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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
102/152


 自分が一体どうしたいのか、私にはもう分からなかった。



 先生を忘れたいのか、忘れたくないのか…。あの時の「問い」の答えを、聞きたいのか聞きたくないのか…。



 そんな迷いが見て取れるから、きっと先生は「答えられない」と返事をしたんだろう。全ては私の気持ちの問題で動き出すんだ。でも一歩を踏み出すには、勇気が足りない。だって、あの問いに対する先生の答えは、私にとって良い物であるはずがないからだ。



「あ、和美ちゃん来てくれたんだー」

 あれから2日後の夜、メールで知らされたバーにたどり着いた私に気づいてメグミさんが声をかけてきてくれた。

「お誘いありがとうございます」

 笑って挨拶をすると、メグミさんはニコリと笑い返してくれる。いつもよりドレスアップして、とてもきれいだった。



 かく言う私も、いつもより服装とメイクには気合を入れてきた。少なくとも20歳以上に見えるように、だ。いつもこういう場所に連れてきてくれていた先生はいないし、なっちゃんが今日来るわけもない。当てにしていた修司さんは今日飛び入りで参加することになったらしく一緒には来られなかったし、諒子さんは仕事が遅くなるようで来られるかどうかも怪しいようだ。

 だから、今日は初めて一人でバーに来た。しかも行き慣れたバーではなく初めての場所なので、緊張は倍以上だ。



「和美ちゃん、そういえばユキと別れたんだってー?」

 挨拶もそこそこに、メグミさんはすぐにそんな話題を振ってくる。今日絶対誰かには言われることだろうと思っていたけれど、まさかメグミさんに一番に言われるとは思っていなかった。

「あ、はい…」

 嘘をつくわけにもいかないので、そう正直に答えた。すると彼女は整った形の唇で、緩く弧を描くように笑んでみせる。

「当然よねー。ユキに和美ちゃんはもったいないと思ってたんだよね」

 悪びれる様子もなくそう言われたけれど、それが彼女なりの挨拶のようなもの…というか冗談まじりの励ましだと分かっていたので私も微かに笑い返した。



 ちょうどその時、周りではホーンセクションの人たちがチューニングを始める頃だった。いつの間にそこに出てきていたのか、先生が出したピアノの音に管楽器の音が重なる。それに気づいて目線をそちらに向けると、ステージの隅に片手で音を出しながら、もう片方の手に煙草を持っている何とも態度のよろしくない不良教師が視界に映った。

 たったそれだけの「先生らしい」姿に、ドクンと胸が高鳴る。バーの一番後ろという手近の椅子を勧めてくれながら、メグミさんはそんな私を見て少し微笑んだようだ。「私も行ってくるね」と言い、近くに置いてあるアルトサックスを手にステージの方へ向かう。



 今日は、まだそれほどお客さんの入りが多いわけではない。予定では後10分ほどで始まるはずだけれど、この分だとその通りに始まるかは怪しかった。そのせいか、照明が当たっていないとは言え、ステージの上にいるはずの先生も随分リラックスして誰かと談笑している。




 そんな楽しそうな顔を見るのも、久しぶりだった。やっぱり先生はピアノの前にいる時が一番幸せそうだと思う。そんな先生を見ていると当たり前のように私も嬉しくて、目が逸らせなかった。今日なら…ステージの上にいる先生なら…どれだけ見ていても許される気がする。



 そう考えていた私の傍を、誰かが通るたびに声をかけられた。「久しぶり」とか「あれ、和美ちゃんじゃん」というように軽く声をかけてくれる人が多い。それはあのいつものジャズバーの常連客だったり、修司さんや先生の知り合いだったり…。親しく声をかけてくれる人たちに笑顔で軽く会釈を返した。



 そんな中私が思わず固まってしまったのは、とある一組の男女がバーに入ってきた時だった。

 背の高い、美男美女。だけどそれは私がよく知る人物で、視界に捉えた彼らを認識するとこれ以上ないくらいに目を見開いてしまった。



 ……どうして…ここにいるの…?



 そんな私の態度に気づいたのか、バーに入ってきた相澤先生と蓮くんは並んで私に気づくと一瞬声を失った。目を瞠るその姿は、きっと今の私を鏡で映したかのようだっただろう。

「…白石……さん…?」

 私の姿を捉えて、相澤先生の整った顔が呆気に取られたかのように放心する。そんな彼女を前に、私の頭の中はただ「どうして」だけが繰り返し渦を巻いた。




 だけど…本当なら考えなくても分かる。きっと相澤先生は、本城先生が今日ここで演奏することをどこかから聞きつけてきたんだ。先生が彼女を誘うわけはない。それに、ビッグバンドに彼女の知り合いがいて偶然だとか言うことも考えにくい。

 それは恐らく相澤先生の根性で勝ち取った情報なのだろうと思うと、少し空恐ろしくも感じられた。蓮くんは、それに巻き込まれただけ…というところだろうか。まさか2人が土曜日の夜に2人きりで雰囲気の良いバーで食事をする仲だとは思えないし。



「白石さん、あなたどうしてこんなところに…?」

 元々、私が本城先生のことを好きだと彼女は気づいている。私がここにいる事実が面白くないのも本当だろう。信じられないように目を見開いていた彼女は、その後できるだけ冷静を装ってそう尋ねてきた。だけどクールに質問するその様は教師というより、大分私情が入っているように思える。

『本城先生のプライベートの場所にまで、どうしてあなたがいるの』

 そんな心の声が、聞こえてきそうだった。



「……」

 蓮くんは、絶句したのか相澤先生の半歩後ろで口を開きもしなかった。恐らく何か言おうとしたら彼も教師としてではなく「幼馴染み」として問い詰めそうになったからだろう。相澤先生の手前からかそれらの言葉を飲み込んだらしい彼は、ただ黙って私を見据えていた。



「…え…っと……」

 言い淀むと、ちょうどその時この空間の空気に全く気づかなかったらしい2人組がちょうどすぐ傍を通った。それはあのいつものバーの常連で、私にもいつも声をかけてくれるお姉さんたち。テンション高く明るい性格だけれど、今のように空気を読まないことも多いのも事実だった。すれ違いざまに、「あれぇ? 和美ちゃん!」と大きな声で私の肩を叩く。



「久しぶりー!! 何、今日はどうしたの? もしかして元カレの勇姿でも見に来たの?」

 悪気はないのは分かる。普段なら私だって微笑んで受け流せる程度の言葉だ。だけど今回ばかりは、タイミングが悪い。彼女の紡いだ「元カレ」という単語に、相澤先生と蓮くんが互いに顔を見合わせたのが分かった。



 私が何か答えるより早く、返事を期待しているわけではない彼女たちは「あははっ」と声を上げて笑いながらバーの奥の方へと向かう。もう他のお店でお酒でも飲んできたんだろうか。そんな後ろ姿を茫然と見送ると、怖くて相澤先生たちの方を振り返るのに勇気がいる。



「白石さん、あなた…」

 そもそも、高校生がこんな店に出入りしているという時点で恐らく停学ものだろう。だけど、問題はそこじゃない。相澤先生がひっかかったのも、そんなところではなかった。ただこの状況で、「元カレ」なんて単語が出てきたら誰だって気づくに決まっている。



「もしかして…」

 まさか、というように途切れ途切れに言葉をつなげる相澤先生は、明らかに動揺しているようだった。



 だけど、それは私も同じことだ。手と足が震えそうになるほど戸惑ったのは、停学が怖かったからじゃない。先生との関係がバレるからでもない。ただ、このまま本当にバレたら「本城先生に迷惑がかかる」ことが分かったからだ。



「……」

 何と返せばいいのかなんて、分からなかった。ごまかす術も本当のことを言えるはずもなく、ただゴクリと息を飲む。



 そうして立ち尽くした3人の間の空気に、ピリとした緊張の糸が張り詰めたのが分かった。






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