第9話 先輩!俺、先輩のことちょっと解りました!
信号が、赤から青に変わる。葦原は、自分の過去から車内に戻って来た。
葦原はぽつりとつぶやいた。
「世界観が現れたあの日……最初はちょっと怖かったんです。他人の内面が見えちゃうようになるなんて、子供ながらに、プライバシーとか、自己防衛とか、吹っ飛ぶって思いました」
運転席から、建早がちらりと葦原に視線を向ける。
「でも、あの時出逢った女の子の世界観だけは、違ったんです」
窓の向こう、街角で立ち止まっているカップルの世界観が、互いの輪郭をまねるようにして飛び跳ねている。
少し笑って、葦原は言った。
「色も、音も、香りも、優しくて……見ているだけで、この豹変した世界でも生きられそうって思った。彼女の世界観が、俺の世界観を変えたんです」
そして、大学を卒業して、二年養成学校に通い、一年の社会福祉士としての実務を経験したあと、やっと世界観福祉士になったのだ。
建早が車を発進させた。横断歩道の前でサラリーマンが待っている。彼の世界観は、ひび割れた砂漠のように乾いて、空風が吹いている。葦原は、窓の外でそれを見つめながら言った。
「だから、自分もいつか、誰かの世界観に入って、助けられる人になりたいと思ったんです」
何も言わず、建早はハンドルを握って葦原の話を聞いていた。葦原が運転する建早を見た。
ライトに照らされたその顔は、少しだけ柔らかい。緊張していて、あまり注意を払えなかったが、今は違う。葦原は、彼の頭上に目をむけた。
そこには、青黒い、深海のような世界観があった。
波の音も、光も届かない深淵。大きな白い鯨が一匹、悲しそうな目をして泳いでいる。
その端には灯台が一棟建っていて、窓から小さな燈篭の火が見える。
まるで、誰にも知られたくない感情を、そこでひっりと燃やしているようだ。
重くて、苦しい世界観だった。
でも、これは、なんて……。
「建早さんの世界観……綺麗すね……」
「気安く見るな」
「すみません」
沈黙が流れる。ややあって、葦原が口を開いた。
「でも、今日みたいな現場を一緒にダイブして、少しだけわかった気がします」
「何がだ」
「建早さんがどんな風に人を《《見ている》》のか」
葦原は続ける。
「建早さんが<新人潰し>って呼ばれてるって噂、聞いたことあります」
建早は、無言でウィンカーを出して交差点を曲がった。
「たしかにちょっと怖かったです。容赦ないし、説明も最低限しかしてくれないし……」
街の明かりが途切れ、事務所の建物が見えて来た。
「でも、俺がミスしそうな時、必ず先回れしてサポートしてくれた。それって甘やかすよりずっと難しいことだと思うんです」
建早は、駐車スペースに車を入れ、ブレーキを踏むとエンジンを切った。
「……だからきっと、今まで<潰してた>んじゃなくて<選んでた>んじゃないかって」
「この仕事は命を扱う。選ぶのは当然だ」
「はい」
車のノブに手を掛けて、建早がドアを開ける。
「俺、選ばれたいです。ちゃんと、<一緒に戦える>奴になりたい」
建早の背中が、一瞬止まった。葦原は、彼の背中を見つめながら思った。
(この人は、深海の底で何かを守っている)
それを誰にも触れさせないように、孤独に立っている。
でもその明かりは見えているのだ。
(だから、いつかその明かりに、自分の声を届けられるようになりたい)
葦原はそう思いながら、車を降りた。
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