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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
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23 side:Yukisada


 返す言葉も継げずに相澤を見下ろした態勢で立ち尽くしていると、ポケットの中で携帯が低い振動を伝えた。

 それを取り出して見やると、携帯の電源が落ちていた間に着信があった知らせが今頃になってやってくる。タイミングがいいのか悪いのか、今の自分にはそれすらも分からない。



「……」

 そこに浮かんだ白石の名前に、俺は吐息まじりにその画面を消す。白石が俺に電話をしてくるなんて別れてからは一度もなかった。だから何かあったのかと気にはなったけれど、この女の前でかけ直そうとは思えなかったからだ。




「…好きなんですか、彼女のこと」

 相澤はさっきまでの話を続けるように、苦々しそうに呟いた。

 深夜だからほとんど物音はしない。だからこそ、静かすぎる相澤の声も俺の耳にしっかり届いてしまう。

 本来なら聞き流してしまいたいその言葉に、俺は一瞬だけ目を伏せた。何と答えるべきかなんて、分かりきってる。シラを切ればいいだけの話だ。でもこの時、嘘でも白石のことを「好きじゃない」とごまかすのは何故か憚られた。



 すれ違いすぎるあいつとのタイミングに、その上嘘まで塗り固めたらもう何もかもが取り戻せなくなるんじゃないかと予感したからかもしれない。




 答えない俺に、相澤は整った目をキッと吊り上げる。そこにはまた涙が大きく溜まっていて、今にも零れ落ちそうだった。

「相手は高校生ですよ!? 一時の感情で流されたら…後で痛い目を見るのは絶対に大人の方です」

「……」

「高校生の『真剣な想い』なんて…大学に行ったり就職したり、新しい世界が拓けたらその分薄れていくに決まってるんだから…っ」

 必死に「何か」を繋ぎとめようとする相澤の言葉を、俺はそこで小さく首を振って制した。それに気づいたあいつは、グッと唇を閉ざす。

 放っておけばずっと訴え続けそうな相手の声を留めて、俺は「…それでも」と小さく呟いた。




「俺は、真っ向から伝えられた想いならきちんと向き合おうと思ってます。それが一時のものかどうかなんて、今の俺には関係ない。あなたが言うように後で俺が痛い目を見たとしたら、その時は自分で自分を笑ってやりますよ」

「…っ」

「それよりも俺は、いつも安全な場所にいて逃げ道を作って…自分の想いすら口にしないくせに相手には分かってもらいたいなんて人間の方が、真剣に応じる気になれません」

 暗に相澤自身のことを指し示して言うと、あいつはグッと言葉に詰まったようだった。

 見開いた瞳と絶句した唇はわずかに震えているようにも見える。




「もういいでしょう、帰りますよ」

 クルリと再び背を向けて、俺は歩き出した。酔っている相澤をいくらかは気遣って緩めていた歩調も、この時には遠慮する気にもなれなかった。ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、スタスタと歩く。



 相澤は、すぐにはついて来なかった。俺に突き放されたようでショックだったのかは分からない。ただ、うなだれるように頭を下げ、手は力なく鞄の紐を縋りつくように握る。

 肩越しに一瞬それを振り返ったけれど、だからと言って待つ気も戻る気もなかった。歩調は緩めないまま前を向いたまま歩く。

 そうして少し、相澤との距離が空いた時だった。何かを思い立ったように息を飲む音が空気を伝ってこちらにも分かる。



「…きなんです」

「……?」

 掠れて聞き取りにくいその声に、俺はようやく体ごとそちらを振り返った。そうして再び目線を合わせた女は、拭いもせずにボロボロと涙を流している。

「好きなんです、好きなんです…っあなたのことが…」

 泣きながらも、決してごまかさないように相澤は今度は声を張った。初めて本人の口から発されたその想いに、俺は一瞬だけ目を伏せた。

 空いた距離はそのままでいると、冷たい夜風が舞うように間を吹き抜けていく。





「…白石と、数ヶ月前に付き合ってました」

 一瞬の間の後そう話し始めた俺の言葉に、相澤は弾かれたように顔を上げた。俺の態度から、まさか付き合っていたとは思っていなかったに違いない。

 白石の片想いと、俺がそれを拒みきれないでいるだけだと思っていただろうから、驚いたように目を瞠っていた。

「理由があって別れました。あなたが言うように、この先白石には大学や就職で新しい世界がいくらでも待ってる。俺のことなんてすぐに忘れるだろうとも思いますよ」

「……っ」

「だけど」

 幾分か強めた口調で、俺はそう言葉を継いだ。

「それでも、俺はこの先も白石以外は好きになれないんです」

 すみません、と付け足すと、余計に泣くかと思っていた相澤は意外にもいつものしっかりとした態度で俺を見上げていた。酔いすらすっかり冷めたように、整った顔立ちがまっすぐこちらを見据えてくる。

 そんな瞳に見つめられても一ミリたりとも心が揺れない辺り、自分の言葉を体現しているようにも思う。



「…そう…ですか」

 やがて漏れるように呟かれた相澤の声。もっといつもの調子で食い下がるかと思ったけれど、やけにあっさりしたものだった。

 だけどそれは「その程度の想いだった」というわけではなくて…。むしろ相澤は相澤なりに真剣だったことは、いくらなんでも俺にだって分かる。

 恐らく何を言っても、俺がこの先本当に他の女の方を向くことがないと読み取ったんだろう。



「…帰ります」

 ようやく再び歩き始めた相澤は、今度はスッと俺を追い抜いていく。

 半歩後ろをついていくように逆転しながら、俺は胸の奥底がチリと焦げ付くような痛みを訴えるのに気がついた。




******



 それから相澤が話をすることはなかった。ほぼ無言のまま相澤を家まで送り届けると、頭を下げながら礼だけはきちんと告げてくる。

 そこで別れて、俺は近くの大通りでたまたま通りかかったタクシーをようやく拾うことができた。

 家の住所を告げ、シートに深く身を沈める。そうして開いた携帯電話の時計はもう午前1時半を回っていた。




 今頃折り返し電話をして、何になる。



 そう思ったけれど、俺は着信履歴の画面を呼び出していた。

 いくらなんでももう眠っている時間だろうし、余計なことをして起こすのも憚られる。だけどあいつが電話をしてくるなんてよっぽどのことがあったに違いないという思いもあり、気にならないわけもなかった。



 …だから、せめて一度だけ。



 一度電話をして、出なかったらそれまでだ。寝ているんだろうと納得すればいい。

 だけど、予感がしていた。これで繋がらなかったら、俺は多分……。




「……」

 ピッと、発信ボタンを押す。タクシーの後部座席で尊大な態度で背を預け、耳に携帯を押し当てた。だけど無機質な呼び出し音を繰り返すと当然のように予想していたそれは、それでもその通りにはならなかった。



『おかけになられた電話は、現在、電波の届かないところにあるか…』

「……」

 今までに幾度となく聞いてきたはずのその音声に、俺はそのまま通話を終わらせるボタンを押してブツッと途切らせる。



 どこまでもかみ合わないな。



 そう心の中で漏らした声に、俺はもう自嘲気味に笑うしかなかった。






 巡りあわせ、ってものは、この世に確実にあると思う。今まで生きてきてそう感じることがあった。

 ただその逆も然りで、ここまでタイミングが合わないということはそもそも縁がないんじゃないかと思わされる。

 繋がらない携帯を胸のポケットに押し戻して、俺は大きなため息を漏らした。そのせいでタクシーの運転手がミラー越しにこちらを見た気がしたけれど、今の俺にはそんなことはどうでもよかった。




 相澤に言ったことも、前に貴弘に話したことにも嘘はない。

 この先俺は白石以外の女を好きになることはないだろうし、報われなくてもずっと想い続ける覚悟もできていたはずだ。

 だからこそあの時、白石を置いてでも由香子の元へ行ったんだ。白石がたとえこの先誰かを好きになっても、自分は見守り続ける覚悟で。



 だけど…このタイミングの合わなさはなんだ。さすがに心が折れそうになる。

『高校生の『真剣な想い』なんて…大学に行ったり就職したり、新しい世界が拓けたらその分薄れていくに決まってるんだから…っ』

 今更、さっきの相澤の言葉が胸に刺さるなんて。




 どんなに想っても、うまくいかないことなんていくらでもあるんだ。

 諦めるつもりもなかったけれど、頭の中ではどうしても嫌に物分りのよすぎる自分がいる。

 運命に抗う気力を奮い立たせるほど、今更無知な子どもにもなれない。



 …いや、違う。



 結局抗ってがむしゃらに手に入れようとして…失敗した時が怖いだけじゃないのか。





「…疲れた」

 …もう、何もかもに。

 家の近くのコンビニでタクシーを止めてもらってから、降りた第一声が地を這うようなそんな自分の声だった。




******



 いつもは感じの悪いコンビニの深夜バイトの態度も、この時ばかりは気にならなかった。

 …と言うよりは、そんな余裕さえなかっただけか。



 とりあえず、帰って寝よう。ミネラルウォーターの入った袋を提げて、俺はすぐ近くの自宅マンションの入り口を抜けた。




 酔いと疲れでどうしてもマイナス思考になっているのかもしれない。

 シャワーだけ浴びてさっさと寝ることにし、俺は欠伸を漏らしながらエレベーターを降りた。




 …そして、自宅の部屋の前。



「……?」

 玄関扉の前に、もたれかかるようにしてうずくまる一つの影を見つけて俺は眉を寄せた。

 一瞬目を疑ったのは言うまでもない。酒に酔いすぎたせいで幻か、それか夢でも見てるんじゃないかと一瞬で疑ったほどだ。



「……」

 声を発することはできなかった。ただ、握り直そうとしたコンビニの袋がカサリと音を立てる。

 その音にようやく気づいたその「影」は、ゆるりと顔を上げた。




「…先生…」

 力ない第一声が、俺にかけられる。その透き通るような声に、俺はようやくこれが現実だと自分に言い聞かせることができた。

 だけど足も、口も動かない。硬直した俺に、白石は俺が怒っているとでも思ったのか一瞬だけ目を逸らした。



「ごめんなさい…家にまで押しかけちゃって…」

 違う。そういうことが言いたいんじゃないんだ。

「先生にどうしても、すぐに謝りたいことがあって…。あと、話したいことも」

 謝る? 何を。そう問い返したいのにどうしても言葉にならない。



「……」

 何かを続けようとした白石は、だけど次の瞬間には自分で「…違う」と否定した。

 そこでようやく凛と保とうとしていた態度が崩れ、こらえきれなくなったように涙を溢れさせる。

「違う…っ、そうじゃないの。ただ…」

 眉を寄せて、涙で顔がくしゃくしゃになっていった。それでもまっすぐに俺を見上げるその瞳に嘘と曇りは欠片もない。




「会いたかった、の…っ」

 泣きじゃくりそうになりながらのその一言に、俺はようやく自分の体が動いたのが分かった。

 声を発するよりも、頭で考えるよりも早く。




「…っ」

 投げ出したコンビニの袋が、足元でゴトっと重い音を立てる。

 代わりに掴んだ白石の体を抱き寄せて、俺はギュッと腕に力を込めた。







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