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Sweet&Bitter  作者: みずの
side story
147/152

煙草とコーヒー

第三者視点から見たユキと和美の話です。

ユキの家の近くのコンビニで働く女の子の話。


 コンビニでバイトを始めたのは、高校生の時だ。

 別に長く続けるつもりはなかったし、ただ誰にでもできる仕事だと思って簡単に考えていた。

 けれど思ったよりも仕事量は多く、厳しいオーナーの店だったから手抜きは一切許されなかった。始まりはどうあれ、やるとなったら途中で投げ出せない性格なのが災いして、ただがむしゃらにバイトを続けてきた気がする。



 発注を任され、信頼される頃には毎日のレジ精算と売り上げの回収までが仕事の一部になった。

 自分よりベテランのパートもバイトもおらず、気づいた頃にはもう数年が経過している。高校生だったはずの自分は、今ではフリーターとしてここに立っていた。




 就職難のこの時期だ。今更どこかに就職して正社員として働くのも難しい。

 バイト代は業務量に比例してかなり上乗せされているし、現状に不満があるわけではなかった。

 ただ、このままでいいのだろうかと思わないわけはない。今日も心のどこかで迷いを抱えながら、レジで客に作り笑いを振りまくしかない。



「前山さんって、いっつもつまんなそうに仕事してますよね」

 そんな言葉を同じアルバイトからかけられた時は正直驚いた。それは浦川くんという大学生の男の子だ。

 年は確か…私より1つ下だったと思う。彼も高校生の頃からここで働いているので、私と同じくらいベテランの域だ。



「そう?」

 だってこんなのはルーチンワークだ。特に新しいことがあるわけでもない。楽しく常にハイテンションで仕事をしろと言われても無理だ。

「どうせ仕事するなら、その中に楽しみを見つけた方がいいっすよ」

 知った風な口をききながら、浦川くんはレジでカウンターフーズの廃棄登録をしている。今日も売れ残った大量の食べ物が、この店で空しく捨てられていくんだ。

「じゃあ浦川くんはどんな楽しみがあるの? 発注? 品出し?」

「お客さんです」

 真面目に聞き返すと、真面目な顔で返事が返ってきた。思ったよりもイイ話が返ってきそうで目を瞠ったが、一瞬後には彼の表情は締まりなく緩む。



「土日はいつも昼間勤務してる前山さんは知らないかもしれないですけど、たまに土日の夕方にすっごいかわいいお客さん来るんですよね」

「…あ、そっちね…」

 単に色恋沙汰の話題か。それとも単純な目の保養か。

 思った以上にどうでもいい話だったため、私は肩を竦めてレジ横の煙草の補充をしようと手を伸ばす。



 平日は夕勤の私も、土日は休んで子どもと過ごしたいだろう主婦のパートさんたちに代わって、昼間にシフトに入っている。

 今日は土曜だけど、たまたま人手不足でこの夕方の時間にシフト変更された。いつもなら家に帰って夕飯でも食べている時間だ。



「たまにしか来ないんですけど、いやマジでかわいくてですね!!」

「分かったよもう…」

「そういうのないんすか、前山さんは。それだけでも結構楽しくなりますよー仕事」

「……」

 浦川くんの言わんとすることが分からないわけではない。覚えがないわけでもなくて、私は一瞬黙りこんだ。

 そしてそれから、「…うん、なくはないけど」と小さく呟く。



「えっ、あるんすか!? どんなお客さん!? 俺も見たことあるかなぁ」

「どうだろう。来るとしたら大体平日の夜だけど」

「どんな人?」

 店内にお客さんがいなくなっていることを確認して、私は首を捻りながらも応じる。

「すっごい背の高い人だから、何回か見てれば覚えちゃうと思うけど」

「…うーん…でも聞いておいてなんだけど、俺、男に興味ないから覚えてないなきっと」

「…あぁそう…」

 マイペースに笑う浦川くんに、呆れたように吐息を漏らして私は手にしていた煙草をケースの中に詰め込んだ。

「どこが好きなんすか? 顔?」

「…別に好きなわけじゃ…」

 ただ、何となく「いいな」と思っただけだ。顔…は、かっこいい方なのかもしれないけどどちらかというと怖そうな印象しかない。

 無口っぽくて(一人で来るお客さんだから喋ってても怖いけど)、ちょっと冷たそうな人。

 いつも買って行くのは決まった缶コーヒーと、赤い箱の煙草。たまにミネラルウォーターを買って行くこともあったっけ。

 話らしい話なんてしたことはない。だけど、煙草を買う時に「39番」と指定してくる低く響く声が好きだった。

 覚えてしまったその煙草の銘柄が、今まさに自分が補充しようとして手にしたものだと気づいて何となく気恥ずかしくなった。



「…えっとね、煙草一箱だけ買う時に一万円札を出そうとして、『すみません』って言われたことあるの」

 内心をごまかすために咳払いをしながら急にそう言った私の一言に、浦川くんはさっきまでの私のように「…は?」と目を丸くした。

「いや…そんなお客さんいっぱいいるでしょ」

「そうなんだけど…! でもそういうのって女のお客さんの方が多いっていうか…見た目怖そうで無口っぽい男の人が、まさかそんなことで少しでも申し訳なさそうにしてくれると思わなくて…!」

「…あぁ、『ギャップ』ってやつですか。女の子は好きですよね、そういうの」

 どこか感心したように言って、浦川くんは笑った。

 だけど、まさにその時、だった。



 自動ドアが開く音がして、お決まりのピンコーンという軽い音が店内に流れる。

 誰もいないのをいいことにお喋りをしていた私たちは揃ったように口を噤み、それから「いらっしゃいませ」と声をかけた。

 そしてその瞬間、浦川くんが目を瞠る。

「ま、前山さんっ」

 そのまま雑誌売り場の方へ移動したお客さんを見据えながら、浦川くんは少し慌てて小声で私を呼んだ。

「何」

 再び煙草の補充をしようと手をかけたところで、私はその呼び声に面倒くさそうに返事をした。

「あ、あのお客さんなんですよ! 俺がさっき言ってたの!」

 言われてそちらを見ると、ちょうどそのお客さんは女性誌売り場の辺りで雑誌を手にしている。…なるほど、確かに男なら騒いでおかしくないほどの美人さんだ。

「やっぱりかわいいなぁ…何歳なんだろ。そんで名前とか知りたいんすけど…マズイですよね」

「店員がそういう意味でお客さんに声かけたらマズイね、さすがに」

 小さく頷きながら同意すると、浦川くんは「ですよね」とがっかりしたように肩を落とした。

 最初は目の保養だったのかもしれない。だけど、もっとその人のことが知りたくなる気持ちは私も分かる気がした。

 あの「煙草のお客さん」の名前、知れるものなら知りたいくらいだから。



「…っあ…」

「今度は何」

 廃棄を終えて、次の仕事をしようとしていた浦川くんが手を止めて再び声を上げる。

 眉を寄せて振り返ると、浦川くんは少し戸惑ったような表情をしていた。赤くなったり青くなったり、忙しい子だ。

「…彼女…指輪してません…っ?」

 そう言われて見てみると、確かにその美人さんの指にはきらめく物が見える。しかも薬指。

 結婚しているようには見えないから、恐らく…彼氏からのプレゼントだろう。

「この前までしてなかったのに…っ」

「先週クリスマスだったからね、もらったんじゃない?」

 ショックを受ける浦川くんに追い討ちをかけるように言って笑うと、彼は「ひどいっすよ前山さん」と唇を尖らせた。

「そもそも、そんなに本気だったの? 彼女に」

「いや、別に付き合いたいとかじゃないですけど…でも彼氏もちだと思うと楽しみが減るじゃないですか」

「…まぁね」

 そんな話をボソボソとしている間に、彼女はめくっていた雑誌を閉じて持ち直し、そのまま店内後方のドリンクコーナーへ移動する。

 なんとなく浦川くんとそれを眺めてしまっていたけれど、向こうは気づく気配もないようだ。



 ジャスミンティーのペットボトルと缶コーヒーを取り出して、彼女はそのままレジへ向かってきた。

 近づいてきて分かったけれど、浦川くんの表情がコロコロ変わるのも無理はないと思った。それくらいキレイな子だ。

 女の子にしては背がすごく高くて、モデルさんか何かなんじゃないかと思うようなスタイル。

 ストレートの長い髪は人形みたいに艶やかだった。



 思わず浦川くんの隣で私まで見惚れてしまいそうだった。

 レジ前まで来た彼女が、カタンとカウンターに缶コーヒーを置く音でハッと我に返る。

「い、いらっしゃいませ!」

 慌てて取り繕うように言ってから、私はスキャナーを手にして思わず固まってしまった。

 「あの人」が買うのと同じ、缶コーヒー。1日に同じ商品を買う人はいくらでもいるけれど、そのたびにこうして思い出してしまう自分は重症なんじゃないだろうか。

 「いいな」と思う程度だ、なんてさっきまで思っていたけれど…これじゃ本当は私は…。



「あ、すみません、これもお願いします」

 物思いに耽りそうだった思考回路が、目の前の彼女が発した言葉に遮られた。

「は、はい」

 返事をした私の目の前に置かれたのは、携帯電話のものらしい支払い伝票。

 これなら浦川くんが知りたかった彼女の名前が分かるんじゃないか。そう思った瞬間に隣をチラリと見ると、同じことを思ったのか彼もバレない程度にこちらを覗きこんでいた。

 だけど、その表情がすぐに曇る。原因は明白だった。その伝票の「名前」が、男の人のものだったからだ。

 「本城」…読みづらいけれど、下の名前は「ゆきさだ」だろうか。でもどちらにせよ、字面からも彼女の名前だとは考えにくい。

「お待ちください」

 伝票のバーコードを読み取って、私はそこに押す領収印のストアスタンプを取りに行く。それにさりげなくついてきた浦川くんが、「前山さぁん」と情けない声を出した。



「…もしかしたらお父さんとかお兄さんの名前かもしれないじゃない」

 大したフォローになってはいないけれど、ありえないことでもない。

 そう思って適当になだめると、浦川くんは「だといいんですけど」と唇を尖らせた。



 スタンプを手にレジへ戻ると、そこで彼女が「あ、あと39番の煙草ください」とニコリと笑う。

 その笑顔に女の自分でさえも魅了されそうになったけれど、何となく胸がざわついた気もした。

 缶コーヒーに引き続き、煙草まであの人が買うものと同じで…。やっぱりたったそれだけのことが引っかかるなんて、今の自分は思ったより重症だ。



「……」

 言われるままに煙草を取ろうとした浦川くんの手を、パシと掴んで止める。 目の前の彼女は、未成年か成人か判断が難しかった。できるだけ冷静に声をかけようとしたのは、本当は年齢確認の意味よりも…。

「すみません、身分証明書はお持ちですか?」

 彼女が身分証を持っていれば、浦川くんのために名前を知ることができると思ったからかもしれない。



 言うと、彼女は「…あっ」と声を漏らした。

 少し驚いたように、そして困ったように苦笑いを浮かべる。

「そっか…そうですよね」

 …未成年か。彼女の反応を見て、私は内心でそう思った。

 だけどどうやら彼女は、自分が吸うための煙草を成人のフリをして買おうとしたわけではなさそうだった。

 自分のものではないから、身分確認されるなんて概念がすっかり抜け落ちていただけだろう。



 でも…だとしたら、その煙草は誰のもの?

(やっぱり失恋決定だね、浦川くん)

 思わず彼に「ご愁傷様」と手を合わせたい気持ちになりながら、私はお客さんにもバレないように小さく息をついた。



 彼女が困ったような笑みを浮かべた時、店のドアが開いた。あのいつもの音がまた鳴って、何となく「いらっしゃいませ」とそちらにも声をかけようと振り向く。

 そしてその瞬間、思わず目を瞠ってしまった。

 店内に入ってきた影は見上げるほど大きくて、黒い服を着ているせいか余計に暗く大きく感じる。

 その人はまさに「あの煙草の人」で、私は一瞬声を上げそうになってしまった。それを慌ててこらえた時、その人がレジ前の女の子に視線を移した。

「どうした」

 黒いロングコートのポケットに手を入れたまま、こちらに近寄ってくる。

(…知り合い…?)

 そう思った瞬間に、全て合点がいく。彼女の指輪も、そして買おうとしていた缶コーヒーと煙草の銘柄についても。



「煙草買おうとしたんだけど、身分証が必要なことすっかり忘れてました」

「ばーか」

 レジの前までやってきたその男の人が、いつもは一言しか聞けないあの低い声で笑った。

 こんな顔もするんだ…なんて、胸が切ない悲鳴をあげていても思ってしまう。

「今日は煙草いらねぇ。この前知り合いにカートンで押し売りされたんだ」

「あ、そうなんだ」

 彼女にそう説明しながら、その人は「すみません、煙草いいです」と私に声をかけた。



「あ、はいっ」

 必要以上に勢いよく返事をしてしまったかもしれないが、無理もない。今もバクバクと心臓が飛び出しそうなほど音を立てている。

 携帯の請求書と雑誌、ドリンクの合計金額を伝えると、ポケットから財布を出した彼に彼女が言葉を続ける。

「そういえば、車から降りるの面倒くさいんじゃなかったの?」

「携帯料金払って来いって頼んだのに、金渡すの忘れてたことに気づいた」

「そうそう、今レジまで来て足りないかと思った。何であんなに携帯料金高いの?」

「お前に電話してるからだろーが」

 …目の前の会話はノロケか何かだろうか。

 でもバカップルのイチャイチャした会話というよりは、本気で2人共普通に話しているだけのようだ。

 「うふふあはは」な雰囲気は2人からは感じ取れない。もしかしたら揃って天然なのだろうか…。



 彼が財布から取り出したお札を受け取り、私はそれをレジに打ち込む。

 その間にコーヒーとペットボトルを袋に入れた浦川くんは、その後、ドリンクで雑誌が濡れないようにもう一枚別の袋を取り出した。

 店側としては当然の配慮だけれど、それに気づいて彼女がニコリ笑う。「ありがとうございます」と逆にお客さんにお礼を言われて、浦川くんは瞬時に顔が赤くなっていたようだ。



 彼女は無意識だろうから、浦川くんの表情の変化になんて気づいていないかもしれない。

 でも、彼氏の方はどうだろう。チラリと覗き見たけれど、その顔は無表情で読み取れなかった。私が差し出したお釣と領収書を、「どうも」とだけ言って受け取る。



「行くぞ、和美」

 コートを翻して、彼の方が先に踵を返す。

「はーい」と返事をしながら、彼女も慌ててそれに続いた。




「…彼氏…ですよね、どう見ても」

 まだ諦めていなかったのか、浦川くんがボソリと呟く。

 「だろうね」と小さく応じてから、私は苦笑いを浮かべた。

「せっかく名前を知ることができたけど、これじゃあなぁ…」

 それは私も同感だ。まさかこんな感じで、「あの人」の名前と、それと彼女の顔まで知ることになるなんて思ってなかった。





「実はね、私がさっき言ってた『ちょっといいなと思うお客さん』、あの男の人なの」

 呟くように言うと、「え」と浦川くんが目を瞠る。

「2人同時にフラれちゃったねー」

 自嘲気味な言葉を口にしてしまったけれど、何故か悲観して嘆きたい気分ではなかった。ただ苦笑して、浦川くんを振り返る。

 そんな彼も、見開いていた目を一度伏せる頃には「ふはっ」と吹き出したから同じ気持ちだったんだろう。

「こんな偶然、あるんですね」

「ね」

 互いに顔を見合わせて、もう一度笑ってしまう。間接的にとは言えフラれたはずで少しショックがあるのも当たり前なのに、それでも必要以上に沈まないのはどうしてだろう。

 


 それほど本気な恋じゃなかったから? ただ見ているだけで幸せだったから…? それとも…。



 そんな胸の中の問いを口にすると、浦川くんは少しだけ考えこんだ後で再び口を開く。

「それだけ、あの2人が幸せそうだったからじゃないですかね」

 しばらくの間の後の彼の答えに、私も「そうかもしれない」と笑ったまま頷いた。







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