑った。




******



 私はそれまで、告白をゴール地点だと考えていた。というより、むしろ告白することなんて考えたこともなかったかもしれない。

 教師と生徒という立場で、それを受け入れてもらえるとも思っていなかったし…。だからこそ、告白をする時が来るとしたらこの恋が終わる時だと思っていたから。



 だけど、そうじゃないんだ、と…。祥太郎の言葉を受けた今ならそう思える。



 想っているだけじゃ、きっと傷つく資格もないんだ。伝えて始めて、傷ついたり笑ったりすることを自分に許せるのかもしれない。



「…よしっ」

 先生とは、頑張って今まで通りに接しよう。気合を入れて、私は深呼吸をする。


 ジャズの話や修司さんの話、なっちゃんや理沙さんの話…きっと前より話題は尽きないはずだから。


 そしてテスト後の来週の誕生日、本当にあのお店へ連れて行ってもらえたら…。その時に云おう。自分の想いを。1年以上温めてきた、秘めたこの気持ちを…。






「なんか今日、和美すっきりした顔してない?」

 翌日の学校で、由実が小首を傾げながら私にそう聞いてきた。

「うん、ちょっとね」

 気合を入れた私は、返事をするにも毅然と答えて小さくガッツポーズをして見せる。

「なんかよくわかんないけど気合入ってるね。…あ、日直だからか」

 日誌を書いている私を見て、由実はそう少し見当違いなことを言って笑った。



 でも確かに、日誌を出しに行くだけでも先生と話ができる機会になる。それだけでも嬉しくて、私はさっきから急いでそれを広げて書いていた。



 今日のクラスの出来事を記入し、勢いよく立ち上がる。

「行ってくるっ」

 もう一人の日直には「出しておくからいいよ」と言っておいて、私は見送る由実に手を振って教室を飛び出した。






 現実が甘くなかったことを知るのは、この後すぐ。



 化学準備室のドアをノックして入った時、そこにいたのはいつもの先生だったはずなのに…。




「何」

 煙草を吸いながら、椅子に座ったまま先生は私に尋ねる。いつもの「何」とは違う…どこか冷たい空気を帯びた言葉だった。



「あ、あの…日誌を持ってきました…」

 思わず気圧されそうになりながら、私は何とかそれだけ口にする。煙草の煙を吐き出した先生は、再びそれをくわえながらパソコンのキーボードを打ち始めた。

「そこに置いといて」

 短く、そう言う。一度もこちらを見ないままに…。



 それはまるで、ちょっと前までの他人に壁を感じさせる先生に戻ってしまったみたいだった。最近では、ようやく笑ってくれるようになってきていたのに…。あの日笑いながらピアノを弾いてくれた人と、同じ人だと思えないほどに。




「…まだ何かあんのか?」

 日誌を置いても尚、硬直したように動けずにいた私に先生がそう尋ねる。…冷たい、声。こんな声の先生知らない。



「…いえ、失礼します」

 ペコリと頭を下げて、私はそこを後にする。先生はとうとう、一度も私の顔を正面から見ることはなかった。




「……っ」

 廊下を走って戻りながら、涙が浮かんでくる。だけどそれを流してしまうわけにもいかず、私は必死でそれを堪えた。




 どうして…。




 そんな思いだけが、胸の中を駆け巡る。





 どうしてなんですか、先生…。






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