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Sweet&Bitter  作者: みずの
side story
148/152

形のない約束

本編終了後のある日の話。ユキ視点。


 携帯にメールが入ったのは、金曜の午後だった。

 昼休み、化学準備室で5限の授業準備をしていた時だ。机の上で振動するそれに手を伸ばすと、珍しく1文だけのそっけないメール。



『ごめんなさい、明日行けなくなりました』



 理由を書かないことも珍しいと思ったが、こういう時はメールで聞き返したって無駄だと分かってる。

 そもそも昼休みの今なら直接言いにくればいいことなのにメールを選ぶ辺り、面と向かっては俺に言いたくないような「何か」があるんだろう。



 土曜に白石がうちに来るのはここのところ当たり前のようになっていたので、俺は少し意外で片眉を持ち上げた。

 でも友達との約束もあるだろうし、来られないことがあって当然だ。…そこに理由と、いつも通りの絵文字や無意味なデコレーションが入っていれば不自然さはなかったのに。



 「了解」とだけ返事をしたのは、別に面倒くさがったわけじゃない。ただ、こういう時のあいつにメールで問いただしたって無駄だと知っているからだ。

 会った時に聞けばいいだろう。そう思って帰りのHR後に捕まえようとしたが、うまくいかなかった。




 タイミングが合わない。夜に電話をすればきちんと出たが、顔が見えない時のあいつは随分と「何でもないフリ」がうまくなった気がする。

 土曜に会えなくなった理由を尋ねても「ちょっと用事ができちゃって」と曖昧に濁すだけだ。

 顔を見て話せば、少しの目線の動きや一つ一つの動作で何かに悩んでいることがあるのかということや嘘には気づける自信があるのに。



 結局話らしい話もできないまま、週が明けた。だが次の週に入っても、学校であいつが俺に必要以上に近寄ってくることはなかった。

 声をかければ避ける素振りもなくきちんと応じるが、やはり何かを隠している気はした。



 さて、どう切り出すか。

 ごまかしたり逃げられたりしないように話をする方法を考えているうちに、また金曜になって同じメールが届いた。

 それにも同じように返したけれど、さすがにこれ以上放置するのは得策ではないだろう。

 今日中に何とかできないものかと考えていたところに、放課後、怒りを表したような乱暴なノックが化学準備室の扉にもたらされた。



「どうぞ」

 嫌な予感がしながら応じると、予想通りの生徒が入ってくる。

 明らかに怒った様子の江口由実と、冷静沈着で無表情の松浦智子、そして後ろで「ゆ、由実、やっぱりやめようよ…っ」と慌てている野崎茜の三人だ。

「ユキサダ、話があるんだけど」

 肩を怒らせた江口が、一番にズカズカと俺に近寄ってくる。それを椅子に座ったまま見上げて、「まぁこのままだとそろそろ来ると思ってたけどな」と言うと江口は尚更不機嫌そうに眉を寄せた。



「何で和美のこと放置してんの!? 和美今すごく落ち込んでるんだけど!?」

「何に?」

 間髪入れずに尋ね返したが、それはそれで気に入らないようだ。

「はぁ!? それくらいあんたのことだからもう分かってるんでしょ!? 分かって放置してんでしょうが!」

「…あのなぁ…」

 呆れたように吐息を漏らして、俺は椅子をクルリと回して江口の方を向く。

「言われもしねぇのに分かるわけねぇだろ。お前、俺を仙人かなんかだと勘違いしてねぇか」

「だっていっつも何でも分かったような顔してんじゃん!」

「そりゃお前らからそう見えるだけだろ」

 何でもかんでもお見通しだと思ったら大間違いだ。…確かに、高校生のこいつらに比べたら経験と知識で想像できることも多いけれど。



「まぁ唯一想像できるとしたら…」

 一度言葉を切って、俺は机に頬杖をつく。

「俺に不満があるんだとしたら、今のあいつはちゃんと正面切って言いにくるだろうから、何か違うことに悩んでんだろ。それで、俺に言えねぇから会わないんじゃねぇの?」

「…そこまで分かってんだったらもっと話を聞いてやってよ!」

「そのつもりではいるけど、タイミングっつーもんがあんだよ。お前らだって知ってんだろ。意外にあいつも難しい性格してんだ」

 順序を間違えると、もっと頑なになってしまう可能性もある。

 それは親友としても想像できる状況だったのか、「ぐ」と江口が一瞬押し黙った。

 それを機に、一歩後ろにいた松浦が進み出る。



「本城、和美ね、この前の全国模試の結果で悩んでんの」

「……?」

 全国模試? そう言えば先週の木曜辺りに結果が返ってきてたっけ。

 思い出してみれば確かに白石の成績は散々だった気がする。たまたま調子が悪かっただけだろうと気にもしていなかったし、本人にもサラリとしか声をかけていないのではなかったか。

「相当点数が落ちたみたいで、へこんでるよ。このままじゃW大になんて行けそうにないって。結果も『要検討』だったみたいだし」

「…おい、ちょっと待てよ」

 眉を顰めた俺を、松浦は言葉通り「待つ」姿勢で口を噤んだ。



「まだ2年の冬だぜ? 一回の模試の結果が悪かったからって落ち込む必要ねぇだろ」

「大人はね、そう言うと思ったよ」

 やけに冷めた口調で、松浦は言葉を継ぐ。

「教えてよ。だったらどうして2年にも模試なんてもんがあんの? 何で希望大学に対する判定まで出んの? 気にするななんてキレイごと言うくらいなら、大人は何でそれでも生徒を数字で判断するのよ!」

「……」

「結果に喜んだり落ち込んだり…そんなの当たり前じゃん。本城からしたら『たった一回』の模試でも、うちらは本気で挑んでるんだよ!」

「…別にそういう意味で言ったんじゃねぇだろうが」

 珍しく勢いに気圧されて、渋り気味にしかそう返事ができなかった。

 松浦の言わんとすることが分からないわけじゃない。だけど、この年だからこそ知ってるんだ。1回の失敗くらい、この後いくらでも取り返せることを。

 高校生がその1回1回に本気だってことも、理解してはいるけれど。



「和美がへこんでんのは、本城にも申し訳ないからだよ」

 一度俺が黙り込んだ隙に、声のトーンをもう一度落として松浦はそう続けた。

 俺に? そう問い返すように目線を上げると、松浦と江口の鋭い視線に刺されるようだった。

「和美、いっつも本城に勉強見てもらってんじゃん。それだけしてもらって成績落として平気でいられるわけないじゃない」

「そんなもん気にするようなことじゃねぇだろ」

「だから…っ、申し訳ない反面、呆れられたくないんだよ! 毎週末会いに行って、恋愛にうつつを抜かしてるから成績が落ちたんだなんて思われたくないんだよ!」

「思うわけねぇだろ、そんなこと」

 …頭が痛くなってきた。松浦たちの意見も間違ってはないんだ。若いこいつらなりの正論と、正しい感情だ。

 きっと年の差があるってことが、こういうところに違いを生むんだろう。



「…もういい。お前らと話してたってラチがあかねぇ。直接白石と話する」

「そうしてよ。でも頼むからトドメ刺さないでよ」

「…お前…マジで俺をどんな人間だと思ってんだよ」

 吐息まじりの俺と松浦のやり取りを眺めていた江口が、そこで再び間に割って入った。

 最後に、と前置きして、険しい表情はそのまま俺を睨み据える。




「ユキサダってさ、和美と結婚する気あんの?」

 いきなりな話題転換に、自分でも珍しく思い切り目を見開いてしまった。

「……は?」

 何の冗談かと思って目を細めて尋ね返したが、真面目な顔の江口はどうやら本気らしい。



「たとえば高校卒業してから、とか、大学卒業してから、とか…ちゃんと考えたことあんの?」

「…何言ってんだお前」

 というか、何でこいつにそんなことを言わなきゃならねぇんだ。呆れてそう呟いたけれど、江口は神妙な顔で言葉を継いだ。

「大学ダメだったら就職だっていいし、結婚してもいいじゃん。大学だけが和美の道じゃないって言ってやってよ」

「…あのなぁ…」

 やっぱりこの頭痛は気のせいではないらしい。眩暈すら覚えそうで、俺は今までにないくらい盛大に息を吐き出す。



「そんなこと言って何の解決になるんだよ」

「それは分かってるけど…! でも、彼氏にそう言われたら嬉しくて安心するじゃん! 何も本当に結婚しろなんて言わないけどさ、でもそう言ってくれるだけで救われる場合だってあるじゃん! その一言があるだけで救われてまた勉強頑張ろうって思えるかもしれないじゃん!」

「言いたいことは分かった。…けど、無理だ」

 恐ろしいくらいに無垢な子供の理論だと思う。気持ちは分からなくもないが。




「…お前らに先に言うことじゃねぇけどな…」

 そう告げてから、俺は改めて口火を切る。



「結婚はしない。今のところ考えてもない」

「…! ユキサダ…!」

「最後まで聞けって。『今のところ』って言っただろ。高校卒業してすぐなんて考えてない。大学出てもまだ無理だな」

「何で!? 何でそんなこと決めんの!?」

「後悔してほしくねぇからだよ」

 重ねるように答えた俺の返事に、江口は目をわずかに瞠った。



「別に若くして結婚する人間を否定するつもりはない。だけど、この年だから分かることもある。社会人にならないと経験できないこともあるし、身につかない常識や知恵もある」

「……」

「俺の持論でしかねぇけど、社会人も最低2年経験すれば色んなことを学べると思う。今のお前らに話しても理解できねぇだろうけど、学生時代じゃ分からなかったこともいっぱいある。だから最低でもその後じゃないと俺は結婚しない」

「…でも…」

「お前の言うことも、分からなくはねぇよ。大学だけが進路じゃないって白石が思えれば、気持ちも軽くなってまた頑張れるかもしれないって言うんだろ。でもな…」

 一度言葉を切って、俺は小さく首を振った後、目の前に立つ3人を順番に正面から見据えた。



「俺は白石の力になりたいとは思うし、支えてやりたいとも思ってる。でも、『逃げ道』にだけは絶対ならねぇ」

「! ……」

「分かったら帰れ。お前ら、俺んとこ乗り込んできたってあいつにバレたら怒られるぜ」

 想像に難くないその状況を思い浮かべて言うと、俺は小さく苦笑いを漏らした。



 そうだ。大学受験に失敗したら結婚って道もあるなんて、あいつの気を楽にするためとは言え口にして何のためになる。

 きっと、もっと別の方法があるはずだ。…いや、「あるべき」だ。




「分かった。帰る。ごめん、言いたい放題で」

 急にしおらしくなった江口が、うなだれるようにそう言った。 お前らが言いたい放題なのはいつもじゃねぇか。そんな風に揶揄しかけたけれどやめておいた。

「先生、すみませんでした」

 ペコリと頭を下げるのは野崎で、それがまた「らしい」。3人の絶妙なバランスに「いや」と微かに笑って応じて、俺はあいつらが部屋を出て行くのを見送った。



「…!!!?」

 だが、部屋の扉を開けたところであいつらはその場で一瞬固まった。

 目を見開いて硬直している姿に「?」と首を傾げたが、松浦の呟きで納得する。

「和美…」

 どうやら、話題の張本人がそこにいたらしい。



「和美、ごめん…あのさ…」

 勝手なことをして謝ろうとした江口を、松浦が先に制す。

「由実、うちらは後で和美と話しよう。今は本城と話させてあげようよ」

 そんな一言に、江口も一歩退く。白石に場所を譲るように扉を更に大きく開いてやると、あいつは「ありがと。ごめんね」と微かに笑ったようだった。



 そしてそのまま、白石だけを残して3人は扉を閉める。俯き加減のまましばらくそこに立ち尽くしていたあいつに、俺は机の上に散乱していた資料を片付けながら声をかける。

「いっつも言ってんだろ。盗み聞きすんなって」

「……」

 だって聞こえてきたから、なんていつもなら返ってきそうな反論が、今日は聞こえない。

 訝しげにもう一度顔を上げた俺だったけれど、一瞬目を逸らしていたさっきのわずかな間にあいつは足早に近くまで寄ってきていた。

「…しらい…」

 呼びかけようとした言葉が、うまく紡げなかった。落ち込んだり悩んでいるという人間の割には凛とした眼差しで、あいつは椅子に座ったままの俺の前に立つ。

 そのままグイと乱暴にネクタイを引っぱると、名前を呼ぼうとした俺の声を唇ごと塞ぐ。



「…っ」

 一瞬のことに思わず目を見開いた俺だったけれど、現実を認識する前に、触れるだけのキスの後白石がその身を離した。

 そしてまっすぐ、驚いている俺を見下ろす。

「先生」

 毅然とした態度と声。その目に迷いもなかった。



「受験勉強は、もっと頑張ります。W大にも絶対合格する。現役で入って、留年もしないでちゃんと4年で卒業する」

「……」

 決意表明のような言葉に、それでもその真意が読み取れず俺は小さく眉を顰めた。

「ちゃんと社会にも出て働きます。だから、社会人になって2年経ったら…」

 勇気を奮い立たせるように、あいつは自分の手に少しだけ力をこめて拳を握る。



「私と結婚してください」



 決して目を逸らさない真摯なその一言に、俺は大きく目を瞠った。

 …逆プロポーズか。まさかそうくるとは思わなかった。





「…は、はは…」

 やがて驚きから立ち直りかけた俺は、思わず肩を震わせる。

「わ、笑わないでよ…っ。こっちは真剣に…」

 そんなこちらの様子にカッと顔を赤くした白石が、抗議の眼差しを向けた。

「いや、分かってる」

 それでも笑いをこらえられなくて、クッと喉の奥を鳴らすと更に睨まれた。そんな白石に手を伸ばして、俺は座った態勢のままあいつを引き寄せる。



「いいよ。その時は結婚しよう」

 後頭部を撫でながら耳元で言うと、あいつはピクリと反応する。顔が見えないのでどんな意味があったのかは分からないが、そのまま俺の首に腕を巻きつけるとしがみつくようにギュッと力をこめた。




 大体、こいつらは勘違いしてる。

 自分で決めたはずのこの取り決めに、俺自身が何の不満も不安もないわけがない。

 この後30を過ぎても、こっちは独り身で待たなきゃいけないんだ。しかも、年の離れた恋人が成長していつか心変わりするかもしれない可能性を残したまま。



「…まぁ、仕方ねぇか」

 それすらも自分の選んだ道だ。そんな呟きを聞き咎めた白石が「?」と首を傾げたけれど、俺は何でもないと笑った。









 そしてその1週間後の、校内実力テスト。

 返ってきた点数を眺めて、白石は自分でも目を丸くしていた。

「だから言っただろ」

 今までなかったような自己最高点に、本気で驚いているらしい。そんな白石に声をかける。

「たまたま1回の不調くらい、何でもねぇって」

 そもそも、驚くほど急激に成績が上がる前に一旦点数が落ち込むことも、不思議と珍しくない。そんな生徒今までいくらでも見てきた。


「まぁ、だからって気を抜いてると今度こそ本気で点数が落ち…」

「あーはいはいはい、分かってますよっ」

 続けようとした俺の言葉を、あいつは耳を塞ぎながらうるさそうに遮る。それからそんな自分が自身でもおかしかったのか、プッと小さく吹き出した。



「ねぇ先生、約束覚えてるよね?」

「…『現役合格、ストレート卒業、社会人2年』だからな」

 念を押されて念を押し返すと、白石は少し嬉しそうに頷く。

「ちゃんと守ってね。じゃないと…」

「あーもう、しつこいなお前」

 グシャグシャと乱暴に長い髪をかき回したけれど、それでも白石は満足そうに笑っていた。







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