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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
132/152

19


 タクミ先輩と並んで醤油を買って帰ると、理沙さんはすぐに夕飯の用意に取りかかった。

 手伝いますと声をかけてキッチンに入れてもらう。元々料理は苦手なので役に立つとも思えなかったけれど、理沙さんと隣で話をするだけで十分楽しかった。



 拭った涙の跡に、理沙さんやなっちゃんが気づいていたかは分からない。ただ2人共、少し遅くなった私たちの帰りに何も言及しなかった。

 できあがったご馳走を4人で囲んでいる時も、なっちゃんも理沙さんも全然関係のない雑談で場を和ませる。漫才のような夫婦のやり取りを聞くのも久しぶりで、私はやっと心から笑えた気がする。



 泣いたせいか、気持ちが落ち着いてきたせいか…大分私の心はすっきりした気がする。

 考えるべきこととやるべきことはまだまだ残っているけれど、今はただこの場を楽しみたい。




 なっちゃんの義弟の溺愛っぷりは噂通りで、何だかんだ言って絡もうとする彼をタクミ先輩が無表情のまま相手にしない姿がやけにおかしかった。

 無視をしているわけでも迷惑そうにしているわけでもないけれど、言葉通り「素っ気無い」感じだった。



 奏くんは私たちが食卓についている時にはベビーベッドですっかり眠っていた。

 眠っている時にたまに動く手が何とも言えないくらいかわいくて、見ているだけで顔が綻んでしまう。

 祥太郎が赤ちゃんの頃は私も2才くらいだったので記憶にあるはずもない。だから自分がこんなにも子ども好きだと知ったのは初めてかもしれない。



「ごちそうさま」

 タクミ先輩は、食べ終わるとすぐに自分の鞄を持って立ち上がる。

「え、もう帰るの!?」

 食後のお茶でも用意しようとしていたらしい理沙さんは、驚いて思わずといった風に声を上げた。

「帰って勉強。一応受験生だって」

「お前の成績なら別に1日くらい休んだって……あー」

 言いかけたなっちゃんが、そこで何かに気づいたように声を漏らす。そしてニヤニヤと嫌な笑みを口元に浮かべた。



「そっかそっか、そりゃそうだよなぁ。まだ19時半だしな」

「…?」

 意地悪い笑みを浮かべたなっちゃんは、テーブルに肘をついたままからかうようにそんなことを言った。

 思わず首を傾げて様子をうかがっていた私だけれど、タクミ先輩は何のことだか分かったようで、いつもよりも少し冷めた目でなっちゃんを振り返る。

「いちいちうるさいですよ、先生」

「べっつにー、俺何も言ってねぇじゃん」

 子どもみたいななっちゃんの言葉に一つ息をつくと、先輩はそのまま身を翻した。

 言葉通り帰って行こうとするその後ろ姿を慌てて追いかけて、玄関まで見送る。



「タクミ先輩、今日はありがとうございました」

 受験生という忙しい立場なのに、きっと私のためになっちゃんに呼び出されて迷惑だっただろう。

 そう思ってペコリと頭を下げると、先輩は初めて「私」に素の笑顔を向けてくれた。昼間見たものは泣いている私を宥めるような、そんな笑顔だけだったから。

「またね」

 それだけ言って玄関の扉を開く。

 その後ろ姿が向こう側へ消えるのを、遅れてきたなっちゃんや理沙さんと見送った。




 先輩の「またね」には、言外に「頑張れ」という励ましが込められているような気がした。

 力を得たように胸の前で拳を作ると、気合を入れるようにそれを更にぎゅっと握った。



「なっちゃん、そう言えばさっきの何?」

 リビングの方へ戻るなっちゃんについていきながら、私は後ろからそう尋ねる。

 さっきの先輩とのやり取りだとは言わなくても通じたらしい。聞かれたなっちゃんはまたニヤッと笑ってみせる。



「夏川の家、こっから結構近いんだよな」

「ハルカちゃん?」

 …そうか、それで早めに切り上げて会いに行った、ということだろうか。

「…いいなぁ、ラブラブで」

 あれほどクールな先輩をあんな笑顔にさせられるんだから、ハルカちゃんはすごいと思う。

 その仲の良さが羨ましくなって思わず呟いたけれど、なっちゃんはそんな声が届いたのか肩越しに振り返って私を一瞥した。



「お前だって、自分次第でどうにでもなるだろ」

「……え?」

 聞き逃しそうになった言葉を尋ね返したけれど、その場ではなっちゃんは答えてはくれなかった。




******



 食後のお茶とデザートまでごちそうになって、洗い物の手伝いをしてからなっちゃんの家を後にすることにした。

「送ってく」

 ちょうど起きた奏くんを理沙さんに託しながら、なっちゃんはそう言って車の鍵を手にする。

「え、まだそんなに遅くないし大丈夫だよ」

「お前なぁ、もうすぐ9時だぞ? いくら親が家にいないからって言っても、高校生が『遅くない』とか言うな」

 …そうなるまで引きとめたのは誰だったか。冗談まじりに嫌味を込めて尋ねようかと思ったけれど、苦笑いと共に飲み込んだ。



 玄関まで見送ってくれた理沙さんに挨拶をして、なっちゃんの後に続く。

 駐車場で車に乗り込んだ瞬間に、なっちゃんは急に「さっきの話だけどよ」ともう1時間以上も前の話を持ち出してきた。

 「自分次第だ」と言われた時のことだとすぐに分かったので、私は助手席でシートベルトを締めながらコクンと頷く。だけどなっちゃんは、「…あ、いやその前に」と考えを改めたように声を漏らした。

「どうだった、准一と何か話せたんだろ?」

 尋ねてきたなっちゃんは、「すっきりした顔してる」と付け足した。



「タクミ先輩って…すごいよね」

 答える代わりに呟くと、なっちゃんはサイドブレーキを下ろしてアクセルを踏みながら「俺の弟だからな」と嬉しそうに答えた。

 …どこまで兄バカなのか。つっこもうかと思ったけれど、それも首を竦めて受け流すことにした。



「私…先輩に言われるまで、『違う角度』からあの日のことを考えようとしたことなんてなかったと思う」

 聞くまでもないと思っていた。だって、自分には先生が由香子さんのところに行ったという「事実」だけでもう頭がいっぱいだったから。

「…准一は、何て言ってた?」

「? なっちゃん、タクミ先輩から聞いたんじゃないの? だってなっちゃんは先輩と話をしたから本城先生と和解しようとしたんでしょう?」

「いや…」

 なっちゃんは小さく首を振る。その時車は地下の駐車場から這い出て、夜の闇にヘッドライトの一筋の明かりを照らすところだった。



「准一は俺にはそこまで答えてくれなかった。ただ、ユキのことをもっと理解しろって怒られただけみたいなもんだ」

「……そう…なんだ」

「諒子さんも准一に尋ねたことがあるみたいだけど、答えてもらえなかったみたいだぜ。『予想に過ぎないから』って」

「うん…それは私にも言ってた」

 それでも、その「予想」はもはや「確信」に近い。

 本城先生が私の性格を理解していたように、先輩には先生の性格が手に取るように分かるのかもしれない。

 そんなことを漠然と思いながら、私は先輩と話した内容をなっちゃんに順を追って説明し始めた。






「…そうか…」

 一通り聞き終えた後、なっちゃんは一つ息を漏らす。

「そんで、お前はどう思った?」

 窓枠に右肘をつき、長い指を口元にやりながら何かを考えているようにそう尋ねられた。

 左手一本で器用にハンドルを回すその動作を眺めながら、私は今の自分の正直な気持ちを答える。

「先生のことを…私は本当に何も理解していなかったんだって、痛感させられた気分」

 言うと、なっちゃんは声を上げて笑って「俺もだよ」と続けた。



「俺は多分、自分がユキの立場だったら何が何でもお前と一緒いたと思う」

「……うん」

「元カノよりも今の方が大事だ。冷たいと思われるかもしれないけど、『死ぬ』って言われたってその言葉が本音かどうかも怪しいし、わざわざ今の彼女を不安にさせてまで行かねぇ」

「……」

「でも…『その先』のことなんて、考えもしなかったと思う」

 口元に持っていっていた手を、なっちゃんは悔しさを表すかのように軽く噛んだようにも見えた。



「准一の言う通りだ。結局、お前と一緒にいることを選んだとしてもお前を不安にさせてダメになってただろうな」

「……でもそれは…」

 いくら「確信」に近いものがあると言っても、未だタクミ先輩の「予想」でしかないはずだ。

 そう続けようとしたけれど、なっちゃんは今度は大きく首を左右に振った。




「ユキがそう考えてたのは、本当なんだ」

「……え?」

 眉を寄せた私は、さっきよりも少し身を乗り出すようにして運転席のなっちゃんを凝視する。

 信号待ちで停止した車内、なっちゃんは私の方を振り返りながら小さく息をついた。



「今のお前になら、全部話せそうだ」

「…ぜん…ぶ…?」

「あれだけユキに対して怒ってた俺が…あいつとどうやって和解したのか、話してなかっただろ」

 そう言うとなっちゃんは、さっきよりも少し抑えた声音で「その日」のことを話し出した。







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