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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
120/152

7 side:Ryoko


 和美ちゃんの学校の文化祭当日、私がそこに辿り着いたのは約束の時間よりかなり前だった。

 車は近くのコインパーキングに停め、前日までに間に合わなかったミスコン用の靴が入った袋を手にする。学校付近からもう近隣の人たちでにぎわっていたため、文化祭自体も盛り上がっているんだろうと思う。



「…広っ」

 校門を抜けたところで、一番にそんな感想を漏らす。私が10年近く前に通っていた高校は小さめだったので正直な気持ちが零れた。

 和美ちゃんに聞いておいたクラスの場所まで辿り着きたいけれど、広いし人は多いしでこれは少し苦労しそうな気もする。



 迷う前に貴弘でも見つけたいところだ。そんなことを思いながら袋を持ち直した。けれど私が一番に見つけたのは、貴弘ではない長身の影だった。

「本城せーんせ」

 声音を作って呼びかける。高めの声に振り返ったユキは、私の姿をその両の目に留めると小さく眉を寄せた。「…なんだその声」と呆れたように呟き、目を細めて私を見下ろす。

「和美ちゃんに届け物しに来たんだけど…あんたのクラスどこ?」

 周囲の人たちに一応聞かれないように、声のトーンを少しだけ落とす。必要以上に気にしなくても誰もこちらの話なんて聞いていないと思うけれど、教師が外部の女と話しているだけで興味を持つ生徒もいるかもしれない。

「迷いそうだから案内してー」

 言ってみたけれど、貴弘ほど優しさの欠片もない男は「やだよ」とかわいげのない答えを返してくる。

「お前と歩いてたら目立つだろうが」

「…まぁ、いつも怖ーい顔した本城先生が横に美人を連れてたら色々生徒たちに勘ぐられるわよね」

「………色々ツッコミたいところだけど、面倒くせぇなお前」

「じゃあ場所だけでも教えてよ。あっちの校舎? こっちの校舎?」

 目の前の2つの校舎を指差して尋ねたけれど、ユキは小さく首を振る。「その奥」と言いながら顎で指し示した方向からすると、角度的に見えない校舎が向こうに隠れているようだった。

「3階の奥から3番目だ」

「そう。ありがと」

 確かに、高校の文化祭を訪れる客なんて高校生や中学生、在校生の親世代や近隣の子連れなどがほとんどで、OBの大学生でもない私のような年代の女が1人でいることは珍しい。

 だからただでさえ浮きそうなのに、ユキと一緒に歩いていたら生徒たちは興味をひかれるだろう。それが分かったからユキが「面倒くさい」と言うのも分からないでもないし、私は教えてもらった場所へそのまま1人で向かうことにする。

 教えてくれたユキに軽く手を振ると、あいつはその時も少し面倒くさそうに片手を挙げ返した。



「3階3階っと…」

 呟きながらも人混みをすり抜けるけれど、目当ての校舎の前に辿り着くだけでも大変そうだ。何やら仮装した生徒たちが楽しそうに賑わっている中を「ごめんなさーい」と言いながら抜ける。

 大学のお祭り騒ぎよりはさすがに控えめだけれど、この様子じゃ和美ちゃんのいる教室に着く頃にはかなり疲れていそうだと思う。

 午後のミスコンまで、テンションを高めたままいられるかと考えると自然と苦笑いが零れそうだった。



 やっとの思いで校舎の前まで辿り着いた時、すぐそこを通った女子生徒が「成川先生ー」と声を上げるのが耳に入ってきた。

「…!」

 その声に私も顔を上げると、何やら走り寄った生徒と談笑している1人の男の姿が目に入る。和美ちゃんから名前を聞いてはいたから、すぐに「例の彼」だと察しはついた。

 眼鏡の奥の目を細め、穏やかな笑顔を浮かべている。和美ちゃんや修司からの話を聞いていなければ、恐らく私も「紳士的で好印象」を抱かされたかもしれない。

 でもその女性なら誰でも魅了されそうな笑顔とは裏腹に瞳の奥が笑っていないことも、少し離れて引いた距離感で見ている今なら分かる。



 和美ちゃんには、修司や私へのクレームがこの人のせいであるわけはないと話した。だけどそれは私の本心じゃない。

 彼女には責任を感じてほしくなかったし重荷にもなりたくなかったので言わなかったけれど、修司のこれまでの話を聞いていれば私にだってこの人が全ての元凶だとはすんなりと思えたものだった。

 そしてその予想は、今目の前の彼を見ていれば信憑性を増す。この人なら和美ちゃんを自分の元へ戻すためならそれくらいのことはしそうだと思う。



「……」

 楽しそうに笑っていた女子生徒が「じゃあね先生ー」と言って彼の元を離れるのを、私はその場で眺めていた。それに変わらぬ笑顔で手を振る彼の姿も。

 やがて彼女たちが校舎の中へ消えて行った後で、彼は踵を返して反対方向へ歩き出した。…そう、私がいる方向にだ。



「こんにちは、成川先生」

 すっとすれ違おうとした瞬間、立ち止まったままだった私はニコリと笑ってそう声をかけた。

「…」

 振り向いた彼は、私の顔を見ても無表情だった。…いや、それどころか、学校外部の人間に接する時のような、無害な顔。

「こんにちは。…えっと、うちの生徒の保護者の方でしょうか…?」

 思ったより声は高すぎず低すぎず、心地良いテナーボイスだった。整った顔に似合う薄い唇がそんな言葉を紡ぐものだから、私は失笑をこらえるように唇の端を持ち上げた。



「これだからお勉強ばかりしてきた人間はイヤね。『資料』や『情報』ばかりで頭がいっぱいで知識は豊富だけど、実際に現場には向いてないタイプでしょ、あなた」

「!? ……」

 私がニヤッと笑って言った瞬間、彼の方はそんな言葉だけで全てを理解したようだった。やっぱり頭の回転は期待以上に速いけれど、どうしても坊ちゃんぽさが抜けないのはこういうところだ。

 少し目を見開いて私を見下ろした彼は、だけどすぐにスッと表情を変える。周囲にまとっていた人当たりの良いオーラのようなものが、一瞬で冷えていくのが分かった。



「…仲村…諒子さんですか。いえ、今は小塚さんでしたね」

「そう」

 目を細めた彼の冷め切った表情を見て、私は反対にニッコリ微笑んでみせる。

 それから、長い髪をかきあげると自分より少し背の高い彼を見上げた。



「自分が罠をしかけて陥れた女の顔くらい、覚えておいてくれない?」

 嫌味で口にしたそんな言葉に、成川蓮の表情が黒い「無」に変わっていくのを私は見逃さなかった。




******



「…わざわざ俺に声をかけてくるっていうことは、話があるんですよね」

 冷静な「先生」に促されて、別の校舎の…文化祭でも使われていない「資料室」に入った。

 そこで窓側に立った彼は、私を見てそう尋ねる。静かな声音は不気味でもあったけれど、私には何の効果もない。

「別に、話があるってほどじゃないわ。声をかけたくなっただけ」

 入ってすぐのドア側に立ったまま、私は小さく首を傾けて答える。部屋の両サイドに分かれて立ってはいたけれど、そもそもその資料室は数畳分の広さしかないので距離的にはさほど離れてはいない。

 ドア近くの棚にもたれかかって、私は微かに口元に笑みを湛えた。



「随分と陰険なことしてくれたじゃない。そのうちお礼しなきゃとは思ってたんだけど」

「…お気になさらず」

 嫌味に嫌味で返し、何の感情もないように彼は冷めた目でまっすぐ私を見つめ返す。

 言い訳や反論をするわけではなく、ごまかすわけでもない。ただ自分のしたことを否定もせず無言で認めている辺りがまだ青臭いとは思った。

「でも残念ね。確かに大きなクレームを受けて謹慎なんてことになったけど、それは対外的な体裁を取り繕っただけであって、会社だって私を本気で処分するつもりなんてないわよ?」

 それは真実だった。成川蓮に差し向けられたクレーマーが大騒ぎをするし、私がクレームの内容にあるような行為をしていないという証拠もないから会社だって無視はできない。

 だけど、何年真面目に働き続けてきたと思っているのか。今更こんなことで即座にクビを切られたり降格させられたりするほど適当なことをしてきたつもりはない。

「…あなたはそうでも、小塚さんの方はそういうわけにはいかないでしょうね」

 腕を組んだ態勢で、彼は吐息まじりにそんなことを言う。思わず鼻で笑って、私は首を竦めた。

「まぁね。おかげさまで修司は苦労してるみたい」

「それは良かった」

 その言葉は今日初めて聞けた彼の本音だと思った。だがそれすらも私の背筋を凍らせるほどでもなく、逆に笑ってしまう。

「先生、おもしろい人ね」

 思わず楽しそうに笑って言うと、彼は本気で不本意だったのか初めて眉を顰めて返した。



「で、先生何がしたいの? 私と修司の仲を裂いたからって和美ちゃんがあなたのところに帰ってくるわけじゃないでしょ?」

「…あなたには関係ないことです」

「先生がそれを言うの?」

 関係づけさせたのは誰だ。確かに元凶はあんな嘘をついた修司だけど、私までをも巻き込んだのは成川蓮本人のはずだ。



「先生、よっぽど余裕がないのね」

 揶揄するような言葉に、彼はピクリと眉を持ち上げた。和美ちゃんに聞いていた黒いオーラが目に見えるようだ。だけど私はそんな気配に彼女のように怯んでしまうほど純粋でもない。

「だからいつまでたっても、先生は『あいつ』に敵わないのよ」

「……逆にお聞きしますけど、随分和美の肩を持つんですね。あなたにとったら恋敵じゃないんですか」

「本気で言ってるの? それ」

 聞いてはいたけれどおかしくなって、私は声を上げて笑った。私の言う「あいつ」を修司と勘違いしているらしい彼の言葉が滑稽で仕方ない。

 そして本気で笑う私に、さすがにカチンと来たのか冷静だった彼の表情が目に見えて曇っていくのが分かった。…ほら、こんな安い挑発に乗る辺りがユキより甘い。



「先生がそうやって暴走しているうちは、和美ちゃんは絶対あなたのことなんて好きにならないわよ」

「……」

「あなた、彼女の言葉に耳を傾けたことある?」

「……当然でしょう」

「あらら、無自覚か。そりゃそうよね」

「…っ」

 一瞬言葉を失った彼だったけれど、さっきまでより露骨に私を睨み据える。どうやら彼の中の、踏み込まれたくない地雷を思い切り踏んだらしい実感を得た。



「気に入らないなら、何度でも言ってあげる。『和美ちゃんは絶対あなたのことは好きにならない』」

 強調するように語気を強めて言って、私はもう一度ニッコリ笑う。

「だから余計なことやめて、彼女のことはもうそっとしておいて。…あと、できれば私と修司のことももう放っておいてくれない?」

「……」

「先生さぁ、今日午後からのミスコン見るんでしょ? それに出る和美ちゃんを見たら、少しは自分にとってもったいないってこと理解できるんじゃない?」

「…るさい…」

「周りの男だってきっと虜になっちゃうくらいキレイよ? 和美ちゃんにとったら、あなたじゃなくても男はいくらでもいるもの」

「うるさい!!」

 初めて冷静さを失った彼が、口を大きく開けて怒鳴った。それから怒りに肩を震わせ唇を噛み締める。どうやら本当はこの先生にだって和美ちゃんが自分になびくはずがないことは分かってるんだ。

 だからこそそこを突かれたくないのだろう。それが分かった上で、私はこの時初めて表情から笑みを消した。真剣に彼を睨み据えて、射抜くように捕らえる。



「あの子は純粋なの。優しさのかたまりだし、まだ真っ白。…あんたのドス黒さで汚さないでくれない?」

「……っ」

「言いたいことはそれだけ。じゃあね~」

 最後にはもう一度軽く笑って、手を振る。カップルや夫婦は似てくるとよく言うけれど、この時ばかりは自分でも修司にそっくりだと思った。

 そのまま身を翻してすぐ傍の扉に手をかけた私に、成川蓮はそれ以上何も言うことはなかった。



「…やばい、結構楽しいかも」

 資料室を出て元来た道を戻りながら、私は小さく呟く。坊ちゃんくささと青臭さは、修司が「若い」と評していただけのことはある。

 そこを突くのが楽しいと思える辺り、自分も十分重症だとは思うけれど…。



 和美ちゃんにはこの前、どうして成川蓮みたいな男と付き合ってたことがあるのかと尋ねた。けれど今なら何となく分かる気がする。

 多分彼は、「放っておけない」タイプなんだ。大人に見えて完璧を装っているけれど、中身は未熟で脆い。



 そう思うと私からしたらユキは尚更かわいげがないし、和美ちゃんがそんなあいつを忘れられず成川蓮と決してヨリを戻さない訳も分かる。



 そんなことを考えながら、私は少し軽い足取りで当初の目的だった和美ちゃんのいる教室へと向かった。







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