第三節 神に問う
「…天気がいいな」
東の空は青い色を取り戻し、西の空の星々は輝きを失い、融けた。
昨日までの喧騒が嘘のように静まり返った街並みを、ゼノはゆっくりと歩く。去り際のシャーリーの言葉が頭をよぎる。
(南東の砦に…俺を嵌めようとする連中、か)
熟慮の末、その足は迷いなく騎士達の詰め所の横にある、厩へと向かう。
しかし娼館が多く集まる宿場街の入り口の門を出てすぐ、思いがけない人物に遭遇した。
「隊長!!」
「!」
――部下のリベラだ。
「な、なんでここに」
「おはようございます!やっぱり…読みが当たってましたね」
リベラは満面の笑みを浮かべ、既に装備を整えた馬たちと共に待機していた。
「…その馬は」
「南東の砦、行くんでしょう?…例の、十字教団の話、俺も聞きました。案内できますよ!」
「!…お前」
「いやあ、さすが、都の娼婦達は情報通です。俺たちの知らないことをよく知っている」
「仕事熱心なやつだな…せっかく帰ってきたんだし、もう少しゆっくり」
「深入りはするな、線引きをしろ!は、ゼノさんの口癖ですって」
「……」
ゼノを慕う部下は多い。
その中でも、リベラは古参で互いに似た境遇ということもあり、信頼を置いている人物だ。
「…それより、面白い噂を聞きました。昨夜お相手頂いた女性によると、その砦は常時人を募集しているそうですよ。…自警団、として」
「自警団?…修道士団の話は聞いていたが」
「修道士団の詳細はわかりませんが…どうやら、自警団の方は、聖十字教団を信仰していなくても、腕が立つなら誰でも入団できるとのことです」
「誰でも…そう言えば、ならず者たちが改心してると聞いたが…」
「ならず者が??それは一体」
(いや、違う、改心じゃない)
アルベト帝国は、帝国となる過程で、多くの国や地域を怒涛の勢いの武力で制圧していた。
急速に続く勢いの中、ひとたび戦争が起これば土地は荒れ、やっとの思いで作った食物は兵糧として国に徴収されていく。
結果、明日を生きる資金すら持たぬ民衆は、農具を武器に変え力ある者を戦場に送り込む。しかし、戦の経験などない彼らが勝てるはずもない。その命を散らし、運よく生き残った者は、野に下り、生きるために略奪を始める。――それが、ならず者の正体だった。
「奴らは生きるために奪う。なら、そうしなくていい環境を与えればいい…つまり、騎士と同じように、給料を与えているとしたら?」
「あ、なるほど…だから、自警団。でも、そんな連中を一度に集めてもいろいろと問題が起こりそうですけど」
「…それを、まとめれるほどの器の人物がいるなら?組織に必要なのは、ルールと、強力なリーダーと、それを運営する資金。それら全部を統括するのが教団だとしたら…」
「俺は…それを支持します」
「……お前」
「…ゼノさん、俺は、この国が大嫌いです。この間の遠征のように国境付近にある小さな村を襲って喜ぶクズみたいな連中ばかり…!領土拡大にご執心な王より、目に見えなくとも確かに誰かを救う神様に仕える方がよほどましだ!」
「リベラ」
「それに…っあなたみたいな人を、ないがしろにするのが一番許せない!」
その言葉と、強い眼差しは眩しい程真っすぐだ。
――そこにあるのは、ゼノに対する信頼と、長い間共に過ごした友としての想いだった。
「…誰かに聞かれたらどうする」
「でも!!…」
「あまり先走るな。…放って置いても、この国は自滅する」
「え…?」
「重要なのは、どの機に、どこに就くか、だからな」
それだけ言ったゼノの表情は太陽の逆光で、良く見えなかった。
そして、呟く。
「面白そうじゃないか」
「え…あ!」
次の瞬間、馬の手綱を取り、ゼノは駆け出した。
「ちょっ 置いてかないでくださいよーーー!」
同じ頃。
王都を一望できるバルコニーで、白けた空をぼんやりと眺めながらアメリアはため息をつく。
(…彼が、奴隷だったなんて。それに)
それは、昨日の事。
ナニーから聞いた話を受け止めきれず、茫然としていたアメリアはその後、父に呼ばれた。
「おお、アメリアよ」
「お父様…あの」
「お前に見合う、嫁ぎ先を見つけたぞ!!」
「…え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「嫁ぐ…って、結婚…するの?私」
「ああ!しかも…なんとレガリア連合の一国の王子だ!!」
(どうして…そんなに、嬉しそうなの?)
「い、嫌よ!!レアガリアなんて…長年敵対している国じゃないそんなところに」
「嫌…だと?」
「…きゃぁ!」
即座にアメリアが否定すると、ヴァネッサはそれを突き飛ばした。
「ふざけるな!!!花は誰よりも美しく咲き誇り、傍らで添い愛でられるのが宿命ッ!!道具は道具らしく!大人しく従え!!!」
「道具…って」
「―――不愉快だ…お前はもう下がれ」
そこに、いつもの優しい父の顔はなかった。
(ああ…どうして、気が付かなかったんだろう。私が見ていたのは、ただの美しく幸せな夢の世界だけ。現実は、こんなにも残酷で…)
思えば、自分がゼノに求めていたものは、父が自分に求めていたものと、何ら変わらない。
「逢いたい時に傍にいて、私だけ見ていればそれでいい…そんなの、愛玩人形と同じじゃない…!」
(なんて、身勝手で一方的な浅はかな想い)
アメリアは、自分の結婚よりも、自分が抱いていた感情そのものが、こんなにも醜いものだと気が付き、打ちのめされたのだった。
「彼に…謝らないと…!」
「あの…アメリア様」
「……なあに?私、でかけようと」
「こちらを」
「…?」
ナニーが持ってきたのは、一通の手紙だった。
「この印章…見たことない。まさか」
「はい、先ほど届きました。…レガリア連合国の一つ、ペルージャ王国からの正式な書簡です」
「……結婚の、相手 …?」
名はアウル・レイ・ペルージャ。
印章は、弓を模した羽根と、小さな赤い花が描かれていた。
遠くで鳥が鳴いている。
風が吹いてその音が途切れると、後方から馬の嘶きが聞こえた。
「もう!待ってくださいよ!!情報提供者俺でしょ?!!」
「…ほんとに来たのか、お前。休みにまで俺に付き合うこと、ないだろ?」
「俺が付いていきたいだけなんで!…それに」
「ん?」
「…い、いいえ。それより、南東の砦に行くんですよね?…多分こっちの方向じゃないと思うんですけど」
言いながら、リベラは懐から地図を取り出した。
「いいんだ、ちょっと寄り道したいところがあるだけだから」
「は、はあ…」
「この辺か…リベラはそこで休んでろ」
「え?!あ…もう、行っちゃった」
(本当は……ついていかないと、二度と会えなくなってしまいそうだったから)
今のアルベト帝国は、一見すると繁栄の極みのように見えるが、そこかしこに綻びが見えている。
その一番の要因が、『身分』を持たない奴隷将軍が、帝国一の地位にいることだった。民衆の支持が多ければ多いほど、内部の貴族はそれを妬む。そして、民衆たちは、ゼノに希望を見出し、決定的な対立構造を渇望するようになる。
『この帝国を、滅ぼしてくれるのではないか』、と。
(今の帝国法では、あの方は一生身分を持てない。これからも、恐らく永久的に)
ゼノが力を持った瞬間、自分たちが滅びの道を歩むことを、貴族たちは知っている。
だが、ゼノはそれを望まない。何も持たないがゆえに、誰も手出しができない―――この歪な状況は、変わりつつある。
「最近…ゼノ将軍についてあれこれ聞いてくる貴族たちが増えたわ」
「…え?」
「私達ノルドは、情報を武器に日々を生きる。幸い、うちはシャーリー様が牽制しているし、ゼノ様も徹底して隙を見せないお方だから…渡せる情報がないけど、ね」
「……」
「粗探しっていうの?…気を付けて、リベラ。あなたはゼノ様を慕ってるから…」
リベラはそっと彼女の肩にブラウスを羽織らせると、寝台から飛び出した。
「!行っちゃうの?」
「ああ、アイリーンさんも気を付けて。…色々教えてくれたのに、何も返せないけれど…」
ぐ、と腕を引くと、アイリーンはリベラに口づけた。
「!」
「…これで、勘弁してあげる」
「……口づけはノルドの規則違反じゃないの?」
「どうせ、ばれないわよ。…あなたのことを聞かれても、知らぬ存ぜぬで通してあげる。でも忘れないで?私は、あなたのことを知っていたってこと」
「うん…、ありがとう」
「行ってらっしゃい、リベラ…でも、無理はしないで」
(…アイリーンさんの情報通りなら、多分、ゼノ様は)
ふと、顔をあげてはっとなる。
「ずっと向こうに、海が見える…」
地平線と水平線が並んで見える草原の真ん中に、ゼノが一人立っているのが見えた。
(何を見ているんだろう?…ここ、何か思い入れがある場所なのかな)
僅かに塩を含む風が吹くと、ゼノのマントを揺らす。
小高い丘の上に立ち見上げる空は、子供の頃に見た色と変わらない。
ただ、その場所には何もない。
「はは、薄情なくらい、空だけは変わらないな……」
かつて、その場所に国があった。人がいた、建物があった。家族がいた。…守りたかった人たちがいた。
全て、帝国によって踏みにじられてしまった。
(あの日、俺は生かされたのか、それとも、死ぬため生き延びたのか……)
「なあ、神よ。…あんたはそこにいるのか?」
空を見上げ、問うても答えなど返ってこない。
神などいない、そう思ったあの日から、神に叛こうとした。
「でも、俺は、捨てられない…愚かにも。まだ…俺はあなたの存在を願ってしまう。なぜだ?」
――誇りと共に、ロザリオも捨ててしまおうと、何度も思った。けれど、いまだに持ち続けている。
「教えてくれ…神よ、あんたは俺に何を望む?」
ひときわ強い風が吹くと、どこからか白い羽が舞い降りた。
ひらひらと曲線を描き、風に戦いで、ゼノの手をすり抜ける。
そして…東の方角に向かって飛んでいった。
「…聖十字教団…」
懐から水筒を取り出し、嘗ての故郷に向かって水を撒く。
それを弔いとして、ゼノは背を向けた。




