第38話 やっぱり帰る
叶芽が何か、人の手には負えないようなことをしようとしているのは何となく知っていた。
母と妹を失って、世界から全ての希望をなくしたような顔をしていた叶芽が、両親が遺した膨大な量の研究を見た時のあの顔は忘れられない。
叶芽のただ一人の姉である私は、弟のためならどんなことでも協力すると決めた。
一人の人間を生き返らせる、なんてことは、決して良しとされることではないのかもしれない。
だからと言って、ただひとつそのような願いを持ってはいけないなどというのは、不公平なのではないだろうか?
「願いを持つ」ということは、決して悪などではないからだ。
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「そんなこと言ってもー……叶苗、私の持ってる彼岸花の欠片はどうすればいいの?」
「できればシキヤシキに置いて欲しくない。……無理な要求なのは分かってるけど」
この状況の重大さを理解していなさそうな花奏が、いつもと変わらぬ声色で問いかけると、叶苗は申し訳なさそうに言う。
花奏の持つ彼岸花の欠片が今回の事態を引き起こしたとされるのだから、叶芽の近くに置いておきたくないと思うのは当たり前だろう。
叶苗は変わらずハサミをマコトとヒイロに向けたまま、二人のことを見据える。このままだと本当に引き裂かれてしまいそうな剣幕である。
「か、叶苗さん……穏便にいこうよ」
「叶芽に実害が出てるから、私は穏便に済ますつもりはないけど」
もう何を言っても、叶苗は話を聞いてくれそうにない。どうあってもマコトたちを追い出すつもりだ。
実害とは言っても、それの原因はシキヤシキにもともと保管されていた彼岸花の欠片であって、ヒイロは関係ない。マコトなら尚更、とばっちりだ。
「…………せっかくで悪いけど。やっぱり、ボクはここに来るべきじゃなかったね。姉さんと例の花を連れて帰る」
突然、何も言わず黙っていた奏羽が言った。
いきなり口を開いて何を言うのかと思えば「帰る」と、誰もが想像もつかなかった言葉を発した奏羽に、全員の視線が向く。
「……なに。ほら行くよ、姉さん」
「………………えっ、わたしは出ていく方なの?」
話を聞いていなかったのか、花奏は狼狽える。
「当たり前じゃん。ここで彼岸花の研究を続ける訳にもいかないし」
奏羽は踵を返して歩き出す。そこには何かから逃げたいという考えが見える気がした。
奏羽が言わんとすることは分かる。シキヤシキに彼岸花の欠片を置いておけば、また叶芽が夢遊状態になってしまうかもしれない。なので叶苗からすれば、そんな危険なものはシキヤシキに置いておく訳には行かない。
しかし花奏は、その欠片を研究したい。欠片を別の場所に移動させること自体は良いかもしれないが、花奏は地上に出ることができない。出る分には構わないが、その後の命の保証はない。
そしてマコトとヒイロは、無条件にシキヤシキから出て行かなければならない。
奏羽は叶芽の安全を考えているのは分かる。彼らの家族仲を崩壊させた出来事を、奏羽は後悔していた。だからせめて、自分に出来ることをしようと考えているのだろう。
マコトは戻ると言って譲らない奏羽と共に地上に戻るという形になるだろうが、花奏はどうするか。それが今全員を悩ませる要因だ。
「……私は、姉さんには残っていてほしい。彼岸花は危ない。姉さんも分かってるよね」
「叶芽の夢遊が治らなかったらどうするのさ。今、彼岸花を扱えるのは姉さんしかいない。人型の彼岸花がどんどん現れてる今、悠長なコトを言ってる場合じゃないんだよ」
叶苗と奏羽がそれぞれの主張をぶつけ合う。
「あんただって分かってるの? 地上がどれだけ危険か!」
それは叶苗の聞いたことないくらいの怒号だった。
地上に出て行った家族を失った彼らなら、その重みが分かるはすだ。
その叫びの主の兄であるはずの奏羽は、普段なら言い返しているところだ。ところが今回は、そんな気力もないかのように薄く笑みを浮かべて言う。
「ボクがいると、みんな死んじゃうから。叶芽はきっとボクのことを許してないだろうから、一人で地上に出たんだよ。今まで生き残っているのが不思議なくらいだ」
「なに……償うために、自分から死にに行ったってわけ?」
「まあ……そう思われても仕方ないよね」
「ふざけないでよ」
怒声とは真反対に、腹の底からせり上がる感情を込めた一言。その声は震えている。
「私はあのとき、あんたのこと憎んでた。でも叶芽は、すぐに前を向いてたの。叶芽は叶蔦を生き………………いや、何でもない」
叶苗は爪を噛んだ。何かを言おうとして、踏みとどまったようにも聞こえる。
叶苗は奏羽を憎んでいた。彼が妹を死に追いやったと考えて、幼いながらに許せなかった。
マコトからすれば、それは決して奏羽のせいではない。人の命を奪うことは何よりも許されることではない、故に憎むべきは天草社だ。
だが幼い子供に憎悪の対象の正しい区別がつくはずもない。目の前にいる相手と、目に見えない相手。どちらが責めやすいかと聞かれたら、子供にとっては前者だろう。
叶苗はそれに囚われていたものの、同じ境遇の叶芽はそこから抜け出した。何が彼をそうさせたのか知る由もないが、前を向き始めた弟を見て、叶苗もいつまでも過去に囚われているわけにはいかないと考えたのだろう。
だから、別に誰も奏羽に死んでほしいなんて思っていない。
叶苗はそう言いたいのだ。
それが、彼岸花の欠片だけを捨ててここに残ってほしいと言う意味なのかは、本人にしか分からない。
「まぁ、誰が許してくれててもボクが自分を許せないだけだから。行こ、姉さん。彼岸花の欠片を忘れないでね」
奏羽はひらりと身をひるがえして、目線だけを花奏に送りながら立ち去ろうとする。叶苗は止めなかった。
小さな後姿を見送るその目には決して憎しみはなく、マコトには読み取れない別の感情が深くに存在している気がした。それを何というのかは、マコトは知らなかった。
叶苗は消え入りそうな声をその背にぶつける。
「……家族が心配で、帰ってきてくれたんじゃなかったの…………?」
そうは言っても、奏羽がこれ以上自分のせいで家族を傷付けたくないと思っているが故に去っていくということを、分からないはずがなかった。
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マコトもヒイロも、何も言えなかった。
奏羽は一刻も早くシキヤシキから離れようと、その足を止めなかった。マコトは彼を止める言葉を持たないまま着いて来てしまった。
地上に行く判断をしたのは奏羽、そして花奏。マコトとヒイロは叶苗の望みで強制的に追い出された形となる。
結局00248のコシキを見つけたというマリアからの報告はなく、地上に出るのにはシキヤシキにいた別のコシキを連れて行った。その個体も色んなコシキとほとんど変わらず、中身は少しうるさいくらいの、至って普通の子供であった。
郊外にあるというシキヤシキから町に出るまで、マコトとヒイロは目隠しをしてコシキの案内に従う。
案内くらい目隠しをしない奏羽と花奏にしてもらえば良いと思うこともあったが、彼らと同じ顔に作られたたくさんのコシキはもしもの時の囮、身代わりの役割も持っているらしい。
案内を終えたコシキは、山兎のように戻って行った。去り際の満面の笑みは花奏そっくりだ。
奏羽の隠れ家に戻る手段は、お馴染み道具屋の店主であった。
マコトはやり切れない思いを抱えていた。自分たちの言葉だけでは説得できなかったのはやや癪ではあるが、せっかく奏羽がシキヤシキに戻ることを決断してくれたというのに。
反対に、ヒイロはそこまで思い詰めている様子ではなかった。まるで奏羽と叶苗の意見の対立は当然であると言うかのような表情をしている。
「ねえ、なんでヒイロはそんなに何でもない顔してられるの?」
思わず聞いてしまう。ヒイロは少し考えてから答えた。
「二人の……いや、熾鬼という一族の間にあるものを、理解できるからかな」
「何それ。目的は同じなんだから、皆で協力するんじゃだめだったの?」
シキヤシキにいる人々は、地上の目から逃れたい。
奏羽もその一人であるが、自分が周りを不幸にすると思い込んでいる。
叶苗は彼岸花が叶芽に与える精神的な影響を失くしたい。
花奏は母が残した彼岸花の研究を進めたい。彼岸花の生態がもっと分かれば、叶芽の身に起こった異常の原因究明が出来るし、ヒイロや他の彼岸花が何者でどんな目的を持っているのか……なんてことも分かるかもしれない。
全員が抱えるこれらの状況が、誰かが地上に出て行くという危険を犯してでも居場所を分かつという選択でしか実現できないとは思えない。
もう彼らが離れ離れにならないように、手を取り合うことは出来ないのか。
マコトには理解ができなかった。
「マコトには、そういう人はいなかったの?」
「……どういう人さ?」
「俺にとっては、父がそうだったよ」
マコトは呆気にとられる。
また『父』の話だ。ヒイロにそのような存在がいるのかすら疑問なのに、あまりにも自然に話し始めるから驚いてしまう。
まさか白紙だった記憶が戻ってきたのではないだろうか。
「その人は、君にとってどんな存在なの?」
「……まだよく思い出せないけれど……大切な人だったよ」
ヒイロはそれだけ言った。その目はどこか遠くを見ているようだった。
自分にとって大切な人……つまり、奏羽は叶苗たちが大切だから突き放すと言うことか? ますます分からない。
大切に思うほどの相手なら一緒に居ればいい。危険が迫っているのなら、一緒に解決策を考えればいい。 少なくとも、彼らを引き裂くものはあってはならないのだ。
「……そもそも、君に父親がいるかどうかも怪しいよね。ある事ないこと言ってない?」
「そんなことを言われても、記憶があるんだから仕方ないよ。もう少し思い出せるようになったら詳しく話すから、待っていて欲しい」
どうしても気になる話題に変えても、ヒイロは軽やかに受け流した。
「うーん、ここが奏羽の住んでるお家なのねー」
全員が一息ついたところで、花奏はその部屋内を見回して言った。
彼女にとっては、地上を歩いているというだけで新鮮な体験だろう。マコトの目から見て、研究者の部屋というのはどこもごちゃごちゃとしていて違いも分からないが、花奏は奏羽の部屋に置かれている機械やら道具やらをあちこち触って回っている。
「ちょっとぉ、勝手に触んな! 姉さんは姉さんのやるべきコトがあんでしょうが!」
すっかり通常運転に戻った奏羽はそれを叱り、機械の上に乗った花奏の手をバシリと払い除ける。
花奏はそれといって傷ついた様子もなく、口を尖らせて文句を言いながら、持って来た箱に手を伸ばして準備に取りかかる。
二人の顔が同じなのは置いておいても、仲睦まじい姉弟だということがひと目でわかる。天草社という脅威がなければ、この光景はこれまでもこれからも、当たり前に行われるはずのものだっただろう。
こそこそと地下に隠れて怯えて暮らすなんて、普通の人間はしないのに。
天草社という組織に対する許し難い気持ちが再燃する。その反面で、研究所はマコトが生まれた場所でもあるため複雑な心情だ。
そうして花奏が持って来た箱というのは、人の頭がすっぽり入りそうな大きさの銀色の箱だ。花奏が軽々運んでいるのを見ると重さがあるわけではなさそうだ。
それにしても花奏の両腕を使って箱を胸の前で抱えて運ぶその様子は、あるものを彷彿とさせる。
「なんか不謹慎だけど、遺骨みたい」
もちろんそんなことないのは分かっている。不謹慎どころか葬式でクラッカーを鳴らそう、くらいの発言をしたのではないかと思い至ったが、相手が花奏ほど空気の読めない性格でなければ二度と顔を見せるなと言われてもおかしくない。
「失礼な。これはみんなも知ってる諸悪の根源、彼岸花の欠片だよ」
諸悪の根源とか、言っちゃうんだ。実際間違ってはいないわけだが。
銀色の箱の中身はシキヤシキから持って来た、彼岸花の欠片だった。本当にそんな保管方法で良いのかと心配になるが、専門家が言うなら大丈夫なのだろう。
生命活動を封じるために温度の低い場所で保管する必要があると聞いた気がするが、その箱の中が低温空間になっているのか。もちろんだがこの場で開封してはいけない。
「奏羽、わたしが使える部屋ってないの? 一つでいいからさ」
「……ない。ボクだってこの部屋、間借りしてる身だし。一階にも一つ部屋を借りてるけど、ほぼ物置だからね」
奏羽は嫌々答えた。一階の部屋もできれば貸したくないと言っているように聞こえる。
だがそんな意図を花奏が汲み取ってくれることはなかった。
「なんだ、あるんじゃない。ならわたしはそっち! 必要な機材とかを吟味しといたから、二人とも運ぶの手伝ってくれる?」
花奏はすぐに、あれこれとその辺にあるものを指差した。どれもマコトにとっては何に使うかも分からないものばかり。
花奏はこの部屋にある機材を好き勝手触っている間に、その用途と必要なものを絞り込んでいたらしい。変なことを考えているように見えて、研究に対する姿勢は誠実である。
だからと言って、人に力仕事を頼むのに何の躊躇もないのはどうかと思うが。
シキヤシキでは全てをコシキが手伝ってくれていたから、周りをコキ使うのには慣れているのかもしれない。
マコトが固まっている間に素直にせっせと物を運び始めたヒイロをよそに、花奏は素朴な疑問を口にした。
「ところで、ここに来るときに変な乗り物を貸してくれたあの店主さんは何者?」
それはこっちが聞きたい。
コシキに続いて奏羽と同じ顔の人間がまた現れたというのに、快く協力してくれた。
花奏は自分の存在が地上で受け入れられないと思っていたようだが、その考えを払拭できたのはあの店主のおかげだ。
奏羽からは彼に迷惑をかけるなと言われているし、マコトとしてもこれ以上踏み込む気はない。
その内にヒイロは既に大きな機械をいくつか運び終えており、あまりの早さに改めて彼岸花と人間には体力の差があるのだろうか、などとくだらないことを考えさせられた。
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「…………あぁ、しまった。からくりと彼岸花……あの二人はここを去ってしまったかな。それも我が弟妹たちがせっかちすぎたのが原因だけれど」
昏く、狭く閉ざされた部屋の中で。物思いにふけっていたその男は、手に持ったものを机に置く。それは本と呼ぶには心許なく、ノートと断じるにも違和感のある紙の束だ。
「……あの子では駄目だ。より強く、より高密度な、『奇跡』を……私は見たいんだ」
あけましておめでとうございます。




