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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
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 混乱する頭では何をどう整理しようとしても無駄でしかなかった。理解できたのは怒った先生にキスされたことくらいで、その意味も理由も知る術がない。何とか表面上だけは取り繕う努力はしたので、修司さんと諒子さんのところに挨拶に行った時は顔に出さずに済んだはずだ。

 三村さんは本当に自分でもあんなことをするつもりはなかったらしく、パーティー中にもう一度謝ってくれた。だけどもうそれ以上私に近寄ってくることも話しかけてくることもなかった。よっぽど先生のことが怖かったのかもしれない。



 パーティーも終わり帰ろうとした時に、奈那子さんに後ろから肩を叩かれる。

「和美ちゃん、家まで車で送るわ。旦那がこれから迎えに来るの」

 彼女はちょうど先週結婚したばかりらしい。でもその言葉に甘えるのも…と思ったので丁重にお断りしたのだけれど、彼女は苦笑いして懇願するように私を見た。

「実は、ユキ先輩にさっき頼まれたのよ和美ちゃんのこと。和美ちゃんが一人で帰っちゃったら私多分半殺しにされちゃう」

「……先生が…?」

「さっき間違えてお酒飲んじゃったんだって? 一人で帰すの心配なんでしょ」

 そう言って奈那子さんは、当然のように私の腕を引く。結局それ以上拒否するのもおかしい雰囲気だったので私は軽く頭を下げると甘えることにした。



 でも頭の中では、ますます先生の考えていることが分からない。

 怒っているくせにあんなことをしたり、怒っているくせに優しかったり……私の想像の範囲を軽く飛び越えてしまう。




 奈那子さんの優しい旦那さんが迎えに来てくれて家まで送ってもらう間も、結局その週末も…私はまた塞いだように考えこんでしまうしかなかった。

 頭で理解しようとしても無駄なことは分かっている。でもどうしても考えてしまうことはやめられない。

 自分のキャパを遥かに超えていることを自覚していたから、週明けの朝イチで私は教室へ向かう前に数学準備室の扉をノックしていた。




「よぉ」

「おはよう、なっちゃん」

 その日なっちゃんは朝早くから学校へ来て仕事をすることが分かっていたので、私も邪魔にならない程度にそこにお邪魔する。どうやらそれほど集中して作業する仕事ではないらしく、追い出されることもなかった。

「おめでとうございます」

 朝の挨拶を終えてすぐに、私はそう言いながら鞄から持ってきた包みを取り出す。あの修司さんのウェディングパーティーの日にやはりちょうど理沙さんは無事に出産を終えたらしく、当日になっちゃんからメールで連絡をもらっていた。だからこそ、昨日すぐにお祝いのプレゼントを買いに行ったところだった。

「サンキュー。そっちはどうだった? 修司たち」

「すごく素敵でした。なっちゃんは、せっかく赤ちゃん産まれたところなのにこんなに早く仕事に来るの?」

「ちょうど休みを取りづらいくらい忙しい時期だからな。仕方ねぇよ」

 確かにそう言いながら、なっちゃんはすごい勢いで机の上の書類を処理している。こんな話をしながらでもきちんと目を通しているらしいのですごいと思う。



「奏くん、だったよね? 私も会いたいなぁ」

「1ヶ月したら理沙も実家から戻ってくる予定だから、その頃会いに来いよ」

「いいの!?」

「いいよ」

 なっちゃんと理沙さんの赤ちゃんは少し小柄に産まれてきたけれど、とても元気な男の子らしい。ずっとエコー写真では女の子じゃないかと言われていたのに、産まれてみたら男の子だったとか…。

「どんだけ恥ずかしがりやなんだかな」

 なっちゃんがそんなことを言うものだから何だかおかしくて笑ってしまった。

 名前は、奏くん。演奏の奏の字を書いて、「かなで」と読むらしい。



「で、お前は今日は何の用で来たんだよ? こんなに早く、これだけじゃねぇだろ?」

 確かに、お祝いのプレゼントなら朝イチで来なくても渡せる。

 それが分かったからかなっちゃんは作業の手は止めないままそう尋ねてくれた。



 私はどう質問をするか頭で考えるよりも先に、口を開いてしまう。

「なっちゃん、いきなり変なこと聞くけど…理沙さんの前に付き合った人って何人くらい?」

「…マジでいきなりな質問だな」

 多少面食らったらしく、肩を竦めながら眼鏡の向こう側の目を少し丸くして私を見つめ返した。だけどそれから、ごまかすこともなく少し間を置いた後再び口を開く。

「4人……いや、3人か」

 確かなっちゃんは、先生と修司さんと3人の中では一番実は硬派だという話は聞いている。あの2人なら遊びも含めれば両手で足りないくらいの数が飛び出てきそうだけれど、なっちゃんの場合は予想通り手堅い人数だった。



「その…例えばだよ? 昔の元カノに会って、その人たちと…えっと…」

「あ? 何だよ、はっきり言え」

「き……」

「き??」

「き、キスってできる!?」

 いくらなっちゃんでもこういう話をするのはやっぱり少し気恥ずかしくて、私は恐らく顔を真っ赤にしていただろうと思う。思い切って、という感じに勢いづけて尋ねた私を見据える目はそのまま、なっちゃんはぽかんと口を開ける。

 呆気にとられたのか呆れたのか…いや、どちらも同じことか。



「何だぁ? その質問」

「例えばの話! だから変な質問だけどって先に言ったじゃない」

 真っ赤な顔で熱を感じながら、私は怒り気味…というか拗ね気味に言葉を返す。

 それを少しの間眺めたなっちゃんは、それからふとそういう状況を本気で想像してくれたようだった。

「キスかぁ…キスだろー…」

 小さく呟きながら、頭の中ではシミュレーションしているのだろうか。

 やがて再び顔を上げると、椅子を少しクルリと回して正面から私の方を向く。

「いや、しねぇっつーかできねぇだろ。ユキじゃあるまいし」

 先生くらい軽い付き合いをしてきた人なら…ということだろうか。どちらにせよ私の望む答えではなかったので、一瞬でずーんと奈落の底にでも突き落とされた気分だ。

 そんな私の様子にハッと我に返ったように気づいたなっちゃんは、「……マジか」と少し気まずそうに苦笑いを浮かべていた。



「つーか何でいきなりそんなことになってんだよ。この前の修司たちのパーティーの最中か?」

「知らない! あーもう分かんないっ」

「逆ギレか。お前も相当テンパってんなぁ…」

 頭をかき乱したい衝動にかられるくらい混乱している私に、なっちゃんはやっぱり苦笑を返す。



 元彼にお説教された上に反論しかけたらキスされた…なんてシチュエーション、テンパらない人間がいたら今すぐ目の前に連れて来て欲しい。

 それとも私の人生経験が少なすぎるだけだろうか。大人な女性ならこれくらいの答え、すぐに出るんだろうか…。

「分かんねぇなら一番シンプルに考えりゃいいじゃねぇか」

 私の話が予想以上に興味深かったのか、なっちゃんはもう既に放棄したように目の前の資料を投げ出した。…その目が面白がっている気がするのは私の考えすぎだろうか。

「シンプルに…?」

「お前だったら、好きな相手以外に自分からキスなんてしねぇだろー」

「! …それは…そう…だけど」

 でもなっちゃんがさっき、「ユキじゃあるまいし」って言ったばかりだ。それはつまり、先生だったら軽い意味でもできるってことだ。

 それに、あの時…。

「パーティー会場で、私、会ったばかりの人にキスされかけて…」

「マジか!」

 だから、面白がってるのが分かるくらい身を乗り出すのはやめてもらいたい。

「その人だって、そんな一瞬で私のこと好きになるわけないでしょ? だから結局…」

 なっちゃんの言う一番シンプルな理由、は、全ての人間に当てはまるわけではない。それならきっと先生だって…。



「分かんねぇなら聞いてみればいいじゃねぇかよ、本人に」

「き、聞けると思う!!? 私が、先生に!」

「だよなぁ。俺が聞いてやろうか」

 ニヤッと笑いながら言うなっちゃんの言葉に、私は小さく吐息を漏らす。

「いい。…っていうかなっちゃん、いつの間にか先生と仲直りしたんだね」

「まぁな。色々バカらしくなってな」

「…?」

 そう言えば最近、職員室でも2人が楽しそうに話しているのを見かけたのを思い出した。…いや、楽しそうに話してるのはなっちゃんの方で先生は相変わらずそれに無表情で相槌を打っているだけだったんだけれど。

 だけど2人にどんなやり取りがあって仲直りができたのかまでは、あまり聞きたい気持ちになれなかった。そこにはまだ私が知りたくないこと…いや、知りたくても聞く勇気の出ないことまで含まれている予感がしたからだった。




******



 始業ベルギリギリまでなっちゃんと話しこんでいた私は、チャイムとほぼ同時に教室に行った。

 それに少し遅れて、長身の先生がくぐるようにしてドアから入ってくる。

「日直」

「起立ー」

 いつも通りクールで業務的な先生の声に応じて生徒が号令をかけ、形通りのHRが始まった。



 私はというとそのHRの間、机の上に肘をついて両手で口元の辺りを覆っていた。そうでもしないと教壇に立つ先生を見ているだけでも赤面してきそうで、表情を隠したかったんだ。あの時の意味…なんて、考えてもやっぱり思いつかない。ドキドキと高鳴る鼓動を抑えてでも先生を見据えていれば何か解決の糸口が掴めるかとも思ったけれど、それは勝手な期待に過ぎなかった。

 …いや、それどころか。



 先生は、一度だってこっちを見ようとはしなかった。

 私の被害妄想かもしれない。自意識過剰なのかもしれない。でも教壇で連絡事項を読み上げる先生は、いつもよりも機械的で業務的だった気がした。手元の資料から顔を上げることもしない。



 …目を、合わせるのも嫌なのだろうか。

 そんな思いが胸を一瞬よぎった瞬間、制服のスカートの中で携帯が短い振動を伝えた。



「……?」

 こんな時間に来るメールに心当たりがなくて、HRを終えてすぐに私はそれを開く。

 そしてそこに書かれていた文面に思わず目を丸くした。







「和美ちゃんー」

 放課後、朝メールで呼び出された場所へ行くと諒子さんが笑顔で手を振っていた。

「ど、どうしたんですか!? 今日新婚旅行から帰って来る日ですよね?」

 メールに書かれていたカフェは学校からそれほど遠くない場所で、高校生には少し敷居が高いくらいおしゃれな店だ。

 そんなお店でも、そこにいる諒子さんと修司さんは違和感なく座っているのだから思わず見惚れそうになる。

「うん、さっき帰ってきたところ」

 元々仕事が忙しすぎる2人は、新婚旅行だって満足に長く行くことはできずたった2泊で慌しくなると聞いていた。

 そんな旅行の大事な最終日に、もうこんな時間に帰ってきていて私と会っているなんて…何だか申し訳ない。

「いいのいいの。新婚旅行って言ったって海外に行ったわけでもないし、国内で温泉に浸かってきただけの老人のような旅行だから」

 長く付き合ってきた2人にはそれくらいの旅行がちょうどいいんだと、確か旅行前にも諒子さんは笑っていたっけ。



 2人の前に座り、私はメニューの最初の方にあったカフェオレをオーダーする。同じものを頼んでいたのか、諒子さんはそれを一口飲んでからニッコリと笑った。

「実は和美ちゃんに頼まれてたドレス、今日入荷したらしくて…できるだけ早く渡したくてね。これからお店に行こうと思うんだけど、試着も必要だから一緒に来てもらえる?」

「あ! はい…! それはもちろん…」

 諒子さんに頼んでいたドレスというのは、今週末の文化祭のミスコンで着ることにしたものだった。派手すぎず少しカジュアルなパーティーに着て行く時のようなドレスで、さすがのミスコンでもコスプレはちょっと…と思ってしまう私にできる最大の妥協点だった。


「和美ちゃんだったらそのまま制服で出ても優勝できそうだけどねー」

 最後までミスコンの衣装について相談に乗ってくれていた諒子さんは、そう言って笑う。私としても優勝できるかどうかは別として、あまり着慣れない服で人前に出るのは恥ずかしいので制服で済むならそれで済ませたかった。だけどさすがにクラスの皆の手前、そんな手抜きととれそうなことはできない。

 何軒もお店を諒子さんと一緒に回ったけれど、結局一番落ち着いた雰囲気でこんな私でもそれなりに見栄えしそうなのは、彼女のお店で扱う新作のドレスだった、とういわけだ。



「お休みの日にお店まで…すみません」

 そう謝ったけれど、諒子さんは「気にしない気にしない」といつも通りに手を振って笑っただけだった。

 運ばれてきたカフェオレを飲み、一息ついたら並んでそのカフェを後にする。手前の駐車場に停めてあった車に乗せてもらって、諒子さんの勤めるショップへと向かった。

 そのショップの駐車場は場所が分かりにくいところにあるらしく、運転は修司さんではなくて諒子さん本人が引き受けていた。

 諒子さんのお店に行くのは私も初めてだ。選んだドレスもカタログを見せてもらっただけだし、そもそもまだ高校生の私には自分で買えるような値段の服を扱う店じゃないから直接訪れたことはなかった。だからワクワクする胸の高鳴りを抑えられず、自然と顔がほころんでしまっていたと思う。

「ご機嫌だねぇ、和美ちゃん」

 並んで後部座席に座っていると、修司さんがそんな私を見て同じように嬉しそうに笑ってくれた。




 お店までは少し遠く、夕方の帰宅ラッシュにも巻き込まれたせいか思ったよりも時間がかかりそうだった。

 それでも車内では相変わらずの2人のトークで退屈することもなく、私は始終笑いっぱなしだ。だけどそんな空気が変わったのは、車に乗ってかなりの時間が経った頃だった。



 ふと、車内で低く響く携帯のバイブ音。どうやらそれは修司さんのものらしく、彼は緩やかな動作でジャケットのポケットからそれを取り出した。

「仕事?」

 携帯を開いた修司さんをミラーで見やって、諒子さんがそう尋ねる。「うん」と小さく応じる声が上がると、彼女はそのまま車内に心地よく流れていたジャズの音楽のボリュームを下げた。



「…はい、小塚です」

 それとほぼ同時にタイミングよく、修司さんがかかってきた電話に応対する。目だけはこちらを向いて私に「ごめんね」と言うような色を見せたので、私は大きく首を横に振った。

「はい、はい…そうですけど…」

 何やら深刻な話だろうか。向こうの話に相槌を打つ修司さんの声が怪訝な色を濃くしていく。

 聞くつもりはないけれどこの距離ではどうしても聞こえてしまうその声に、私も何だか心配になってそちらを見やってしまった。修司さんはというと、私からも諒子さんからも目線を逸らして窓の外を向いたまま応対している。


「は…? どういうことですか! 依頼人に頼まれた通り調査しただけです。違法行為なんてあるわけないじゃないですか…!」

 珍しく声を荒げた修司さんは、取り繕う余裕もないように電話の向こうの相手に食ってかかった。運転席では諒子さんも訝しげな表情でミラー越しにこちらを見ている。

「ちょっと待ってください…! 先生……!」

 相手は事務所の弁護士さんだろうか。この時には私も心配そうな顔で修司さんを見つめてしまっていた。

 遠慮なく通話が途切れる音だけはこちらにも聞こえてきた。修司さんは彼らしくない態度でそれに舌打ちをして携帯を閉じると、「諒子」と地を這いそうな低い声で呼びかける。

「ここから一番近くの駅で降ろして」

 これから事務所に行くのだろうか。そう言う修司さんに特に理由は聞かずに、諒子さんは「分かった」としか答えなかった。



「ごめんね、和美ちゃん。ミスコン楽しみにしてるから」

 最寄駅で車を降りる時には、修司さんは私にはそう言って笑ってくれた。だけど胸中は当然穏やかじゃないと思う。何せ「違法行為」なんて不穏な単語が聞こえてきたくらいだから。

「対象者からのクレームかしら。大変よね、ああいう仕事してるとちょっとのことが法に触れるなんて大きな話になるもの」

 修司さんが駅の中へ入って行くのを車の後ろから見送っていると、諒子さんが吐息まじりにそう呟いた。

 車を再び発進させながら、「でも」と彼女は低めの声で続ける。

「気のせいかしら。…何か嫌な予感がするのよね…」

「………」


 そう、それは何故か私もだった。修司さんが心配なだけじゃない。何か…胸がざわざわする。

 それはこれから起こることを直感的に感じとっていたのか…この時はまだそれほど明確に言えるような感覚ではなかった。






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