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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
104/152

7 side:Syuji


 メグミの計らいで、俺が今回のビッグバンドライブに飛び入り参加することが決まったのは前日のことだった。演奏曲はメジャーすぎるものばかりだったので、改めて練習する必要もない。ただ最近は仕事が忙しくてサックス自体を持つ時間が減っていたので、腕前の心配はあったけれど。




 バンドのメンバーがチューニングを始めたものの、まだ客の入りが少ない。恐らく数十分遅れての開始になるだろうと言われて、俺はリードをくわえながら店の裏側にいた。




 ユキの出すピアノの音に合わせて、それぞれのメンバーが自分の耳でチューニングをしていく。その様子をステージの裏側から眺めていた俺は、やがて自分も楽器を装着すると表に出た。客席側をぐるりと見渡してしまったのは、和美ちゃんが気になっていたからだ。できれば一緒に連れてきてあげたかったのだけど、彼女は無事にここにたどり着くことができただろうか。



 そう思ってキョロキョロしながら店へ出ると、いつの間に立ち上がっていたのかユキとすれ違った。

「あれ、チューニング終わり?」

 俺まだなんだけど、と言いかけると、ユキは「電話」と着信を受けて光っている携帯を見せながら奥へと引っ込んでいく。…仕方ない、自分でピアノの音を出すか。そう思ってそちらに歩み寄ろうとした瞬間に、視界の片隅に和美ちゃんの姿を見つけた。



 声をかけようとした時、その周囲が少し異様な光景であるのに気づく。彼女の前に立っているのは、2人の男女。スラッとした長身の美人と、メガネをかけたインテリ風の美男子だった。

 そんな彼らの前で、和美ちゃんは目に見えて動揺しているようだった。俺はその2人に見覚えはないので、バーの常連客ではない。



 そんな人たちが和美ちゃんに何の用があるのかと首を捻りかけた。訝しげに思いながらもそちらへ近づくと、明らかに相手の女性もうろたえているようだった。

「白石さん、あなたどうしてこんなところに…?」

 そんな問いが聞こえてきて、なぜかピンときた。バーで知り合った人間なら彼女のことを苗字でなんて呼ばない。ジャズ関係の知り合いじゃない…となると、和美ちゃんが顔見知りな大人なんて限られるだろう。



 それだけでも感づくには十分だった。

 貴弘から前に、ユキのことを好きな美人の同僚がいることと、和美ちゃんの元彼氏が臨時教師で赴任してきたと聞いていたから。恐らく、この2人は教師だ。

 そう気づいた瞬間に、事態は更に悪化する。和美ちゃんの脇を通り抜けようとした女性2人が、彼女に気づいて声をかけた。だけどその時に、「元カレ」という単語を出してしまう。それはこの場にいるあのジャズバーの常連なら誰もが知っている、当然ユキのことだ。悪気のないその一言に、教師2人が互いの顔を見合わせたのが分かった。




 …まずい。



 咄嗟に、そう思う。

 この状況でユキが今日この店にいれば、2人は当然気づくだろう。それだけは避けないと、ユキの教師としての立場も和美ちゃん自身も危うくなってしまう。ユキが今この場にいないことがせめてもの救いだ。まだ、ごまかせる。



 そう思った瞬間に、俺は自分の楽器を近くにいたメグミに押し付けた。それから、大股でそちらに近寄る。



「和美!」

 いつもより大きな声で、彼女に声をかけた。




******



 その日のライブは2部構成に分かれていて、俺が出させてもらうのは1部だけだった。


 あの紳士的なインテリ教師が和美ちゃんを連れて帰った後、すぐにライブが始まった。だからユキにはまだ何も報告すらできていない。チャンスがあるとしたら2部が始まる前の30分ほどの休憩時間だ。そう思って、俺は店の裏側であいつを待っていた。



「…おう」

 ステージを下りてすぐに煙草に火を点けながら、ユキは俺に気づいて片手を挙げる。

「お前、さっきのアドリブだけどな、あれ…」

「ユキ、そういう話してるヒマないんだ」

 ダメ出しでもしようとしたのか、何かを言いかけたユキの言葉を遮る。そして俺は、そのまま誰もこちらを気にしない静かな場所まであいつを引っ張っていった。



「ユキ、和美ちゃんが来てたの気づいてた?」

「…え?」

 やっぱり、気づいてなかったか。和美ちゃんがいられたのはほんの少しの間だし、ユキは電話で席を外していた。チューニング中でも、暗い店内ではユキの位置からは彼女のことは見えづらかったに違いない。



 俺は、さっきあったことを全部話した。狭い通路で互いに向かい合って、まるで一昔前のヤンキーのように腰を浮かした態勢で座り込む。その上ユキは煙草を吸っていたので、さっきのインテリ教師の模範的な態度とは正反対で笑ってしまった。



「…へぇ」

 聞き終えたユキは、少し不機嫌そうに小さく呟いた。



「余計なことしなくて良かったのに」

 続けたユキは、そう言いながら煙を吐き出す。『余計なこと』とは、俺のしたことが迷惑だったとか大きなお世話だったとかではなく、ただ「俺にとって面倒なことになる」から気を遣っての言葉だと読み取った。

 それが分かったから、思わず小さく笑ってしまう。

「だけどあのままだと、ユキが元カレだってバレてまずかっただろ?」

 尋ね返すとユキは、小さく首を傾げて少しの間何かを思案した。

「…それはそれで牽制球になって良かったかもな」

「牽制球?」

 思ってもみない言葉が出てきたので、俺は意外そうに眉を持ち上げてしまう。

 牽制…それは、あの教師2人に…? でもそれじゃまるで…。



「ユキ、和美ちゃんのこと諦めたんじゃなかったんだ?」

 目を丸くして尋ねたけれど、ユキは視線を逸らしたままこちらを向きはしなかった。いや、俺だって、何もユキが和美ちゃんのことを好きじゃなくなったとは思わない。ただ、別れてからの引き方といい…追いすがるつもりもないように見えたので、意外だったんだ。



「諦めたなんて言ったっけ?」

「いや……じゃあまだ頑張るつもりでいたんだ?」

「? そんな気ねぇよ」

 諦めたわけじゃないけど頑張るわけでもない…? ユキの考えることは、俺の予想の範疇を遥かに超えていてよく分からない。

「メグミにもこの前聞かれて答えたけどな、何が何でもヨリを戻したいと思ってるわけじゃない。好きだって気持ちだけじゃどうしようもないこともあるから、あのまま付き合ってても無駄だったと思う」

「じゃあ…何考えてんの? ユキ」

 尋ねると、ユキは少しだけ唇の端を上げて笑った。どこか自嘲的な…そんな笑みだった。



「それで、相澤まで来てるって?」

 話を変えるように言ったユキは、店の方を少し振り返る素振りを見せながら言った。どうやら俺の問いに答えるつもりはないらしい。吐息まじりに俺は肩を竦めた。どうやら「相澤」というのは女性教師の方の名前らしい。軽く頷くと、ユキは今度こそ本気で不機嫌そうに眉を寄せた。

「…面倒くせぇな」

 そりゃそうだろう。ユキは元々、和美ちゃん以外にプライベートの領域に踏み入ることは許さない人間だから。



「まぁ、とにかく、報告はしたよ」

 そろそろ休憩時間が終わる。俺は2部は客席で堪能することにして、先に立ち上がると歩き出した。



「修司」

 そんな俺に、後ろからユキが改めて声をかけてくる。肩越しに振り返ると、ユキは珍しく冷笑でも嘲笑でもなく、ただ微笑んでいた。

「ありがとう」

「……」

 悪ぃな、とかじゃなくて、ユキがきちんとそう言葉にするのは稀だ。思わず目を見開いた後、俺は同じように笑って返す。

「文化祭に遊びに行った時、何か奢ってくれたらそれでいいよ」

 そう返事をした俺に、ユキは「お前本気で来んのか」と呆れたように言った。





******



 ユキと別れ、俺はそのまま店内の方へ戻る。一応辺りを確認すると、既に結構入っている客の中にあの「相澤先生」の姿を見つけた。

 ユキのことが好きなんだろうけれど、ここまで来てしまうなんて、あいつ相手には逆効果だろう。内心で同情しながらその整った横顔を見据えてから、俺は彼女とできるだけ離れた席に座った。気づかれて和美ちゃんとのことを何か聞いて来られても面倒だからだ。



 その時、店内に新たな客が入ってきた。何気なしにそちらを見やった俺は、思わず驚きを隠せずにいた。まさか来るとは思っていなかったからだ。「そいつ」は俺に気づくと片手を挙げて挨拶をしてきた。



 店内後方にあるカウンターでマスターに作ってもらったカクテルを手に、そいつは俺の隣へやってくる。

「来ないと思ってたのに、びっくりした」

 そう声をかけると、カクテルをテーブルに置いて椅子を引いた貴弘は小さく肩を竦めた。

「話がしたくて、ちょっとな」

「俺と?」

「お前じゃねぇよ、あのバカクソユキだ」

 まだ怒って…いや拗ねているのか、ユキもひどい言われようだ。だけど話をしたいと思うようになっただけでも進歩だろう。

「…諒子から聞いたけど…准一に言われたこと気にしてんの?」

「…うるせぇ」

 子どもがイーっとするように歯を見せてから、貴弘はグラスに口をつけた。そしてその次の瞬間、グラスを呷りながらも前方を見据えていた目に何かを捉えたのか、ぶほっと盛大に吹き出した。

「何だよ、汚いなぁ」

 手近にあったおしぼりを渡すと、口元の辺りを拭いながら貴弘は少し身をかがめた。

「な、何で相澤がここにいるんだよ!?」

「あぁ…あの先生? ライブ始まる前からいて…ちょっと色々あってさ」

 向こうから見つからないように身を潜めているらしく、でかい図体をテーブルの高さにできるだけ合わせる。そんなことしたってそのうち見つかるだろうに…。



 声を潜めて、俺はさっきユキに話したのと同じ説明をする。幸いBGMも流れているし、誰も聞き耳はたてていないだろう。



「…成川蓮まで来たのか…」

 呟いた貴弘に、俺は「そういえば」と小さく眉を顰めた。

「和美ちゃんの前だととても言えないことだけどさ」

 そう前置きして、貴弘の方へ少し身を寄せる。尚更周りには聞かれたくないことだったからだ。

「貴弘が、前に言ってただろ? 和美ちゃんの元彼の臨時教師は、紳士的でインテリで、王子様みたいなタイプだって」

「ん? あぁ」

「俺にはとてもそうは見えなかったけど…。ありゃ腹ん中真っ黒だよ」

 ふん、と鼻であしらって、俺はそう言った。だけどその言葉を受けて、貴弘は更に何かを嘲るように笑う。

「確かに『紳士的でインテリで、王子みたいで女子生徒からもてそう』だとは言ったけど…俺は一言もイイ人間だとは言ってないぜ」

 続けた貴弘の言葉に、俺は思わず目を瞠った。つまり…貴弘も俺と同じ印象を受けたということか。



「ユキが真っ黒い人間に見えて意外に白いのと逆だ。成川蓮は純白に見えて内面ドス黒いぜ」

 貴弘がそう言ったのと同時に、バーの扉がまた開いた。その入り口とは一番離れた場所にいた俺たちだったけれど、何かを予感したのかそちらを見やってしまう。

 そこを入ってきたのは、噂していた当の「成川蓮」だった。和美ちゃんを送り届けて、言葉通り戻ってきたらしい。



「……」

 少し店内を見渡した彼は、相澤先生ではなく別の人間をその両の目に捉えた。ただその目つきは、さっきまでのように紳士的でも貴公子然ともしていない。見るものを食い殺すかのように、鋭く威圧する眼差しだった。普通の人間なら、畏怖を感じて怯んだことだろう。



 だけどその目線の先にいる俺は、悪いがそんなことで動じない。

 八重歯が見えそうなくらいニヤリと笑い、その視線を挑発するように受ける。


「化けの皮が剥がれたな、王子サマ」

 俺の呟きに、隣の貴弘は「…化けの皮剥がれてんのはお前もだ、修司」と小さく呟いた。






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