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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
118/152


 その日携帯電話が着信を知らせて点滅したのは、夜になってからだった。

『和美ちゃん? 今日はごめんね』

 開口一番、諒子さんはそう言う。先に帰ったのは私なのに気にしてくれていたらしい。だけどそう言う彼女の声は少し疲れているようにも聞こえた。

「いえ、こちらこそすみません。先に帰ってしまって…。…あの、大丈夫ですか?」

 ためらいがちにそう尋ねると、電話の向こうで諒子さんは少し苦笑いを浮かべたようだ。

『うん、大丈夫。心配しないで』

「でも…身に覚えのないクレームで、結構大事になってるって…」

『…熊野さん、そんなこと言ったの? まったく…。本当にこっちは大丈夫よ』

 こちらに気を遣わせないようにそう言っていることは分かる。仕方ないなと言わんばかりに笑ったその声は、いつもより掠れて聞こえた。

 だからこそ、黙っていられなかった。私のせいで諒子さんと修司さんがそんなことになっているということを。

 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら何とかこちらの事情を説明する。だけど諒子さんは、聞き終えても朗らかに笑い飛ばしただけだった。



『和美ちゃん、本気でそんなこと信じてるの?』

「…え……?」

 諒子さんの意外な返答に、私は思わず目を見開く。



『修司と私のクレームが重なったのは、たまたまよ。いくらなんでも一介の社会人に、そこまでするなんてできないわよ』

「…っ、でも…!」

 あの蓮くんなら、やりかねない。そう言いかけたけれど諒子さんはそれすらも遮る。

『和美ちゃんは気にしすぎよ。偶然私と修司の運が悪かっただけ。あなたが謝ることないんだから』

「……」

『そうね、でも一つだけ言わせてもらうと…和美ちゃんがそこまで怖がるような人、どうして過去とは言え付き合ってたの?』

 揶揄するような声は、さっきまでの疲れを感じさせないように明るかった。

 だからこそ、私は次の言葉が継げない。彼女がこちらにこれ以上気負わせないようにわざとそうしていると分かったからだ。



『それはそうと、ドレスは明日か明後日にでも届けに行くわね。時間をみて、また連絡する』

「すみません…」

 そう言えばドレスも置いてきたままだった。恐縮しまくりで電話の向こうに向かって何度も頭を下げてしまう姿は、誰かが見ていたらきっと滑稽だっただろう。






 そして後日、結局諒子さんは大きなクレームを起こしたとして謹慎期間を設けられることになったらしい。

 修司さんの方は、事務所ごと提訴されるかどうかという瀬戸際らしくろくに連絡を取ることもできない。

 自宅で暇を持て余しているという諒子さんとは何度か電話で話をしたけれど、彼女は相変わらずあっけらかんとしたものだった。

『まぁずっと休んでなかったしね。いい機会になったわ。それより、文化祭は必ず行くから』

「え…っ、謹慎中じゃないんですか?」

『会社だって監視してるわけじゃないし。修司は行けなそうだから、その代わりに和美ちゃんの写真撮らなきゃ』

「修司さん…大丈夫ですか?」

『大丈夫大丈夫。私も修司も普段から仕事っぷりで言えば信頼はされてるんだから。ただやっぱり文化祭は行けそうにないって残念そうにしてたけど。それより、和美ちゃんは? 例の先生とは大丈夫?』

 蓮くんとは、あれから極力顔を合わせないようにしている。

 これ以上心を揺さぶられたくなかった。変に情緒不安定になると、後悔する選択をしてしまいそうだったから。

「…大丈夫…です」

 弱々しく答えてしまったのは、ここ数日の自分を振り返ってしまったからだった。

 本城先生とも、話どころか目すら合わせていない。それは先生の方が私を避けているとかではなくて、私の方の問題だ。ただ私が、ウェディングパーティーであんなことがあった後でも普段通りに話なんてしてしまえば変に救いを求めて縋ってしまいそうだったから。

 なっちゃんは文化祭の多忙さと生まれたばかりの奏くんのお世話で大変だろうし、心配をかけたくない。

 そんな風に結局私は、蓮くんの言葉通り修司さんや諒子さんのために何もできない無力さを思い知らされる日を送るだけだった。




 そうこうしているうちにあっという間に週末になり、文化祭当日を迎えた。

「和美かわいい~~!!!」

 朝から紅いチャイナドレスを着て茜に髪を結わいてもらうと、クラスの女子がそんな声を上げてくれる。

「ありがとう」

 にっこり笑って返事をしたけれど、女子の誰もがかわいらしく着飾っていると思う。チャイナドレス姿なんてなかなか見れないから新鮮だ。

「和美は午後からミスコンあるから、午前が店番だっけ?」

 タイムスケジュールの紙をめくりながら、智子がそう尋ねてきた。こちらも普段見られないような、パッチリメイクだ。

「うん。智子と茜もだったよね?」

「そう。だからミスコンは必ず見に行くよ。で、ドレスは間に合ったの?」

「うん。あ、でも靴が間に合わなくて…今日諒子さんがミスコン前に持ってきてくれることになってる」

 ミスコン出場者は体育館脇の部室長屋に控え室が用意されていて、今朝ドレスはそこに置いてきてある。後足りないものは正午前に諒子さんが届けてくれる段取りだった。

 そんな話をしているうちにクラス中が準備を終えていた。

 室内にはチャイナドレスで女装した男子たちもいるので、明らかに異色で違和感が拭えない。意外に私たち女子よりもかわいいんじゃないかと思える男子もいて、一部が沸き立つように盛り上がっていた。

 そんな中、文化祭が開始され一般客が入ってくる放送がかかる。それを期に割り振られた定位置に着いた。智子は食券売り、私と茜はカフェのホールだ。



「そう言えば、由実は?」

 ふと尋ねると、茜は小さく苦笑しながら「校門」と答える。

「由実は当番、午後からだから…。朝イチで今日の特別イベントの相手が来てくれるらしくて、迎えに行ってるみたい。午前中は校内を案内するんだって」

 そうだ、確か由実は他校のイケメンにイベントの紙を受け取ってもらえたんだった。

「じゃあ今頃浮かれてるだろうね」

 恋愛に疎いとは言え、イケメン好きの由実だ。軽くスキップしていてもおかしくはない気がする。

「そう言えば由実のその相手、茜は知ってる人なの?」

 まだお客さんがちらほらしか入ってこない。その少ない客もはりきっている他の女子が接客してくれているため、私と茜はメニュー表を弄びながら隅の方でそんな話を続けていた。

「それなんだけどね…教えてくれないの。しかも由実がそんなに浮かれるようなイケメン、うちの中学にもいなかったし…」

 由実と茜は中学から一緒だ。彼女なら知っているかとも思ったけれど、由実はどこまでも隠したいらしい。

「当日のお楽しみって言ってたよ。多分私たちに自慢しに来ると思う」

「由実らしいね」

 窓枠近くに立っていたせいか、すぐ外側の廊下を通った1年生女子の「きゃあ! 白石先輩かわいいー!」と上げる声が開いたその窓から聞こえてきた。

 ニコリと笑って手を振ると、更にキャッキャしてくれるのでかわいい……けれど、その1年生に見覚えはなかったりする。



「智子も裕貴くんが来るし…。茜、後夜祭のイベントの時間は2人寂しく大人しくしてよっか」

 そんな話題を振りながら窓枠にもたれかかると、すぐ近くの食券売り場にいた智子から「和美! やる気なさすぎ!」と罵声が飛んできた。

 慌てて姿勢を正して苦笑いを浮かべると、隣の茜は「……あの…実は…」と何か言いにくそうに口をもごもごさせる。



「?」

 首を捻ってそれを見やると、なぜか真っ赤になった茜が「…あのねっ」と再び顔を上げた。

「実は……昨日、やっぱり勇気だそうと思ってあのイベントの紙……持って行ったの」

「……え?」

「そしたら…自分でもびっくりしたんだけど…受け取ってもらえて……」

「えぇぇぇ!!!?」

 ぼそぼそと小声で喋る茜とは正反対に、私は思わず大声を出してしまっていた。

 店内にいたクラスメイトとお客さんが、「何事か」と振り返る。智子に至ってはジロリと睨むようにこちらを見ていた。

 それに取り繕うような笑顔を浮かべてから、私は慌てて声のトーンを落とす。

「受け取ってもらえたって……柴田くんに!!?」

「…う、うん…ごめんね、和美…」

「何で謝るの!!? 良かったじゃない! 頑張ったね茜…!!!」

 思わずかわいい茜をぎゅっとハグしてしまう。直前まで柴田くんのところへ行くのを諦めていた彼女を知っている分、余計に自分のことのように嬉しかった。

 労いの言葉を受けたせいか嬉しさの余りか、茜は真っ赤な顔で少し泣きそうに目を潤ませていた。

 そんな時にどっとお客さんが増えて来たので、茜はさっと溢れそうだった涙を拭って「いらっしゃいませー」と広い店内に戻って行く。

 それに習うように私もホールに向かって、お茶を飲みに来てくれた他のクラスの生徒たちをもてなした。お客さんが入りだすと廊下を通る他の人たちも気になるのか、やがて列を成すほどの繁盛店になっていく。



 女子のかわいいチャイナドレス姿はもちろん、ウケ狙いな男子の女装姿をカメラに収めて行くお客さんも少なくない。

 私も何故か何人かのお客さんに写真を頼まれ、慣れないカメラの前で何度も笑顔を向ける羽目になった。ミスコンに出ることを知っている生徒もいるようで、1年生なんかには「頑張ってください」なんて応援までしてもらえた。


「あ、和美いたっ」

 やがて店内の忙しさにも慣れて来た頃、そんな声をかけられた。

 去年同じクラスだった3人の女子で、どこか興奮しているように顔を赤くしている。走ってきたのかもしれない。

「ねぇねぇ! さっき由実見かけたんだけど…由実が一緒にいるイケメン誰っ!!?」

 振り向きざまにまくしたてるように尋ねられ、私は目を数回瞬かせる。

 やはり由実は朝イチで例のイケメンくんに合流したようだ。

「さぁ…私たちも聞いてなくて…」

 そう答えようとした瞬間、係でもないのにクラスに居残っていた男子が「あ、それさぁ」とすぐ近くで声を上げる。

「俺らもさっき見た見た。由実が由実のくせに男前連れてた」

 男子から見てもそんな風に評されるということは…これは相当なのかもしれない。そうだとすると由実はスキップくらいでは治まらないんじゃないだろうか。軽くジャンプの連続くらいはしていそうだ。



「…怪しい」

 不意に食券売り場の智子が、椅子に座ったままそんな呟きを漏らした。

「由実がそんなイケメン連れるわけないじゃん? 大体、そんなのと知り合いだったらうちらが知らないわけないじゃん」

「そうだけど……」

「…おもしろくない。私ちょっと由実探してくる…っ」

「え、智子!!?」

 そう言って立ち上がりかけた智子だったけれど、本音は単にイケメンが見たいだけに違いない。それか何かの口実で係を逃げ出したかったか。

「どこ行くんだ、松浦」

 智子がまさに教室から飛び出そうとしたその瞬間、はるか頭上から低い声が降ってくる。

 それに目線を上げた智子は、「……えへ、本城…」とワケの分からない笑みを漏らしながらごまかそうとした。



「係だろ、お前。逃げんな」

「チャイナドレスの女装から逃げたのはどこのどいつよ」

「うっせーな、いいから座れ」

「しかも開始時間から教室にいなかったくせにー」

「今来たんだからいいだろうが」

 いつも通りのスーツ姿で、先生は「ふん」と鼻であしらう。さすがにチャイナドレスは最後まで拒否したようだ。

「離してー行かせてよー今由実の連れてる男がイケメンかどうか確かめないと後悔する!」

「意味わかんねぇ。江口ならさっき見かけたぜ。確かに男と一緒だったな」

「それイケメン!?」

「さぁ。周りの女が結構振り返ってたんだから、そうなんじゃねーの」

 興味なさそうに答えて、先生は智子がもう一度椅子に渋々座ったのを見やってからグルリと教室内を見渡した。その瞬間に合いそうになってしまった視線を、私は思わずパッと逸らしてしまう。

「結構繁盛してんな」

「本城が来たらその怖い顔でお客さん逃げちゃうよ」

 脱走を阻止されたせいか智子が八つ当たりもいいところな言葉を返した時だった。廊下の方から教室を覗いた由実が、「あ、智子ー!」と声をかけてくる。

 まさにタイムリーに現れた由実に、思わず私や茜もそちらを見やる。室内の誰もが由実の大声に振り返っただろう。そしてそれと同時に、彼女の隣に立つ人物の姿に、噂通り周りの女の子がざわざわしだすのが聞こえた。



 だけど、私たちはそうじゃなかった。智子と茜、そして私は思わず絶句してしまう。そのリアクションに由実だけは満足そうにニヤッと笑ってみせた。



「…っ」

 声を出すこともできずに口を開いたまま制止した私と、驚きながらも笑ってしまった茜。そして、そんな中智子が一番に立ち直って大声を出した。

「…祥太郎…!!」

「久しぶりー、智子さん」

 由実と一緒に今日のことを企んでいたのか、彼女と同じように満面の笑みを浮かべた祥太郎がそこにいた。

「あは、和美ぃ、びっくりした? いやー、この前駅で久々にばったり会ったら今日来るって言ってたから、誘っちゃった」

 ハートマークか音符でも付きそうな浮かれた声で言って、由実は私を見やる。

「由実~っ、何で連れて来るのよ…っ」

 クラス中がこちらを見ているのが分かる。何が…っ、どこがイケメン!? 私はそう思ってしまうのに、女子たちの好奇の目はどうしたって目の前の祥太郎に注がれているのが分かる。

 ここで追い出せば良かった。だけど祥太郎が言葉を継ぐ方が早い。

「怒ってばかりだとお客さん逃げるよ、姉ちゃん」

 その瞬間の室内のざわつきと言ったら半端じゃなかった。遠巻きに見ていたうちのクラスの女子たちも、「和美の弟…!!?」「どうりで美形!」なんて嬉しくない声を上げる。

 一連の流れを傍で眺めていた先生ですら、この時はわずかに目を瞠ったようだった。由実もそれが分かったのか祥太郎を指差して先生を見上げる。

「ユキサダ、この子和美の弟ー。で、祥太郎、こっちの顔怖いのがうちらの担任」

「…由実…っ」

 『担任』のところを強調したのは、祥太郎が私と先生の関係を知っているからだ。

 暗に元彼を弟に紹介された形になって思わず抗議しかけたけれど、祥太郎は先生に向かってニコリと笑ってみせた。

「白石祥太郎です。姉がいつもお世話になってます」

「……どうも」

 多少の驚きはさほど動揺を促すものでもなかったのか、先生はもういつものポーカーフェイスでそれに答えた。

 …絶対、絶対家に帰ったら「男の趣味悪い」とか何とか言われるに違いない。



「…最悪…」

 弟が来るだけでも嫌なのに、その上これはない。

「祥…っ、大体あんた、今日友達のところに泊まりで受験勉強合宿って言ってたじゃない…っ」

「そんなの1日中やるわけないじゃん。夕方からだよ」

 平然と答えた祥太郎が、私のことはろくに相手にせずに智子の方に向き直る。

「智子さん、おススメのお茶セット2人分お願い」

「はいよ」

 さらっと言ってポケットから財布を取り出した祥太郎を、由実が慌てて制止した。

「え、いいよ…! 今日は私が誘ったんだから私がおごるよ!」

「大丈夫。これくらいさせてよ男なんだし」

 ニッコリ笑って言う祥太郎に、周りの女子たちが「ほぅ」っと深い吐息を漏らすのが聞こえてくる。「できた弟さん…」なんて誤解もいいところな感嘆の声が耳に入った。



 外面がいいのはわが弟ながら本気で嫌になる。思い切り顔にその感情を出した私だったけれど、祥太郎は全く気にした様子もなく他のウェイトレスに促されるまま教室内の席に着いた。




「びっくりしたーぁ。でも祥太郎くんならイケメンって言われてたのにも納得」

 茜がかわいらしい声でそんな風に言うのすら、この時は嬉しくなかった。

「…お願いだからミスコンまでには帰ってほしい…」

 祥太郎が由実と参加するイベントは文化祭の最後なんだから、そんな私の願いが叶うはずはない。

 それでもこの時、そう切に祈ってしまった。






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