第一節 夜明けの祈り
松明の炎はゆらゆらと揺らめき、黒い旗に血のような赤い盾と剣の紋章の旗を映した。
ここは、アルベトの南方にあるレガリアの国境付近。明かりのない小さな村に、夜陰に紛れて複数の悲鳴が聞こえる。
「アルベトの悪魔共がぁっ!」
徽章を胸にかがげた漆黒の騎士達が陣を展開し、にやにやと逃げ惑う村人たちを見つめている。
「おい、女と子供は殺すなー。年頃の娘はこっちに連れてこい」
「はい!ロベルト様!」
陣を率いる馬上の騎士は上機嫌で部下たちに命令すると、誇りを胸に持たぬ騎士たちは我さきに突撃していく。
「レガリアの女は色黒で肌が美しいらしいぞ!」
目をぎらつかせて狩りに赴く騎士を冷ややかに見つめながら、若きひとりの将軍はため息をついた。
「くだらないな…」
「あぁん?今何て言った?」
「あー…、何も。自分は下っ端ですから、将軍はあちらで楽しんでこられたらいかがです?」
ひらひらと手を振りながら彼が笑顔でそう言うと、ロベルトはその姿を鼻で笑った。
「フン。貴様、前の村でもそのような態度だったなぁ?…は!臆病者め!」
「我々は入り口でも見張っております。存分にお楽しみください、ロベルト様」
「…まあいい。お前たちはそこで日が昇るまで見張っているがいい。飲まず食わずでな!」
高笑いをしながら蟹股で去っていく後姿を、にこやかな笑顔で若者は見送った。
「はいはーい、いってらっしゃーい」
闇に融けロベルトの姿が見えなくなると、若き騎士は被っていた兜を取り外した。
月の微光に照らされ金色の髪が風になびき、陶器のような白い肌と端整な顔が現れる。そして大きく深呼吸をすると、ため息をつく。
「全く、弱いものをいじめて何が楽しいんだか。俺には到底理解できん」
「‥クッソ!臆病者はどっちだよ!!ちょっとー、ゼノ様!いいんスか!あそこまで言われて!」
「あいつ後で一発殴っていいですか?!」
両脇に従っていた二人の騎士がいきり立つが、それをやんわり制した。
「落ち着け、ゲイン、リベラ。夜明けまで待機してる必要はないから、適当に休んでおけ」
「「はっ!」」
――くだらない。
ゼノと呼ばれた若き騎士は、漆黒の闇の中で蠢く影をじっと見つめていた。
「…僅か15年で極めた栄華など、あの程度の人間が生産される以上、どうせ朽ちていく。絶頂の後は地の底に落ちるのみ、だなあ。あのバカの顔もいい加減、見飽きたし…これからどうするかな」
(夢がある。その夢の為なら、どんなに汚れようとかまわない)
すると、突然悲鳴とも破壊音とも聞こえる奇妙な音が、闇に激しく轟いた。
夜風に紛れてどこからか間抜けな声も聞こえてくるようだった。
「お!おいおい見ろよアレ」
血気盛んなゲインが言うと、隣にいたリベラがうきうきと肩を組んできた。
「ああー。アレうちの偉大なる大将軍様だろう?なんか面白そうなことやってるなあ。ゼノ様見てくださいよ!」
どれどれと目を凝らしてみてみると…小さな家屋から素っ裸のロベルトが飛び出してきた。
「…何だあれ」
見れば、ひいとかうわあとか間抜けな声を出す裸のロベルトに、喉元に銀色の剣が突き付けられている。
(あの馬鹿がここで殺されようが、知ったことではないが)
さすがに見過ごすわけにもいかないので、やんやとはやし立てる他の騎士たちをその場に留まらせながら重い足取りで現場に向かうことにした。
「お、おお女!生意気だぞ!!私を誰だと…」
「ただのクズの端くれでしょう。まさか自分は騎士だとぬかすか?…冗談じゃない」
ゲシっという音と共に間抜けな悲鳴を上げて、地面に転がるロベルト。
「そんなモノを斬ったら剣が汚れる。殺すのもためらうわ」
陰部を隠しながら叫ぶ顔を思い切り足で踏みつけられると、ロベルトの口から恍惚な吐息が漏れる。
思わず耳をふさいでしまったゼノは、ついには目もそらしてしまった。
「…やれやれ、仕事を増やすな…全く。」
ゼノが目をそらしている間に、ロベルトはロープで縛りつけられていた。
…なんとも見事な手さばきである。
「――敬愛なる我が上司を弄んでいるあなたは、聖職者…か?」
(銀の鎧に、白い外套…聖十字教団の者か?)
「巫女様よ、どうかそれまでに。そこのバカはこれでもうちの大将なんでね」
「…お前もこいつの仲間か?」
「ああ、そうだけ…」
ヒュッという風を切るとともに、目の前に白刃が飛んできた。
ゼノはにやりと笑うと、腰の帯びていた剣を抜く。二つの剣は火花を散らし、甲高い金属音が闇に響く。
「!ゼノ様!」
「大丈夫!来なくていい」
再び躍り出た巫女の剣を打ち流し、対峙した。
「神の為に剣をふるう乙女…戦巫女、だな?」
「そこのクズより話が分かりそうだ。…お前たちは何を望む?」
ピリピリとした敵意をむき出しにしながら、真っすぐに剣でこちらを差した。
「望みだと?」
「私の望みは…お前たちのような戦をしたがる悪魔どもを葬り去ることだ!!」
「…真っすぐで、わかりやすい剣筋だ。…素直すぎるのが欠点、かな?」
突きの構えで突進してくる巫女をかわし、自分の剣を返し、まとっていた白いフードをはがした。
「あ‥ッ!」
「!」
破れた白いフードの下から、白い肌が闇夜に浮かぶ。
燃えるような赤い瞳がこちらを捉えるが、その光はふっと消えた。
「…おい。」
「殺すなら殺すいい。お前たち悪魔に蹂躙されるくらいなら私は死を選ぶ」
持っていた剣を地面に突き刺し、ふんぞり返る巫女の対応に、セレムは面食らう。
(何とも潔い…もとい、あきらめの早い巫女様だ)
「現状打破を考えないのか?吟侍ってものがあるだろうに」
「私は戦巫女。戦にその身を捧げた。お前が騎士なら、戦巫女には清らかな死を与えてくれるだろう」
「……この村の者か?それとも、この村を守っていたものか?」
銀色の薔薇十字の紋章が刻まれているのは聖十字教団に属する巫女の証である。
戦巫女とは、戦いに身を投じる聖十字騎士団の一組織であり、死をまといながら民を守る女騎士達の総称だった。しかし、その数は少なく、戦場で見るのは稀といわれている。
「この村の者ではない。一泊一食の礼として、この家を守っていたのだが」
ちらりと、後ろを振り向くと、家屋に赤く広がるシミの上に老夫婦が折り重なるように倒れていた。
「守り切れなかった…私の失態だ」
ゼノは何かに気づき、静かに剣を降ろした。
「………すまない」
すっと消えた気配に、戦巫女は戸惑った。
「?!何を」
「この村はもう諦めろ。これから対レガリア南線拠点の一つになるだろうから」
「――私を殺さないのか?」
「一泊一食の礼は…巫女なら神の祈りでも捧げてやるといい。祈りの間は何もしない。それは約束しよう」
言いながら、転がっていたロベルトを持ち上げると、後方に投げた。
「あ!貴様!!何を!その女を逃がすなどもったいな」
「あーあー、まったく、素っ裸で顔を足で踏みつけられながら、喘いでたって言いふらしますよ?」
「いや、違ッこれは!」
戦巫女にくるりと背を向けると、背後から彼女の声が追いすがる。
「お、お前は馬鹿なのか?!」
「…はあ?なんだよ、それ」
「だって…背を向けるなんて。私が…何もしないとでも思ってるのか?」
「あなたは斬らないだろう。」
あまりにも当然だと言わんばかりに答えたゼノを呆然と見つめる。
「な にを根拠に」
「…ところで、祈らないのか?」
「あ、いや。あの 感謝する」
「そうしてくれ。夜が明ける前にここから立ち去ることだ。追わないから」
「祈りを終えたら私も出ていく。…もう、ここに居るべき理由もないから」
風に乗って巫女の祈りの歌が聞こえてくる。
「祈り…か」
その美しい声をしばし聴きいると、ゼノは瞳を閉じだ。
**
夜が明けた。
東の方角から聳え立つ山々の稜線を黄金の光がなぞると、くっきりと濃い影が映し出された。
やがて光は地上を全て照らし出し、辺りは金色の光に包まれる。
「…終わった。ありがとう、騎士殿」
馬の鞍を外して休ませていると、戦巫女がやってきた。
(とっとと逃げればいいものを。礼をしに戻るとは、律儀なことだ)
ゆっくりと振り返ると、暁の光に照らされた白い鎧の戦巫女は、まるで一振りの剣のようにそこに佇んでいた。
「礼には及ばない。…彼らも、祈りの言葉を聞いて少しでも安らかに眠れるといいが」
「…お前、なぜあのようなゴミクズに従っている?」
「ゴミクズというのは…まあ否定はせんが、こちらに色々と事情ってもんがあるんだ」
「理解できん。お前にだって忠誠心があるだろう?なのに、あんな奴に…」
あまりにも真っ直ぐな言葉に、ゼノは声を出して笑った。
「忠誠?そんなもの、俺にあるわけないだろう」
「え?」
最初は驚いた風だったが、やがて、頷いた。
「お前の部下たちは恵まれているな。…肝心の隊長は上司に恵まれていないようだが」
「ほっとけ」
そう言って苦笑をすると、ゼノは馬を差し出した。
「やる。戦巫女は戦場を駆けるのだろ?馬の一頭でもなければ様になるまい」
「…おい、これは軍馬だろう?!さすがに貰うわけには」
「やるんじゃない、貸してやるんだ。…ちゃんと返せよ」
戦巫女は驚愕したように目を見張り、まじまじとゼノの顔を見た。
「次、生きて会えるかもわからないのだぞ?…いいや、むしろ敵の可能性の方が高い。正気か!?」
「いらないならやらんぞ。さあ、ほら。あのバカ上司が目覚める前にとっととここから立ち去れ」
「……本当に変わった騎士殿だ。ならばこれは貸にしといて…」
言いながら、戦巫女はひらりと馬にまたがる。
光を受けて白い髪が透き通るように輝いた。
「っておいおい、まさかその恰好で行くつもりなのか?その美しい出で立ちでは、襲ってくれと言わんばかりだ」
ゼノが声をかけると、彼女は不思議そうに首を傾げた。そして何かを思いついたように懐からナイフを取り出し、髪に充てる。
「ちょ、ちょっとまてまて!!」
「なんだ?この髪が目立つということだろう?フム、やはりここはバッサリと」
「はあ…全く。おい、これをもっていけ」
そう言うと、ゼノは身に着けていた自身のフード付きの外套を手渡した。
「この薄汚れたマントをどうしろと?」
「薄汚れているからいいんだろうが。無駄に目立つ必要もないだろう?」
「世話好きというか、なんというか。お前、それでは戦場で長生きできんぞ」
「残念だが、俺はこうして生きている。心配は無用だ。…さっさと行け」
しばし何かを迷う風だったが、彼女は笑顔で告げた。
「私の名前はライラ。お前は?」
「…ゼノ」
「そうか、なんだかお前らしくない名だな?…まあいい。また会おうゼノ」
「ああ」
馬にまたがり、颯爽と駆っていく。
その姿はまるで暁の光の中に飛び込んでいくようで…やがて、消えた。




