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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
106/152

9 side:Takahiro


 翌週月曜日の学校で、俺は偶然通りかかった部屋の中から不穏な会話を耳にした。それほど大きな声ではなかったけれど、ところどころが聞こえてくる。教科棟のこんな部屋の前を通る人間というのも普段は稀なので、中の人間もそれほど声を抑える意識はしていなかったんだろう。



「でも…! このままにしておくなんておかしいじゃないですか!」

「ですから…本人も反省していましたし、あえて事を大きくする必要もないかと…」

「成川先生は新人だから、生徒に甘いんです…! こういうのはきちんと対処しないと…」

 声は、相澤と成川蓮のものだった。その2人と会話の内容を思えば、話の標的が誰なのかは考えなくても分かる。


 未成年という立場でジャズバーにいた白石のことを厳重注意で済ませようとしている成川蓮と、どうしても学校に知らせて適切な処罰を受けさせたい相澤とが対立しているんだ。



 …相澤の言うことも分かる。だが、今回の場合は彼女には多少なりとも私情が入っている気はした。



「ちょっといいですか」

 ノックもせずに遠慮なくドアを開けて、俺はその2人の会話に割って入る。まさか人がいるなんて思いもしなかったらしい相澤たちは、驚いたようにこちらを振り返った。



「土曜の夜のことですけど…」

 前置きして、俺は後ろ手に扉を閉める。恐らく、俺みたいに気まぐれな人間でない限りこんな場所は通らないだろうけれど…念のため声が漏れないように配慮する。

「僕も、成川先生の意見に賛成です」

 言うと、相澤が眉を顰めた。同時に、成川蓮が少しだけ安堵の息をつく。

「でも…! おかしいじゃないですか! 他の生徒に示しもつきません…!」

「相澤先生の仰ることも尤もです。…でも、今回は彼女だけの問題じゃすまなくなる」

「……え?」

 眉を顰めたまま、相澤は俺を見上げた。

「ああいうところでライブをすると、大抵『ギャラ』が発生するんです。本城先生はそういうの一切受け取らない人ですけど…周りはそう思うでしょうか? 白石のことを知った学校側が調査して、あの時演奏する側に本城先生がいたとなると…学校はそっちも疑いますよ。公務員のアルバイトは禁止ですから」

「…っ」

「白石のことと本城先生のことは無関係です。…が、余計なところに飛び火するのは俺は賛成できません」

 白石を守るために、ユキを理由に挙げるのは卑怯かもしれない。それでも、相澤を納得させるためにはユキを持ち出すしかないんだ。自分に言い聞かせて言うと、相澤はまだ納得できないと言わんばかりの表情だったが「…わかりました」と小さく呟いた。



「それと、白石の件は僕に任せてもらいます。本来なら担任の本城先生が対処するべきところですけど、彼はあの時演奏者側にいた立場で…強くは言い聞かせられないでしょうし。副担任は相澤先生ですけど、多少熱くなっていらっしゃるので」

「………わかりました」

 うなだれるように、相澤は返事をする。小さく言って俯くと、そのまま部屋を出て行った。



「成川先生も、他言無用でお願いします」

「…もちろんです」

 そりゃそうだろう。成川蓮が白石を陥れるようなことをするわけがない。軽く頷いて返して、俺と彼もその部屋を後にした。




 職員室に戻った俺は、すぐさま呼び出しの放送をかける。

『3-A、白石和美。至急数学準備室まで』

 放課後になってまだそれほど時間がたっていないので、下校していないことを祈る。体裁と見せかけのための放送を終えて、俺は一足先に数学準備室へと向かった。




******



 そもそも白石に話したいことは他にあったから、ちょうど良かった。あの日ユキと居酒屋で話をして…俺は自分の知りえなかったあいつの本心を聞いた。それがあったから、白石に前言撤回したいことがあった。


『自信がなかろうがなんだろうが、お前は立ち直らなきゃならねぇんだよ。ユキのことはさっぱり忘れてな』

『そうするのに新しい恋愛が必要なら、他の男にだって目を向けるのもいい。ただ、今と同じ場所でずっとグダグダすんのだけはやめろ』

 自分が前に白石に言った、そんな言葉を、だ。




 ユキの本音を聞いて、俺は宣言通りの子どもっぽい「シカト攻撃」をするわけにはいかなくなった。ただその代わり、その知りえた情報を白石に伝えることもできない。


『お前のその話を、俺が白石にしたらどうなる?』

 あの時居酒屋でそう尋ねた俺に、ユキはおかしそうに笑った。

『言っても何の意味もない。…分かるだろ、自分から本気で聞きたいと思ったことじゃないと、人間は本当に聞き入れることなんてできない』

『俺に言われても?』

『誰に言われても、だ』



 確かに…今なら分かる気がする。


 ユキが白石を置いて行った時、俺は相当腹を立てていた。だからあの時、ユキが言い訳したり自分の本音をさらけ出したとしても、今のようにきちんと受け止められたか自信はない。その後も…准一にああ言われなかったら、きっとユキの話を聞こうなんて思いもしなかっただろう。



 准一の言葉がきっかけで、俺はユキの本音ときちんと向き合うべきだと思った。だから、わざわざライブにまで行ったんだ。そうでなければ――自分から動いたのでなければ、きっとユキの言葉を全て信じることは不可能だったと思う。




 だから…白石に俺から伝えてもあいつは信じないだろう。下手をしたら、俺が白石を気遣って励まそうと嘘をついていると思われる可能性もある。ユキの言葉通りだ。今の白石に真実を話したところで、きっと何の意味もない。




 だから、俺が伝えるべきことは自分の前の発言を撤回することだけ。不用意で無遠慮な言葉を取り消して、後はあいつがどうするか見守るだけだ。



 …そう、思ったはずだった。



「…失礼します」

 控えめなノックの後で、こちらの返事を待たずに扉が開く。白石が姿を覗かせたけれど、いつもより少し顔色が悪い気がした。

「急に呼び出して悪かったな。…話したいことがあって」

「…うん…私も、なっちゃんに話したいことが」

 淹れたばかりのコーヒーを差し出して、近くの椅子を勧める。まさか白石の方にも俺に話があるとは思わなかったので、「…何?」と先に促した。



「…あの…ごめんね、土曜日…なっちゃんもバーに行ったんでしょう? 修司さんに聞いた…」

「あぁ…って、何謝ってんだお前」

 修司にならともかく、俺に謝る理由は一つもないはずだ。そう思って首を傾げながら言うと、白石は小さいけれど深いため息を一つ漏らした。

「私があそこにいたことを相澤先生や蓮くんに知られて…本城先生やなっちゃんにまで迷惑かけたんでしょ? きっと…」

「…白石…」

 コーヒーを注いだカップを両手で包み込みながら、白石は少し伏せ目がちになる。それを見やってから、俺も同じように小さく息をついた。

「別に迷惑なんてかかってねぇよ。あぁ、そのことだけど、とりあえず学校側には言わないってことで落ち着いたから…」

 そう伝えたけれど、あいつの表情がそれで明るくなるわけでもなかった。

「…そう…」

「…まぁ、そもそも今回より前にお前をバーに連れて行ってたのは俺やユキだし…悪いならこっちだな」

「それは違うよ…! 私が行きたいって言ってたから…!」

「まぁだから、おあいこってことでこの話はチャラにしようぜ」

 眼鏡を押し上げながら冗談ぽく言うと、白石はそこでようやくホッとしたのか口元に微かな笑みを浮かべた。



「それと、修司のことは気にするなよ? あれはあいつが勝手にしたことだ」

「…うん…修司さんにもそう言われた」

 あいつがあんな嘘をついたことを、白石が気に病む必要は一つもない。確かに、修司があそこでああでも言わなければ今頃大変なことになっていただろう。だけどそこで機転を利かせてああいう手段を取ったのは、修司本人だ。それはユキのせいでも白石のせいでもない。



「…それとは別のことなんだけどね?」

 コーヒーを一口飲み、白石は「はぁ」とまたため息を吐いた。「老けるぞ」と言うと、苦笑いを浮かべて返す。


「私…あれから家に帰って、ずっと考えてたことがあって…」

「…何?」

 急かす趣味はないけれど、白石のこの調子じゃ話し始めるのがいつになるか分からない。促す意味で尋ね返すと、あいつは「うん…」と小さく頷いた。



「本当に…自分でも嫌気がさすくらいに最近はグダグダ考えてばかりだと思う。先生と別れてすぐに、先生のこと忘れなきゃいけないと思ったのは本当。だけど忘れられなくて…結局何かあるたびに思い出して、葛藤ばかりだった」

「……」

「完全に忘れることも、逆に開き直って堂々と想い続けることもできなくて…。なっちゃんに前に言われたことも実行できないまま」

 そこで一旦言葉を詰まらせて白石が、涙でもこらえているのかスンと鼻を一度すすった。

「白石、そのことなんだけど…」

「でも、今回のことがあって、やっと分かった気がする」

 俺の言葉なんて聞こえていないのか、遮るように白石は続ける。

「なっちゃんの言うとおりだったよ。やっぱり私は先生のことは忘れて立ち直らなきゃいけない。その為なら…できるかは分からないけど、もっと外にも目を向けないといけないと思う」

「白石、あのな…」

「だって、私じゃ何もできないから…」

 そんな風に続けた言葉に、俺は尚もかけようとした声を思わず飲み込んだ。


「今回だって、私が軽率なことしなければあんな危うい状況にならなかった。相澤先生や蓮くんに変に勘ぐられて本城先生に迷惑をかけることもなかったし、修司さんにあんな嘘をつかせることもなかった」

「だからそれは…」

「私じゃ、先生も修司さんも…誰も守れないから」

 そう言ったきり口をつぐんだ白石に合わせるように、俺も言葉を失ってしまった。白石の痛みは計り知れない。そして、理解できないものではなかった。

「まぁ…こんなこと言ったって、本当に忘れられるかは分からないし、またきっとグルグルするんだろうけどね」

 次にそう言って顔を上げた時、白石はもう泣きそうではなかった。苦笑に似た笑みを浮かべて、小さく首を傾ける。



 …こいつはこいつなりに、自分の大切なものを守ろうとしているんだ。そうして決意したその思いを無にできるはずもなく、俺は話そうとしていたことを全て飲み込んでしまった。

「…そういえば、なっちゃんの話って何?」

「ん? あ、あぁ…なんだっけ、忘れちまった」



 やっぱり、ユキの言っていた通りだ。人間は…本当に自分が真実を知りたいと思った時にしか、聞く耳を持てない。今の白石に、俺がユキの何を語ったって変な慰めとしか取られないだろう。



「変ななっちゃん」

 笑った白石は、もう冷めかけたコーヒーを飲み干すと「ごちそうさま」とカップを机に戻した。乾いた笑いを返してごまかした俺は、ふとまたあの日のユキとの会話を思い出した。




『お前さ、そうやって全部分かった顔して引いてるうちに…白石が他の男とくっついたらどうすんだよ』

 俺の言葉に、ユキは珍しく本気で笑ったようだった。さっきまで浮かべていた、自嘲気味な笑みでもない。自分の葛藤や痛みや…胸に抱いていた負のもの全てを、吹っ切ったかのような顔。




『そんなのは覚悟の上だ』



 ムカつくぐらいに爽やかに笑ったユキのその言葉は、まるでそれでも自分は白石のことをずっと想い続けると誓っているようにも聞こえた。







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