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Sweet&Bitter  作者: みずの
side story
146/152

imperfection

リクエストいただいた、「理沙が学校ではどんな先生なのか」という話です。

まだ彼女が働いている時期なので、時系列としては「bitter」本編で子どもができるより前の話になります。


「名取先生、先日頼んでおいた資料はどうなりました?」

 学年主任の菱沼先生に声をかけられて、私はそちらを振り返った。その視界に、最近更に後退していると噂の菱沼先生の頭が一番に映る。

「あ、資料ですか。作成して今まとめているところです。今日中には菱沼先生にお渡しできると思います」

「そうですか。いやぁ名取先生は仕事が早くて助かります」

 菱沼先生は満足そうに笑うと、「じゃあよろしくお願いします」とだけ言って去って行く。



 「…すっかり忘れてました」なんて、言えるわけがない。自業自得とは言え仕事が増えてしまった。

 キリッと菱沼先生に答えた態度を崩し、私は今度こそ忘れないように慌てて油性ペンで手に「資料」と書き記した。



「お、理沙ちゃんだ」

 そんなくだらない覚書をしている脇を、ちょうど帰ろうとしているらしい生徒たちがすり抜けていく。

 そんな中何人かが声をかけてきたので、私は「先生と呼びなさい」とここでも毅然とした態度で応じた。

「かわいいなぁ理沙ちゃん今日も」

 こちらの凛とした…いや、凛と見せかけたい気持ちを完全に無視して、そんな教師を小バカにしたような声が聞こえてくる。

 …いや、小バカにしたというよりは慕ってくれているのだと思いたい。



「かわいいし授業分かりやすいし、やっぱいいよね~」

 周りの女子生徒も、何人かがそんなことを言っているのが聞こえてくる。

「私、理沙ちゃんのこの前の授業のおかげで化学ちょっと楽しくなったもんー」

 …これは、授業のやり方で行き詰っていた私にアドバイスをくれた(強要したとも言う)大学時代の先輩にも感謝しなきゃいけないかもしれない。

「やっぱ完璧っていうか…知ってる? 理沙ちゃんって旦那さんも超男前なんだって! やっぱイイ女にはイイ男が…」

 旦那が男前なのは彼の良いところであって、私が自慢するところではないんだけど…まぁこの際いいか。



 なんてコソコソとしていても漏れてくる噂話も、聞こえないフリをして歩く。

 だけどそんな噂通りのイイ女を演じようとしたって、そんなの長持ちするはずもなく…。




「…それで? 完璧を装って歩いてて、生徒たちの目がなくっなったところで階段踏み外して転んだって?」

 呆れたような声で、訪れた先の保健室で養護教諭の真中先生はそう言った。

 私の足に湿布を貼りながら、最後に「終わりっ」と軽くペシンと叩く。

「お手数をおかけしまして…」

 本当に穴があったら入りたい。せめて噂話をしている生徒たちの目がなかったのが救いだ。



「理沙先生、何でそんなに完璧だと思われるんだろうね。結構色んなところ抜けてるのにね」

「…う…べ、別に私が完璧に見られたいとかじゃないんですよ。ただそう言われるとちょっと背筋を伸ばしてしまうだけというか…」

「まぁ分からなくもないけど。教師なんてサービス業込みだしね。生徒たちの中でいいイメージがあるなら、壊さないように努力することも必要でしょう」

 湿布の入った袋を片付けながら、真中先生は苦笑いを浮かべてそう言う。

 そう、私だって別に見栄を張りたいわけではない。だけどどうしても、友人たちなら知っている私の天然な部分を生徒たちにさらけ出すのはまだ気が引けるんだ。



「それより理沙先生、その菱沼先生に頼まれてる書類いいの? 急がなくて」

「あ…! やばい!」

 慌てて椅子から立ち上がり、私は時計を確認する。

 そんなこちらの様子を眺めて、真中先生は「やっぱり抜けてるわね」とどこか呆れたように苦笑いを漏らしていた。

 菱沼先生が帰るまでにはまだ時間がある。職員室で片付けたら彼にまだ終わってないことがバレてしまいそうなので、私はそのまま化学準備室へと引きこもることを決めてそこへ向かった。






 書類は奇跡的に1時間ちょっとで片付いた。

 でもその頃にはもう夕方で、日もかなり傾いている。何とか仕上がって安堵の息を漏らしていると、部屋の扉が強めにノックされる音がした。

「はい、どうぞー」

 机の上を片付けながら応じると、「あ、理沙ちゃんいたー」と担任しているクラスの生徒がひょこっと顔を出す。

 男子と女子合わせて5人。クラスでも中心にいる明るいグループの生徒たちで、今日も相変わらずつるんでいるらしい。



「どうしたの? まだ帰ってなかったの?」

「うん、皆でテスト勉強してたんだけど行き詰ってさぁ。理沙ちゃん教えてー」

「え…」

 実はこの後、珍しく外で人と待ち合わせをしている。

 いつもならまっすぐ帰って夕飯の用意をしたり残った家事をしなくてはいけないけれど、今日は溜まりに溜まったストレスを発散させる予定だった。

 だからいつもより早めに下校して、約束の場所に向かうつもりだったのだ。

 菱沼先生の用事も忘れていたことが痛いくらいなのに、このまままだ居残りは少々辛い。

 だけどそんなのは生徒には無関係なことで、彼女たちにはきちんと対応しなくては自分の中のプロ意識が許さない。



「偉いわね、こんな時間まで。じゃあ5人もいたらここじゃ説明しづらいから、教室に行きましょ」

「やったぁ! 理沙ちゃんやっぱりイイ先生だよー。さっき数学の的場のところに行ったら『こんな時間から来るな』って追い返されたー」

 私が特別『イイ先生』なわけではなく、教師としては当然のことだと思うけれど、褒め言葉はそのまま受け取ることにした。

「先に行ってて。職員室に寄ってから行くわ」

 はーい、といい返事をする生徒たちを送り出して、私は菱沼先生宛ての書類を手にする。そしてもう片方の手に持った携帯電話を開き、今日の待ち合わせの相手のメールアドレスを呼び出す。



『ごめん、ちょっと遅れそう。また連絡します』



 今時のかわいい絵文字やデコレーションを使ったって、媚びれる相手ではない。

 そっけないと言われそうな白黒だけのメールを送り出して、私はそれを閉じると鞄の中に放り込んだ。




******



 彼女たちはクラスで目立つ存在ではあるけれど、それは性格的に明るいとか盛り上げ上手な面であって、成績は中くらいだ。

 5人いても行き詰るところはあるらしく、それぞれが順番に化学の問題の質問をしてくる。

 黒板を使って全員に向けて説明をしていると、日はすっかり落ちて外は真っ暗になってしまった。

 加えて頑張りやさんな彼女たちは、化学の質問を終えると「次ついでに数学も教えて!」なんて言ってくるのでまだまだ解放されそうにない。



「いいけど、化学ほど専門的には答えてあげられないわよ」

「いいのいいの。的場に質問に行くの嫌だし」

「『先生』をつけなさい。それと悪口はダメよ」

 出てきた数学教師の名前にフォローを入れつつ、私は差し出された数学の問題集に目線を落とした。



 長引いたとしても、完全下校チャイムが鳴るのは19時だからそれ以上は教師として引き伸ばせない。

 そう説いた上で説明を始めると、5人は納得の意を表した後、私の課外授業とも言える講義をよく聞いていた。

 結局19時までかかり、私の中では焦りもピークだった。だけどそれを生徒の前で出すわけにもいかず、平然を装って教室で5人と笑顔で別れる。



「うわぁ…っ、本気でヤバイかも…」

 もう人はいないと言っても、教師たる者廊下を走るわけにはいかない。

 カツカツとヒールを鳴らしながら競歩のような早歩きで化学準備室に戻り、白衣を脱ぎ捨てると今までにないほどのスピードで帰り支度をする。




 待ち合わせは5つ先の駅だ。

 確かこの時間なら、今から駅まで走れば快速電車に乗れる。

 一分一秒を争う今は、まっすぐ駅へ向かうことが先決だ。携帯で相手に連絡するのはとりあえず電車に乗ってからにしよう。そう思って鞄を持ち上げると、一度職員室に寄って学校を出てから私は全力で走り出した。

「あぁ~もうっ、スニーカー履いてれば良かった…っ」

 さっき軽く捻った足が痛い。できるだけ痛みに響かないように気をつけながら少し高いヒールの靴を恨めしそうに見やり、肩に下げた鞄をグッと持ち直した。



 そうして何とか乗り込むことができた快速電車。

 優先席からできるだけ遠のいた場所で、私は鞄の中から携帯電話を取り出す。

 慌てて開いたけれど、次の瞬間思わず目を見開いた。その見慣れたはずの画面は、真っ暗になっていたのだ。



「…最…悪……」

 充電が不十分だった? このタイミングで電源が落ちるなんてついていない。

 これでは相手と連絡の取りようがない。もしかしたら向こうからメールも来ているかもしれないのに、確認すらできない。



 どうしよう。

 どうにもできないことは分かっているけれど、そんなことを考えてしまう。




 そもそも今日約束したディナーは、私のワガママから始まったものだった。

 最近仕事が立て込んでいたこともあったりでかなりストレスが溜まっていた。それを発散させるために、忙しいから無理だと面倒くさがる相手を何とか説得して取り付けた約束だ。

 …いや、「説得」という言葉は正しくないかもしれない。散々拗ねて不平不満を漏らし、呆れ果てた向こうにようやく頷かせたんだから。




 そんな私が連絡もろくに取れない状態で約束の時間を破るなんて、きっと許されないだろう。

 そう思って途中駅をいくつか飛ばした快速電車が目的の駅に着く時には、私は首を竦めて小さくなっていた。


 待ち合わせした趣味の悪い大きなオブジェの前にたどり着く。待ち合わせ相手は予想通りそこに先に立っていた。

 ………ものすごく不機嫌そうな顔で。




「……お前なぁ」

 私の姿を見つけるなり、機嫌の悪そうな目線でこちらを見下ろしてくる。

「ごめんごめんごめん…っ、ほら見て! 携帯の電源が切れてることに電車に乗ってから気づいて…」

 真っ暗な画面を相手の前に差し出すけれど、そんなものは何の意味も為さない。

「電車乗る前に連絡しろよ! 学校のPCとかあんだろうが」

「いや…とりあえず急がないと電車も乗り過ごしそうだったので…。電車に乗ってからメールしようと思って…」

「…何時間待ったと思ってんだ」

「…最初に『少し遅れそう』ってメールはしたじゃない」

「お前の『少し』はどんくらいなんだ」

 吐息まじりに言ってから、貴弘は「もういい」とクルッと身を翻した。



「予約キャンセルしちまったから、別の店行くぞ」

「えっ、予約してくれてたの!?」

「お前がどっかうまい店で夕飯食べたいって言ったんだろ」

「……ごめん」

 うなだれるように言ったけれど、貴弘は不機嫌そうに眉を顰めたままだった。

「そもそも電車に乗るために学校から全力疾走とかやめろ。急いで事故にでもあったらどうするんだ」

「……」

「全く連絡も取れないし、何かあったのかと思ってこっちだって心配すんだろ」

「…あ、怒ってるのってそっち?」

 てっきり待たされて機嫌が悪くなっているのかと思っていた。聞き返した私に、貴弘はこの上なく怒った口調で「そっち『も』!」と強調して答えた。

「待たされたこと自体にも腹立ってるに決まってんだろ。俺は気が短いんだ」

「だからごめんって」

「ユキなら帰ってるぞ、確実に」

「修司くんなら5時間くらい待たせても『会えて良かった』とかなんとか甘い言葉を囁いてくれそうだけどね」

「……あいつを引き合いに出すな」

 嫌そうに呟いた貴弘に、私は笑って手を伸ばす。スーツのその腕に絡めてみたけれど、嫌がる素振りは見せないので本気で怒っているわけではないようだ。



「ごめんね、貴弘。今日は私が奢るからさ」

「…それ結局俺が稼いだ金でもあんだろうが」

 最後までかわいくない言い分を漏らす。それに首を竦めてもう一度笑った時、後ろで「理沙ちゃん!?」という声が聞こえた。

 貴弘と同時に振り返ると、そこにはさっきまで教室で一緒だった5人の姿。どうやら私より一本後の電車で、今この駅に着いたらしい。

「びっくりした、皆この駅なの?」

 パッと貴弘の腕から手を離しながら、私は彼らに向き直る。笑顔を浮かべて振り返ったつもりだったけれど、5人の表情は少し曇って見えた。

「理沙ちゃん…その人は…」

 一人の女の子が、おずおずと尋ねてくる。

「え? あぁ、私の旦那。隣の市で高校教師してるの」

「名取です、こんばんは」

 さすがに大人だ。貴弘は眼鏡の奥の目を細めて笑うと、5人に向けて挨拶をした。だけどそのうちの男の子の一人が、更に青い顔になる。



「あの…っ、もしかして理沙ちゃん、今日旦那さんと待ち合わせだったとか…?」

「…え? あ、うん」

 思わず頷いて答えてしまってから、私はハッと我に返る。…そうか、彼らのこの表情の意味は…。



 「別にいいのよ」とかなんとか、口にしようとしたけれど彼らの方が早かった。貴弘に向けてバッと頭を下げる。

「あの…っ、すみません、俺ら理沙ちゃんに質問とか言って長々と勉強見てもらってて…」

「約束あったなんて知らなくて…すみませんっ」

 5人に慌てて頭を下げられて、貴弘は少し面食らったようだった。私も「いいから、顔上げてっ」と彼らに声をかける。



「…本当にすみません…」

 うん、今時の子にしてはイイ子たちなんだ。自分の行動が相手にどう作用するのかきちんと考えることができる。

 今回のことは別に彼らが責任を感じることでもないのだけれど、彼らのその気持ちが嬉しかった。



 貴弘もそう思ったんだろう。苦笑いを浮かべならも5人を順番に見渡す。

「何で謝るんだ。質問に来た生徒に答えるのは教師として当たり前だ」

「でも…っ」

 反論しかけた生徒の言葉を遮って、「それに」と貴弘は付け足す。

「教師はうまく使うもんだ。そんで大きくなれよ」

 1番手前の男子生徒の頭をグシャグシャとかき回して、貴弘は笑った。そんな一言に、5人の表情が少しずつ晴れていくのが分かる。

「そんなこと言われたの初めてです。大体教師って『敬え』とばかりに偉そうだったりするし」

「そういう教師に限って尊敬するところあんまなかったりするよな」

 同調するように言って笑った貴弘。それを見て、5人もやっと笑う。さすが隣の市の高校で有名な「不良教師」。口は悪いけれど、高校生の目線に合わせてその気持ちを汲み取ってあげるところは他の教師よりピカイチだ。




 貴弘と私に「じゃあねー」と手を振って帰っていく5人を見送って、私も右手を上げる。

「いい生徒だな」

 呟いた貴弘の言葉に、「そうでしょう」と笑って応じた。




「何で言わなかったんだよ。生徒から質問攻めにされてたんなら遅れたってしょうがねぇだろうが」

「うーん…そうなんだけどね」

 何だか人のせいにするみたいで嫌だったんだ。質問をするために教師をある程度拘束してしまうのは生徒の特権だと思ってるから。

「貴弘、余計に怒るかと思って」

「はぁ? 怒るわけねぇだろ。質問に来た生徒を『約束あるから』って無視したりしたら怒るけどな」

「…だよね」

「それより理由も言わずに遅れた挙句に連絡もつかねぇ方が腹立つ」

「……それは本当にごめんなさい」

 いつまで続くんだろうか、このエンドレスなやり取りは。

 吐息まじりに漏らしながらも、私は思わず笑ってしまっていた。



 こんなやり取りが実は嫌いじゃないからだ。それは貴弘も同じらしく、一瞬後にはプッと吹き出す。



「さて、本気で腹減った。行くぞ」

「はーい」




 私は、生徒から思われているような「完璧な教師」なんかじゃない。

 頼まれていた資料の作成を忘れることもあれば、待ち合わせの一つもうまくいかないこともある。

 だけどいつか、そんな自分でもいいと思える日がくるのだろうと思う。

 それはきっと、そんな私を受け入れてくれる、隣に立つこの人や愛すべき生徒たちののおかげだろう。





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