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境界線の花嫁  作者: お試し丸
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第2話 夜明けの誓い

朝の光は、昨日よりも柔らかく、部屋の隅まで差し込んでいた。

私は窓の外を見つめながら、胸の奥でざわめく気持ちに気づく。

あの王太子――蒼い瞳の彼――のことを、まだ何も覚えていない。

けれど、どうしてか、心は落ち着かず、彼のことを追いかけてしまう。


「リリカ様、朝食の準備が整いました」

執事の声で現実に引き戻される。


広間に足を踏み入れると、王太子はすでに座っていた。

黒髪が朝の光を受け、微かに青く輝いている。

彼の顔は美しいけれど、どこか遠くを見つめているようで、心を掴む。


「おはようございます、リリカ様」

彼の声は低く、しかし静かに胸に染み入る。

振り返ると、私の視線に気づいたのか、少し微笑んだ。

その微笑みは、死者のものにしては温かすぎて、私は息を呑む。


「おはようございます……」

言葉がふっと漏れる。

でも、胸の奥はまだ、理解できない感情でいっぱいだ。

彼は私を見つめ、静かに指を差す。


「手を取ってください」


広間の中央まで歩き、彼の手を取ると、ひんやりと冷たい。

生者の体温を知らないはずなのに、なぜか懐かしい気持ちになる。

そして、彼の瞳が私をまっすぐに見つめる。


「今日から、僕たちは正式に婚姻を交わす。

それは国家のためであり、同時に、君自身のためでもある」


その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。

“国家のため”――つまり、私は王国の秩序の道具の一つなのか。

でも、“君自身のため”――その言葉だけは、どうしようもなく心に残る。


「なぜ私……?」

問いは喉まで出かけて、飲み込む。

記憶がない私に、この婚姻の意味を理解しろというのか。


「理由は……僕もわからない。けれど、君がここにいることが、すべてを変える」

彼の声は静かで、真実を告げるように確かだった。

胸の奥のざわめきが、少しだけ落ち着く。


食事の間も、彼はほとんど口を開かず、私に静かな目線を向ける。

言葉は少なくても、彼の存在感は圧倒的だった。

私はふと、幼い頃の夢の中で見た誰かの顔を思い出す――

それは確かに、彼だったのかもしれない。


昼過ぎ、庭に出る。

広大な王宮の庭は、手入れの行き届いた薔薇の花で埋め尽くされ、空気は甘く澄んでいた。

彼は私の前で立ち止まり、両手を差し出す。


「君に誓ってほしい。

今日から、僕と共に生きることを、信じることを」


誓う――その言葉は、私の中で不意に響いた。

まだ何も知らない、記憶のない私が、どうしてこんなにも心を動かされるのか。


「……分かりました」

声は小さく、でも震えずに出す。

その瞬間、彼の瞳がぱっと輝いた。

微かに笑みを浮かべ、深くうなずく。


「ありがとう、リリカ。君がいることで、世界が少しだけ穏やかになる」


その言葉に、胸の奥で何かが弾ける。

悲しみでも恐怖でもなく、温かさが波のように広がる。

私はまだ、全てを理解してはいない。

でも、今は彼の手を握り返すことしかできない。


夕暮れ、王宮の回廊で二人きりになる。

彼はゆっくりと、私の肩に手を置き、静かに話す。


「リリカ、君には特別な力がある。死者の声を聞ける能力――。

それが、君を僕の花嫁に選ばせた理由でもある」


死者の声――私の胸の奥で、微かに囁く声がある。

知らない誰かの感情、悲しみ、怒り、愛情――

全てが私の心を揺らす。


「まだ怖いです……」

正直に告げると、彼は軽く笑い、肩にそっと寄り添った。


「怖くて当然だ。でも、君は一人じゃない。僕がいる」


夜が近づくと、庭の薔薇は影を落とし、冷たい風が吹く。

私は彼の手を離さず、闇に包まれる庭を二人で歩いた。


まだ記憶は戻らない。

でも、心は確かに、彼に寄り添っている。


そして――夜明けの光が、再び私たちを包む頃。

私の物語は、静かに、しかし確実に動き始めていた。

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