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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
135/152

22 side:Yukisada


「…ちょっと、どーなってんのよこれ…っ」

 隣の女の舌打ちまじりの言葉に、俺は「さぁ」と首を竦めてワインの入ったグラスを呷る。

「つーかまずいな、これ。そっちのビール寄越せよ」

「人の話聞いてんのユキ!? っていうかあんたどんだけ飲んでんの!?」

「ビールをジョッキで3杯と日本酒と焼酎」

「…その間にカクテルも飲んでなかった? チャンポンすると後が大変よ」

 そう言いながらも俺が酒に強いことは知っているから、メグミはテーブルの向こう側にあったビール瓶に手を伸ばす。

 そして俺の手近のグラスに注いだ。「サンキュー」と短く礼を言って口をつけたけれど、出しっぱなしで残っていたビールは既に温くなってそちらもまずいことに変わりはなかった。



 そんな俺の横で、メグミは俺の反対隣を睨みつけている。

 今日は例のビッグバンドでのライブがあり、今は打ち上げ中だ。飲み会が始まって既に1時間近くが経過しているため、もう既にできあがっている連中が多い。

 そんな中、少し間隔を空けた俺の左隣は数人が1人の女を囲み盛り上がっていた。メグミがおもしろくもなさそうに俺の肩に手を置きながら、ずっとその女を睨みつけているというわけだ。

 幸いなことに、その盛り上がっている連中自体はこちらの視線には気づいていないようだ。



「何であの人がここに来るのよ…っ」

「しょーがねぇだろ。周りが勝手に盛り上がって連れてきちまったんだから」

 俺だって出来ればこんな事態は避けたかった。ビッグバンドライブを見に来た相澤を、俺の同僚だと知ったバンドのメンバーたちが勝手に打ち上げにまで連れてきたんだ。

 ただでさえ相澤は美人な部類に入るので、男ウケがいいことに違いはない。今も男共に囲まれ、俺の名前をダシに方々から話かけられている。



「あ~っ、和美ちゃんに申し訳ない…っ」

「…何でだよ」

 メグミの妙な言い分に俺は思わず苦笑いを漏らした。ただ、今の状況が受け入れがたいものである点については同意見だ。




「沙織先生は学校で何教えてんの~?」

「ユキって学校でどんな教師?」

 隣から聞こえてくるそんな会話に、興味もなく俺はテーブルの上にのせられたまま忘れられているつまみに手を伸ばす。女と聞けば軽い連中だとは思っていたけれど、もう相澤のことを下の名前で呼んでいるのはさすがだ。



「…おもしろくない…」

「お前は相澤が男に囲まれてること事態がおもしろくねぇんだろ。つうかいい加減お前も離れろ」

 俺にべったりくっついているメグミに、手を振って払う仕草をする。そうするとメグミはニヤッと笑って、「虫よけ」と訳の分からないことを口にした。

 だけど次の瞬間、男共に囲まれている相澤がチラチラとこちらを気にしているのに気づいて「ふん」と鼻であしらう。

「面倒くせぇんだよどいつもこいつも」

「女っていうのはそういうものよ」

「より面倒くさくしてるお前が言うか」

 下手をするとそのまま体重をかけてのしかかられそうで、俺は今度こそ本当にメグミをグイと押しやる。虫よけどころか、逆効果だ。相澤の性格だと逆に焚きつけるだけに違いない。



「相澤先生はユキくんのこと好きなの?」

 そんな俺たちのやり取りをいつから見ていたのか、こちらへ移動してきたマサトが隣には聞こえない程度の声でそう話に入ってきた。

 マサトはそもそも俺をビッグバンドに誘ってくれた、「好青年」といった感じのリーダーだ。普段は模範的なサラリーマンの格好をしているくせに、いつも固めている髪も今日はオフモードで下ろしている。

「見りゃ分かるでしょ? だから私がこうやって虫よけに…」

「ユキくんが迷惑そうだからそういうのはやめなさい」

 俺からメグミを引き剥がしながら、マサトは更にその向こう側に座る。このビッグバンドの中ではこいつが一番俺の理解者になってくれているように思う。

 心の中でそう思った瞬間、スーツのポケットで携帯が振動するのが分かった。手にしていたグラスをテーブルに置いて取り出すと、メールが一通届いている。



「誰ー?」

 いちいち報告しなきゃいけないのか。

 そう返しかけたけれど、覗き込もうとしてきたメグミは「だからそういうのやめなさい」とマサトに首根っこを掴まれている。

 それを横目で一瞥した後、俺はメールに視線を落とした。

「修司だ。『打ち上げだけでも参加させてもらいたかったけど、仕事が終わんない。マサトさんたちによろしく』だと」

 ビッグバンドのメンバーではないけれど、前回のライブで飛び入りゲストとして参加した修司。そのメールの内容を伝えると、マサトはニコリと笑った。

「残念だな。小塚さんに会えたら、またゲスト参加頼もうと思ってたんだけど」

「仕事の都合さえつきゃいつでも来るだろ、あいつ」

 マサトにそう答えながら、俺は「了解」とだけ記したメールを修司に送り返した。そしてそのままテーブルの上に携帯電話を投げるように置く。

「で、ユキくんは次も参加してくれる? 次はクリスマスライブの予定もあるんだけど…」

「あー…ちょっと考えさせてくれ」

 日にちがないから本当なら考えさせてもらえる余裕はないはず。俺が参加しないなら今すぐにでもピアノの代打を頼まなくてはいけないはずだ。

 だけど無理強いするつもりもないのか、マサトは気分を害した様子もなく「分かった」とだけ応じる。

「いい返事を期待してるよ」

 それだけ言って、また自分のグラスを片手に次のテーブルへと移っていった。どうやらああやって全メンバーに労いの言葉をかけに行っているらしい。






 そうしてやがて3時間ほどの居酒屋での打ち上げが終わる。

 周りから見ても相澤が俺に気があるのは分かるらしく、なんやかんやと隣にさせようとする連中が途中うっとうしかったのは言うまでもない。

 俺はできるだけそれには関わらないように心がけながら、他の連中と適当な雑談をしていた。…本当ならもっと楽しめたはずの酒も、今日ばかりはどれを飲んでも大してうまくもない。



 その居酒屋を出る頃はもう0時前で、二次会に繰り出す者も多くいた。

「ユキはどうする?」

 外に出た瞬間のメグミの言葉に、俺は「そうだな…」と首を傾げる。どうせ明日は日曜だし、量自体は相当飲んでいても、気分的に飲み足りないのは事実だ。

 行くと返事をしかけたところだったけれど、その時少し離れたところから小走りでやってきた男が慌てながら俺に声をかけてきた。

「ユキ、ちょっと頼みがあるんだけど…」

「…何だよ」

 相澤をずっと姫か何かのようにもてはやしていた連中の1人だ。そいつを不機嫌に振り返りながら尋ねると、少し怯えたように身を縮めた。

「実は…沙織先生潰れちゃって…」

「はぁ!?」

「結構なペースで飲んでたから、てっきり強いのかと思って俺らも煽っちゃってさぁ…」

「……」

「ユキなら家とか分かるだろ? 送っていってやってよー」

 飲ませたのはお前らだろ、とか、潰れるまで飲むなんて子どもか、とか、怒りは一瞬で沸騰しかけたけれどそれらは全てすぐにフッと収まった。

 ここで怒鳴っても仕方ないし、そもそも放置し続けた俺にも責任はある。舌打ちまじりにその男の示す相澤の方を見ると、確かに気分が悪そうに路上の縁石に座り込んでいた。



「…立てますか」

 目の前に立ってそう尋ねながら見下ろす。すると力ない目がこちらを見つめ返し、どうやら意識がないわけではなかった。

「はい、すみません…」

 慌てて立ち上がろうとする辺り、動けないほど気分が悪いというようでもないらしい。少しおぼつかない足元で立ち上がった相澤を見守っていた連中が、申し訳なさそうに声をかけている。



 タクシー…を拾えれば話は早いが、どうもこの通りでは無理そうだ。駅前に出て拾えればいいけれど、恐らくこの時間ではもう列ができているに違いない。

 相澤の家方面への電車は…後一本なら残されている。



「先生、電車に乗れますか」

 相澤にそう声をかけると、小さく頷く。それを見ていたメグミが「…っじゃあ私も行く!」と手を挙げたけれど周りの男共に抑えられていた。

「メグミは2次会こなきゃダメだろ、副リーダーなんだし」

「いつそうなったのよ!?」

 キャンキャンと子犬のように吠えそうなメグミに、「いいからお前は行っとけ」と目で合図をすると、あいつは不機嫌そうに頬を膨らませていた。



 バンドの連中に短く挨拶だけして、俺は相澤を誘導して駅の方へと歩き出す。

 そうした時に、会計を終えて店から出てきたマサトが後ろから「ユキくん!」と少し大きめの声で呼びかけてきた。振り返ると、あいつは手に何かを持っていてそれをかざしてみせる。

「これ、テーブルの上に置いたままだったけど…ユキくんのじゃない?」

 その手にあったのは携帯電話。確かに自分のものだったので、「あぁ、悪い」と呟いて受け取った。そう言えば修司のメールを見た後、テーブルの上に放り出したままだった。

 念のために開いてみたそれは、画面が真っ黒だった。放置している間に電池でも切れたのか…そう思いながら電源ボタンを長押ししてみると、ポッとそこに白い明かりが灯る。

「……?」

 立ち上がったその画面の、電池表記はまだ3本十分に残されている。ならどうして電源が落ちていたのかと疑問に思ったけれど、ありえないことでもないのでそれほど深くは考えなかった。



 今度こそ相澤を連れて、メンバーたちとそこで別れる。駅への道の間半歩後ろをフラフラとついてくる姿は危なっかしくはあったけれど、肩や腕を貸す気にはならなかった辺り自分は本気で冷たいと思う。



 相澤の家は、学校の方まで一度戻らなくてはいけない。上り電車になるため、乗り込むと最終でも人は本当に少なかった。

「…すみません、本城先生」

 一番端の座席に座らせると、相澤は頭痛がするのか頭を押さえながら言う。

 「いいえ」と短く答えて、俺は隣でドアにもたれかかって立っていた。




******



 相澤の友人の1人に、音楽関係が趣味なヤツは本当にいるらしい。

 今日のライブもそいつに聞いて来たようだ。どうやらその「友人」が、マサトのビッグバンドの中の誰かと知り合いだとか…。

 世間は狭いというか…本当に「面倒くさい」と思う。



「…すみません…」

 何分くらい電車に乗った頃か、ずっと無言だった相澤が小さく呻くような声を出した。

 さっきより顔が青白い気がする。電車の揺れにも耐えられなかったか。そう思って俺は、ちょうど停車した次の駅で相澤の腕を掴んで降りた。



 ホームの階段を下りてすぐにあったトイレに、相澤は小走りで向かう。吐息まじりにそれを見やってから、俺は少し離れた場所で待つことにした。

 上のホームで、乗っていた最終電車が出て行く音がする。それを聞きながらポケットの中の携帯電話を取り出して開いた。



 時刻は、0時半。それを確認してからまた閉じると、半ば乱暴にポケットに押し戻す。そうしてしばらくそのままで待っていると、どれくらい経った頃か、やがて相澤が戻ってきた。

 少しは落ち着いたらしく、顔色は随分マシになったようだ。だけどそれよりも自己嫌悪に陥っているのか、相変わらず浮かない表情はしている。

「…大丈夫ですか」

 近くの自販機でミネラルウォーターを買って、差し出す。「すみません」と今日何度目かの言葉を口にしながら、相澤はそれを受け取った。




 水を飲んで落ち着いた頃には、足取りもさっきよりはよくなっていた。もう訪れる客もいない構内で駅員が酔っ払いに絡まれているのを横目に改札を抜ける。

 電車の来ないここには用もないので、表でタクシーを拾おうとした。



「……」

 だけど予想していた通り、タクシー乗り場には長蛇の列。どうやら2路線乗り入れているその駅は、俺たちが乗ってきたのとは違うもう一方の路線は車両故障か何かで少し前から運転を見合わせてしまったらしい。それが余計に帰宅困難者を増やし、終電を逃した人たちがこれからもどんどん列を成していくんだろう。

 並ぶ以外他ないが、これでは何分かかるか分からない。そう思ったところで、相澤が「…あの」と声をかけてきた。

「うち、ここからそんなに遠くないので…歩いて帰れると思います」

 頭を下げながらのそんな申し出に、俺は小さく吐息を漏らす。

「何分歩く気ですか」

「…っでも…っ」

 恐らく相澤としては、気を遣ったんだろうと思う。だけどここで別れたところで、どうせ俺は歩いて帰れる距離ではないしタクシーを待つしかないんだ。

「歩いても、1時間くらいで着くと思うので…」

 そう言う相澤は、「すみません、ありがとうございました」と珍しく殊勝に口にした。

 その姿を見て、俺はもう一度ため息をつく。「どっちですか」と声をかけると、「え?」と戸惑った目と視線が合う。

「家。付き合いますよ、どうせタクシー乗るのにも1時間弱はかかりそうだ」

 酔った女をここで放り出すほどさすがに最低ではない。そう言った俺に、相澤は気まずそうな表情で俯きがちに目を伏せた。









「…どうして…怒らないんですか」

 歩いている間、ほとんど無言だったと思う。酔いは少しずつマシになってきたのか、相澤もさっきよりは歩調に危なさはない。

 やがてそんな呟きが後ろから聞こえてきたのは、もう30分ほどは歩いた頃だっただろうか。



「…は?」

 消え入りそうな声に、俺は思わず振り返る。相澤は相変わらず下を向きながら苦い表情をしていた。

「終電逃したのも私のせいだしこんなに酔うまで飲むのも自業自得だし…、そんな私に遅くまで付き合わされて、どうして怒らないんですか」

 俺が立ち止まったせいで、相澤も半歩後ろで止まる。俯いたままショルダーバッグの紐をぎゅっと握りながら、続けた。

「ううん、そもそも…ライブに私が行ったこと自体、本当は迷惑なんですよね」

「……」

「…違う。それ以前に…学校でも…」

 声が涙まじりになってきた気がする。

「まだ酔ってるんですか」

「…っ、違います…っ」

 自己嫌悪に陥っていたのは、そういうわけか。



「ごまかさないでください…っ、本城先生は、いつもそうですっ」

 さっきより幾分荒げた声に、俺はピクリと片眉を持ち上げた。酔っ払いの戯言だと流せればそれが一番だったが。



「本心は絶対に見せず、怒るわけでもない。…先生からしたら私はいないものとされているようで、悲しいんです」

「……」

「そんなに…白石さんがいいんですか」

 返すべき言葉を考えている瞬間、相澤はそう続ける。眉間に皺を寄せると、相澤はようやく顔を上げて正面から俺を凝視し返した。

「…どうしてそこで白石が出てくるんですか」

「彼女が先生のことを好きなのは知ってます。先生が…っ、彼女のことを気にかけているのも」

 声を詰まらせながら、相澤の瞳からは大粒の雫が零れ落ちた。だけどそれに手を伸ばして拭ってやる気も起こるはずがなかった。

 ただそんな女を見下ろすことしかできない。



「…携帯に…電話がありました。彼女から」

「……?」

 大きく息を吸った後の相澤の言葉に、俺は思わず顔を顰めた。その「意味」が分からなかったからだ。

「さっきの飲み会の途中です。テーブルの上に置きっぱなしで席を立ってた先生の携帯が鳴ったので…見てしまいました」

 その時ちょうど自分の周りの男たちも離れていたのだと、相澤は付け足した。

「生徒と直接携帯で連絡を取り合うなんて…どういう関係ですか…っ? 私、思わずカッとなって切ってしまって…」

 それがさっきから浮かべている「自己嫌悪」の最大の理由か。見開いた目で硬直したまま、俺は頭の中ではそんなことを考えていた。



 電源の切れていた携帯電話に納得の理由がついたその時、俺は自分の中で何かが急速に冷めていくのを感じた。



 相澤に呆れたわけでも、怒りを覚えたわけでもない。




 ただ、白石の顔が脳裏をよぎった瞬間、どうしようもないタイミングの悪さにこの先の自分の運命を感じ取ったからかもしれなかった。






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