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Sweet&Bitter  作者: みずの
降っても晴れても。
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6 side:Yukisada


 白い天井が、見慣れた高さにあった。ゆっくりと開いた瞳に初めに映ったのがそれで、そしてやがて視界にはコンポやら仕事用のデスクといったものが入ってくる。覚醒しきらない頭でそれを捉え、漠然とそこが自分の部屋であることを認識した。


 ただそれ以上はまだはっきりせず、今が朝なのかどうかも判然としない。



 …そうだ、確か金曜日の朝から喉の調子が良くなくて…。



 部活中に悪化してきたそれに伴い、熱も出てきた自覚があった。



 いつもより少し早めに部活を切り上げて、残った急を要する仕事だけを片付けて。

 …それから……。



 ……………それから?




 首を捻りながらセミダブルのベッドを抜け出すと、服は上着とネクタイを外しただけの格好だった。窮屈なYシャツのボタンを外し、汗で湿ったそれを乱暴に脱ぎ捨てる。風邪を引いていたのが嘘のように、体調はもうすっきりしてしまっていた。



 カーテンの隙間から漏れる光は、どう考えても夜ではない。勢い良くそれを左右に引くと、どうも朝でもないようだった。高く昇った太陽が、こちらを照らす。それを眩しそうに、目を細めて見上げてから、俺はようやく室内のデジタル時計に目を向けた。



 午前11時50分。…どうやら帰ってきてから半日以上、眠り続けていたらしい。それだけ眠れば体調もすっきりするわけだ。我ながら妙に感心しながら、クローゼットの方へ向かおうと足を方向転換させた。



「……」

 その時に、視界にベッドが入ったせいでようやく気づいた。さっきまで使っていたはずの枕が、枕でなかったことに。冷たすぎないようにタオルで巻いて調節された、アイスノンだった。



「……?」

 うちの冷蔵庫に、そんなものが入っていただろうか?…いや、仮に入っていたとしても、いくら熱で朦朧としていてもそれを出そうと自分の気が回るとは到底思えなかった。



 小首を傾げて、俺はクローゼットから適当なTシャツとジーパンを取り出す。手早く着替えて脱いだ服を洗濯機に放り込もうと部屋を出たところで……思わず、俺は足を止めた。



「…なんだ…?」

 驚いて目を見開いて、俺は半ば茫然と立ち尽くしてしまう。部屋を出たダイニングのテーブルに、突っ伏して寝ている姿があったからだ。授業中によく生徒がやるように、自分の腕を枕にして顔を横に向けて静かに寝入っている。

「…白石…?」

 小さく思わず呼びかけてしまいそうになってから、俺はようやく思い出した。



 そうだ、昨日…薬を買おうと帰りに寄ったドラッグストアで、白石に会った。学校で泣いてしまったことや俺から逃げてしまったことを謝られた記憶もある。その直後、自分が熱で立っていられなくなってタクシーに乗ったことも。



 テーブルの上に置いてある薬やら冷えピタやらに気づいて、恐らく白石がずっと看病してくれていたらしいことに気づいた。



「……」

 何とも形容しがたい感情が胸に沸きあがりそうになり、俺はそれを必死で抑えて部屋へ戻った。洗ってしまいこんであった毛布をクローゼットから取り出し、それを白石の肩にかけてやる。

「…ん……」

 小さな声を出して、毛布の下で白石が少しだけ身じろぎした。だけどそのまま起きてしまうこともなく、向きを変えてまた静かな寝息を立てて眠る。起こさずにすんだことに少しだけ安堵の息を漏らして、俺はその寝顔を見下ろした。透き通るくらいに白い肌に、艶やかな黒髪が映えるようにかかっている。その隙間から覗く瞼が、安心しきったように閉じていた。恐らく、夜通し看病して疲れているんだろう。

 言いようのない申し訳なさが込み上げそうだったけれど、それよりもさっきからごまかしきれないほど己の胸中を満たしてしまった感情があった。




「……ありがとな」

 流れるような髪に撫でるように一瞬だけ触れて、俺は小さく呟いた。




******



 熱いシャワーを頭から浴びて汗を流しても、払拭しきれない想いがあることは明白だった。着替えなおして浴室から出ても、白石はまだ変わらない態勢のままそこで眠っていた。音をたてないようにキッチンでミネラルウォーターのボトルを取り、テーブルの上の薬をそれで流し込む。空腹の時に薬を飲むなと、起きていれば怒られそうな気もした。



 部屋へ戻り、何となく手が手近のコンポへ伸びる。いつもよりも音量を絞り、もう何年も聴いていなかったCDをクローゼットの奥から取り出した。それをコンポに挿しこみ、プレイボタンを押すとやがて静かなピアノの音が流れ始める。その柔らかい音に乗って、渋めの男の声が聴こえてきた頃に俺はデスクの椅子に腰掛けた。それから、首ごと顔をあお向ける。



 耳を澄まして聴くその男の歌う歌詞は、甘い以外の何ものでもなかった。雨が降ろうが晴れようが、何があってもただ一人の女を愛することを誓った歌だ。



『先輩は、今そういう風に思える人はいないんですか?』

 不意に、拓巳のそんな一言が脳裏をよぎった。



 過去の恋愛は、思い出したいものなんて何一つなかった。だから正直、拓巳がこの曲が好きだと言った時は理解できなかったほどだ。この歌詞に自分の感情を重ね合わせてみるなんて、無駄なことでしかなかった。




 だけど、今は……。




 かつて拓巳が「色気がある」と評した男性ジャズシンガーの声を聴きながら、俺は後ろを振り返る。子守唄がわりにでもなっているのか、全く起きる気配のない白石が変わらずテーブルで眠っていた。



 その寝顔を見ただけで、今はこの歌詞の意味も少しは理解できる気がした。




 そう、全ては無駄だったんだ。


 白石が貴弘の話ばかりするのにイラついた理由に自分で気づかないフリをしたこと。そして、白石が都築を好きかもしれないことに対する負の感情を押し込めたことも。泣いた彼女を慰めるのが、自分じゃなくて都築であった現実を見ないようにしたことも。



 気づかないフリをしていたって、いつか思い知らされる時が来るんだから。



 どんなに否定したって、目の前にいて沸き上がる愛しさだけは自分でもさすがに知らないフリはできない。




「…………まいったな」

 ようやく気づいた自分の感情に、俺は吐息まじりに項垂れた。






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