蜃気楼
陽光が眩しいのに瞼が閉じれない。
この乾いた大地に仰向けに転がってどのくらいの時間が経過したことだろう。
よくよく意識すれば、全身の筋肉が私の意思で動く気配も無ければ、腰から下の感覚も無い。
口元には味わい馴れた鉄と砂塵の味がする。
首も動かせないまま、私はこの碧い空を眺めている。
剥き出しになった私の腕には容赦無く陽光が降り注ぎ、皮膚をジリジリと焼き上げている。
実に不可解な反応だ。
人はショック死を避ける為に、極端な傷害を受けた場合には痛覚が麻痺すると言われている。
仮に私の身体の状態が重傷を負っていたとするならば、この鉄の味わいも身動きのままならない現状も得心が行くのだが、肌感覚がなまめかしいのはどういう事なのだろうか?
まあ、そんな事を詮索するまでもなく、いずれ私は出血多量であの世へ出立することになる。
死を前にすれば、実に些末な問題である。
やがて、二羽の烏が飛来し、私の瞳を奪い去る。
彼らの口腔をこそが、私がこの世で見届ける最後の風景。
赤黒く、そして暗転。
光を失い全てが終わったと感じた刹那、今度は耳をもたげる外界の音。
視覚を失ったが、聴覚は鋭敏に反応している。
嗅覚と味覚は己の生命を維持してきた鉄の匂いと味に麻痺している。
触覚も陽に焼かれるだけの僅かなもの。
故に、視覚が遮られた現在、聴覚こそが外界との繋がりの全てであり、否応無く鋭敏になったのだろう。
耳を澄ませ聞こえて来るのは、ぺちゃぺちゃと何かを咀嚼する下卑た音。
先程の烏達が、私の臓物を肴にお食事を愉しんでいるようだ。
人間という尊厳を失った、ただの肉塊は余程お気に召したのだろう
「かぁ~、かぁ~」
と盛んに声を張り上げて仲間を呼んでいる。
しばらくすると
「あぁ~、あぁ~」
と鳴き交わす複数の声が聞こえたかと思えば、瞬く間に私の頭上へ飛来し、空中旋回を始める烏達。
地上の二羽がしつこく呼びかけるものの、他の烏達は降りて来る気配が無い。
「かぁ~!かぁ~!」
これ見よがしに羽根をばたつかせ、仲間を誘う二羽の烏…であったのだが。
「ぐぁあ!」
何かを喉に詰まらせたのか、変な叫びをあげると、地面に翼をぶつけはじめる。
その音は聞けば判る。
軽やかな羽音ではなく、地面に転がってしまった身体を立て直そうとする懸命な羽音。
程なくすると、ぶつけていた翼が折れたのか、烏の命が尽きたのか、羽音は収まり、二羽の鳴き声も途絶える。
上空から事の顛末を見届けた烏達は、名残惜しそうに一声鳴くと、一羽、また一羽と飛び去って行った。
私の腕は、依然として太陽に焼かれているらしく、ジリジリとした痛みが続いていた。
烏達が飛び去り、しばらく経った頃
「しゅっ!しゅっ!」
という音を従えて、ナニモノカが近づいて来る。
ズタ袋を引きずるような音が規則正しく聞こえ、そのナニモノカが私の腕を掠りながら横切っていった。
鱗のようなザラザラの質感と縄のように長い物体…ヘビだった。
どうやら死臭に誘われてお食事に参上したようだが
「しゅっ!しゅっ!」
舌を出し入れする際に漏れる音を除いて、彼は何も行動を起こさない。
そう、今この瞬間にも彼は獲物の《《味見》》をしているのだ。
ヘビやトカゲのたぐいには、味覚が異常に発達したものも居り、空気中に舌先を出すだけで、味を感じ取れてしまう。
やがて、私の腕からジリジリとした痛みが消える頃、ヘビも私の傍を立ち去った。
どうやらヘビの趣向に適う獲物はここには居なかった様である。
しばしの静寂が世界を支配した頃『カチッ!』という機械スイッチの音が聞こえ、私は本格的な暗闇へと沈んで行った。
気がつけば真っ白い世界。
余りの白さと眩しさに…瞬きが出来ない!
瞳も首さえも動かない。
ただ、真っ正面にある巨大なモニターだけを凝視している。
漠然と映像が流れているモニター。
意識を集中し、モニターに表示されている内容を確認すれば…それは悍ましい地獄絵図!
大森林を眺望できる巨大な石の回廊。
老若男女、髪の色、肌の色に関わらず、全ての人間がひとしく逃げ惑っている。
こちらを振り返ってみては、慌てて走り出す人々。
何をそんなに恐れ、何をそんなに急いでいるのか?
答えはすぐに解った。
銃による虐殺が始まる。
目の前から逃げる人々は背後から次々と血を噴き出して倒れていく。
こちらに刃向かって来る男達もいるが、襲ってきた全員が眉間を撃ち抜かれ、闘争心剥き出しの顔のまま絶命する。
執拗なまでに銃殺される人々。
倒れた人々は漏れなく後頭部を撃ち抜かれていく。
血の花は咲き乱れ、物言わぬ躯は肉の道になっていく。
これらの行為が淡々と流れ続けている。
それこそ自動車工場で産業用ロボットが整然と作業を進めているように、目前で逃げ惑うニンゲンが殺されていく。
目を背けることも目をつむることも許されず。
それは、私の身体が動かなくなった元凶であるかのように、あるいは、何かの贖罪に対する罰であるかのように、ただ垂れ流され、私の脳を蝕んでいく。
『整然とした虐殺』という膨大な時間が流れ続け、いつ果てるとも想像できない時間に蝕まれていた刹那、『カチッ!』という機械スイッチの音が聞こえた。
急に辺りが別の色で眩しくなる。
「んん?」
瞼をゆっくり開けば、窓越しに真夏の太陽が『こんにちは』して来る。
陽光の眩しさに思わず腕を顔の前に掲げれば、陽光に晒され真っ赤に焼けた跡が目に入る。
どすっ!
っと、お腹に重めの衝撃が走る。
「パパぁ、オハヨー(゜▽゜)/」
顔を起こし、視線を向ければ愛娘がお腹の上に乗っている。
「ああ、おはよう。」
「あら、あなた起きたのね。」
娘への返答に妻が居間から反応した。
そんな妻はジャージ姿のまま、居間でプールバックと格闘中!
「ほらぁ、マミはプールに出かける準備をしなさい!
パパも早く着替えて!」
「そうだった!
パパ急いでぇ!」
女二人にせき立てられ、私も起き上がる。
「はいっ!パパの分。」
「あ、ありがとう。」
着替えを渡してくれた妻に礼を言えば、ウィンクを返す妻。
「パパぁ~、早く早くぅ~!」
まだ着替えを済ませていない娘が下着姿で玄関に走っていく。
「コラァ!
マミはちゃんと着替えなさぁ~いっ!」
プールバックと娘の着替えを抱え玄関に飛んでいく妻。
日常の喧騒に思わず目を細め、漸く自分の実感を持つ私だった。
さて、ここは娘が通う小学校のプール。
夏期プール解放というイベントで娘ともどもお邪魔した次第である。
因みに、妻はジャージ姿のままで職場復帰し、私は早期夏期休暇を取得していた。
プールの中では体育教師指導のもと、水泳教室が開催され、子供達は楽しそうに泳いでいる。
そして、私を含めた父兄会の大人たちは三々五々集まっては井戸端会議に花を咲かせている。
父兄会とは言っても、奥様がたが殆どで「婦人会」と評した方が腑に落ちる。
さて、そんな奥様がたが織り成す四方八方話に聞き耳を立てれば…
「ちょっとぉ、聞いたぁ?あのお話ぃ。」
話題メーカーの真ん中おばさんがネタを振る。
「お話って?」
左斜め前の若作りおばさんがネタをキャッチする。
「中国で観光案内用に作られたロボットが暴走したって話。」
真ん中おばさんのフォローをするのは、いつもの左斜め後のインテリおばさん。
「観光客のマナーの悪さにロボットが腹をたてたってヤツでしょ?」
右斜め前にいるギャル系おばさんが嗜める。
「ロボットって、腹を立てるんですか?」
と、右斜め後から正論でとぼける天然系おばさん。
「…」
話題が一巡したところでネタの鮮度も落ちたらしく、しばしの沈黙が流れる。
「そもそも、その話って二、三年前の話よね?
何か面白い事でも分かったの?」
沈黙を破り会話を再開させるギャル系。
「そう、そう。
ちょっと気になるお話なのよ。」
真ん中さん、息を吹き返した模様。
「実はね、事件を起こしたロボットっていうのがAI搭載型の半自立制御なんですって。
でね、問題となる行動って言うのが、外国人観光客のヤジだったらしいの。 」
真ん中さん、語る。
「どんなヤジですか?」
小首を傾ける天然系。
「国家主席を暗喩した皮肉みたいね。
『どうせなら、クマのプーさんで観光案内したら?』
…みたいな?」
謎の疑問形で語ってしまう真ん中さん。
「貴女、意味分かって無いでしょ?」
呆れ顔のインテリさん。
「まぁ、それはいいでしょ?有名な話だし…
問題は、そこから先なんでしょ?」
ギャル系、話を催促する。
「いきなりボディが割れて、中から機銃が出てきたみたい。
でね、観光客を無差別に銃撃し始めたそうよ。」
真剣な表情の真ん中さん。
「そんな、銃撃って…悪い冗談よね?」
不安そうな顔の若作りさん。
「冗談では無かったみたいよ。
最近『ロボット視点の動画』っていうのが流出して、ちょっとした話題になったのよ…勿論、動画自体は削除されていて、怪文書だけがネットを賑わせているんだけどね。」
インテリさん、フォローする。
私の脳裏に『虐殺』動画が流れ、『カチッ!』という機械スイッチの音が聞こえた。
その瞬間から私の思考は停止し、前後不覚状態になってしまった。
「…さん、無事ですか?
起きてください!」
「パパぁ!パパぁ!」
聞き覚えのある男性の声と娘の声が微かに聞こえると、意識が急に戻ってくる。
ゆっくりと瞼を開けば、抜ける様な碧い空。
傍らに水着姿の体育教師と娘。
「急に青い顔色になって倒れられたんですよ。」
「パパぁ、大丈夫?」
不安そうに私の顔を覗き込んでくる二人。
「ああ…ありがとう。
大丈夫だ。」
言葉は発っせられるが、身体に力が入らない。
「熱中症かもしれませんね。
マミさん、先生は身体を冷やすものを取って来ますから、お父さんの傍に居てくださいね。」
「はぁ~いっ!」
娘の元気な声を聞き、一つ頷き教師は視界から消えた。
小さな手が、私の手を握る感触がする。
「パパぁ、大丈夫?
何か怖い事あったの?」
娘が心配そうに問い掛ける。
「ああ…ありがとう。
大丈夫だ。」
機械の様に同じ言葉を返してしまう私。
小さな手は、私の手をさらにきつく握った。
「パパ、大丈夫だよ。
私が一緒に居るから、コワイモノなんて、ナイナイだよ。」
娘が大粒の涙をこぼし、その雫が私の頬に落ちてきた…暖かい雫が。
私は恐れていた。
先程まで見ていた『悪夢』は、私の『夢』だったのか?と。
ひょっとすると、今この瞬間こそが、誰かの見ている『夢』なのではないか?と。
しかし、それは杞憂であった。
娘の手は強く、娘の涙は暖かく、私を包んでくれている。
◇◇◇
「…以上で、自我ロジックを組み込んだ、自立AIの行動学に関する研究論文の発表を終わります。」
大勢の聴衆が拍手喝采を贈る中、講堂の演台に立ち、深々と頭を下げる白衣の男性一人。
時に『皇紀2685年』、世は正に自立AI元年となっていくのである。