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境界線の花嫁  作者: お試し丸
3/5

第3話 亡霊の庭

夜が明ける前、庭に小さな霧が漂っていた。

冷たい空気が頬を撫でる。私の胸は、昨夜よりも少し落ち着いている。

でも、心の奥底で、何かがざわついていることも確かだった。


「リリカ、朝だ」

王太子の声が、静かに庭に響く。

その声に呼ばれるように、私は目を開ける。

黒髪は夜露で少し湿り、瞳は深く蒼く光っている。

その姿は、まるで夜明けを待つ守護者のようだ。


「……おはようございます」

昨日の誓いが、まだ心に温かく残っている。

けれど、胸の奥で微かに、恐怖と疑念が揺れる。

私に課された“花嫁”としての役割――それがまだ、完全には理解できない。


「今日は、君に見せたいものがある」

彼はそう言って、庭の奥へと歩き出す。

私は自然と後を追う。

石畳の上に落ちる影が、朝の光で伸びていく。


庭の奥には、枯れた薔薇の林が広がっていた。

生き生きとした庭の一角に、ぽつんと異質な空間。

「ここは……?」

問いかけると、彼はゆっくりと振り返った。


「亡霊の庭だ。死者が現世に戻る前に、ここで最後の声を残す場所――。

君には、そこにいる声を聞いてほしい」


私は一歩踏み出す。足元に霧がまとわりつき、冷たさが全身を包む。

目を閉じると、微かに囁き声が聞こえる――それは人間の声でも、風の音でもない。

心に直接、語りかけるように、声が流れ込む。


「……助けて……」

小さな声。儚く、悲しみに満ちている。

私は息を呑む。まだ、誰の声かはわからない。

でも、心の奥で、確かに「私に助けを求めている」と理解できる。


「それが、君の力だ。死者の声を聞き、彼らの未練を知ること――。

君は、それを生者に伝え、救う役目を持っている」

王太子は静かに言った。

言葉は優しいけれど、その眼差しには深い覚悟があった。


「……私に、できるでしょうか」

小さく震える声。恐怖もあるけれど、使命感が少しずつ芽生える。

彼は私の手を握り、強くうなずいた。


「君ならできる。僕が君を守るから」


私は頷き、再び目を閉じる。

声に耳を澄ませると、微かに色のような感覚が広がる。

悲しみは青、怒りは赤、愛情は柔らかな金――

心の中に広がる色彩の海は、死者の感情そのものだった。


「……わかりました」

私は声を絞り出すように言った。

その瞬間、庭の霧が少しだけ晴れ、陽の光が差し込む。

死者の声は消えたわけではない。

でも、私の胸の中に、確かに形を成した。


「よくできた、リリカ」

王太子が微笑む。

その微笑みに、胸が熱くなる。

恐怖と不安の中で芽生えた確かな信頼――それが、今の私の力だ。


午後、庭の薔薇の間を歩きながら、彼は静かに話し始めた。

「君が花嫁として選ばれた理由は、君自身の存在が死者と生者を繋ぐ唯一の鍵だからだ」

その言葉に、胸がざわめく。

「でも、私は……ただの少女なのに」

弱気に言うと、彼は真剣な眼差しで私を見つめた。


「だからこそ君が必要なんだ。君は強くなる。僕と共に」


その瞬間、心の奥底で、何かが弾けた。

恐怖や不安はまだ残っている。

でも、それ以上に、胸の奥に温かく、確かな希望が芽生えた。


夕暮れ、庭の薔薇が黄金色に染まる。

私は彼の隣で立ち、空を見上げた。

風に乗って微かに、昨日の誓いの言葉が響く。


――今日から、私は彼の花嫁。

そして、死者の声を聞き、彼らの心を救う役目を持つ。


夜が来ても、恐怖ではなく、決意が胸にある。

私の物語は、まだ始まったばかりだ。

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