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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
105/152

8 side:Takahiro


 成川蓮がバーに戻ってきたと同時くらいに、ステージではライブが再開された。急に始まった音の洪水に一瞬そちらを見やった彼は、そのステージを見て少しだけ目を見開く。その視線の先を追うと、ピアノの鍵盤を叩くユキの姿。恐らく成川蓮は、ユキが出るライブだとか何も知らされないまま相澤に連れてこられたのだろう。



 だけどすぐに興味をなくしたのか、あいつは再びバーの中を歩み始める。相澤のいるテーブルで止まるかと思ったが、そのままこちらへ向かってくるのが分かった。目線はまっすぐある一点を見つめていて、俺のことすら気づいていないようだ。あんなにいつも冷静で柔和な印象の男が、これほど盲目的に一つのことにしか意識を向けられないとは少し意外だ。



 気づかれる前に、俺はその場からスス、と離れた。幸い店内は暗いし、今の彼の様子では気づかないだろう。俺が少し離れた時にこちらまで辿り着いた彼は、睨み殺すかのような視線を注いだ相手…修司の前で止まる。

「…小塚さん…でしたね」

 低く地を這うような声は、学校ではきっとこの先も聞くことはないだろう。



「何か用? センセー」

 わざとらしい軽い口調で、修司はニヤリと笑う。その口調が勘に触ったのか、成川蓮はピクリと眉を持ち上げた。

「少し…いいですか、話をしたいのですが」

「いいよ。じゃあ外に出る?」

 修司のキャラに苛立っているせいか、成川蓮の口調は反面いつもより丁寧な敬語だった。そんな男の神経を逆撫でするかのように、修司は軽い言葉と身のこなしで椅子から立ち上がった。



 修司がどうしてこんないつもと違う軽いキャラクターで白石の元カレを演じるのか…聞くまでもなかった。成川蓮が、一番嫌いそうなタイプだからだ。初めから修司はこの男の意識を自分「だけ」に向けるつもりだったに違いない。




 そうして2人は連れ立ってバーを出て行った。確かに、どんな話をするのかは何となく想像ができるけれど…今ここでする話じゃない。殴り合いにならないことだけを祈りながらも、あの2人ならそうはならないだろうと漠然と思う。どちらかと言うと物理的というよりは精神的な暴力に訴えそうなタイプだから。…どちらも。



「……めんどくせぇな」

 恐らくこの事態を詳しく知ればユキも言うだろうセリフを口の中で転がして、俺はグラスの中の酒を呷った。ただそうして事態を「面倒くさくする」ことが修司の狙いであって、今のところその策にまんまとハマっているのは成川蓮の方だ。勝負は目に見えていた。



 修司の残していったつまみに手を伸ばし、それを口に放り込む。そうして俺は、目の前で広げられるライブの音にしばらくの間耳を傾けた。




******



 今日は2部構成だったというそのライブの後半は、ほんの20分ほどで終わった。理沙がいたら喜びそうな選曲で3曲ほど終わらせた後、メンバーはステージを下りて行く。ホーンセクションの連中が楽器を丁寧に片付け始めた時、ユキはまっすぐにこちらに歩いてきた。片付けのないピアノは楽でいいな。



 ステージが暑く喉が渇いたせいか、ユキは「それ何」と開口一番に俺の手にしたグラスを見ながら聞いてきた。

「カシスオレンジ」

 グラスを傾けながら言うと、ユキは思い切り眉を寄せる。…恐らく、甘くない酒なら奪い取られていたんだろう。そのまま俺を通り越してバーカウンターの方へ向かう。残った酒を飲み干して、俺もおかわりを頼もうとその後に続いた。



「ジンライム」

 そうマスターに頼むユキの隣に立ち、俺も甘めのカクテルを頼む。

「今日、打ち上げとかあるんだろ?」

 カウンターテーブルに手をついた態勢でふと隣に尋ねると、ユキは「…いや」と小さく答えた。

「メンバーの都合もあって、後日になった。…で、話って?」

 やけにあっさり、ユキはそう聞き返す。俺がここに来たということは自分と話をする気だということは簡単に想像できたんだろう。まともに話をするのは実に1ヶ月ぶりなのに、まるでこれまでの俺の完全シカトなんてなかったかのようだ。



「ここでしてもいいんなら、今話すけど」

「…一杯飲んだら場所変えるか」

 出されたグラスに口をつけながら、ユキはそう呟いた。



「修司はどうした?」

「…成川蓮と出て行って、まだ戻ってこない」

「……まずくねぇか、それ」

「別にまずくないだろ。子どもじゃないんだから暴力沙汰にはならねぇだろうし」

 並んでそんな話をしていた時、だった。

「あ、本城先生…」

 やけに控えめな女の声が、俺たちの耳に届いた。



 振り返ると、そこにいたのは相澤だった。…そういえば忘れてたな。ユキは無表情で彼女を見やる。

「びっくりしました、先生がピアノでライブに出られるなんて…。あ、私、今日は知人にこのライブを教えてもらって来たんですけど…」

 言い訳じみたことを言いながらも、俺たちからしたらそれは白々しい「嘘」だった。どうせどこかからユキが今日これに出ることを調べ上げて来たに決まってる。



「あぁ、そうですか」

 短く答えて、ユキは再びクルリと体の向きを変えた。別にそれ以上話すことなどないとでも言うように、彼女から目を逸らしてグラスを傾ける。露骨に拒絶されて、相澤は一瞬絶句したようだった。

…だけど…彼女が悪い。無神経にプライベートな域に偶然を装って来るなんて…ユキの逆鱗に触れてもおかしくない。そうしても許される女なんて、俺は白石以外に見たことがなかった。



「相澤先生」

 相澤が声を失った時、ふと更に後ろから声がかかった。いつの間に戻ってきたのか、成川蓮がそこにいた。さっきまでの目つきではなく、いつも通りの表情で佇んでいる。俺とユキに気づくと、軽く会釈をした。

「ライブ、終わってしまったんですね。すみませんでした…よろしければ、お送りしますけど」

「…え…っと…」

 成川蓮の当然の申し出に、相澤は一瞬戸惑った。ユキ目当てで来た彼女なら仕方ないリアクションだろう。だけどその時、「ユーキ!」と何人かの女がこちらに向かってきた。メグミも含むその女たちは、「おつかれー」と人懐こい笑みを浮かべながらユキのグラスに自分のそれを合わせた。

「おう」

 短く答えて、ユキは完全にそちらと話し始める。それを見ていた相澤は、小さく吐息を漏らすと「…お願いします」と成川蓮に返事をした。



 俺にペコリと会釈をして、2人はそのままバーを後にする。…何というか…どいつもこいつもバカでかわいそうで…

「めんどくせぇな」

 今日何度目かの呟きが、口から自然と零れ落ちた。



「何がめんどくさいって?」

 2人がバーを去ってからタイミングを見計らったように、修司がそう言いながら俺の隣に立つ。

「…お前…どうだった、成川蓮との話は」

 尋ねると、修司はわずかに口元を緩める。どこかおかしそうに笑みを浮かべた。

「冷静なように見えてまだまだ若いねぇ、あの先生」

「…何話したんだ」

「秘密。とりあえず俺のことは気に入らないみたいだよ」

「…そりゃそうだろ、お前がそう仕向けてんだから」

 呆れたように言うと、修司は更に笑った。



「俺たちこの後場所移すけど…お前どうする?」

 メグミたちから未だ解放される様子のないユキを顎で示しながら、俺はそう尋ねる。それを目で追ってから、修司は今度は微かに苦笑いを浮かべた。

「ユキと貴弘がどう仲直りするのか見ものだけど…遠慮しとく。とりあえず和美ちゃんに電話したいし」

「あっそ、よろしくな」

「うん。じゃあ。…ユキ、またな」

 修司の挨拶に、ユキは片手を挙げて応じる。バーの扉の向こうへ消えて行く修司の後ろ姿を見送ってから、俺たちも他の連中に挨拶をしてそこを後にした。




******



 ユキと移した場所はさっきまでの雰囲気とは全く違う、どこにでもありそうな居酒屋だった。バーと違って少しうるさいくらいの店の方が、話をするのに都合が良い。そこで俺は「返答次第によっては俺のシカト攻撃も続行するからな」と前置きした。…我ながら子どもじみたセリフだとは思ったが、ユキはそれに笑っていた。



「…お前、あれから藤枝由香子とはどうなってんだよ」

 回りくどく世間話から入る必要性は感じられない。一番にそう尋ねたけれど、ユキは日本酒を呷りながら小さく肩を竦めた。

「お前が本当に聞きたいのはそんなことか?」

「…何だよ、質問できる個数が決まってるわけでもねぇだろうが」

「本気で聞きたいことにしか答えない」

「…何だそれ、めんどくせぇな」

 眉を顰めたけれど、ユキが冗談でそう言っているわけではないらしいのが分かる。

「…って言ったってお前、俺が一番知りたいことは答えるつもりねぇじゃねぇかよ」

「お前が一番知りたいことって何だよ」

 即座に返されて、俺はテーブルの上に頬杖をついて睨むようにユキを見る。

「俺が一番知りたいのは、あの時なんでお前が藤枝由香子のところに行ったのかってことだよ。泣いてる白石を置いてでも行った理由…! 結局お前にとって、白石よりあの女の方が大事なのかってことだ」

「……」

「ほらな、お前に答えるつもりなんて…」

「別にいいぜ」

 ないんだろ、と言いかけていた俺の言葉を、ユキの声が遮った。思いもしなかった返答に、俺はこの上ないくらい目を丸くする。



「…だってお前…、あの日俺に言ったじゃねぇかよ。『白石に話さなきゃならないことはあるけど、お前に弁解して許しを請うようなことはしてない』って。だから俺には本当のことを教えてくれなかったんだろ!?」

「…あぁ…言ったな」

「だったら…っ!」

「あの時は、由香子のところから戻って一番に会ったのがお前たちだった。俺の考えてることとか…そういうのを全て話すとしたら、お前らより先に白石に話すべきだと思ったからだ」

「………じゃあ…もういいのかよ。白石にまだ話してねぇんだろ?」

「それは…いいだろ、もう。あいつにはもう俺の話なんて聞く気はねぇんだから」

「それなら、何でその後すぐ俺たちに話そうとしなかったんだよ!」

「『完全シカト』してたのはどこのどいつだ」

 揶揄するような響きをこめて、ユキは笑う。返された言葉は自分の胸に突き刺さるようで、俺は「…う」と言葉を飲み込んだ。



「じゃあ…今話せよ。お前の考えてること」

 俺の言葉に、ユキは不意に笑みを消して少しだけ真顔になる。それから目を伏せると、あの日のことを思い出しているのか重そうに口を開いた。

「あの時ほど、俺は自分が冷たい人間だと思ったことはなかった」

 こちらが予想していたのとは少し切り口の違う話のはじめ方に、俺は思わず目を見開く。


 そんな俺の反応を見もせずに、ユキは少し視線を逸らしたまま続けた。



「自分でも少しゾッとした。俺にとっては白石以外…他の誰がどうなろうが、どうでもいいんだって実感したから」

「…じゃあ…何でその白石を置いてまであの女のところに行った?」



 控えめに尋ねると、ユキは自嘲気味の笑みを口元にはびこらせた。






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