小さな石の首飾り
果てしない森の中、カイは一人、黙々と歩き続けていた。村を追われてから数日が経つ。食料は尽きかけ、疲労と孤独が彼の心を蝕み始めていた。夜は冷え込み、昼は獣の気配に怯えながら進む。彼の足取りは重く、希望は薄れつつあった。
唯一の心の支えは、首から下げた小さな石の首飾りだった。ナギがくれた、ただの丸い石。冷たい石の感触が、ナギの手の温もりを思い出させる。この石を握りしめるたび、彼は一人ではないと感じることができた。
「再会への誓い……」
彼は呟き、石に口づけた。この石を失くすことは、ナギとの未来を失くすことと同じだ。彼は旅の目的を再確認した。自分が何者なのかを知ること。そして、いつか強くなって、ナギの元へ戻ること。
昼下がり、遠くから人々の騒がしい声が聞こえてきた。争っているようだ。カイは身を隠しながら、音のする方へ近づいた。
そこには、二つの異なる部族の者たちが向かい合っていた。間には倒れた獲物(大きな鹿)があり、互いに「これは自分たちの獲物だ」と主張し、怒鳴り合っていた。
「俺たちが先に矢を放ったんだ!」
「いや、俺たちの罠にかかっていた!」
石器や槍を構え、今にも戦いが始まりそうだ。両者の言い分はそれぞれ理にかなっており、どちらが正しいのか、傍目には判断がつかない。彼らは同時にまくし立て、相手の話を聞こうとしない。
カイは、その光景を岩陰からじっと見ていた。村を追われた自分と、この争いは無関係だ。関われば命を落としかねない。しかし、彼の心には奇妙な思いが湧き上がってきた。
(皆が、自分のことしか話していない……)
怒りや主張がぶつかり合い、互いの声は掻き消されていく。言葉は意味をなさず、ただの騒音と化している。このままでは、血が流れるだろう。
(もし、一度に全員の話を聞き分け、それぞれの望みを理解できる者が現れたなら……この争いは止まるのだろうか?)
もし、それぞれの言い分に耳を傾け、公平な判断を下せる者がいれば、無益な殺し合いは避けられるはずだ。そんな理想的な指導者が、いつか現れるのだろうか?
カイは、その問いの答えを知る由もなかった。彼はこの場を離れ、再び孤独な旅路へと戻った。
この時、カイが抱いたささやかな願望こそが、遥か未来、「一度に十人の話を聞き分けた」という伝説を持つ、あの飛鳥の賢人へと繋がる遠い遠い伏線となるとは、知る由もなかった。
彼の首元では、ナギからもらった小さな石が、太陽の光を反射して静かに輝いていた。




