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Sweet&Bitter  作者: みずの
降っても晴れても。
13/152

9 side:Kazumi


 ジャズには詳しくないけれど、初めて聴いたその生の演奏がどれくらいすばらしいのかは何となく感じ取れた。どこにあんな大きな楽器を支えるだけの力があるのだろうと思わされるくらいに細い女性は、太く深く、それでもどこか繊細な音をウッドベースから奏でていた。

 スキンヘッドの男の人のドラムの音と、ピアノの人の音が3つ合わさって、流れるような音楽を刻む。呼吸が合っていると言えばいいのか…ピタリと合わさったその音は心地よく耳に届いた。中には聴きなじみのある曲もあり、ジャズに精通していない私でも楽しめる。普段はベタな邦楽ばかり聴いている私だけれど、それらとは違いジャズには妙な色気を感じさせられた。

 どこか艶っぽいその音楽に耳を傾けていると、時間はあっという間に過ぎてしまった。



 数曲を終えて、3人組がステージを下りる。食い入るように見つめて聞き入っていた私は、少し明るくなった客席側の照明でやっと我に返った。

「楽しんでたね、和美ちゃん」

 ちょうど料理を運んできてくれたところだったらしい修司さんが、ウィンクしながらそう声をかけてきてくれる。

「はいっ、楽しかったです」

 ニッコリ笑って答えると、トレイを持った修司さんは「そう」と満足そうに頷いた。



「あ、ユキ、マスター帰ってきてるぜ。挨拶して来いよ」

「ん?…あぁ」

 思い出したように言った修司さんの言葉に、先生は半ば乗り気じゃないような声で小さく頷く。

「なんだよ、その返事」

 修司さんも私と同じ感想を持ったらしく、一向に立とうとしない先生の腕をつついた。

「…あの人話長ぇんだよな」

 吸わないまま置いてあったテーブルの上の煙草の箱とジッポを持って、先生は呟きながらゆっくり立ち上がる。

「白石、悪いな。ちょっと待っててくれ」

「あ、はい、どうぞごゆっくり」

 トレイを手にした修司さんと共にカウンターの方へと向かう先生にそう声を返してから、私はその後ろ姿を見送った。





「……」



 暗めな店内に一人残されて、私は小さく息をつく。生演奏が終わって、元のレコードから流れる音楽に戻った店内は私を我に返らせるのに十分だった。考えないようにしたかったのに、思い出してしまう。それは、ライブが始まる前に修司さんが漏らした一言についてだった。


『由香子』さん。



 確かに修司さんは、そんな名前を口にした。それに対する先生のリアクションから、何となく聞かれたくない話なんだろうということが分かった。だから、本当は気になって仕方ないのに全く気にしてない風を装うしかなかったんだ。




「和美ちゃん」

 ドリンクのストローを弄んでボーっと考え事をしていると、不意に呼びかけられた。それに気づいてハッと顔を上げると、そこには修司さんが立っている。手にはさっきと同じ料理を手にしていたけれど、服装は違っていた。タイとエプロンを取り、さっきまでよりラフな格好だ。それを見上げて目を丸くしていると、修司さんはまた少し笑って先生が座っていた辺りを指差す。


「俺今から休憩なんだけど、ここで飯食ってもいい?」

「あ、はい、どうぞ」

 別にスペースは十分あるのに何故か少し横に寄ってしまいながら、私は隣を手で示した。「ありがとう」とあのニッコリ笑顔で言って、修司さんはそこに座る。

「こんな時間に休憩になるものなんですか?」

 ライブも終わったばかりでまだお客さんも多い。小首を傾げながら尋ねると修司さんは私と同じように首を傾けた。

「マスターに言って、ムリヤリぶんどったの」

 お茶目に言われて、私は「あはは」と声をたてて笑ってしまう。それから気づいた。もしかしたら修司さんは、先生が行ってしまって私が一人取り残されたから気を遣って来てくれたのかもしれない。


「…ありがとうございます」

 うぬぼれかもしれないので理由はいわずにお礼を言うと、修司さんは一瞬だけ目を丸くした。だけどそれから、次の瞬間には唇だけを持ち上げてニヤッと笑う。

「やっぱり面白くてイイ子だね、和美ちゃんは」

 その表情に、私の予想はどうやらはずれていなかったらしいことを知った。




 何気ない世間話をしながら修司さんと並んで食べる食事は楽しかった。先生と友達だと言っていたけれど、先生とはどうやら正反対な性格のようだ。明るくて話上手で、会話が途切れることがなかった。


「じゃあ和美ちゃんは、貴弘の生徒でもあるんだ?」

「あ、はい、違うクラスの担任ですけど」

「あいつとユキ、面白いでしょ」

「はい、とっても」

 修司さんはなっちゃんとも仲が良かったらしい。最近は会っていないようで、「懐かしいなぁ」と言いながら目を細める。

「じゃあ修司さんは、理沙さんとも知り合いですか?」

「理沙?理沙って貴弘の嫁の?和美ちゃんあいつのことも知ってんの?」

「はい」

「そっかぁ、あの夫婦色んな意味で『濃い』でしょ」

 そう言った修司さんと、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。確かに、なっちゃんと理沙さんはステキだけど個性的な夫婦だったからだ。



「大学の時はあいつら3人いつも一緒でさぁ。俺もたまにそこに混ざったりしてたんだ」

「へぇ…」

「まぁあの夫婦は言い合いながらも仲良いし、ユキもあの2人の中で何気にイイ中和剤みたいな感じでさ」

「あ、そんな感じですよね」

「そうそう、サークル名物みたいな感じだった」

 思い出して懐かしそうに笑う修司さんの表情はどこか穏やかで、私までなんだか幸せな気分になってしまう。だけどすぐに、ハッと私は動きを止めてしまった。さっきの修司さんの言葉に、引っかかる部分があったからだ。


「…修司さん、『3人一緒』って言いました…?」

 確認するように尋ねると、修司さんはフォークを口に運びながら横目で私を見た。それから、私の言いたいことが分かったからか口元に薄い苦笑いを浮かべる。

「『由香子さん』のこと?」

 ストレートに尋ねられて、私はためらいがちに小さく頷くしかなかった。



 その名前を出した時の修司さんの口ぶりからして、『由香子さん』が大学時代の先生の恋人だったんだろうということは何となく想像できていた。でも、大学でいつも一緒だったと言ったのは「なっちゃん」と「理沙さん」と「先生」だけ。そこに、彼女はいなかったんだろうか…?



「何気に鋭いね、和美ちゃん」

「…すみません」

「何で謝るの?」

 笑って手を振って、修司さんは手にしていたフォークを置く。それから、少し昔を思い出すように目を細めてから続けた。

「由香子さんは、同じ大学だったわけじゃなかったから」

 まだこの後仕事があるから、もちろんアルコールは修司さんも飲めない。ジュースのようなドリンクを飲みながら、修司さんは小さくそう言った。


「ユキの彼女だったけど、その時はもう社会人だったから」

「……そう…なんですか」

 そもそもどこで知り合ったのかとかは、修司さんも知らないらしい。

「…いや、知らないって言うより…あいつあの時結構顔が広かったからなぁ。わかんないんだよね」

 言葉は選んでいるけれど、どうやら修司さんの知っている先生は色んな女の人と付き合いがあったようだった。

「本気で誰かと付き合ったりする奴じゃなかったから、由香子さんと付き合い始めた時は正直びっくりしたな」

 そう言えば昔なっちゃんに、ちらっとそれらしい情報は聞かされたことがあった。


『あいつ昔結構遊び人だったけど…お前それでもいいのか?』


 私が本城先生のことが好きだと知った時、確認するようになっちゃんにそう聞かれた。あの時は…盲目状態だったから、ただ当然というように大きく頷くしか答えは持ち合わせていなかったっけ。



「由香子さんと付き合ってる時は…遊んでなかったんですか?先生」

「『遊んで』って…和美ちゃん。…参ったなぁ」

 ストレートに聞いた私に、修司さんは言葉通り困ったように頭を掻いた。苦笑を浮かべて、ソファの背もたれに深めに腰掛ける。

「そうだなぁ…その時は、ちゃんと由香子さんだけと付き合ってたよ」

「……」

 修司さんのその答えに、私は覚悟していたせいかそれほどの大ダメージを受けずに済んだ。ただ少し胸のどこかでキュッと何かが締め付けられるのを感じただけだ。



「でも、ユキがどれだけ本気だったのかはわからないけど」

「…え?」

 続いた修司さんの言葉に、私は思わず目を見開いた。そんな私を振り返った修司さんが、足を組みながら言葉を継ぐ。

「さっきも言ったでしょ、由香子さんがここに来た時、すんげぇ勢いで怒鳴ってたんだよね」

「…それは…どうしてなんですか?」

「…うーん」

 私に尋ね返された修司さんは、小さく首を傾げて少し思案するような表情を浮かべた。



「ユキは自分の考えとかはっきり言わないから正しい解釈かどうかはわかんないけど」

 そう前置きして、修司さんは続ける。

「ユキはさ、もうジャズバカってくらい大学時代ジャズに没頭してたわけ。大学の連中とも頻繁にここに通ってたし…。でも由香子さんは、ジャズに特に興味なかったんだよね。ユキは、ジャズが好きじゃない人にここに来てほしくなかったみたいだった」

「……」

「ほら、男って良くあるじゃん。仕事とかに必死になってそのテリトリーに女に入られると嫌な奴。ユキの場合は、自分の趣味の域に彼女に入り込んで欲しくなかったんだと思うんだよね」

 それから修司さんは、少し苦い顔をする。歪んだ表情が、当時の先生の感情を表しているようだった。

「ユキも、若かったんだよ。譲れないものがあったんだ。だから、よくありがちなあれ。『趣味と私とどっちが大事なの』みたいなことよく言われてたな」

「……」

「そのせいか貴弘なんかはユキに昔からよく言ってたよ。『お前は誰のことも本気で好きになったことがない』って」



 それは……本当に「そう」なんだろうか?彼女に踏み込まれたくない自分の領域があったからと言って…それが『本気じゃなかった』ことに繋がるんだろうか?なっちゃんの言葉の意味は…考えても私には理解できそうになかった。




「ま、そんなわけだからさ」

 話を改めようとしたらしく、修司さんはそこで故意に明るい声のトーンに戻した。

「そんなユキがここに女の子連れて来たからびっくりしちゃったよ、俺は」

「…え、でもそれは…」

 私が生徒であって彼女でないからだし、そもそも私が先生に『ジャズに興味がある』らしいことを言ったからで…。声にはしなかったその言葉を、修司さんは言わなくても何となく読み取ってくれたようだった。

「それでも連れて来ないよ、今までのあいつだったら」

 笑いながら言って、修司さんはそこで口を噤む。それを合図のように感じ取って顔を上げると、なるほど、先生がマスターとの会話を終えてこちらに戻ってくるところだった。私も何となく言葉を継ぐのをやめ、手元にあったグラスに手を伸ばす。それを一口飲むのと、先生が戻ってきたのがほぼ同時だった。




「やっぱ長ぇよ、あの人の話」

 疲れたような表情をわざと浮かべながら、先生は修司さんにそう言った。無口な先生は、よくお喋りをする人との長い会話は不得手なのだろう。それでも先生が、本当はそんなお喋りなマスターのことが好きなのは良く分かる。


「何だって?マスター」

 笑いながら聞き返した修司さんに、先生は吸っていた煙草を灰皿に押し付けて消しながら肩を竦めて見せた。

「なんかやる気になってるぜ、あの人」

「そりゃーユキが来たらそうだろうな」

 ポケットに入れていたらしい煙草の箱やら携帯電話やらをテーブルの上に置いて、先生も苦笑いを浮かべる。それから、今度は私を見下ろして言った。

「悪ぃ、白石。もうちょっと待っててくれ」

「?はい」

 修司さんもそれが分かっていたからか、席を立とうとはしなかった。先生がまたどこかへ行ってしまいそうなので私の相手を引き続き請け負ってくれるようだ。



「和美ちゃんは、もちろん見るの初めてだよね」

「?何がですか?」

 先生が再びテーブルを離れていくのを見送りながら、修司さんの問いに私は小首を傾げる。視界の片隅では、マスターがどこかウキウキとした足取りでカウンターよりこちら側に出てくるのが見えた。

「ユキがピアノ弾くとこ」

「えっ!?ピアノ!?」

 思わず大声を上げて驚くと、修司さんはこちらを見ないまま笑っていた。目を丸くして先生の後ろ姿を追うと、先生は店の隅に座ってお酒を飲んでいた誰かに声をかけている。どうやら、さっき演奏していた3人組の一人、スキンヘッドのドラムの人だった。


 何事かを話した後、スキンヘッドの人が先生の言葉に笑って頷いている。そうして立ち上がったかと思うと、本当に先生とその人はステージに上がってしまった。それについていくように、マスターが店の奥からさっきの女性と同じように大きなウッドベースをかついで来る。



「先生、ピアノ弾けるんですか!?」

「って和美ちゃん、あいつジャズバカだって言ったでしょ?俺」

「いえ…てっきり聴くのが好きなんだとばかり…」

「言ってなかったっけ、俺らがいたサークルってジャズ研なの。聴くだけの奴もいたけど、ユキの実力はすごいよ」

「…聞いてませんでした…」

 サークル仲間とは聞いていたけれど、そう言えば内容までは聞いていなかった。だけどそれなら、修司さんがここで働いている理由も分かる。



 そんな話をしているうちに、先生がピアノの椅子に座った。学校でももちろん見たことのないその姿は、明らかにサマになっていて思わず見惚れてしまうほどだった。さっきの神経質そうな線の細いピアノの人とは、正反対の印象を受ける。鍵盤に手を乗せた先生は、ベースを構えたマスターとスキンヘッドのドラムの人となにやら目配せをした。

 そして三人が同時に息を吸い込んだように見えた次の瞬間…言い合わせたように、綺麗なハーモニーが楽器から奏で出る。



「わぁ…」

 その一瞬だけで、鳥肌が立ちそうなほどの音。ゾクッと背筋が震える感覚が駆け抜ける。それは、さっきの3人組とまた違った緊張感を持った音だった。



「ジャズってさ、コード進行さえ知ってればその場で誰とでも合わせられるのが長所」

 ステージ上の先生を眺めながら、修司さんがそう言う。なるほど、そうでもなければ普通は初対面らしい人同士がこんなに合わせられないだろう。



「…ユキにしては珍しいチョイスだな」

 修司さんが、テーブルに片肘をついた格好で嘆息気味にそう言った。どうやら先生が選んだらしい曲目について言っているようだ。つられるように曲に集中すると、先生のピアノが、切ない…だけどどこか深いメロディーを奏でる。それに耳を傾けると、アレンジは違うけれど私にも聞き覚えのあるものだった。

「これ…」

呟くと、修司さんがわずかに目を瞠る。

「和美ちゃん知ってる曲?ジャズ詳しくないんじゃ?」

「あ、これだけは先生が流してたので…」

「………ふぅん?」

 修司さんが眉間に皺を刻んで呟き返した時、曲はテーマと言うらしい一通りのメロディーを終えて先生のピアノソロにさしかかった。



 長い指が、左手でコード進行の和音を、右手で滑らかな旋律を叩く。聞き惚れて見惚れて、私は半ば茫然と音の渦に引き込まれて行った。見たことのない先生は、見たことがないくらいに格好良くて…。いつまでも戻ってこれないんじゃないかというほど取り込まれていた私を現実に戻したのも、また修司さんの声だった。



「知ってる?この曲の歌詞」

 聞かれて、私は小さく首を振る。

「雨が降っても晴れても、この先何が起ころうが彼女一人を愛するって歌。確か「幸福な時も不幸な時も、金があってもなくても、雨が降っても快晴でも、いつも一緒にいよう」みたいな歌詞だったな」

大分要約するとだけどね、と付け足して、修司さんは小さくウィンクして見せた。

「ユキ、昔は「この曲は理解できない」って言ってたんだけどな。理沙にせがまれて、あいつらの結婚パーティーの時は特別に弾いてやってたけど」

「……そうなんですか…」

 今日、先生の家で目が覚めた時にはずっとリピートされていた曲。好きでもなく、理解もできない曲ならそんなことはしないと思うのだけれど…。



「こりゃ好きな子でもできたかな」

 修司さんは、そう言ってから「ね」と同意を求めるように私を見た。修司さん特有のニッコリ笑顔を向けられて、私は返事に困る。彼は言外に何かを言いたそうだったけれど、私にそれを読み取れるほどの鋭さはなかった。

「…そうなんですかね」

 曖昧に答えて、胸が早鐘を打ち始めるのを感じる。先生に好きな人ができていたら…そう思うと妙な焦燥感に襲われたからだ。



 修司さんは、私の答えにそれ以上何も言わなかった。再び前を向いて、ステージの先生を見据える。

「おーおー、楽しそうにしちゃって」

 修司さんの代わり…と言うべきなのか、そんなステージ上の先生に対する第三者の声が降ってきたのはそのすぐ後のことだった。



 私と修司さんが同時にその声のした方向を振り返ると、そこには2つの影が立っていた。

「貴弘!」

「理沙さん!?」

 私たち2人の驚きの声が重なると、そこに立っていたなっちゃんと理沙さんは似た者同士なニヤッとした笑みを同時に浮かべてみせた。



「あれ、なっちゃんたちここには来ないってさっき…」

 驚きのあまり戸惑い気味に言うと、修司さんを挟んで私とは反対側へ座りながらなっちゃんがチッチッと指を振る。

「お前とユキが2人でここに来るなんてそんな面白いこと見逃すわけねーじゃん」

 明らかに悪趣味なセリフを吐くなっちゃんは、時代劇に出てくる越後屋のようだった。

「ちょっと変装して店の隅っこに隠れてたら、全然気づかないんだもん」

 そう言う理沙さんは、……ということはお代官さま?怒られると思うので言わないけれど。



「え、俺も全然気づいてなかった」

 修司さんの言葉に、なっちゃんが笑う。

「お前以外のバーテンダーとマスターは気づいてたぜ」

 そう言われて、修司さんは「マジですか」とがっくりと肩を落として見せた。



「…に、してもだ」

 移動する時に持ってきていた自分のドリンクを飲みながら、なっちゃんは長い足を組む。グラスをテーブルに戻すと膝の上で指も組んで、少し笑いながらステージ上を眺めた。

「楽しそうに弾くよな、珍しく笑ってるよ」

 言われて私もその視線を追うと、ベースのソロにさしかかったその時、先生は確かにピアノを弾きながら笑っていた。見たこともないような嬉しそうな笑顔で。マスターとドラムの人と呼吸を合わせ、楽しそうに音を奏でていく。




「なんだかこっちも楽しくなりますよね」

 先生を見つめたまま…私は素直にそんな感想を漏らしていた。

「だな」

「そうだね」

 なっちゃんと修司さんが、同時に私の言葉に頷いてくれる。





 …不思議な気分だった。あの先生の笑顔だけで、本当に私の心のどこかが温かくなったんだ。



 先生に好きな人がいようがいまいが、今はそれすらどうでもいいと思えるほどに。嬉しそうに笑っている先生がそこにいるだけで、この時は幸せな気分だった。



 恐らく、今の私ならこの曲に惹かれた理由も分かる気がする。




 降っても晴れても、この先何があっても…きっと私は先生のことが好きだからだ。





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