第一話 出会い
—今、行くから—
学校の屋上にいる少女、緋衣梓は手に持った手紙を地面に置いて上に脱いだ靴を重ねる。
夜の学校から見る景色は綺麗なはずだがどこか暗く見えていた。
もうこの景色を見ることはない。
それどころかもう何も見ることはない。
覚悟は決めている。
あとは一歩を踏み出すだけだ。
「やめとけよ、死んだってしょうがない」
「——っ⁉」
淡々と発せられた言葉に息を飲む。
言葉に感情は乗っていないが、その言葉は重圧を放っている。
まるで何か不思議な力をもっているように。
「誰?」
重圧を振り切っておそるおそる声の主の方を見る。
「柊君?」
そこにいたのはクラスメイトの柊優人だ。
優人は月明かりに照らされた段差に座っている。
眼鏡に光が反射し、髪が長いのも相まって目元はよく見えないが、梓のこと見ようとしていないことはわかる。
しかし優人には全てが見えているように感じる。
それほどまでに優人はよく言えば大人びた、悪く言えば有無を言わせぬような雰囲気を纏っている。
「俺は緋衣さんが自殺をしようとしている理由を聞こうとは思っていない。聞かれたくも無いだろうし。でもこれだけは聞かせて欲しい。君は今どうしても死なないといけないのか?」
言い終わって優人はようやく梓を見た。
見ていると吸い込まれそうになるほど深く、綺麗で、そしてなにより優しい目でこっちを見ている。
さっき淡々とした言葉を言っていた人の目のようには見えない。
まして普段の優人からはまったくもって想像もできないような目だった。
「そんなこと言ったって私にはもう…もう何も残ってないの。私が死んだって誰も悲しまないのよ!」
涙を流して怒鳴るように優人に言った。
それでも優人の目は変わらず優しい。
まるで梓の心の傷が理解できるといった態度で。
「そうか。でも緋衣さんが死んで喜ぶ人もいないだろう?」
「それは…」
確かにいじめられていたわけでも、虐待を受けていたわけでもない。
なんなら愛されて育ったと言っても良い。
親も弟もみんな優しくて自慢の家族だった。
「何より俺はこの場に居合わせてしまっている。この場で緋衣さんに死なれてしまっても俺もいい思いはしない」
優人の言葉はもっともだ。
しかし、そんなことを言われてももう後戻りはできない。
「緋衣さんは本当に死んでしまいたいと思っているのか?」
沈黙の時間が流れる。
何も言いたいことが思いつかない。
というより今何かを言うと自分が泣き崩れてしまいそうで何も言えなかったのだ。
* * *
優人の言葉からおよそ五分程度。
梓は何も言わない。
「私は…」
梓はようやく口を開いた。
でも続きの言葉は聞こえない。
そしてまた少しして梓は口を開いた。
「私はもう死んでしまいたい。全てを失って、やりたいこともできなくなってしまったの。もう、何も残ってない」
そう言いながら涙を流した梓の目は遠くを見ている。
もう関わらないでくれと言わんばかりの雰囲気だが、優人は知っていた。
優しさというのは相手に好きにさせることだけではないということを。
今の相手が拒否をしたとしても、未来にその人が笑っていられることも方が優しさになりうることもある。
「家族がいないなら身近な人を頼ればいい。家がないなら住まわせて貰えばいい。お金がないなら働けばいい。だけど、命がなくなるのなら何もできやしない。それでも緋衣さんは死のうとするのか?」
しかし優人は言って少し後悔していた。
心の寄り所の無い少女に言うべきことではなかった。
梓はついに蒼黒の瞳から大粒の水滴をこぼし出した。
後悔しても言ってしまったものは仕方がない。
「悪いな。少し…いや、かなり言いすぎた」
梓は声にならないような嗚咽を漏らして泣いている。
これは本格的にやらかしたかもしれない。
家族も家もお金も夢も失ってしまった少女が何を思うか。
そんなことは優人自身が一番わかっていた。
人を失う、居場所を失う、それにどれだけの絶望が伴うのか。
しばらく泣いた後ようやく落ち着いたようだった。
そして今だに涙が溢れてきそうな目で言った。
「柊君はなぜ私に手を差し伸べるの?何にも残っていない私なんかに」
不意打ちの質問。
震えた声で、涙で崩れた顔でされた純粋な質問。
優人の中で答えは決まっている。
でもそれを今は答える気はない。
「目の前で人が死ぬかもしれない。それを止めたかっただけだ」
嘘ではない。
人が死んでしまうのを止めたかったのは事実。
でも本当の理由は、自分勝手で自己満足のような醜い理由。
いつかそれを言う時が来るだろうが今ではない。
「そっか」
梓は悲しそうな嬉しそうな複雑な表情だ。
そんな顔をされると自身の言動に責任をより強く感じてしまう。
でもここで引くことはできない。
話したこともなかったクラスメイトに中途半端に手を差し伸べた。
ここで引けば無責任な感情を押し付けただけで終わってしまう。
現に梓はまたも泣き出しそうになっている
だったら最後まで面倒を見るのがせめてもの償いだろう。
そのために聞いておくことがあった。
「君はまだ死にたいと思っているか?緋衣さんに生きててほしいと思っている人間がいる。それでは君の生きる理由にはならないか?」
梓に生きる意思がまだあるなら無責任でいるのはやめる。
それはまごうことなき優人の決意だ。
今までのエゴを捨て、目の前の少女を助けるための覚悟。
「私は…まだわからない」
無理もない。
今まで当たり前にあった幸せ。
それがいきなりなくなったのだから。
それなら優人の答えは一つ。
「生きる理由は生きてるうちに探すものなんだ。だから生きてみないか?それに…」
一呼吸おいて梓に伝える。
今までの罪悪感を背負う覚悟で。
「生きる理由が見つからなかったら俺と一緒に死ぬ場所を見つけるために生きてみないか?」
「え?一緒に?」
梓はどうやら『一緒に』という部分が気になったらしい。
そうなるような言い方をしたのはわざとだ。
しかし、優人にそれ以上言及する気はない。
「どうかな?」
梓はちょっと考えて頷いた。
生きる覚悟…というより希望を見出したような雰囲気。
その希望の根源にあるのは優人なのだろう。
「そこまで言ってくれるなら、信じてみるよ柊君のこと」
「そっか。よかったよ」
優人も緊張がほぐれたのか自然と微笑んでしまった。
「柊君ってそんな顔するのね」
「おかしいか?」
「いいえ。でも知らなかった。クラスでの柊君ってそこまで印象がある人でもなかったから」
「そうなんだ」
あまり目立っていないのならそれでいいかと優人は少し安心していた。
何せ目立つと面倒というのが優人の持論なのだ。
「まあ、今はそんなことより」
露骨に話題を逸らすために梓に聞く。
「緋衣さん、住む家とお金の当てはあるのか?」
「え?一応姉はいるけど…私のせいで家を出て行ってしまったみたいだから」
「期待はできないと」
「うん」
やはり無いということでいいらしい。
となると住居と収入は確保しておくべきであろう。
「うーん」
可能な限りの思考を巡らせる。
解決するには誰かの家に住まわせてもらうのが一番良い。
「緋衣さんって頼れそうな友達はいる?」
試しにという感じで梓に質問してみる。
心を許せる友人がいるならその人の家に居候するのが現状の解決手段としては一番だろう。
とは考えていたもののこう言っては失礼だが、いなさそうと言うのが優人の正直な気持ちである。
というのも、梓は勉強こそかなりできるけど友人関係はそこまでうまくいってなさそうという印象を優人は持っていた。
人に話しかけられれても笑顔で一線を引いていて、部活も委員会も入っていないし、それでいて休み時間はいつも寝ているか本を読んでいる。
そんな取りつく島のない梓だから…
「いない…と思う。少なくともこの学校には」
予想通りだった。
優人は自分にできることを探す。
そしてたどり着いたたった一つの解決法。
ある意味現実的で、ある意味非現実的な方法。
「緋衣さん———」
「ここが柊君の家…結構広いのね」
「まあ、色々あってな」
というわけで梓を家に連れてきた。
さっき、ノリと勢いでうちに住むかなんて言ってしまった。
考えてみると大変な状態だと来る途中で気づいた。
家に連れてきたのは同性ではなく異性。
おまけに結構な美人。
クラスの男子どもには結構人気のある少女。
ちなみに物静かなところがミステリアスで良いらしい。
よくわからん。
そんなことを考えつつ梓を家の中に案内する。
「とりあえずこの部屋が空いているから使ってくれ。今日はもう遅いから必要なものは明日買いに行こう」
「え?でも私お金が…」
「いやいいよ出さなくて」
「それは悪いよ」
「でもないと困るでしょ?」
「そうだけど買ってもらうのは…」
引き下がろうとしない梓だが持ってないものは仕方ないし…
「半ば強引に自殺止めて連れてきてしまったもんだしそのくらいの面倒は見るよ。俺も迷惑だなんて思っていないから」
「でも…ありがとう」
「うん、それでいい。それと何か食べ物のアレルギーってあるか?好き嫌いは受け付けないが」
「え?なかったはず」
ないなら無難に和食を作ることができる。
和食は優人の得意料理であった。
「わかった。夕飯作ってるから荷物とか気持ちとか色々整理しといて」
そう言って優人は一階のキッチンに向かうのだった。
* * *
優人は梓を部屋に残して一階に向かった。
「夜ご飯まで作ってくれるとは思ってなかったな。それに柊君って料理できたんだ」
初めて知ったクラスメイトの一面に少しだけ感心した。
辺りを見回すと布団と勉強机と椅子だけ。
シンプルな内装は梓にとって居心地のいいものだった。
安心してか思っていたことが口に出た。
「まさか住まわしてくれるなんて」
確かに最初にうちに住まないかなんて言われた時は驚いた。
でも生きると決めた。
家族はいない、家もない、お金もない。
もう全て終わったと思っていた。
そして死ぬ寸前まで行ってしまった。
優人が現れて止めてくれなければ今もうこの世にいなかっただろう。
さらに、優人は生きてほしいとまで言ってくれた。
今思うと本当は誰かに止めてほしいと思っていたとわかる。
あの時の梓は人の優しさを欲していたのだろう。
ほしい言葉をもらって、住む場所さえもくれた。
「でもなんで『一緒に』なんて言っていたんだろう」
そのことがずっと気になっている。
優人が死にたいと思っているような台詞に聞こえる。
「まあ、私の気を引くためだったかもしれないし」
いくら考えてもキリがないが気になることだった。
そんな感じで今日1日を思い返しているとひとつ思ったことが…
「なんか、柊君、優しすぎないかしら」
何か裏がある気がする。
しかし優人には下心が一切見られない。
だからこそ梓は下心とは全く異なる行動原理が優人にあると考えている。
それこそ優人の過去に何かあったと思ってしまうほど。
何か優人自身の行動原理に影響を与えるほどの何かが垣間見えた気がした。
「それに、どうやって私がさっき屋上にいたことを知ったんだろう」
当たり前だが屋上に行くことを誰かに言ったわけがない。
今まで交流のなかった優人が知るはずもなかったのだ。
「落ち着いたら本人に聞いてみようかな」
色々考えているうちに優人が呼びにきた。
ご飯ができたらしい。
もうそんなに時間が経ったかと時計を見るとかなりの時間が経っていた。
梓はクラスメイトがご飯を作ってくれる違和感とさっきまで考えていたことを振り払いつつリビングへ向かった。
* * *
「美味しい」
優人の作ったご飯を食べてそんなことを言っている少女が一人。
作ったご飯に美味しいと言ってくれると嬉しいと思うのは優人も例外ではなかった。
「それはよかった」
梓の前からはどんどん食べ物がなくなっていく。
余程お腹が空いていたのだろう。
普通はあの状況で何か食べようとは思わない。
きっと昼ごはんは食べていないのだろう。
そう考えつつしばらく静かにご飯を食べていると考えすぎていたのか自然と考えていたことが漏れ出た。
「正しさか…」
しまったと思った時には既に遅かった。
「何か言った?」
かなり小さな独り言だったがそれでも梓には聞こえていたらしい。
不幸中の幸いか中身までは聞こえていないらしいので優人は誤魔化す為に口を開く。
「いや、明日の買い物は緋衣さん一人の方がいいかなと思って」
嘘は言っていない。
男の優人には女子の買い物はわからない。
もしかしたらランジェリーショップとか行くかもしれない。
そう考えていたが…
「それはちょっと…困るかも」
「困る?」
そんな思考はあっさり否定された。
しかし何故困るのか。
まさか買い物をしたことがないはずもないが…
「私、あまり買い物をしたことがなくて…」
優人の勘はいつもよくない時に限って当たる。
とは言ってもそうなると優人も一人で行かせるほど鬼ではないので一緒に行くことになるのだが、どうしても気まずさが勝ってしまう。
当てがないわけではなかったが、優人は他人に任せる選択肢を探すが面倒な人しか思いつかなかったのが優人をさらに気後れさせる。
しかし頼らざるを得ない。
「緋衣さん、天竺葵っていうクラスメイトのこと知ってる?」
頼る先は優人のたった二人の友人の一人である葵。
ただ葵を呼ぶということはもう一人の友人、菖蒲健二もセットでついてくるということ。
梓と葵が一緒に買い物に行っている間に健二の相手をしていなくてはならない。
健二も聞かれたくないことまでは聞いてこないとはいえ必要最低限の情報は得ようとしてくる。
梓の現状を話すのは気が引けるので同居することになった経緯なども話し辛い。
同居していることを伏せるにしてもなぜ梓の買い物を優人が頼んだのかを聞かれるだろう。
いずれにしても話し辛い。
そんな葛藤はいざ知らず、梓は一応と言わんばかりの口調で答える。
「ん?知ってると思う。天竺さんってあのクラスでいつも菖蒲君と一緒にいる人だよね」
「うん、まあ、あれはセットだから」
優人でさえも苦笑いしか出てこない。
二人しかいない友人二人がいつも一緒にいるという評価は二人に一番近しい優人でも認める事実だ。
「とりあえず葵に買い物を手伝ってもらおうかと思って。でも嫌なら断ってもらっても…どうかしたか?」
梓が少し遠い目をしている。
何か気に触るようなことでも言っただろうかと焦ったがそうではないらしい。
「いや、今はそんなに人に会う気になれないからせっかくだけど遠慮させてもらうよ」
それもそうだろう。
事情を知っている優人ならともかく何も知らない人には話したくはないだろう。
「わかった。じゃあ明日の買い物は二人で行こう」
「ありがとう」
二人でという事実が妙にくすぐったく感じたのはきっと気のせいだろう。
また、それとは別に優人には言いたいことがあった。
「それとさ、一つお願いしたいことがあるんだ」
「うん?私にできることなら」
「ありがとう。お願いってのがさ、俺のこと苗字で呼ばないで欲しいってことなんだけど…」
優人は梓のきょとんとした表情を見て言葉が足らないと思って焦って続きの言葉を発する。
「いや、俺さ…実は自分の苗字そんなに好きじゃなくて色々思うところがあるからってだけだから」
「え?あぁ、そうじゃなくて。別に嫌じゃないから大丈夫だよ」
優人はひとまずは梓にわかってもらえたことに安堵して緊張していた胸を撫で下ろす。
「じゃあ、優人君…でいいかな」
「あぁ、ありがとう」
「ふふっ」
なぜか微妙な気分だが悪い気はしなかった。
この違和感は名前を呼ばれたからなのか、今まで避けていたものが近づいてきているからなのか。
この時の優人にはそんなことは頭の片隅にも無かった。
気づいた時には夕食は食べ終わってしまっていた。
お久しぶりです…というほど時間は空いていませんが、花薄雪です。
さすがにこんなに早く投稿するのは今回が最後じゃないかな?
というか前回と今回の話を投稿した日に読んでくださる方はいらしたのでしょうか?
無名かつ処女作という作者情報なしの僕の作品に目をつけてくれた方、本当にありがとうございます。
感謝してもしきれませんね。
Xのフォロワーもほとんどいませんから……悲しくなっちゃうのでフォローしてください。
最後に、気に入っていただけましたらブックマークや拡散などお願いします。
していただけましたら泣いて喜びます。
また、感想などXで呟いてみてください。
それではまた次回の後書きでお会いしましょう。