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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
128/152

15


 あの時、修司さんに返す言葉は最後まで見つからなかった。

 彼の言わんとしていることが分からなかったわけではない。その答えが、自分の中でまだはっきりと形になっていなかっただけだと思う。



 先生が誰を想っているのか。それが知りたくて、私も一度は先生に直接その問いを投げかけてみる覚悟ができたはずだった。

 だけど、あんなことがあったから…私の中では完全にタイミングを逸してしまったように思う。

 恋愛においては何事もタイミングだと、いつか誰かが言っていたっけ。

 それが本当なら、私にはその「縁」はないということだろうか。





 翌日の月曜日、いつも通り学校に向かう。

 その日は文化祭の片付けだけで午前で終わるはずだった。文化祭中ろくに使われもしなかった教科棟は静かなもので、片付けるものがあったからこそ踏み入れたけれどそうでもなければその日用事があったはずもない。

 だけどたまたま訪れたそんな場所で、誰もいない静かな廊下に1つの影を見つける。

 それが本城先生だと気づいたのは、逆光のせいでかなり近づいてからだった。



「大荷物だな」

 両腕に袋をいくつも抱えていた私を見て、先生はそんな第一声をかけてくる。

 それに答える前に「ん」と手を差し出され、私は小さく首を傾げた。だけどどうやら、いくつか引き受けて持ってくれるという意味らしかった。

「あ、大丈夫です。すぐそこまでなんで…。それより先生、教室で大道具の解体するのに皆が探してましたよ」

 行ってあげてください、と付け足すと、先生は露骨に眉を寄せた。その表情がどこか子どもっぽい気すらする。

「面倒くせぇな」

「またそんなこと言って…」

 思わず苦笑いを漏らすと、先生は吐息まじりに白衣を翻した。本当に嫌そうな表情をするものだからこの分だとちゃんと教室に向かってくれるかも怪しい気がする。

 だけどそれを問いつめるつもりもなく、私は代わりに「…先生」と別の言葉を継ごうと呼び止めた。



 肩越しに顔だけで振り返った先生が、無言のままこちらを見やって先を促す。

「あ、あの…」

 袋の取っ手を持つ手に更に力をこめ、私はゴクと息を飲み込んだ。

「この前は…ありがとうございました。ご迷惑おかけしました」

「……」

 ペコリと頭を下げて言った私を黙したまま一瞥してから、先生はフッと表情を緩める。

 いつもクールで無愛想な先生がそんな風に笑うのが珍しくて、私は思わず目を丸くしてしまった。

「何だ、もういつも通りだな」

「…はい…?」

「駄々こねる子どもか、っつーくらいのお前も結構おもしろかったけどな」

「! …それはもう…忘れてくださいよ…」

 どちらにせよ意地悪なことに変わりはないらしい。土曜日の自分のワガママっぷりを思い出すといたたまれないくらいに恥ずかしくて、穴があったら入りたい気分だ。

 そんな私の言葉に声を立てて笑ってから、先生は今度こそ踵を返して廊下を歩いて行った。



 「もう」と吐息まじりに呟いて、赤くなった顔をごまかすように手でパタパタと仰ぐ。

 先生の姿が廊下の角を曲がって見えなくなったところで、私は自分も身を翻した。

 荷物を置いたらすぐに教室に戻らなくてはならない。そう思って先を急ごうとしたその時、すぐそこの角を曲がろうとしたところでその場に誰かが立っていたことに気づいた。

「! ……っ」

 人がいるなんて思いもしなかったので、私は驚いて絶句してしまう。

 声を失った私を、そこに立っていたその人は冷たい目で見据えていた。その表情に何となく気づく。もしかしたらさっきの本城先生との会話を聞かれていたのかもしれない。

 聞かれてまずいほどの話はしていないと思う…けれど、相手が悪かった。いつもより少し大股に開かれたその立ち姿が威圧感すら与えてきて、ただならぬ空気を感じてしまう。

「…相澤先生…」

 思わずその名前を呟いた私だったけれど、「おはようございます」なんて何気ない挨拶はすっかり忘れてしまっていた。




「白石さん、土曜日の後夜祭、どうして出席しなかったの」

 私の呼びかけは無視して、相澤先生は腕組みをした態勢でそう聞く。癖なのか、たまにヒールの踵を鳴らすのが彼女の苛立ちを表しているようでもあった。

「…体調不良です」

「嘘でしょう」

「! ……」

 流れるようにあっさりと否定されて、私は思わず返す言葉を飲み込んでしまった。こういうところが、まだ自分の甘いところだと思う。平気で嘘をついたりごまかしたりすることがどうしてもできない。




「昨日から、成川先生がしばらくお休みを取られたわ。1週間~10日くらい学校には来られないそうよ」

「……」

「あなた、何か知ってるんじゃないの?」

 相澤先生の口調は、問いと言うよりは確信を持っているようだった。



 蓮くんが…休み…?

 私とのこと、そして修司さんや諒子さんへの陰湿な嫌がらせから手を引いたこと、それらが絡んでいることは間違いない。

 でもいきなりどうして…やっぱり、先生が何とかしてくれたということなのだろうか。



「…知りません」

 だけど相澤先生には、そう返事をする以外に術はない。答えなくてはならない理由も見つからないから、それだけを口にした。

「そんなはずないでしょう」

 でも、いつもより頑なな強張った声は引くことはないようだ。冷たい響きを持たせた言葉を、相澤先生は私に投げかける。

「後夜祭の時、あなたと成川先生、本城先生の姿が見えなかった」

「体調が悪くて後夜祭は欠席させてもらいました。本城先生の許可はいただいてます」

 副担任の相澤先生が口を出すことじゃない。言外にそういう意味を込めて言ったけれど、相澤先生は表情を変えることはなかった。

「そんな言葉で私がごまかせると思ってるの?」

 鼻であしらうような言い方で、彼女は不機嫌そうに腕を組んだ。



「…前から思ってたけれど、あなたと絡むとろくなことがなさそうね」

 教師らしくないセリフを口にして、唇を歪める様子は当然と言えば当然かもしれない。恐らく相澤先生は、「教師」としてなんて話してないのだ。

「大人を振り回さないで、子どもは子どもらしくしてたらどうなの」

「……」

 この際、内申点なんてどうでもいい。キッと睨むように相澤先生を見据え直して、私は言葉なく反抗の意を示した。

 それを見つめ返してから、相澤先生は何かを思い出したのか急に唇の端を持ち上げてニッと笑う。よく言う「妖艶」なんてものではなく、単純に不愉快な笑みだった。



「そう言えば趣味で音楽やってる知り合いから聞いたんだけど、本城先生、今度またあのビッグバンドでピアノやるんですってね」

「……」

 初耳だった。…いや、先生がもう私にいちいちそんな情報を教えてくれるわけはないんだから当然だ。

 私が「知らなかった」という事実を認識してか、相澤先生は余計におかしそうに笑った。

「残念ね、子どもは見られないものね。でも…もし今度またあなたが現れたりしたら…」

 一歩踏み出して、彼女は私のすぐ横で前を見据えたまま続ける。

「その時は本気で、退学を覚悟することね」

「…っ!」

 そのままカツカツとヒールの音を鳴らして去って行こうとする後ろ姿を、勢いよく振り返った。だけどそれでも反論の余地はなくて、悔しさに滲む声を飲み込むことしかできない。



「…怖ぇなぁ、女って」

 睨むように相澤先生の後ろ姿を見送った後だった。やがて背後から、そんな声が降ってくる。

 驚いてバッと振り返ると、そこにいたのがなっちゃんで安堵した。あんな会話を他の人に聞かれたらと思うだけで背筋が凍る。

「なっちゃん…」

「あっちも相当余裕なくなってんなぁ」

「……」

 相澤先生からしたら、きっとおもしろくないんだろう。

 前々から本城先生の周りをうろちょろしていた私をうっとうしく思っていたはず。その私が蓮くんとも何かあったんだと感づけば、こちらに良い感情を抱くはずもない。



「昨日そういや、休暇もらう申請だけしに来た成川蓮とすれ違ったけど……お前大丈夫か?」

「…え? 私?」

 蓮くんとすれ違った話からどうして私の心配になるのか分からず、小さく首を傾げた。



「顔は一発殴られたみたいになってた。それも転んだとかでごまかしてたみたいだけど…あれ、ユキがやったんだろ」

「…あ…」

 あの時確かに、先生が蓮くんに殴りかかったのを私も見ている。なっちゃんには嘘をついてもバレるだろうと思ったので、弱々しく頷くしかなかった。

「だけど歩き方とか色々見てたら、一発じゃなさそうなんだよな。多分、見えねぇとこもボコボコにされてるぜ」

「え…!」

「病院送りにならねぇ程度に手抜いたんだろうけど…あんだけユキを怒らせるってことは、お前に相当のことしたんだろ、成川蓮」

「……見えないところって…先生がそんな陰険なことするとは…」

「そうか? ユキはどう見ても陰険だろ。…いや、まぁそうだな。お前が絡んでることだから大事にしたくなかったんじゃねーの。顔なんか殴りすぎてボロボロにしちまったらさすがに警察沙汰になるしな」

「………」

「ユキが何かすんのは、いつもお前のためだろ」

 そうまとめたなっちゃんは、生徒たちの作業を手伝いやすいように着たジャージのポケットに手を突っ込む。

 少し猫背なその姿は、一見すると学生たちに紛れてしまいそうなほど若い。



「……そんなことは…」

 ない、と言い切ることはできなかった。その前になっちゃんの手が私の声を遮ってしまう。

 そして彼は、私を見下ろして小さく息をついた。



「…お前、まだ『そんなとこ』にいるんだな」

「……え?」

 何の比喩か、言われた意味が分からずに私は思わず眉を顰めてなっちゃんの顔を見上げた。




「俺も、お前とユキが別れた時は頭に血が上ってユキの話なんて聞こうとしなかった。だからお前が、自分の殻から出てこれずに意固地になる気持ちはすげぇ分かる」

「……」

「あと、ユキの本音を聞くのが怖いって気持ちも」

 黒縁の眼鏡を押し上げながら、なっちゃんはいつものおちゃらけた表情を消して真剣な目をしていた。




 何を言われているのか全てを理解したわけではなかった。でも、先生とのことで頑なになりすぎている自分を非難されているのだろうということは何となく分かった。

「…私だって…色々と先生に直接聞こうと覚悟したことはあるよ。でも…」

 ついてなかった。あの後蓮くんとのことがなければ、先生に聞きたいことも聞けたかもしれなかった。

 そんなのは言い訳にすぎないけれど、ボソリと口にしてしまう。

「うまくいかなくて、何となくタイミングを失っちゃったんだもん…」

 今更本城先生に、改めてどう話を切り出せばいいのか分からない。考えるよりも先に行動するなんて、自分の得意分野でもなかった。

「…ふぅん」

 私の返事に呆れたのか、そうではないのか…。定かではない呟きをもらして、なっちゃんは小さく首を捻る。

 少し何かを考えるように黙った後で、再び怜悧な目を上げた。



「まぁ、俺や修司がお前に何を言っても無駄だってことはわかってるよ」

「……」

「こういうのは状況を知りすぎてる近い人間が何を言ったって、お前には慰めの言葉にしか取れねぇだろうし」

「……そんなことは…」

「いや、俺がそうだったから分かる」

 その時のことを反省しているのか、なっちゃんは少し苦い顔でそう言った。

 そして、「だから」と幾分か口調を強めて改めた。



「お前に、最後のチャンスをやる」

 何故か上から目線の口調で、なっちゃんはそう続ける。少しだけ冗談まじりにしようとしたのか微かに笑みを浮かべて、私の額を小突くような素振りを見せた。

「これで変われなかったら、もうどうしようもねぇな。俺よりタチ悪いわ、お前」

「…何それ」

 頬を膨らませて抗議する私に、なっちゃんはおかしそうに笑うと小さく肩を竦めた。



「理沙が予定より早く実家からこっちに帰ってくることになったんだ。だからお前も今週末うちに来いよ」

「え!? じゃあ奏くんにもう会えるの?」

 「あぁ」と頷くなっちゃんに「やったぁ!」と本気で喜ぶと、半ば呆れたような視線を向けられた。

「言っとくけど、奏に会うことが目的じゃなくてお前にとったら本気でラストチャンスだからな」

「はいはい」

 なっちゃんがどうしようとしているのかなんて、この時の私に分かるはずもなかった。

 ただあれこれと予想してもこの人の思考回路なんて私が想像できるはずもない。そう思った私は、ただ大人しく始まったばかりの今週が終わりに近づくのを待つしかなかったんだ。






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