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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
117/152


 修司さんのことが気がかりではあったけれど、私も諒子さんもそれ以上その話題には触れなかった。

 数十分走ったところで目的のショップに辿り着き、社員用に用意されているという駐車場に車を停める。慣れた手つきでハンドルを回しながら、諒子さんは男性顔負けなほどの運転技術を披露してくれるので思わず見惚れそうだった。

「こっち、和美ちゃん」

 車を降りた諒子さんに手招きされて店内の方へ促される。ホームページで写真は見たことがあったけれど、小さな画面上で見るよりも実物はかわいらしくて素敵なお店だった。

 平日の夕方だからか、仕事帰りらしいОLさんなんかが結構いる。安めの服屋とは違って店内はそれほど広くなく、過度すぎない適度な飾りがおしゃれで上品だった。



「いらっしゃいま…あれ、店長」

 店内に入ってすぐ、にこやかに声をかけてこようとしてくれた店員さんが諒子さんを見て目を丸くした。

「新婚旅行中じゃなかったんですか?」

「うん、もう帰ってきた。それより今朝連絡もらった件なんだけど…」

「お取り置きのドレスですか?」

「試着お願い」

「はい、お持ちしますね」

 ネームプレートに『熊野』と書いてあるその女性は、最後の言葉は笑顔で私にかけながらスタッフルームの方へ向かう。

 それを見送って待っている間に店内の商品を見せてもらおうとグルリと見渡した。働く女性が仕事着に使いそうなシャツやスーツから、休日に着るカジュアルな服まで一通りが並べられている。大学生くらいになればこんな素敵な服が見合うようになるだろうか。中には大人っぽい高校生が、大人な彼氏と買い物に来ている姿も見受けられた。



「これなんかも和美ちゃんに似合いそう」

 手近のカットソーを広げて諒子さんは見せてくれた。アルバイトでもしていれば買いたいくらいだ。

「こっちのスカートもかわいいですね…っ」

 シンプルな柄と滑らかなラインのスカートを指差すと、諒子さんはニコリと笑う。

「そうそう、それ新作で人気なのよ。すぐに売れちゃって…サイズももうあんまり残ってないのよね」

「本当だ…Sサイズしかないんですね」

 Mサイズの私からしたら、どちらにせよ手にすることができない。吐息まじりにかかっていた場所に戻した時、ちょうど熊野さんが戻ってきた。

「こちらの試着室へどうぞ」

「あ、はい、すみません…っ」

 何の謝罪か分からないまま思わずそう口にしながら、私は促される方へ向かう。不釣合いな大人っぽいお店の店員さんだけあって、なんだか対面するだけで緊張してしまう。

 それにどうしてアパレル系の店員さんは、こうも美人さん揃いなのだろう。緊張が倍増してしまう。



 そうして試着室に入ろうとしたその時…だった。

「諒子さん!」

 熊野さんの後ろ側に立っていた諒子さんに、また別の誰かが駆け寄ってくる。

 他のお客さんには悟られないくらいの声だったけれど、その呼びかけがあまりにも緊迫しているように聞こえて私も熊野さんも思わずそちらを見やってしまった。

「何? 美佳、どうしたの?」

 声をかけられた方の諒子さんは、もちろん何があったのかなんて分かるわけもなくのほほんと返事をする。その温度さをもどかしそうにしながらも、美佳さんと呼ばれたその人は小声で早口に続けた。

「ちょっとまずいことがあって…対応しきれず、連絡しようと思ってたんです」

「…何があったの?」

「本社へ直接クレームです。ちょっと大変なお客様みたいで…」

「……裏に行きましょう」

 周りのお客さんには聞こえていないと思うけれど、諒子さんはもちろんここでするべき話ではないと踏んだらしい。スタッフルームの方を指し示してそう言ってから、こちらを振り返った。

「和美ちゃんごめんね、ちょっと待ってて。…熊野さん、後お願い」

「はい」

 首を横に振った私の隣で熊野さんが小さく頷く。そして私の方へ向き直ると、何でもないようにニコリと笑った。

「ご試着どうぞ。終わったら呼んでくださいね」

「あ、はい…」

 慌てて返事をしながら、私は美佳さんと一緒に奥へ入って行く諒子さんの後ろ姿を見つめた。



 …また、だ。

 言いようのない、嫌な予感がする。漠然としすぎていて言葉にするには足りないそれは、曖昧なままでその不安な色だけを濃くしていく。



「…大丈夫…かな」

 ざわつく胸を押さえながら何とか着慣れないドレスを着終えると、私はその扉をキィッと開いた。



 近くで売り物の服を整えていたらしい熊野さんがそれに気づいて歩み寄ってくる。

「お疲れさまです」

 声をかけながら寄ってきた彼女は、「わぁ」と華やかな笑顔を向けてくれた。

「とてもお似合いですよ。パーティーに行かれるんですか?」

「…いえ…えっと…学校のイベントみたいなもので…」

 ミスコンに出るとは恥ずかしくて口にもできない。曖昧に濁したけれど、熊野さんはニコリと笑ってみせた。

「濃い色がお似合いですね。諒子さんの見立てでアクセサリーもご用意してますけど、着けてみます?」

「あ、お願いします…」

 恐縮しまくりながら答えると、熊野さんは近くに持ってきてあったネックレスを首元に飾り付けてくれる。

 確かに何も着けない時よりも、より一層華やかな感じだ。思わず試着室の鏡の前でクルリと一回りして、全身をチェックしてしまった。

 思ったよりも大人っぽいそのドレスは、自分が予想していた以上に背中があいていて戸惑ってしまう。

「これ…セクシーすぎませんか…」

「そうですか? お客様でしたらお似合いですよー」

 諒子さんの職場の人だし、いい人なのだろうけれどそれはセールストークだろう。

 こんな格好でミスコンに出て行ったら浮いてしまわないか…と気になったけれど、他の人はコスプレやら水着やらだ。まだ大人しい方かもしれない。



「諒子さんにも見てもらいましょうね」

 そう言う熊野さんは、「もう少し時間がかかると思うので、待っててください」と続ける。

 店内には他にもお客さんはいたけれどスタッフの人もいたので、彼女は最後まで私の相手をしてくれるつもりなようだった。

 放置されないのをいいことに、私は思わず「…あの」と言葉を継いでいた。

「…結構大きなクレームなんですか…?」

 尋ねた私に、熊野さんは一瞬目を丸くする。それから、「あぁ」と苦笑いを浮かべる。

 話してもいいか…一瞬考えたんだと思う。だけど私は諒子さん自身が連れてきた客だという事実があったからか、熊野さんも一般のお客さんに接する態度より崩していいと判断したんだろう。

「店員に暴言を吐かれた…っていうクレームで…本社に直接行ってしまったので、余計にやっかいなんですよ」

「そういうものなんですか…」

「しかも、その暴言っていうのもこっちからしたら身に覚えのないことで…。暴言なんて吐く人じゃないですし、諒子さん」

「…えっ?」

「諒子さんの名指しでクレームなんです。しかもかなりご立腹のお客様みたいで、話が大きくなってしまっていて」

「で、でも…身に覚えのないクレームなんですよね?」

 慌ててそう尋ねた私だったけれど、熊野さんは複雑そうな表情で息をついた。

「でも、こちらに身に覚えがなくてもお客様の仰ることを『それは嘘だ』と頭ごなしに否定もできないですからね…」

 それは確かにそうだろう。クレーマーだと分かっていても邪険にあしらえば余計な2次クレームを生むのは容易に想像できる。

「しかもそんな事実はないとこちらが訴えたところで、何の証拠もないですし…。本社もどこまで理解してくれるか…」

「…っ何でそんな……」

 修司さんも諒子さんも、どうしてこんなタイミングで…。

 新婚旅行から帰ってきたばかりで、一番幸せな時なはずなのに…。




 そう思ってから、私は今の自分の考えに思わず目を見開いた。

「…え……?」

 ふと胸をよぎったある人物の顔が、嫌な予感と共に私の心をかき乱す。

 だけどその時には、何故か胸に浮かんだだけの予感は確信に似た何かを持っていた。



「…っ」

「え、お客様…っ」

 勢いよく身を翻して、私は試着室へ戻る。そんなこちらに驚いたように、熊野さんは面食らったように目を見開いていた。

「すみません、急用ができたので…また来ますっ。諒子さんもお忙しいでしょうし、よろしくお伝えください」

「は、はぁ…」

 大慌てで着替え、私はドレスだけは丁寧に扱い熊野さんの手の中に引き渡した。

 そうして着慣れた制服姿でそのお店を勢いよく飛び出した。




******



 どうして「彼」が関わってると思ったのかなんて、本当に直感的なものでしかなかったので説明しようとしても無理だ。

 だけどこのタイミングで修司さんと諒子さんの2人共に仕事で何らかのトラブルが起きる…なんて、偶然にしては出来すぎている。加えて修司さんの方は分からないけれど、諒子さんには身に覚えはないという…。証拠なんてなくたって「彼」の仕組んだことだと考えるのは私にとってはとても自然なことだった。



 猶予されていたのは2人のウェディングパーティーまで。

 それを律儀に守ったかのようなこのタイミングに、本気で嫌気が差す。



「……はぁ…っ」

 電車を乗り継いで学校の近くまで戻って来る。恐らくもう学校にはいないと踏んだので、私は迷わずに病院の方へ向かった。

 そうして辿り着く頃には、走り疲れたせいで口中に血の味に似た何かが広がるほどだった。



 目が覚めたといっても、おばさんはまだ退院できていないはず。そうしたら、できるだけ早く学校から帰ってここに来ているはずだと思った。

 そしてその予想は外れていなかった。病院の門を抜け、目的の病棟の途中に通ろうとした中庭で私は目当ての人影を見つける。

 今日の面会を終えて帰ろうとしているところなのか、蓮くんは鞄を手にまっすぐ駐車場の方へ向かおうとしていた。



「…っ蓮くん…っ」

 周りのことなんてこの時構っている余裕はなかった。

 近くにいた患者のおじいさんが私の大声にビクリと肩を震わせた気がしたけれど、それを振り返ることもできなかった。ただ目の前でこちらを振り返る彼の姿を、睨むように凝視することしかできない。

「…和美」

 一瞬目を見開いた蓮くんは、それでも次の瞬間にはふっと笑みを漏らした。いつもの紳士的とも…あの黒い笑顔とも違う、第三者に向けられるような表情だった。それもそのはずだ。周りにこれだけの人がいる中では、彼も私に裏の顔は見せないに違いない。

 そして私にとっては、嫌味に似た言葉をその整った唇に乗せる。

「そろそろ来る頃だと思ってたよ」

「…っ」

 挑発的なその言い方は、確信に似た私の「予想」が間違っていないことを暗に告げていた。




「何で…っ、あんな卑怯なことするの…っ」

 質の悪いクレームをつけて彼らを潰そうとするなんて…卑劣で最低だ。

 だけど私の言葉になんて何のダメージも受けないのか、蓮くんは小さく肩を竦める。そして何の言葉もないままに再び歩き出し、人気の少ない駐車場へと移動した。

 周りの人に話を聞かれない配慮だと気づいたので、私もそれについていく。ただ一定の距離は詰めないまま、やがて互いに立ち止まると私はその端正な顔を睨み上げる。



 そんな私の鋭い視線に怯みすらしない蓮くんは、唇を歪めて笑う。

「和美が言ったんじゃないか」

 そんな言葉を口にするので、私は「?」と眉を顰めた。

「俺と『戦う』って」

「! …言った、けど…!」

 私が想定していたのはこんな卑怯なことじゃなかった。蓮くんが修司さんと諒子さんの結婚生活を邪魔しようとしても、あの2人の仲を引き裂くようなことはさせないと胸に誓っていた。だけど……。



「和美はさ、俺があの2人に何かするとしたら恋愛的に邪魔すると思ってたんだろうけど…」

 一瞬そこで言葉を途切らせた蓮くんは、おかしそうに笑った。狂ったような笑みにも見えたのは気のせいだろうか。

「そんなこと一言も言ってないけど、初めから」

「っ……」

 確かに、修司さんと諒子さんなら多少の邪魔をされたところで2人の愛情は変わらないだろうと信じていた。

 だから、蓮くんが何らかのことをしてきても、私がそれを阻止するか…2人の気持ちを支えたいと心に決めていた。

「だけど…っ、こんなやり方卑怯だよ…っ」

 仕事の方に手を回すなんて…。しかも既成事実をでっちあげてまで。

 その上第三者を何人も巻き込んでクレームをつけさせるなんて質が悪すぎる。だけど、そんな私の訴えがその胸に届くような相手でもなかった。


「…だから、何?」

 ふと笑みを消して、蓮くんはこちらを煽るような態度で冷たい声を吐き出した。



「卑怯だなんて百も承知だよ。社会的に立場を潰されて気持ちにも余裕がなくなってきたら、いずれ夫婦関係も破綻するだろうね」

「…っ」

「特に小塚さんの方は、下手したら違法行為で犯罪者になるからね。弁護士事務所ごと訴えられたらまず勝ち目ないだろうし」

「…何でそんな卑怯なこと…っ」



 同じようなことしか繰り返し言葉にできない私を揶揄するように、蓮くんはまた薄い笑みを浮かべた。

「さて和美、どうやって俺と戦うの?」

 挑発的な言葉は、憎らしいほど軽やかな響きを持っていた。

「社会人として窮地に立たされる2人に、和美が何をしてやれる?」

 唇を噛み締めて拳を握り締めたけれど、その怒りの行き場はどこにもない。

「単なる女子高生にできることなんて何もないよ。せいぜい犯罪者に成り下がる旦那と、そんな夫に耐え切れない妻と…荒んで醜くすれ違っていく2人を見物してることくらいかな」

「…っ」

「それか、俺のところに戻ってきてクレームを取り消させろって懇願するか…2つに1つ」

 おかしそうに笑う蓮くんの表情は、もう私には人のものではないように見えた。

 怖い…そんな感情ばかりが先行する。言葉の分かる人間と話している気分にはどうしてもなれなかった。



「…そんなこと…しない」

 それでも首を縦に振ることはできず、私はさっきまでの勢いはなくなったものの絞りだすようにそう返事をしていた。

「いいの? このまま放っておくと、あの2人の立場はもっと悪くなると思うけど」

「~~っ」

 これ以上抗議しても無駄だ。そしてこれ以上話しても何の実りも見込めない。

 分かり合えない。そして互いに一歩も譲歩する気がない。私が己を犠牲にして戻ればいい話なのだろうか?

 でもそんなことをしても…修司さんだって諒子さんだって喜んでくれるはずがないと分かっている。そう知っているのに蓮くんの思うツボにはまりたくはない。



 大した反論も説得もできず、私は踵を返した。蓮くんの狂気に歪んだ顔をこれ以上見たくなかった。

 そうして走って走って…病院から遠く離れた時には、こらえきれない大粒の涙が瞳から零れていた。




「…悔しい…っ」

 蓮くんの言う通り、私には何の力もないことが悔しい。修司さんと諒子さんをどうしたら救えるのか…それすら分からない自分が腹立たしい。

 でも、蓮くんの要求を呑む勇気すらない自分にも憤りを感じるんだ。



 涙の零れる目を拭いながら、自分はなんて無力なんだろうと思い知らされる。

 絶望に似たそんな感情に茫然とした瞬間、あの日の先生の真剣な顔が脳裏をよぎった。



『どうしようもなくなったら、俺を呼べ』



 あの夜車の中で告げられたそんな言葉が、鮮明に蘇る。




 頼れるものなら頼りたい。話せるものなら話したい。

 でも、あのパーティーの日に先生を怒らせてしまっておいて、今更縋ることもできない。




「助けて…先生…っ」

 身を切り裂かれるような思いに、私は思わず本人に伝えることのできない言葉を口にする。

 胸の痛みから逃れるように、両腕で自分の身を抱くようにして力をこめた。





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