一両編成
「ドア締まります」
ガラガラの1両編成の車内に、聞き取りづらい車掌兼運転手の声が響いた。
東京の本社から、地方の支社へ転勤になった時には、あぁこれが左遷かと絶望したものだ。
営業成績が振るわなかったことも原因のひとつで、まだ30歳にもならないのに俺の人生お先真っ暗だ、と絶望したのがつい半年前。
そんな絶望はすっかり消え失せて、俺はこの新しい環境での生活を割と楽しんでいた。
とは言え、都心と地方のギャップというものはなかなかに侮れない。本当に同じ国なのかと思わず疑ってしまうような事も何度もあった。
特に、東京都内、それも山手線圏内の駅にすっかり慣れていた俺は、地方都市の駅というものを完全にナメていた。
プラットホームが1つしか無い。
何なら線路も単線で、ちょっと大きな駅ですれ違いのための複線になっている程度。
そして何よりも驚いたのは、時刻表だ。
「危なかったですよ、この汽車逃したら、次50分後です」
「……凄いですよね、電車が1時間に1本って」
「あははは、何言ってるんですかぁ、東京だと1分に1本くるんでしょ? ソッチのほうがすごいですよ」
「いや、流石に1分に1本じゃないです。2分に1本くらいで」
「それでも凄いですって。さっきの駅、朝と夜の通勤通学の時間帯でも10分に1本ですよ。お昼なんて2時間に1本ですから」
そう、時刻表にやたら空白が多いのだ。
時間帯によっては1時間まるまる列車が来ない。
そしてやってきた電車は1両編成のディーゼル気道車だ。
何しろこの路線、架線がない。そのため、走っている列車は厳密には『電車』ではないのだ。
俺といっしょに電車に乗り込んだ、パンツスーツ姿の若い女も、さっきこの『電車』のようなディーゼル機関車のことを『汽車』と呼んでいた。
この地方のご老人は、みんな電車のことを汽車と呼ぶ。
このことに対する違和感は今でも拭えない。厳密にはどっちが正しいんだろうと考え込んでしまうこともあったが、今はもう気にしないことにしている。
「佐々木さん、さすがですよね、東京仕込っていうんですか? あの話の持って行き方とか」
「い、いや、別にそんな……黒川さんが居なかったら、多分話も聞いてもらえなかったですよ」
「そんなこと無いですよぉ」
人懐っこそうな笑顔で明るく笑う若い女、黒川由紀は俺の新しい相棒だ。
実質的な左遷、形式的には『地方の支社での顧客開拓事業を任されたホープ』という形で送り込まれた俺に、この田舎の事を色々と教えてくれている。
中年よりも若い人たちの話し方は、特に気になるところは独特のイントネーションくらいしかない。
が、社長さんに多いような高齢者の言葉は、同じ日本語なのかと思ってしまうくらいに訛っている。
そんな時にさりげなく通訳してくれるのが、この黒川さん。
「今日お会いした琴吹建設の社長さん、紹介したサービスのことすごく気になってたみたいです。明日フォローの電話入れてみますね」
「お願いします。……すみません、だいぶこう、対面で話すときにはわかるようになってきたんですけど、電話はどうしてもまだ……」
「あははは、じーさんばーさんの言葉って凄いですからね。でも、私が小さい頃のひいお婆ちゃんの言葉とか、本当に『えっ、大婆ちゃんなんて言ったの?』って聞き返しても、説明の内容がわかんなくって」
「地元育ちの黒川さんでもですか?」
「はい。だって法事とかの親戚が集まった時に、大婆ちゃんが『あげぇ、あんおーどかとのまーたおめいてさるいてから、あいはほんなごてつまらん』って言ったんです。意味わかります?」
わからん。
全くわからん。
大学生時代に付き合った彼女が福島出身で、少々訛ってはいたものの、ちゃんと意思疎通は出来た。
でも、今の言葉は何から何までわからない。カタルーニャ語です、とか言われても信じてしまいそうだ。
「和訳すると『あぁもう、あの暴れん坊がまた喚き散らしてる。あいつはホントにダメだ』って、そういう意味です」
「うん、分からないですね」
「ですよねぇ。私もお母さんに聞いて、ようやく理解できたんです。この地方の人たちって、結構訛りが残ってる人多いですから。電話は任せてください、私喋るの好きなんで」
頼りになる相棒だ。
生まれも育ちもこの地方という黒川さんは、確かに普段から言葉数が多い。
明るく、それでいて聞き取りやすい話し方で話してくれるせいだろう。ついその声と話しに聞き入ってしまう。
「わたし、放送部だったんですよ。だから標準語のイントネーションも練習済みです」
「そういえばそうですよね。黒川さん、最初は千葉かどこかの出身かと思いました」
「あはは、そしたら私、都会に行っても田舎者ってバレないですかね」
「バレないですよ。そもそも東京なんて田舎者の寄せ集めです。色んな場所から集まってる人たちが、都会人のフリをしてるだけです」
「へぇ、そうなんですね。行ってみたいなぁ……高校生の頃の修学旅行、私交通事故で入院しちゃって行けなかったんですよね。だから東京って行ったことがないんです」
思わず『行く価値なんてないですよ。あんな場所』と言いそうになった言葉を飲み込んだ。
少しだけ漏れた言葉は、車掌の次の駅の案内でかき消される。
「黒川さんは、東京で暮らしてみたいと思いますか?」
「え? 全然」
「えっ?」
「え? え、ダメですか?」
「あ、いや、その、行ってみたいと言ってたんで、てっきりその……」
「いや、あの、観光で行ってみたいっていうだけですよ。東京で暮らすなんて怖くてムリです」
あはは、と明るく笑ったタイミングで車両が大きく揺れる。いつも揺れが大きい、離合のためのポイントだ。
「私みたいな田舎者が行ったら、きっと騙されて風俗とかキャバクラとかのお店で働かされて、ヤクザとかに外国に売り飛ばされて、最後は内臓売られて死んじゃいます」
「東京に対する偏見すごいですね?」
「佐々木さんだって、地方に対する偏見凄かったじゃないですか」
「ま、まぁそれは……そうかもしれないですね」
地方に来て何より驚いたのは、魚の美味さだ。
東京では食べたことが無いほど美味い魚が、当たり前のようにスーパーに並んでいる。
惣菜コーナーに並んでいる惣菜料理も、下手すると東京のレストランより安くて美味い。
俺の『東京本社に帰りたい』という気持ちは、3か月で綺麗さっぱり消え失せた。
「次は終点、終点の外港です」
車掌の無愛想な聞き取りづらい声のアナウンス。
「よしっ、じゃあ事務所帰ってもうひと仕事ですね」
「そうですね。頼りにしてますからね、佐々木さん」
「こちらこそですよ。明日もよろしくお願いします。黒川センパイ」
「あっはは、やだぁ。佐々木さんの方が歳上じゃないですかぁ」
俺は、この可愛らしくも頼りになる相棒に、すっかり惹かれてしまっていた。
俺は働き始めて10年目にして、生まれて初めて『毎日会社に行くのが、仕事をするのが楽しみでしかたない』という状態になっている。
「佐々木さんが来てくれて、ホント良かったです」
もう東京になんて、頼まれたって戻るものか。
今回のショート・ショートは「左遷された先が予想外に良いところだった」という、現代日本を舞台にした追放モノのようなストーリーです。
ちなみに作中で出てくる訛りは、とある地方で昭和中期くらいまでは普通に使われていた訛りです。
今でも高齢者に話したら通じるかもしれませんw




