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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
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20 side:Takahiro


「はぁ!? お前今なんつった!?」

 あの日の夜、あの居酒屋で。

 俺はユキの話を最初から最後まで聞いて、思わずそんな大声を上げてしまった。



 半個室であるかのような仕切られた席ではあるけれど、きっとあまりの声に周囲の席の客もこちらを振り返ったことだろう。

 思わず咳払いをしてごまかし、俺は少しだけテーブルに身を乗り出した。

 ついた肘をズイと前に置き、ユキとの距離を詰める。そうしないと聞こえないくらいまで声のトーンを落とし、鈍い痛みを訴え始めた気さえするその頭を押さえながらもう一度口を開く。



「あの日、藤枝由香子の電話で『来なかったら死ぬ』って言われて…泣いて縋る白石を置いて、別れを選んでまであの女のところに行って…?」

 本気で眩暈までしてきた。さっきまで時間を正確に追って説明されていた事柄を大まかに繰り返しながら、思わず眉間に皺を寄せる

「そんで2時間近くかけて呼び出し場所に行って…挙句の果てに、藤枝由香子に言った一言が?」

「『勝手にしろ』だ」

「……あ、ちょっと待て。俺本気で頭痛がする」

 サラリと同じ言葉を告げたユキの前に片手を挙げて制し、俺はわざとらしくそう言うと眉を顰めたまま目を閉じた。




 だって、自分の彼女を置いて別れを選んでまで会いに行った女に、そんな言葉を吐く男がどこににいる?

 藤枝由香子だって、予想外だったに違いない。何せ自分が本気で望んだ男は、自分が「死ぬ」と言っただけで今の女を切り捨てて来てくれたんだ。

 恐らく「やり直そう。だから死ぬな」とか「やっぱりお前が好きなんだ」なんて甘い言葉を期待していたに違いない。

 それが…時間をかけて来てくれたはずの男の第一声が、「勝手にしろ」? …ありえなさすぎるだろ。




「…俺、初めてあの女にちょっとだけ同情したかもしれねぇ」

 さっきのバーで飲んだものより安っぽい居酒屋のカクテルに口をつけながら言った俺の一言に、ユキはおかしそうに苦笑を漏らしていた。




「俺はな、貴弘。あの時…由香子が『来てくれなかったら死ぬ』って言った時…それでもあいつのところに行くつもりなんてなかったんだ」

 今日の居酒屋のお通しは有機野菜のスティックだった。それに手を伸ばしかけていた俺に、ユキは煙草に火を点けながらそんなことを言い出した。

「じゃあ…何で行ったんだよ。白石に『行ったら別れる』って言われたんだろ?」

 掴みかけていたきゅうりのスティックから手を遠ざけて、俺は代わりに腕を組む。本気で理解できなかったから、正面からユキを凝視し直した。

「『行ったら別れる』って、言われたからだ」

 ユキにしては珍しく歯切れの悪い返し方。それにピクリと顔を顰めると、それがわかったからかあいつは小さく息を吐いた。

 観念したように、言葉を選ぶような間を取りながら続ける。



「行く気なんてなかった。だけど『行かないで』って言われた瞬間に、それじゃダメだと思った。俺が本当にここで由香子を切り捨てたら…その後由香子が生きていようが本当にいなくなってしまおうが、どちらにしても白石が不安になるのは明白だったから」

「…『白石が不安になる』…?」

 俺の繰り返した言葉に、ユキははっきりと首を縦に振ってみせた。

「俺は俺の意志で行かなかったのに、あいつは絶対に『行かないで』って言ったせいだと自分を責めるはずだ。最悪、俺が好きなのはまだ由香子なんじゃないか、実はあの時自分を切り捨てでも由香子のところへ行きたかったんじゃないか…なんて不安が、傍にいても拭えなかっただろう」

「…っ」

「白石の傍にいることを選んでも結局いつかはあいつを悩ませる」

「…でもそれなら、お前がその不安を拭ってやるくらいにはっきり愛情を示し続けてやればいいだけじゃねぇかよ!」

 自分でも青臭くて恥ずかしいことを言った自覚はある。だけどそれがこの時俺が明確に思ったことだった。

 だけどユキは、「本当にそう思うか?」と、短く低い声で呟くように言った。



「今の白石見てりゃ分かるだろ。どんなに説明しようとしたって聞く耳なんか持たねぇよ」

「……」

「別に、それはあいつが悪いわけじゃない。大体誰でもそんなもんじゃねぇか?」

 よっぽど楽観的な人間でない限りは、と付け足して、ユキは煙草の煙を吐き出す。



 …確かに、長年付き合ってきてよっぽど信頼関係のできた恋人同士ならともかく…。

 白石はまだ高校生な上、ユキとの付き合いだってほんの数ヶ月程度のものだった。年が離れているせいでユキの過去を見てきたわけでもないあいつに、全てを受け入れて理解しろと諭す方が酷な気もした。



「……」

「話を戻すけど、不安にさせたらきっと結局はダメになる。だったら…どうせ別れることになるなら、そんな風にあいつが自分を責めてダメになるよりも、あの時『俺』があいつを置いて行ったことで別れた方が白石のためにはいいと思った」

「…っそうやって自分が悪者になりゃ白石は救われるって!?」

「別にそこまでは言ってない。ただ自分を責めて俺と別れるよりも、立ち直れるのが早いかもしれねぇだろ」

「……お前はいつもそうだ…っ」

 ダン、とテーブルの上に拳を乱暴に置くと、叩きつけたつもりはなくてもそこにあるグラスがカタカタと音を立てて揺れた。

「そんな風に自己犠牲的な行動を起こしたって、結局白石は苦しんだだけじゃねぇか! 『立ち直るのが早いかもしれない』だ!? 今だって結局、お前のことが忘れられなくて泣いてばっかりじゃねぇかよ!」

「……」

 胸倉を掴みそうな勢いで身を乗り出しかけたけれど、近くにいた店員が何事かとこちらを遠巻きにうかがっているのが分かった。

 だから俺は、イラつきをごまかすように一つ息を吐き出すともう一度椅子に座りなおす。

 それをどこか他人事のように眺めていたユキは、やがて「…そうだな」と小さく賛同の意を表した。



「由香子にも似たようなこと言われたな」

「…何…?」

「『じゃあ何で来てくれたの』って聞かれたから、今お前に言ったのと同じことを全部話した。そうしたら『結局全部和美ちゃんのためなの』って」

「……」

「『付き合うのも別れるのも、私のところへ来るのも…全てが和美ちゃんのためなの!?』『それでも…ユキがそうやってあの子のことを考えて起こした行動でも、あの子はきっとそれを汲み取ることなんかできない』『きっとユキを忘れられずに余計に苦しむだけだ』…そう言われた」

 負けた女のそんな悲痛の叫びは、それでもユキの心には響かなかったようだ。

「俺は、別に聖人じゃない。だから『別れた後白石がすぐに誰かと幸せになってくれればいい』なんて思わない」

「ユキ…」

「だから由香子の言葉は俺にとって何の意味も成さない。白石が俺のことを忘れられなくて苦しむ…? だったらそれはそれでいい。別れを選んだからって、俺はあいつの中からすぐに消えてやるほどお人よしじゃない」

「…お前…言ってることが無茶苦茶だぞ…矛盾してる」

 白石が不安になるのを避けたくて別れたのに、自分を忘れられなければいいとも思ってる…? 早く立ち直ってくれればいいと思いながらも、心の片隅からは自分も消えてやらないと思ってる…?

 だけど、俺にも分かる気がした。言葉では矛盾するその2つの感情は、人間なら持っておかしくない…どちらも「本当」のユキの感情だ。



 俺の言葉に本気でおかしそうに笑ったあいつは、そこでようやく煙草の火を消して日本酒の入ったお猪口を手にする。

 そうしてその中身を呷ると、ゴクリと一気に嚥下した。その一連の動作を眺めた後、俺はまたテーブルに頬杖をついた怠慢な態勢で尋ねる。

「お前さ、そうやって全部分かった顔して引いてるうちに…白石が他の男とくっついたらどうすんだよ」

 その可能性だってないわけじゃない。当初ユキが望んだように、本当にすぐに白石が立ち直ってしまったら…?

 そうしてこいつの目の前で、誰かを好きになって本気の恋愛をしてしまったらどうするんだ。



 俺の言葉に、ユキは珍しく本気で笑ったようだった。




「そんなのは覚悟の上だ」

 そうなる可能性も、ユキはちゃんと考えている。まだ白石は高校生だ。俺たちより遥かに選択肢の多い輝かしい未来がいくらでも待っているんだ。

 だから、どれもユキの本音だ。きっと羽ばたいて行ってしまっても仕方ないという思いも、できればいつか戻ってきてほしいという気持ちも。

 そしてそれが叶わないなら、せめて自分という存在を忘れさせたくないというエゴも…。



「……お前はツンデレのはずだろ。いつからヤンデレに片足突っ込んだんだ」

 冗談めかしてでも言わないと、俺だってまともに会話ができない。

 からかうように言った俺に、ユキは片眉を持ち上げた後でまた微かに笑った。







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