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Sweet&Bitter  作者: みずの
side story
145/152

Syuji 2

「修司~、明後日空いてる? 夜みんなでメシ食いに行こうって話してんだけど」

 法学部の友人からそんな声をかけられたのは、ある日の講義を終えて帰ろうとしていた時だった。

 後ろからかけられた声に、俺は隣にいた諒子さんと同時に振り返る。

「あー、夕方からバイトだからちょっと遅れてもいいなら行くよ」

「ん、じゃあ皆で待ってるから携帯に連絡くれよー」

 そう言って走り去っていく友人の後ろ姿を見送っていると、隣で諒子さんが「修司くんって友達多いわよね」と小さく呟いた。



「そうですか?」

 軽く首を傾げて応じて、俺はポケットから携帯を取り出す。スケジュール帳代わりにしているそれに予定を入力した。

「この前も誰かに声かけられてたじゃない」

「あぁ、あれは他学部の体育選択が同じ連中で…」

「その前は?」

「なんだったかな。サークルの1年の集まりかな」

「その前の日もあったわよね」

「あれは高校から一緒の連中です」

 さらりと答えると、諒子さんはどこか感心したように息をついた。

「すごい多忙ね。男女問わず誘いが多いみたいだし」

「声がかかるのはありがたいですね」

 軽く笑って受け流したけれど、彼女は少しだけ表情を曇らせる。



「なんだか本気で申し訳なくなってきちゃった。嘘の彼氏のフリなんてさせて拘束してる間、友達から修司くんとっちゃってるようなものだし」

「何言ってるんですか、別にそんなの大丈夫ですよ。俺一人がいなくたって皆は集まるわけだし」

「でも…こんな人気者にこんな役割頼んじゃって…」

「大丈夫ですって。俺別に無理してるわけじゃないし、慣れてますから」

 大学の門を抜ける時になって俺はそう言葉を重ねると、そこで初めて諒子さんが眉を顰めた。



「…『慣れてる』って…?」

「え? あぁ、女友達が恋愛関係でトラブルになった時とか、よくこういうこと頼まれるんです」

「…」

「まぁ大体がその場だけで、1ヶ月頼まれたのはさすがに初めてですけど」

 からかうように笑って言ったけれど、次の瞬間俺は目を瞠った。隣にいた諒子さんはその場で足を止め、何をどう受け止めたのか大きく目を見開いてどこか茫然としている。

「…え、諒子さん…?」

 首を傾げてその顔を覗き込む。だけど、彼女がハッと我に返る方が早かった。

 一瞬何かに揺らいだ目を俺に向ける。そしてそれから、その視線をわずかに逸らした。



「…もう…やめる」

「え?」

 囁き程度の声を聞き逃しそうになって、俺は彼女と向き合う形で尋ね返す。

「もう、彼氏のフリしてくれなくていい…! 今までどうもありがとう」

「え、ちょっ、諒子さん!!?」

 伸ばしかけた手を、彼女はバッと振り払う。そしてそのまま、俺の脇をすり抜けて走って行ってしまった。



「…何で…?」

 後で思えば、追いかければよかったんだ。だけど俺は、彼女の残した言葉と泣きそうな表情の意味を推し量ることもできず、ただ唖然と立ち尽くすしかなかった。




******



 確かに俺は交友関係は広い方かもしれない。だけど浅く付き合っているつもりもなく、どの友人も大事だと思っている。

 だけど自分の性格上か、相談を受けることはあっても、こういうことがあった時に自分が誰かに話を聞いてもらうということができない。

 それは友達を信用してないとか頼らないとか、そういうわけじゃないのに。



「お、修司じゃん。諒子さんと帰ったんじゃねぇの?」

 しばらく茫然としていた俺に、後ろから新たな声がかけられる。振り返ると、俺より10センチほど背の高い貴弘とユキに見下ろされていた。

「あぁ、うん。でもなんか用事思い出したって、先に帰ったとこ」

「ふーん。あ、じゃあ今からあそこ行かねぇ?」

 眼鏡の奥の目を少し細めて、貴弘はそう続ける。「あそこ」は、聞き返さなくても分かる。隣町にあるジャズの名盤を多くそろえたレコード店だ。

 今時CDでもなく、値打ちもののレコードを取り扱っていて俺たちジャズ研の間では有名な店だった。

「俺は今日はいいや。あ、前に俺が探してたレコードあるかどうか見てきてくれると助かる」

 笑いながら言うと、貴弘は「オッケー」と軽く答えて再び歩きだす。それに軽く手を振って見送ろうとしたけれど、俺の横を抜ける瞬間にユキがこちらを一瞥した。



「…何かあったのか」

 先を行く貴弘にも聞こえない大きさの声で、そう尋ねられて俺は思わず目を見開いた。

 誰かに話を聞いてもらうのは得意じゃない。だけど、「何か悩みがある」なんて欠片も表情に出さない自信もあったのに。

 だからこそ、貴弘の言葉にも笑っていつも通り装えていたはずだった。

「…何も?」

 唇の端を持ち上げて笑うように応じたけれど、さすがにこの時は目が笑っていなかったかもしれない。

「あっそ」

 それ以上追求しようとはせず、ユキはあっさりと頷く。こいつが人より鋭いことは知っていたけれど、まさか自分のポーカーフェイスまで見破られるとは思っていなかった。



「あんまりそうやって他人を気遣ってると、今以上に余計な女が寄ってくるよ、ユキ」

「気遣ってねぇよ。ただ聞いただけだろ」

「女の子はそういうの勘違いするんだよねー。『ユキくんだけは私のこと分かってくれてる』って」

「…やっぱり何かあったんじゃねぇか」

 揶揄するような調子で言っていた俺に、ユキは半ば呆れたように呟いた。だけどその時、前を歩いていた貴弘が、いつまでたっても追いついてこないユキに「何やってんだよ」と声をかけてくる。

「今行く」

 ポケットに片手を入れたまま再び歩き出したユキをも見送って、俺はそこで大きく溜息を洩らした。



 多分、誰かに何かを頼ることが極端に下手なんだと思う。

 自分の内をさらけ出したくないわけじゃない。ただ、その術を探しているうちに段々とそんな自分が煩わしくなるんだ。

 ユキのように見透かされたのは初めてだったけれど、やっぱりうまく説明できそうにはなかった。

 だけど、そんなことも言っていられなくなる。諒子さんともう一度話をしたくてその日に何度も電話もメールもしたけれど、全て繋がることはなかった。

 俺が何か悪いことを言っただろうか…? 冗談まじりの言葉が気に障った?

 だとしたらきちんと謝りたい。だけどいくら考えても自分の鈍い頭じゃ理解できそうになかった。



 だから、初めて他人に頼ろうとした。

 玲奈さんなら、諒子さんが何を思っているのか知っているかもしれない。

 自分の話はできなかったとしても、あちらの考えなら聞きだすことができるだろうか。



 玲奈さんは確か、まだ人がほとんど来ていない早朝から部室で練習していることがあるはず。

 そんな噂を耳にしたことがあったから、俺はある日自分ではありえないくらいに早く大学へ向かった。



 音楽系のサークルの部屋が立ち並ぶ部室長屋。その一区画を前に、見慣れたドアを手前に引き開こうとした時だった。

「……っ」

 少しだけ開いていたそのドアの隙間から、玲奈さんの後ろ姿が見える。そしてその向こう側に、下を向いている諒子さんの姿も。




「何? 小塚に『もう彼氏のフリしなくていい』って断ったの?」

 それまでの話を聞き返すような形で、玲奈さんは声を上げた。うるさいほど大きくはなかったけれど、彼女の驚きを表現するには十分だった。

「何で? フリとは言え、あんたたち仲良くやってたじゃん」

「……」

「…っていうか、あんたも小塚もどっちもマジで相手のこと好きになってるように見えてたけど」

「……」

「諒子? 小塚に何かされた? 気に入らないこと言われたとか」

「……っ」

 声をなくすように、諒子さんは大きく首を左右に振るだけ。要領を得ないその反応に玲奈さんは苦笑まじりに吐息を洩らしたようだった。



「ねぇ諒子、あんた、小塚のこと好きになったんじゃないの?」

 優しい声で重ねて尋ねる玲奈さんの言葉は、諒子さんだけじゃなくて俺の耳と胸をも打つ。

 ドクンと震える心臓に、足は地面に縫いとめられたように動けなかった。

「修司くんは…」

 やがて、ポツリと諒子さんが話し始めた。



「一緒にいたら楽しいし、元彼なんかよりよっぽど安らげるし…すごく優しい人だと思う」

「…うん」

 小さく相づちを打つ玲奈さんが、初めて控えめに声を抑えた。

「友達も多くて、でもそんな友達をみんな大事にしてて…」

「すごいイイ奴じゃん」

「…修司くんが、言ってたの。女友達の彼氏のフリを何回もしたことがあるから、慣れてるって…」

「うん?」

「それ聞いた時…私、すごく嫌なこと思った」

「何、嫉妬したの? 小塚の女友達に」

 黙って聞くことができないのか、玲奈さんは先回りするようにそう尋ねる。だけど諒子さんは、「違う」と首を振った。



「修司くんの優しさを利用しているのかと思うとその子たちに腹が立ったの。その女友達の方が修司くんをどれだけ友達として大事にしているかは分からないけど…修司くんはいつでも全力で、友達の役に立とうとしてくれる人だから。彼の優しさを利用しないでほしい、って思った」

「…うん」

「だから、確かにある意味『嫉妬』の一種なのかもしれないけど…そんなことを思った次の瞬間に、気づいた」

「…?」

「その『女友達』より、修司くんを利用しようとしたのは私。友達でもなかった見知らぬ彼に、彼氏のフリなんて頼んだのは私なのに…っなのに、自分のことは棚に上げてその子たちのことが気に入らなかった」

「ちょっと待ってよ諒子。その作戦をやろうって言ったのは私だし諒子のせいじゃ…」

「…っ、違うの」

 だんだんと涙まじりになっていく諒子さんの声が、切なく訴える。



「私が…、本当にひどいの。確かに玲奈に背中を押されたけど…どうしてあの時、あの中で私が修司くんを選んだと思う?」

「……貴弘やユキより、快く引き受けてくれそうだったからじゃないの?」

「…違う」

 首を振って、諒子さんはそこで本当に涙を零した。



「あの時、無意識に打算的になった。プライドの高い元彼に、少なからず復讐したい気持ちもあったと思う。

プライドが高い男だからこそ…あの人が傷つく方法を私は知ってる」

「諒子…?」

「あいつは、私の好みもよく知ってる。自分がこっぴどく振った私が、新しい彼氏と幸せになっていたらショックを受けるに決まってる。それが…私の『好みじゃないはずの男』となら、尚更」

「……」

「玲奈、私があの時修司くんを選んだのは…あの3人の中で、1番私の好みのタイプじゃなかったからなの」

「…諒子…っ」

「…最低でしょ…っ!? 自分のことしか考えず、修司くんの優しさに甘えて利用しているのは彼の女友達じゃない。1番私が汚い…っ」

「諒子、落ち着い…、!?」

 彼女をなだめようとした玲奈さんは、そこで驚いた顔でこちらを振り返った。キィとドアの音を立てて、俺は部室の中へ一歩踏み入る。 その時には物音にハッと我に返って顔を上げた諒子さんが、俺を見て両の目を零れそうなくらいに見開いた。



「…修司くん…っ」

「玲奈さん、すみません」

「分かった」

 俺の言葉を受けて、玲奈さんは頷くとそのまま諒子さんの肩をポンと叩いてから俺の横をすり抜けた。

 代わりに部屋を後にして、パタンとドアが静かに閉められる。




「…諒子さん」

 2人残された狭い部屋で、俺はもう一歩彼女に近寄った。だけどビクリと肩を震わせた諒子さんが、「…ごめんなさい…っ」と先に堰を切ったように謝りだす。

 涙でグシャグシャになった顔を歪めて、必死でそれを隠そうと下を向く。長い髪がサラリと揺れて、更に表情すらも覆い隠してしまいそうだった。

「諒子さん、俺は…」

「私、修司くんに合わせる顔がないの…っ」

「……っ」

「お願いだから放っておいて…! あなたに何かを言う資格なんて私にはないから…」

「諒子さん!」

 聞く耳を持ちそうにない彼女の名前を、叩きつけるように呼ぶ。珍しく声を荒げた俺に驚いたのか、彼女はビクッと震えると一瞬だけ顔を上げた。

 その顔を再び下げさせないために、俺は両手で彼女の頬を包み込む。涙で濡れるそこを親指で拭うと、潤んだ瞳と視線が絡み合う。



「俺は本当に…利用されたなんて思ってないです」

 まっすぐに目を見つめて口にすればするほど、彼女の目に涙が溜まっていくのが分かる。

「女友達に頼まれた時も、諒子さんに頼まれた時も…嫌な思いなんてしてないです。俺が少し手伝うだけで役立てるなら、それでいいとすら思います」

「…だから…っ、そういう修司くんの優しさに甘えるのは…っ」

「でも、確かに嫌な思いはしてないですけど…自分から進んで望んだのは初めてだと思います」

「……え?」

 反論しかけていた諒子さんが、俺の重ねた言葉に大きな目をまた瞠った。それを見つめ返して、俺は真剣な顔で続ける。

「頼まれたことは事実です。でも、1ヶ月彼氏のフリは、頼まれたからだけじゃない。自分でも望んでたんです」

「…修司くん…」

「今までの女友達とは違う。諒子さんだけは、本気で自分の手で『守りたい』と思ったから」

 頬を包んでいた手を離し、俺は代わりに腕を伸ばす。

 細身の彼女の体を抱き寄せて、ギュッと力を込めた。



「好きなんです、諒子さんのことが」

 耳元で囁くと、震えたのは彼女の肩か俺の心か…。

 ギュッと胸を鷲づかみされるような切なさの訴えに、俺は固く目を閉じた。

 そして次の瞬間、覚悟を決めて再び彼女を抱きしめる腕を緩める。少しだけ顔を離して、至近距離でその瞳を見つめた。

「俺と、本当に付き合ってもらえませんか」

「…っ」

 何度目かの「ごめんね」、という言葉を飲み込んで、諒子さんはただ泣き続けた。年上でいつでも毅然とした彼女の、たまに見せる脆い部分だった。



 言葉なく…だけどやがてはっきりと頷いた彼女に、俺はようやくそこで笑顔を向けられた気がする。

「俺が諒子さんの好みじゃなくて良かったです。ユキや貴弘にこんな役回り譲ってやれない」

 冗談まじりに言った言葉に、諒子さんは笑おうとして失敗したようだった。クシャッと一瞬顔を歪めて、だけどやっぱりまた涙を零す。

 そんな彼女を、俺はまた微かに笑って強く抱きしめた。




******



「はーん、今度は『元彼』役ですか」

 あれから7年近くが過ぎ、彼女ともうすぐ結婚するという時期になって諒子は呆れたようなそんな声を洩らした。

「相変わらずそういうの得意よね。『彼氏』のフリ、『元彼』のフリ。そのうち『生き別れた兄』のフリなんてのもするんじゃないのあんた」

「しょうがないだろ。あの時はそうするのがベストだと思ったんだから。…ていうかそういう茶化し方やめろよ」

「…7年前に比べたらかわいくなくなったわよね、修司」

「お互い様ですよ、『諒子さん』」

 昔の呼び方で呼んだ俺に、諒子は「ふん」と唇を突き出して拗ねたような表情をする。

 バリバリのキャリアウーマンとして見ている職場の人たちがこんな顔を見たら、卒倒するんじゃないだろうか。



「それにやっぱり、和美ちゃんが困ってると放っておけないしね」

「…頼むから、誰彼構わずあんまり他の人に優しくしないでよ。私と和美ちゃんだけにして」

「………そこで『私だけ』じゃなくて和美ちゃんも入る辺り、諒子もよっぽど和美ちゃんに甘いよ」

 靴の紐を結び直して、俺は玄関で立ち上がる。「行ってきます」と笑って言うと、諒子が持っていた鞄を差し出してくれた。



「私、今日玲奈と飲みだから遅くなる」

「うん、了解。玲奈さんによろしく」

 受け取りながら笑ってそう言うと、諒子は少し複雑そうに眉を寄せた。

「玲奈、最近うるさいのよ。うちらがもうすぐ結婚するからって『私がキューピッドなんだから感謝しろ』って」

「そういう時は『キューピッドって言葉、最近聞かないよね』って言っておいたら?」

「…うーわー…、それ玲奈傷つきそう」

 もうすぐ30という年を気にしてなのか、玲奈さんは最近「死語」というジェネレーションギャップに弱いらしい。

 おかしそうに大きな声で笑う諒子に、「じゃあね」と俺は片手を挙げて部屋を出た。




 7年も経てば、2人の関係も随分変わったと思う。

 敬語も互いの呼び方も変わったし、別れの危機すらあった。だけど確実に言えるのは、そういう今までの全てがないと今ここに2人で立っていないはずだということだ。



「さて、今日も頑張りますか」

 最近仕事が忙しい上に結婚式の準備等で、ろくに眠れていない。それでも頭はすっきりとして清々しい気分なのは、それだけ充実しているということなのだろうか。



 諒子の帰りも遅い今夜、俺はユキや貴弘を誘って飲みに行くことにして駅への道を歩き出した。







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