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Sweet&Bitter  作者: みずの
眠る時はせめて私の夢を
113/152

 守りたいものを全て守り、望むものは全て手に入れたいと思うのは強欲すぎるだろうか。それが叶うのを夢見て待ち続けるなら自分本位かもしれない。でも、そうするためだけの努力をするなら許されてもいい気がする。

 私は、諦めないと決めた。自分が先生を望むのは、先生にもう一度こちらを向いてほしいとか、またあの広い腕で抱きしめて欲しいとか…そんなことじゃないと気づいたからだ。…そう、私はただ、先生を忘れたくなかっただけだったんだ。

 ついこの前、なっちゃんに「諦める努力をする」と宣言したことが自分でも嘘のようだった。



 人間だから、想い焦がれれば「もっと」と欲は出るだろう。でも根本的には…ただ自分のこの気持ちを消したくない、なかったことにしたくないという小さくて純粋な望みだった。そのためなら引くのでも耐えるのでもない。戦う道を選んだ私に、蓮くんは不敵に笑んで見せた。



 彼は恐らく言葉通り、修司さんや諒子さんの結婚パーティーが終わるまで何も手出しはしてこないだろう。そこは何故か確信に似た思いがあった。蓮くんの性格を考えれば…ああまで言っておいてそれを覆すことはないように思う。だから、11月に入って修司さんたちの結婚パーティーまでの間が、私にとって束の間とも言える休息の時間だった。




 蓮くんとはあんなやり取りをしたせいか、学校では極力接触をしないようにしていた。宣戦布告とも取れるやり取りの後だし、何より私たちに関する「あの噂」は下火になりはしたけれど全くなくなったわけでもなかったからだ。クラスの担任でも副担任でもない彼とは、自分さえ気をつけていれば顔を合わせずに済む日も少なくなかった。




「そういや由実たち、昨日もらった文化祭のやつどうすんの?」

 文化祭もあと2週間後に控え、準備も本格化してきた頃。カフェの小道具を作りながら、智子が不意にそう言った。


 智子が言っているのは、前に噂になっていた後夜祭の時にカップルで行くイベントのことだ。昨日になってようやく女子全員に紙が配られ、校内がまるでバレンタインの時のように浮き足立っている。

「私はああいうイベント面倒くさいと思ってたんだけど、結局行くことにした」

 あっさりと由実が意外なことを言うものだから、私と智子、それに茜まで目を丸くしてしまった。

「由実ああいうの嫌いじゃん!」

「でも特別イベントって言葉には弱いし、それにそこでしかもらえない記念品も気になるしー」

「だ、誰と行くの!?」

 智子が珍しく焦りながら食いつき、間を詰めて尋ねる。

「へへ、ちょっと昨日、駅前で久々に『とあるイケメン』に再会してさ。うちの文化祭来る予定だって言うから、誘ってみたら受け取ってくれた」

 …ということは、他校の生徒ということだろうか。由実は元々男子と仲が良いタイプだし、中学時代の男友達なんてのもたくさんいるんだろう。



「茜は? 柴田に渡したの?」

 急に話の矛先を向けられて、茜は一瞬「えっ」と体を固くする。それから慌てて、彼女らしい仕草で首を左右に振った。

「誘えるわけない…っ!!」

 前にも聞いたような言葉を必死で口にするものだから、由実は「そうでもないと思うけどね」と半ば呆れ気味に呟く。

「なんだかんだ言って話はするし、女子の中では仲良さそうな方じゃん」

「まぁまぁ、こればっかりは茜がその気にならないとね」

 不満そうに言う由実をなだめるように、智子がポンポンと肩を叩いた時だった。

「由実たちも行くの? 後夜祭」

 話の内容が聞こえていたのか、クラスの女子3人が声をかけてくる。それに茜は顔をこわばらせたけれど、恐らく柴田くんの名前までは聞かれなかっただろう。

「うん、まぁねー。私は他校のイケメンと、智子は彼氏とだけどね」

 ニコニコしながら答える由実は、そっちは?と話題を彼女たちに振り返していた。昨日から校内のどこででも繰り広げられているような会話だ。


「うちらはダメだったー。もらって速攻で苑崎先生に持って行ったけど、やっぱり担当してる美術部女子の方が早かったわ…」

「私もなっちゃんに持って行ったら、もうもらった後だった…やっぱりクラスの担任してるともらうのも早いよね…」

 落胆したようにため息を吐き合う彼女たちは、どうやら同級生たちには興味がないようだった。

「そんでこの際誰でもいいかと思ってユッキーに持ってったけど、ユッキーですらもう誰かにもらった後だったし!」

「成川先生もアウトだったしねー」

「……え…?」

 思わず声を漏らしてしまった私に、彼女たちはハッと我に返る。その表情に私も自分の失言に気づいて慌てたけれど、彼女たちが言葉を継ぐ方が早かった。

「あ、ごめん和美…成川先生にはノリで持って行っただけというか…」

「うんうん。ダメだってのは分かってたしね」

 取り繕うように言う彼女たちの言葉は、私にとっては少し的外れだった。彼女たちとしては、あの噂を聞いて私を軽蔑したりはしないけれどどうやら本当のことだと勘違いはしているらしい。「応援するから」と言われてかなり複雑な気持ちになる。

「和美がひっかかったのはそこじゃないのにねぇ」

 彼女たちが去ってから、智子が机に頬杖をついた態勢で苦笑い気味に言った。




 苑崎先生やなっちゃんほどではないにしても、本城先生にだって本気で恋してる女子生徒がいることは前から知ってる。だから誰かがイベントの紙を持っていくのは当然分かりきっていたことだし、先生だってあの時「一番に持ってきた生徒のは断れない」と言っていた。

 だけどやっぱり……。



「複雑…」

 声を漏らしたのは、今の心境と現状と両方にだ。やっぱり先生のことが好きだと開き直れたところで、思い切って行動に出ることはできない。

 私はまだあの紙を鞄の奥底にしまったままで、渡せないままだった。先生の他に渡したい人がいるわけもないし、恐らく使わないままあの紙はお役御免になるんだろう。



 そんなことを考えながら、私はもう誰もいなくなって随分たった教室で机の上に広げたプリントを手にする。

 何種類ものそれを机4つ繋げて並べ、一部ずつまとめたらホッチキスで止める、なんて単純作業の途中だった。…いや、作業は単純なんだけど枚数が多い。帰ろうとした時に相澤先生に頼まれた仕事だった。…英語係だった自分と、たまたま今日休んでいるもう一人の係をこれほど恨めしく思ったことはないかもしれない。

「…帰りたいー」

 あと半分は残されている。

 全てを投げ出して下校してしまいたい衝動を何とかこらえながら、私はホッチキスを手放した。それから「うーん」と後ろに反り返りそうなほど伸びをすると、いつの間に教室の後ろにいたのか…大きな影と目が合った。

「……っ、み、見ました?」

 思い切りやる気のないところと椅子から転げ落ちてしまいそうなほどの大きな伸びを見られて、苦笑いを浮かべながら声をかけた私に本城先生は「何やってんだお前」といつも通り呆れたような声を降らせてきた。

「相澤先生からの頼まれものです。…先生は?」

「窓の戸締り確認。もう下校チャイム鳴るぞ」

 言葉通り私の後ろをすり抜けて、先生は窓の鍵を確認する。言われてみればもう外はかなり暗くなりかけていた。とりあえず手早く終わらせようともう一度ホッチキスを手にした時だった。



「…もう一個ねぇのか、それ」

 ガタンと私の前の椅子に座りながら、先生が言う。え、と目を丸くしてそちらを見やると、先生は私が手にしたホッチキスを指し示していた。

「あ! えぇと…これしかなくて」

「じゃあ俺がプリントまとめるからお前がやれ」

 そう言って先生は、私が説明する間もなくきちんとどの順番で紙をまとめるのかを把握し、手際よく一人分の冊子になるよう束ねていく。目の前に「ん」とそれを差し出されるまで、思わずそのスピードに見とれてしまっていた。

「先生…早いですね…」

「お前のスピードじゃ日が暮れるどころか夜が明けるぞ。いいからとっとと止めろ」

「…一言多いです」

 受け取りながらボソリとかわいくない言葉を口にすると、先生はそれでも笑っていた。自分の気持ちに整理がつきかけて、やっぱり好きだと…忘れることなんてできないと自覚したせいか、その笑顔に前より胸が締め付けられる気がする。



 そんな胸の内を悟られる前に、私は渡された束をホッチキスで止める。2人以外誰もいない室内に、紙の音とカチンと鳴るホッチキスの音だけが響いた。



「そう言えば」

 何人か分の資料を作り終え、尚も作業を続行している時に先生がふと声を漏らす。私はこの時心臓が飛び出しそうなほど緊張していたので、うまく返事ができたか自信がなかった。

「成川先生の母親、目ぇ覚めたんだってな」

「え……」

「何だ、知らなかったのか」

 作業の手を止めずに下を向いたまま言う先生の言葉に、私は思わずホッチキスを持つ手を固めてしまう。



 そうか…蓮くんと同僚である先生なら、そういう情報を聞いてもおかしくないんだ。その名前を出されるとまだ気持ちは複雑だったけれど、おばさんが目を覚ましたことは心から嬉しかった。ホッと安堵の息を漏らすと、先生はそこでようやく目線を上げた。涼しげな目元が、私をその視界に捉える。



「何かあったのか、成川先生と」

「…え…?」

 思わず尋ね返してしまったけれど、先生が不思議に思うのも無理はない。この前は、おばさんのことで苦しんでいる蓮くんの力にはなりたいと思っていた私だ。それ以外の部分は受け入れられなくても、せめておばさんの状況が落ち着くまでは…と思っていた。だからそんな私がそのおばさんの現状を知らないことも、蓮くんの名前を出しただけで硬直することも先生からしたら違和感を覚えて当たり前だ。



「…何も…ないです」

 俯きがちにそれだけ返事をして、私は再びホッチキス止めの作業に戻る。そんなこちらを凝視していた先生だったけれど、それ以上追求はしてこなかった。だから思わずそれに安心して息をつく。

 代わりに、場を取り繕うように慌てて話題を変えた。

「そう言えば修司さんたちの結婚パーティー、今週末ですね」

 言うと、先生は「…あぁ」と今更思い出したように呟く。

「…忘れてたわけじゃないですよね」

「忘れてたわけじゃねぇけど、今思い出した」

 どう違うんだろう。先生があまりにも意味不明なことを言うのでおかしくて笑ってしまった。



「お前、場所分かんのか?」

 尋ねられて、ホッチキスをカチカチと動かしながら「はい」と明瞭に返事をする。

「パーティー会場のレストラン、何箇所か回って選ぶ時に諒子さんに連れて行ってもらったんで」

「ふーん」

「かわいい会場なんですよ。すっごく広くて、料理もおいしくて…」

「どうでもいいけどお前、変なのに絡まれんなよ」

 いきなりそんなことを言うものだから、私は思わず目を丸くしてしまった。それから、ふっと吹き出してしまう。

「変なのってなんですか。修司さんと諒子さんのお友達ばっかりですよね?」

「修司の友達はいいのも悪いのもいるぜ。それに修司にとっていい友達でも、お前にとっていい人間かは別問題だ」

「何ですかそれ」

 意味が分からずに首を傾げてしまったけれど、先生なりに気を遣ってくれたんだろうか。

 確かに当日は私は知り合いも少ない。顔見知りと言えばなっちゃんや先生くらいだと思う。ジャズバーの常連さんたちはあまり呼んでいないようで、どちらかというと大学時代のサークル仲間が多いと言っていたから。

 それになっちゃんは、当日多分来られない。今週に入って理沙さんが産院で「もうそろそろかな」と言われているようで、今週末にはちょうど生まれる頃か、もう生まれた後か…だろうから。




「ラスト」

 ホッチキス止めの方が明らかに作業としては楽なはずなのに、それでも先生の方が早い。最後の束を私の前に置きながら、小さくそう呟いた。

「…ありがとうございます」

 目の前の束に最後のホッチキスを止めて、私は「はぁー」と息を漏らす。先生が手伝ってくれていなかったら、恐らくまだまだ終わる気配がなかっただろう。




「ついでに持って行ってやるよ。どうせ職員室に戻るから」

「え、でも…」

「相澤だろ? あいつもう帰ったぜ。職員室の机に置いときゃいいだろ」

 そう言って先生は私の返事を待たないままプリントの束を手に立ち上がる。「…すみません」とぺコリと頭を下げて、私も椅子から立つ。そのまま先生は身を翻して教室を出て行こうとしたけれど、気づくとその背中に「…あのっ」と声をかけてしまっていた。

「?」

 肩越しに振り返った先生が、首を捻って私を見下ろす。その目に見つめ返されるとうまく言葉が出てきそうになくて、私は少し斜め下の辺りに目線を落とした。



「先生…、文化祭のことなんですけど…」

 自分でも何を言い出すんだ、と思わなくもなかった。でもどうしても心のどこかでずっと気になっていて、無意識のうちに吐露してしまった感じだった。

「何」

 言い淀む私に、先生が先を促す。

「…女子が紙を持って行って、カップルで会場に行くっていうイベントですけど…」

「…あぁ」

 私の言葉に、先生は「そのことか」とでも言うように小さく頷いた。



「~っ」

 「誰」と行くのか、その問いまではうまく言葉にできなかった。言いたいことが言えないもどかしさで眉を寄せた瞬間、先生がふっと表情を緩めたのが分かった。



「貴弘の争奪戦は結構見物だったぜ。女って怖ぇよな」

「……」

 笑って言う先生は、「じゃあな」とそれだけ言い置いて結局そのまま出て行ってしまった。



 きちんと問いにする前に、話をすりかえられた。…いや、ちゃんと尋ねていたとしても答えてくれたとは限らない。もしかしたら、聞かれたくないことだったんだろうか。こうなると尚更先生が受け取った紙の持ち主が気になってしまう。



「…はぐらかされた…」

 もう誰もいない教室に、私のポツリとした呟きが空しく響いた気がした。






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