第39話 予想外の客
「…………はぁ。なんなの、ここ。これならこの馬鹿はどちらにせよ追跡できなかったでしょうね。あの男、どうやってここを見つけたのかしら……まさか、最初から知ってたとか……」
「オイ、何ブツブツ言ってんだ? いーから早く行こうぜ」
真っ白な髪がなびく後ろ姿。二人が見下ろすのは、立ち入り禁止区域とされる森を抜けた先の河川敷と、フェンスに囲われた小さな小屋のようなものだ。
森が立ち入り禁止とされてから間もなく、廃棄された治水設備らしい。
そんな場所に、普通なら用事はない。
「よっ」
朱兎は指の先から血液を溢れさせ、小さな血の刃を生成した。同時に、朱兎の髪の毛は真っ赤に染まっていく。
刃を左手に向けて振り下ろすと、ざっくりとその手のひらは裂け、大量の血液が流れ出す。
あまりにも痛々しいその光景にも、隣に立つ緋雨は眉ひとつ動かさなかった。
そして溢れた血は形を変える。前々回街で暴れた時の、無数の弾丸や大きな拳ではなく、今度は背の高い鎌のようなものだった。その鋭利な刃先は、内包する破壊力を容易に想像させる。
「────おらッ!」
朱兎はフェンスに近付くと、大きく振りかぶって鎌を振り下ろした。
元から脆くなっていたのか、フェンスはガシャンと音を立てて崩れ、人がすれ違えるくらいの穴があく。
「そんなことも出来るのね、それ。わざわざ使う必要もないと思うけど」
緋雨は脆弱なフェンスを見ながら言う。
「うるせェな! これくらいの方がカッコイイだろうが」
「……我が弟ながら、まだまだお子様ね」
「あんだと?」
そういうところだ、とは言わない。緋雨は軽くあしらうようにしながら、フェンスの穴へ足を踏み入れた。
遠くを見つめるように、緋雨は呟く。
「『シキヤシキ』……ここにあの子の断片のひとつがある」
●
「叶苗リーダー! ちょっときいてください!」
連日の疲労に悩まされる叶苗のもとに飛び込んで来たのは、一体のコシキだった。
重い頭を上げて、コシキが入ってきた扉の方を見る。
どうせ育てている植物が成長したとか、他のコシキと喧嘩したとか、取るに足らない用事だろうと思っていた。
ところが、今しがたやって来たコシキはいつもと様子が違う。もしや進行中の実験で不具合でも起きたか、と慌てて立ち上がる。コシキはそんな叶苗の手を引いて部屋の外へ駆け出した。
「な、何、どうしたの」
「たいへんなことが二つあるんですよ! えーと、まずはどっちから……」
「どっちでもいいから早くしなさい。シキヤシキの安全が脅かされるようなことは────」
コシキがどこへ向かっているのかも知らされず、叶苗は引っ張られるまま駆け足を続ける。コシキがこんなに慌てるなど、一体何があったというのか。
「じゃあじゃあ、まずはですね、00248とのつながりが切れちゃったんですよ!」
コシキは叶苗の言葉を遮って言った。一つ目の問題とはそのことのようだ。
叶苗は少しの間考え込む。
「00248……って、姉さんに着いて行ってたコシキのことよね。繋がりが切れたってことは……」
花奏によれば、シキヤシキに数十体といるコシキは、その脳内がネットワークのようなもので繋がれているらしい。
シキヤシキ内で起こったことはある程度共有され、彼らの仕事は極限まで効率化されている。
しかし、稀にそのネットワークから絶たれてしまう個体がいる。共通する点として判明したのは、いずれの個体も寿命が近い、ということだった。
コシキが生まれて原始退行によって活動を停止するまではおよそ五年。これがコシキの寿命だ。
「…………00248のことは、姉さんたちに任せる。私にできることは何もない」
悔しいが、寿命を迎えるコシキのためにできることは見守るだけだ。それは花奏の母親の手でコシキが創られてから今までで、嫌というほど経験した。
それに、00248は地上に出たまま戻っていない。原始退行の影響でシキヤシキに帰れなくなっているのだろう。
花奏たちに任せる、というのも詭弁だ。彼女たちは地上で自由に動けないのだから、どこにいるかも分からないコシキを見つけられるはずがない。
立場の弱い者にとって危険に満ちた地上で、寿命を迎える一体のコシキのことを思うと胸が苦しい。だが今はシキヤシキにとって重要な局面のはずだ。この苦しみに蓋をして冷静に状況に対処しなければ、これ以上どんな危険が及ぶのか想像もしたくない。
手を引いて走るコシキもそれを分かっているだろう。精神面は子供と同等のコシキは、同胞の不幸に萎れてしまっている。
「うう……」
「それで? もう一つの問題っていうのは何?」
感傷的になってしまわないよう、声を制しながらコシキに問う。
「あ! そうです、こっちですこっち!」
コシキは叶苗を管理棟に連れて行った。管理棟はシキヤシキ内を監視する全てのセキュリティカメラを見ることができる棟で、普段は限られた者しか出入りはしない。このコシキは今まで監視を担当していた個体だろう。
「………………何も、変なものは映ってないように見えるけど」
叶苗は一通りの映像に目を通したが、研究員やコシキがそれぞれの棟でいつも通りに動いている。カフェテリアも、疑似庭園も、倉庫も、もちろん地上への出口にも、警戒するようなものは映っていない。
「あやしいものは映ってない。そうなんですけど、こっちです。センサをふくんだ値をみると、なんかへんなんですよね」
手渡されたタブレットを注意深く見る。それは地上への出入口の映像と、付近のデータだ。言われてみれば、どこかおかしい。
具体的にどこがおかしいのか、一見分からないだろう。カメラには何も映っていないのだから。叶苗は冷静に分析する。
微細な空気の揺らぎ、ハッチ付近の空気成分の局所変化。それらはまるで、
「見えないのに何かいる……みたいな。カメラには映らない…………? でも、そんなのどうやって……」
『見えない何か』の存在を感じさせる。
だがそんなことは、科学的に不可能だ。さらに言えば、そんなことができる存在がいたとしてもシキヤシキに侵入する理由はないはず…………
と、そこまで考えて、叶苗の頬を冷や汗が伝った。
『姿を隠せる存在』という言葉で、花奏に伝えられていた情報を思い出したのだ。
マコトとヒイロ、それからマリアが地上に出て奏羽の元へ向かった時だった。彼らはそこで、画面越しにではあるが彼岸花を目にした。
その彼岸花は治安維持の『小葉紅』にも捕らえることが出来なかったようだ。その理由は、彼岸花が何らかの理由で姿を消したから。
奏羽はそのとき、姿を隠せる存在を見た。それだけで十分だ。
科学では説明できない力を持った、人間の血を追い求める存在───それは彼岸花だ。
「あら。気付いたのね。蔽霧も万能じゃないわね」
「…………っ!? 誰!?」
一瞬の隙に、叶苗とコシキの背後に立っていた人物。
ヒイロと同じ真っ白な髪、見惚れるほど美しい容姿。妖艶な気配を纏った女が、そこにいた。
叶苗は、それが彼岸花であると確信した。ただし、ヒイロのような温厚な態度は見て取れない。奏羽が見た、『怪物と呼ばれる彼岸花』だ。
何をされるかわからない恐怖から身構えるが、女性の表情は硬く動かない。叶苗の顔をじっと見つめて、考えていることが読めない。
するとだんだんその表情がほどけていき、しまいには目を見開いて一言、口を開いた。
「……花春?」
「………………え?」
人の名前か? この女性は確かに、叶苗を見てそう言った。
名前を間違えられるのには慣れている。シキヤシキでは同じ顔の兄弟が何人もいるのだから、性別に関係なく名前を間違えられることはよくあった。
この女性が叶苗の顔を見て別の人物の名前を呼んだということは、彼女は花春という名前のシキに会ったことがあるのだろうか。
この名前に思い当たる節はないが、そういえば、以前花奏が家系図を漁っていた。叶苗は家系図を真面目に見たことなどない。もしかしたら、叶苗の知らない親族がいるのかもしれない。熾鬼椰樹の血を引く者は、皆その顔を受け継いでしまうのだから。
そんなことまで考えて、叶苗は頭を振った。今考えるべきは、花春という実在すら分からない人物の事よりも、目の前にいる彼岸花がなぜシキヤシキを訪れたのかということだ。
以前の花奏の話から、この女性が姿を隠すことができる彼岸花で間違いない。その力を使ってシキヤシキに侵入したのにもかかわらず、こうしてあっさりと姿を見せるなんてどういうことだろうか。
「あなた……何が目的? ヒイロなら、ここにはいないわよ」
ひょっとすると彼岸花の仲間を探していたのかもしれない。そう考え、ヒイロは地上に出て行ってしまったためもうシキヤシキにはいないことを伝える。
すると、女性は露骨に眉をひそめた。
「……秀呂? どうしてその名前が出てくるの?」
「ヒイロを知ってるの?」
「知ってるも何も、あいつは…………はぁ、今はそんな話をしに来たんじゃないのよ」
「話? 人間を襲う彼岸花さんが、私たちと話をしようって言うの?」
女性は更に眉間にしわを寄せた。二人の間に、険悪な空気が流れる。間にいるコシキは怯えてしまっている。
叶苗の発言は、「彼岸花は人と言葉を交わすこともできない怪物だ」と言っているようなものだろう。ヒイロはそうではないことはもう分かっている。彼を遠ざけたのは、彼自身に問題があるからではなく彼岸花としての性質が危険をもたらす可能性があったからだ。
しかし目の前にいる彼女はどうだろうか。奏羽が見たという、街で暴れて人を殺めるような彼岸花と同類かもしれない。話という名の、一方的な進攻かもしれない。
もう既に侵入を許してしまっていることから、打てる手は少なかった。
「本当よ。私はあなたたちに危害を加えません。……その代わり、協力して欲しいことがあるの」
その口から協力という言葉が出るとは思っていなかった。まさか本当に話し合いをしに来たとは。話し合いというより、取引に近いかもしれない。
「ええ。あなたたちが持っている、『欠片』があるでしょう。それを私たちにちょうだい」
「欠片…………って、『彼岸花の欠片』のこと?」
それは記憶に新しい、叶芽を夢遊状態にして怪我を負わせた元凶であったものだ。
花奏が出した結論では、人を夢遊状態にして血を与えさせることこそが彼岸花の不思議な力だった。そんなものを欲する理由は、その彼岸花の欠片がこの女性の仲間であるから、と考えて良いのだろうか。
彼岸花には人の形を取るものとそうでないものがある。今までそう考えていたが、あの彼岸花の欠片も、この女性やヒイロのように人間の形を持っているとしたら。欠片が揃うことでその形を得てしまったら。
そうなれば、以前に街で暴れたという彼岸花のようになってしまうかもしれない。叶苗はこれ以上、彼岸花による被害者を出したくはなかった。
「……悪いけど、それには応じられない。それに───」
『彼岸花の欠片』は今、ここにはないのだ。
叶芽の件があってから叶苗がヒイロをシキヤシキから追い出してしまったために、花奏もそれに着いて行くこととなり、彼女の研究のために欠片を地上に持って行ってしまった。
「それからもう一つ。あなたたちの中に、あの研究所から来た人間がいるでしょう。それを連れて来て欲しいの。多ければ多いほどいいわ」
女性は叶苗の言葉を遮って言った。遮られること自体には目をつぶるとしても、そこから更なる要求を出されるとは思っていなかった叶苗は、驚いて目をみはる。この女性は取引の何たるかを知らないのではないだろうか。
「応じられるわけないでしょ。あなたが私たちを殺さない保証はないし、私たちに何の利益があるの?」
叶苗はこれ以上何を言われても首を縦に振るつもりはなかった。この話し合いをどう終わらせるか、シキヤシキになんの被害も出さず、彼女を帰らせるにはどうしたら良いかを考えていた。
しかし次にその口から発せられた言葉に、叶苗は耳を疑うことになる。
「私たちがこの手で、『天草社』を……あの忌々しい男が積み上げた全てを崩してあげる。あなたたちは地上で暮らせるようになるわ」
女性は確固たる意思と憎悪を宿した瞳で、不敵に微笑んだ。




