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Sweet&Bitter  作者: みずの
降っても晴れても。
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8 side:Yukisada


「この前言ってた先輩の『イライラ』の原因って…和美ちゃん?」

 白石を浴室へ追いやった直後、ニヤニヤした笑みを浮かべながら拓巳がそう尋ねてきた。

「……」

 この時までずっと吸っていなかった煙草に火を点けながら、俺は「…まぁな」と小さく答える。長年の付き合いで隠してもごまかしても無駄だと知っているからだ。


「…ちょっと先輩、私と2人きりになった瞬間に煙草吸うってどうなんですか。私に失礼でしょ」

「……はぁ?」

「だって先輩、昔から好きな女の子とか付き合ってる子の前ではあんまり煙草吸わないですもん」

「……被害妄想だろ。気にしすぎだ」

 答えて、俺はふーっと息を吐き出した。


「でも先輩、その癖、和美ちゃんの前では辞めた方がいいですよ」

「…?」

「だって先輩、どうせ学校でもスパスパ吸ってるんでしょ?急に和美ちゃんの前でだけ吸わなくなったら変だもの」

「……ご忠告どうも」

 壁にもたれかかりながら、俺は拓巳の横に並びながら流すようにそう応じた。




「…と、いうことはー」

 俺の隣でわざとらしく人差し指を立てながら、拓巳は探偵さながらのようなポーズを取る。横目で俺をチラリと見てから、またあの嫌なニヤッとした笑いを口元に浮かべた。


「先輩、認めたんですねー。彼女のこと好きだって」

「……」

 ……しまった、と思ったけれど、敏い拓巳にはやはりごまかしたって無駄だった。

「でも噂通りすっごくキレイな子ですね、和美ちゃん。びっくりしちゃった」

 美人は美人なのだろうけれど、俺は別にそこで好きになったわけじゃない。だから、「そうか?」と受け流すように短く返しただけだった。


「美人ですよー。先輩の学校の生徒ってカワイイ子多いですねぇ」

「…って、他に誰か知ってんのか?」

「愛海ちゃん」

「…あぁ」

 拓巳の弟の彼女である女子生徒の名前に、俺は小さく相槌を打つ。

「あと、ハルカちゃん」

「…夏川?」

 眉間に皺を寄せて、俺は尋ね返した。


「会ったことあんのか?」

「今日のお昼頃、初めて会いました」

「ふぅん?」

「街中で転んで、彼女にアイスコーヒーぶちまけちゃって」

「………何やってんだ、お前」

 えへへ、と笑う拓巳に、俺は呆れたようにそう言う。

「迷惑かけた相手が貴弘のクラスの生徒で助かりました。しかもすっごくイイ子だったし」

「そうか」

 短く応じて、俺は小さく頷いた。



 目を細めて煙草を吸い、「そういえば」と改めて隣を横目で見やる。

「その貴弘はどうした?ここまで来てんだろ?」

「下で車の中で待ってるって。女の子が着替えたりメイクしたりするわけですからねー」

 そこでようやく、拓巳は手にしていた携帯電話をパカッと開いた。どうやら電話やメールをするわけではなく、時間を確認しただけのようだ。


「じゃあ、先輩もそろそろ出て行ってもらえます?着替えた和美ちゃんが出てきにくいだろうし」

「ってお前、とんでもない服持って来たんじゃねぇだろうな」

「そんな、女子高生にとんでもないもの着せるわけないじゃないですか」

 しらっと拓巳は答えたが、それがどこかうさんくさい気がした。肩を竦めて、俺は煙草と共に携帯灰皿を手に壁から身を起こす。

「用意できたら降りてこいよ」

 鍵を渡して、一足先に玄関から外に出た。





 もうすぐ夕方になるからか、日が少しずつ傾き始めていた。不必要なほど明るいオレンジ色をたたえるそれに、俺は眩しそうに目を細めた。


 慣れた足取りでアパートの階段を下りると、俺の車の隣に一台グレーの車が停まっている。見覚えのあるその車の中には、運転席でシートを倒して眠っている貴弘の姿があった。


「……」

 窓ガラスをコンコンと軽く叩くと、本当に眠っていたのか目を閉じていただけなのかはわからないが、貴弘がゆっくりと目を開いた。外に俺の姿を捉えて、シートごと身体を起こす。

「よう」

 ドアをガチャっと開けて、地面に降り立った。



「使ってくれるじゃねぇか、人の嫁を」

「なんか都合悪かったか?」

「いや、全然」

 とりあえず最初には因縁をつけないと気が済まないんだろうか。笑いながら、貴弘は首を振ってそう答えた。




 その後、どうせ鋭いこいつのことだろうから拓巳同様、俺の感情の変化に気づいてからかってくるだろうと覚悟していた。だがそんな予想に反して、貴弘は口うるさい教頭がどうだのこうだのとくだらない話を2,3しただけで特に白石のことを口にしたりはしなかった。

「……」

 互いに煙草を吸いながら、たまに短い沈黙が下りることもある。それでも貴弘は、からかうどころか何かを尋ねてくることもなかった。



 そうだ、しばらく忘れていたけれど…こいつはこういう奴だ。俺が自分の想いに自覚していなかったりすればからかったり意味深なセリフを寄越してきたりする。それでも本気になったと分かれば、それについてどうこう言うほど無神経な男ではない。



「……気持ち悪ぃな」

 俺に対する貴弘の気遣いなのだろうが、思わずポロリとそんな感想が唇から零れ落ちてしまっていた。

「はぁ!?」

 急に俺が失礼なセリフを吐いたせいで、貴弘はこの上ないくらいに眉を顰めて顔をゆがめる。

「いや、別に」

 笑って首を振って返し、俺は吸っていた煙草を携帯していた灰皿でギュッと消した。



 その時、だった。



「先輩、お待たせー」

 アパートの二階でドアの開く音がして、そちらを振り返った瞬間に拓巳の声が降ってくる。鍵を閉めながら手を振る拓巳の隣で、白石が困惑したような表情でこちらを見下ろしていた。…いや、というより、何か気まずいらしく目線はわずかに逸らしていたけれど。



「おう」

 短く応じて、俺は貴弘の車から離れて隣の自分の車の方へ移動する。白石の方には、一瞬目をやったがすぐにこちらも逸らしてしまった。制服じゃなければいいと頼んだだけなのに、拓巳のやつが不必要なほど化かしてしまったからだ。学校で会っている「生徒」というよりは、去年の入学式前に会った時の大人っぽい印象だった。


「へぇ、化けるなぁ」

 俺がその姿にコメントできないでいることが分かったからだろう。貴弘が、代わりに白石をからかうようにそう声をかけていた。貴弘までここにいることを知らなかった白石は、その姿を捉えて驚いて目を見開いている。そして階段を降りてきて、しばらく貴弘と拓巳と楽しそうに話をしていた。




 そんなあいつらが車で走り去るのを見送った後、俺は白石を自分の車の助手席に乗せる。最後に拓巳と何事かをヒソヒソと話していたようだが、そのせいかどこか茫然としているようでもあった。

「…どうかしたか?」

 運転席に座りながら、俺はそう尋ねる。鍵を差し込んで回すと、いつも通りエンジンのかかる重低音が響いた。


「先生、何で最初に言ってくれなかったんですか?」

「…何を?」

 尋ね返さなくても白石の言いたいことは何となく予想できていたが、俺はあえて聞き返す。いつもは下ろしている長い髪を巻いて少しアップにしている白石は、その髪を手で直しながら続けた。

「理沙さんが、なっちゃんの奥さんだってことです」

「言わなかったか?」

「言いませんでした」

 しらばっくれて、俺は笑う。白石がシートベルトをしたのを確認してから、車を前方へ発進させた。


「せめてフルネームで紹介してくれたら、私でも予想できたかもしれないのに」

「『拓巳』だって紹介しただろ、初めに」

「だって理沙さんの苗字は『名取』ですよね?」

「俺と知り合った時は『拓巳』だったんだ」

 子どもみたいな言い訳をすると、ようやく白石も思わずといった感じでプッと吹き出す。


 それから、「大人で美男美女でお似合いですね」と2人について感想を漏らした。

「そうか?俺から見たらあいつらガキだぜ。美男美女かどうかは知らねぇけど」

 答えると、白石は何がおかしかったのか声を上げて大笑いしていた。






 車を走らせたのは1時間ほどだった。その間に白石が「どこに行くんですか」という質問をしたのは、意外にもたった1度だけだった。もっとしつこく尋ねられるかと思っていたけれど、その1度目に「着いたら分かる」と返事をしたせいかもしれない。俺の一言で、それ以上聞いても答えが得られないと分かったんだろう。



 最近行っていなかった道を行くと、以前の記憶通りに駐車場があった。そこで車を停め、白石を降ろす。車から降り立ったあいつは、どこへ連れてこられたのかと少し周りをキョロキョロとしていた。

だがそこに不安そうな表情はなく、どちらかというと好奇心の方が強いようだった。



「白石、こっち」

 放っておくと周りを見渡していてついてこなさそうな白石に声をかけ、俺は屋外の駐車場を出て歩き出す。家2,3件分歩いた先に、その入口はあった。地下へと続く細い階段。更に薄暗いそれは、女子高生なら不安になりそうなものだ。

 だが振り返った俺を見る白石はニコニコ顔で、どうやらそんなものとは無縁なようだった。俺が教師じゃなかったら、ここまで全面的に信頼されたかどうか怪しい。



 階段は段差が高いのと幅が狭いのとで、白石は下りる時に少し怖がっていたようだった。2、3段ほど先を行きながら、手を差し出してみる。それに掴まるように握り返してから、白石は困ったように首を傾げた。

「…先生、あんまり早く下りないでくださいね」

「そんなに怖いか?階段が」

「いえ、そうじゃなくて…あんまり先に下りられて振り返られると…」

 言われて、俺は白石が何の心配をしているのかそこでようやく気づく。

「アホか、お前。余計な心配すんな」

「だって、私普段こんなミニスカート履かないから…!」

 恥ずかしさからなのか泣きそうな声で言う。それに苦笑いを返してから、俺は繋いだ手はそのまま、できるだけ後ろを向かないようにして階段を下りた。



 一度180度折れるその長い階段を下りると、そこには一つの重厚なドア。それを押し開くと懐かしい匂いと共に感覚が蘇ってくる。


 酒と煙草の匂いと、澄んだ音。薄暗い店内を照らすのはオレンジ色の照明だけで、そこには独特の世界観がある。隣の白石を振り返ると、あいつはドアを開けた瞬間に「わぁ…!」と嬉しそうな顔で目を輝かせていた。



「先生、ここって…!」

「俺が大学の時によく来てた、ジャズバー」

 ステージには一台のグランドピアノ。まだ始まっていないが、今日はどうやらトリオの演奏があるらしい。ピアノの隣にドラム、そしてウッドベースが用意されていた。



「ユキ…!?ユキじゃん!」

 客はまだまばらにしか入っていない。そんなバーのテーブル席に座ろうかと思っていたら、ふとそんな声に呼びかけられた。ジャズバーという静かに音楽を愉しみたい空間で、こんな不似合いな声を張り上げるのは…。


「修司?」

 振り向くと、バーテンダーの格好をした小塚修司がそこに立っていた。




******



「修司、アルコールなしでドリンク2つ」

 テーブルに案内されてそうオーダーすると、修司は「了解」と言って二ヤッと笑った。それから俺の隣に座った白石の方を向いて、人懐こい笑顔で話しかける。

「はじめまして、小塚修司といいます。ユキの大学時代のサークル仲間で、今はバーテンダーやってます」

「あ、白石和美です」

 慌ててぺこっと白石が頭を下げると、案の定修司は今度は馴れ馴れしく俺の肩に腕を回した。

「めっちゃかわいい子じゃん!どこで知り合ったん?」

「手出すなよ、うちの生徒だ」

「え、って君、じゃあ高校生!!?」

 驚いて修司が再び白石を振り返ると、あいつは少し困ったように小首を傾げている。

「…見えませんよね、やっぱり。昔から老けてるって言われてて…」

「え、いや、違うっ。大人っぽいってこと!キレイだから!」

 慌てて言い直す修司に、白石は気分を害した様子もなくニッコリ笑って返した。……その笑顔は恐らく、大体の男にとって反則だろう。



「ってユキ、生徒連れてくるって…どんな教師だよお前」

「うるせぇな、早くドリンク持って来いよ」

「お前が女の子連れてくるなんて珍しいと思ったんだよな」

 感心したように言いながら、修司はゆっくりと立ち上がる。その言葉にどこか嫌な予感が胸をよぎったけれど、俺が制止するより早く修司がセリフを継いでしまっていた。


「昔っから自分の女がここに来るの嫌がってたのに…。一回由香子さんとか、めっちゃお前に怒鳴られて…」

「修司!」


 何気なく口にした言葉だったんだろう。しばらく俺の周囲では誰も出すことのなかった名前に、思わず修司の名を怒鳴りつけて制していた。

「あ、悪ぃ…」

 口をついて出てしまっただけだった言葉を後悔して、修司は我に返り唇を引き結ぶ。

「ごめん、和美ちゃんも。気にしないでね」

 繕うようにニッコリ笑ってから、修司は今度こそカウンターの向こうへと消えていった。



「……」

 修司が去ってからも何となく沈黙が落ちてしまったが、何かを弁解するにもおかしい気がしたので、俺は白石にかける言葉も見つからずにいた。場面を取り繕うにもいい話題がとっさに出てこず、黙り込んでしまう。


 だけどそんな状況を打破したのは、白石の方だった。

「先生、もしかしなくてもあそこのステージで生の演奏が聴けるんですか?」

 店内の雰囲気も気に入ったのか、辺りを見回しながらそう尋ねてくる。「あぁ」と短く返すと、白石は楽しみに待つ子どものようにパァッと顔を輝かせた。

「私、生でジャズ聴くの初めてですっ」

 俺に気を遣っているのか、それともさっきまでの会話に全く興味がないのか…。どちらかは分からなかったけれど、白石はさっきの修司の言葉に気にしている素振りはなかった。



 ……当たり前、か。



 馬鹿馬鹿しい感情を抱きそうになり、俺は小さく頭を振る。




 修司がドリンクを持って来る頃、店内に客が増え始めた。そしてそれを見計らって、2人の男と1人の女がステージに上がる。神経質そうな色白の眼鏡の男はピアノに、坊主のごつい男はドラムの前に座った。真紅のドレスを着た女は、その細い体に不似合いなほど大きなウッドベースを慣れた手つきで軽く持ち上げる。



「はじまるぞ」

 ステージを顎で示すと、白石は口元で両手を合わせながら、キラキラした目でそちらを見ていた。それを見やってから俺もステージ上の3人に集中すると、意識はすぐに前方から押し寄せる音の波に飲まれていった。





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