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Sweet&Bitter  作者: みずの
このささやかな幸せを
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1 side:Kazumi

 目の前が、真っ暗になった気がした。ずぶり、ずぶりと足元から何かに呑まれていく感覚に襲われる。コールタールの海に沈んでいってしまうような気さえして、私はもがくのを忘れてしまっていたほどだ。


 何を…言われたのか一瞬分からなかった。真っ暗になっていく視界の中で、目前の白衣の男が煙草を片手にこちらを見下ろしているのが見える。私を瞬時に暗闇に突き落とした、その男の発したさっきの一言がずっと頭から離れない。



「あいつ、実は結婚してるぜ」


 何度か反芻した頃には、私は頭まで闇にのまれていた。





******




「なっちゃん!!」

 バン、と乱暴に数学準備室のドアを開けると、中にいた2つの影が驚いたようにこちらを振り返った。てっきり数学教師しかいないと思っていた私は、反対に驚いて目を見開く。涙で濡れた顔を拭うことも忘れていたので、そこにいた2人は私を見て一瞬互いの顔を見合わせた。

「あ、ごめんなさい…取り込み…中?」

 どうやら、男子生徒が数学教師の名取先生に分からないところを教わりに来ていたらしかった。何となく気まずくて消え入りそうな声でそう言うと、その男子生徒は私を見てから先生……「なっちゃん」の方に向き直る。

「大体分かりました。ありがとうございます」

「おぅ、また分かんなくなったら来いよ」

 煙草を灰皿に押し付けながら、先生はその生徒にそう声をかけた。軽く一礼した彼が、入口にいる私の方へと近づいてくる。

「どうぞ」

 微かに微笑んで私を中へ促すと同時に、彼はそのまま数学準備室を出て行った。泣きすぎな私の顔を見て…気を遣ってくれたんだろう。




「…ごめんなさい、邪魔しちゃった」

 後ろで閉められるドアを振り返りながら、私は部屋の奥にいる先生に声をかける。

「いや、ちょうど終わったところだ」

 新しい煙草に火を点けながら、先生はニヤリと笑って見せた。


「で?お前はどうしたんだ?白石」

 そう言って立ったままの私を見上げて、近くの椅子を勧めてくれた。






 この学校には、「不良教師」と生徒に呼ばれる教師が2人いる。

 一人はこの数学教師、名取貴弘。年は今年で26歳になる…んだったと思う。180センチ以上ある長身に、細身の体。

 女の子受けしそうな整った顔立ちで、口は悪いために「不良教師」なんて言われているけれど、男女問わず人気がある。親しみを込めて『なっちゃん』と呼んでいるのは私だけではない。


 生徒の前だとしても数学準備室でパカパカ煙草を吸う辺り、「真面目」とは言いがたい。けれど相談をすれば生徒と目線を合わせて考え、答えてくれる。教師の中では浮いていることもあるらしいけれど、私たち生徒からしたら貴重な存在に違いなかった。


 私も、その一人。

 ひょんなことから接点を持ったこの数学教師に、いつしか相談するためによくここを訪れるようになった。





 そして、うちの学校の「不良教師」は、もう一人。


「ユキと何かあったのか?」

 なっちゃんが、そう名前を出す。

 そう、もう一人の不良教師の名前は本城行禎。「ゆきさだ」という名前から、なっちゃんは「ユキ」と呼んでいる。いつも白衣を着た…化学の教師。なっちゃんとは正反対の、生徒たちから怖がられ恐れられている「不良教師」だ。

 無口で無愛想、背はなっちゃんより更に高くて黙っていれば電柱みたいだ。短髪に髭を生やしていて、ハードボイルド系と言えば聞こえはいいけれどただ柄が悪いだけとも言われている。年は今年26、なっちゃんとは偶然だけれど大学の教育学部からの親友らしい。



 …そして、私が1年前から片想いをしている相手だ。そのことはずっと前からなっちゃんも知っている。




 持っていたハンカチで涙を拭いながら、私はなっちゃんの斜め前の席に腰かける。けれど、さっきの本城先生の一言を思い出せば涙はとめどなく溢れてきそうだった。




 本城先生は、私の気持ちになんて気づいていない。…というより、きっと興味もない。

 そんなことは分かっているけれど…それでも、あの一言は胸にグサリと突き刺さった。




「私はね、別になっちゃんが実は隠れて結婚してようがなんだろうがそんなことはどうでもいいの」

 前置きなしに、私はそう話し始めた。本城先生に言われたその内容に傷ついたわけじゃない。ただ、その一言を言えてしまうほど、彼が私に興味がないことを思い知らされただけだ。

「…ちょっと待て。色々と聞き捨てならねぇけど…まず話が見えねぇ」

 煙草の煙を吐き出しながら、なっちゃんは目を細めて私を見る。その言葉を受けて、私はさっきまでの化学室での本城先生とのやり取りを力なく説明した。





 私は、本城先生が顧問をしている化学部に所属している。化学にそれほど興味があったわけではないから、入部した動機は明らかに不純だ。それでも先生を好きになったおかげで本気で取り組んで来たし、先生の担当する化学の成績だって上がっている。始まりはどうであれ、今はそれなりに部活を楽しんでやってきていた。



 果てしなく無口なせいで、本城先生のことを好きになっても2人で話をする機会なんてほとんどなかった。何か話しかけても返ってくる言葉は少ないし、授業のことで質問をしても必要以上の説明は得られるはずもない。今日の部活中に偶然2人っきりになる機会があったのだけれど、例に漏れず会話が弾むことはなかった。…そもそも、自分のことを話すのが嫌いそうな先生に、何の話をすればいいのかわからなかった。…だから、私は無難に共通の話題になりそうなことを探したんだ。


「…で?」

 そこまで聞いて、なっちゃんは机に肘をついた怠慢な姿勢で私の話の先を促す。

「それで……先生と話せそうなことって言ったら、なっちゃんのことしか思い浮かばなくて…」

 友人関係でだって、共通の友達がいればその話題で盛り上がったりすることもあるくらいだ。だから、なっちゃんの話なら親友である本城先生も普通に話してくれると思った。だけどなっちゃんのことを聞けば聞くほど、先生は無口になっていって…。本人でもないのに根掘り葉掘り聞かれて、うっとうしかったのかもしれない。



『…あいつ、実は結婚してるぜ』

 煙草の煙を肺に溜め込んでから、先生はふーっと細く長い息を吐いた。実験に使った器具を片付けていた私は、その一言に手を止めて先生を見上げる。

『残念だったな』

 そのトドメの一言で、察した。…勘違いされたんだ、と。


 本城先生との話題を探す余りなっちゃんのことを話しすぎて、私が好きなのはなっちゃんだと勘違いされたんだ。



 好きな人に、別の人のことを好きなんだと誤解されることがこんなに辛いとは知らなかった。目の前は真っ暗になり、時間を戻せるものならそうしたかった。



「…バカだなぁ」

 話を聞き終えたなっちゃんは、一番にそんなひどい感想を漏らした。



「そんなこと、言われなくたって分かってるよ」

 これ以上落ち込ませないでほしい。がくっと肩を落として、私はうなだれる。そんなこちらの様子を見て、なっちゃんは「いや」と答えながら短くなった煙草を再び灰皿に押し付けた。

「お前だけじゃなくて、ユキも」

「……先生も?」

 言葉の意味が分からなくて聞き返したけれど、なっちゃんは聞こえないフリをしたのかそれには答えてくれそうになかった。新しい煙草を出そうとして、箱が既に空になっていることに気づいて小さく舌打ちをする。そしてその箱を、机の近くにあるゴミ箱に投げ入れた。



「…まぁ、とにかくだ」

 煙草の代わりなのか、なっちゃんは手近にあった缶コーヒーを口にしながら続ける。話を改めたようで、私を横目でチラリと一瞥した。

「こういう仕事してるとよ、女子高生に告白されたりすることも少なくねぇんだけどよ」

 話の矛先がどこへ向かうのか分からなかったけれど、私はなっちゃんの言葉に一つコクリと頷く。…でも、「教師だから」告白されるわけではないと思うのだけれど…「なっちゃんだから」じゃないだろうか。

「でもそういうのの大半は、こっちから見ても本気じゃないって分かっちまう。恋に恋してるって言うべきか…。なんかさ、子どもが珍しいおもちゃ欲しがってるようにしか見えねぇんだよな」

 言われて、私は思い切り眉を寄せた。

「私は…」

 反論しようとして言いかけると、なっちゃんはそれを片手を挙げて制する。こちらの言葉を遮って、先を続けた。

「分かってる。お前は初めからそういう感じじゃなかった。ユキのことを本気で好きだってのも分かってる。だけど…」

 一旦言葉を切って、なっちゃんはもう一度コーヒーを飲み下す。缶を机の上にタンと戻しながら、椅子を90度ほど回転させてまっすぐにこちらを見た。


「だからこそ、それくらいのことでつまずいてる場合じゃねぇだろ。教師に片想いする辺り、普通の恋愛よりハンディ背負ってんだ。勘違いされたって理不尽な言葉叩きつけられたって、跳ね除けてやるぐらいの覚悟でいなきゃまず報われねぇな」

 いつもはおちゃらけた面を持つなっちゃんの、真剣な目。気づくと私は、深く大きく、首を縦に振っていた。



「…そうだよね」

 小さく、同意するように呟く。



 そう、ただでさえ報われる可能性の少ない恋なのに…。こんなところでつまずいている場合じゃない。


「ありがと、なっちゃん。ちょっと前向きになれそう」

 言って、私は勢いよく椅子から立ち上がる。こちらのそんな言葉に、なっちゃんは再び唇の端を持ち上げて笑って見せた。

「おぅ、その方がお前らしいぜ」

 つられるように笑って、私はお礼のつもりで軽く頭を下げる。そうしてそのまま数学準備室を出ようとしたけれど…ドアに手をかけようとしたところで、「白石」と再び呼び止められた。


「余計なお世話かもしれねぇけどよ」

 椅子に座ったままの態勢で、なっちゃんはそう言いながらこちらを見上げる。

「好きな男に勘違いされるのが嫌なら、ちゃんと弁解するんだな」

「……え」

 思わず目を大きく見開いて、私はそちらを振り返った。尋ね返して小さく声を漏らした私を、なっちゃんはじっと見上げる。そしてメガネを押し上げながら、真剣な目をしたまま続けた。

「勘違いされたくないなら、自分でちゃんとユキに『違う』って言え」

「……そんなこと…」

 できるわけがない。ただでさえ、本城先生と2人で話す機会すらろくにないのに…。しかも、そんな弁解したって…先生はきっと私のことに興味はないだろう。無視されるか…冷たくあしらわれるか、どっちかに決まってる。



「でも、嫌なんだろ?勘違いされるの」

「…それはそうだけど…」

「だったら、自分で何とかしろ。アドバイスは他人でもできるけど、現状を変えるのは本人にしかできねぇんだからな」

「……」

 なっちゃんの言うことは恐らく正しいのだろう。つまずいていないで前に進むためには…必要なことかもしれなかった。


「わかった。なっちゃんありがとう」

 お礼を言うと、もう一度なっちゃんはこちらへ向けて唇を持ち上げて笑んで見せた。




******



 なっちゃんに励まされ、私は何とか本城先生に本当のことを聞いてもらおうと覚悟を決めた。それでも2人きりになれるタイミングがそれほどあるとは思えないので、チャンスが来る時を待つことにする。とりあえずなっちゃんに泣きついたその翌日は学校が休みだったので、その間に気持ちに整理をつけて決心を固める。

 明日からの学校で機会があれば、無駄にしないよう努力するつもりだった。



「ホントについてないよねぇー」

 その日曜の休日、私は仲の良い友達と4人でファストフード店でお茶を飲んでお喋りに花を咲かせていた。そんな時、私の隣に座っていた由実が不満そうに言葉を漏らす。コーラの中の氷はすっかり溶けてしまっていて、由実はそれを口にするたびにまずそうな顔をしてみせていた。

「何が?」

と私の向かい側で智子が聞き返す。

 尋ね返された由実は、肩を竦めて返して、再び飲んだコーラに眉を顰めて見せた。

「クラス替え」

 短く答えて、プゥッと頬を膨らませる。



 先週の月曜日はちょうど新学期の始業式で、私たちは2年に進級した。当然クラス替えも行われ、一週間新しい教室で慣れない緊張感をもって過ごした。だけど私と由実、智子、そしてもう一人の茜と去年から仲の良かったグループは、選択科目が同じだったのが功を奏したのか全員同じクラスになった。…だから…由実が不満に思うこともないと思うのだけれど…。



「何が不満なの?」

 私と同じことを考えたのか、紅茶を飲みながら茜が小首を傾げる。

「私は4人同じクラスになれて嬉しいな」

 いつもおっとりと控えめな茜は、そう言ってニッコリ笑ってみせた。

「4人に不満はないよ」

 ショートカットの髪を揺らして、由実は唇を尖らせたままそう言う。その表情が子どもっぽくて、智子がクスッと噴き出した。

「ただ、担任が不満」

 続いた由実の言葉に、私はドキリと胸が弾むのを感じた。



「最悪だよー、今年こそなっちゃんのクラスが良かったのにぃ。何でユキサダなんだよー」

 そこで出た本城先生の名前に、私は更に鼓動が早くなるのを実感する。



 本城先生は生徒からあまり好かれていない…というより、怖がられているから、恐らく担当のクラスになって喜んでいる人は少ないと思う。由実も本城先生よりなっちゃん派らしい。そのせいもあって、私は未だに仲の良いこの3人に本城先生に片想いしていることは言えずにいた。




「そう?私、本城先生あまり嫌いじゃないけど」

 おっとりとした口調のまま、ニコニコと茜が言う。その一言に「げぇぇ」と失礼きわまりないほどに由実が何かを吐き出すかのようなリアクションを返した。

「茜、趣味悪」

「『嫌いじゃない』だけで、『好き』とは言ってないよ」

 笑ったまま流すように受け答えて、茜はふと窓の外を見やる。

「……あれ?」

 それから、何かを見つけたのか元々大きな目をグッと更に大きく見開いた。



「?」

 その様子に気づいた私たち3人が、首を傾げながらその視線の先を追う。そして、茜と同じように大きく目を瞠った。

「……」

 胸が、一瞬で震えるのが分かった。決してそれは良い意味での震え方ではなかった。

「…あれ、ユキサダじゃん」

 隣からの由実の呟きが、余計に私の動悸を早くする。確かに、私たちの目に飛び込んで来たのは店の外の道路を歩いていく本城先生の姿だった。



 休みの日だから、当たり前だけれど白衣は着ていない。いつものスーツでもなくて、ラフなシャツにヴィンテージっぽいジーンズを履いていた。ただ、問題なのはその隣。本城先生の腕に、自分のそれを絡めて歩く女の姿があった。



「あれって、確か…」

 智子が記憶の糸を手繰り寄せるかのように眉を顰めて呟く。

「3年生の、先輩だよね…確か菅原先輩とかって言ったような…」

 蘇ってくるのに時間がかかりそうな智子の記憶を待たずに、茜が続きを受け持った。…そうだ、校内で見たことがある女の人だ。ただ学校で見るより私服は大人っぽく、セクシーな感じがモロに表立っていた。



「え、なに…付き合ってんの?」

 信じられない、と言うような感じで由実が言葉を漏らす。それは私を含む誰もが思ったことで、私が一番信じたくないことだった。



 誰もそれに答えられないまま、窓の外の本城先生と菅原先輩を見守っているしかなかった。…その時、だった。決定的な出来事が起こったのは…。



 不意に、2人が立ち止まった。向かい合って何かを言っているようだ。

 こちら側は菅原先輩の後ろ姿で、背の高い本城先生の顔は見えそうだったけれど先輩に合わせて俯き加減だったのではっきりとはわからなかった。…ただ、次の瞬間、ふと本城先生が菅原先輩の両方の手首を強く掴むのが見えた。


 …そしてそのまま、わずかにかがんで顔を寄せる。



「!!…キス…!?」

 思わずと言った感じに、由実が大声を上げた。その声に店内にいた何人もの人が振り返ってしまう。

慌てて口元を押さえた由実と、智子と茜が互いの顔を見合わせているのが分かる。



 私だけは…信じられないその光景を、茫然と眺めている以外に術がなかった。






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