第37話 魅惑の花
シキヤシキ。地下に広がるドームの下、連なる研究棟の上空に架けられた透明な通路を通って、マコトたちは帰還者の元へと急いだ。叶芽の身に何か異常が起こっている旨を伝えられたヒイロは「すぐシキヤシキに戻る」と言って、ここへ向かっているところだった。
ヒイロは奏羽と一緒にいたはずだが、奏羽は戻ってくる可能性はほぼないだろう。あれだけマコトたちの説得を無視し続けたのだから、今更戻ってくるなど彼の性格ではあり得ないのではないか。
………………そう思っていたのだが。
「叶芽は? 倒れたって聞いたけど、ボクを呼び戻すためのデタラメってことはないよねぇ?」
戻って来ていた。
『くま先生』の熊の被り物を被ってしまった彼の顔は見えないものの、確実に花奏を睨んでいる。そんな声色だ。ただ、叶芽のことを心配しているのは本当なのだろう。
「うん。倒れたっていうか、何というか……」
「疲れて、今は寝てるだけ」
奏羽たちを出迎えた花奏と叶苗が、現在の叶芽の状況について説明した。
「疲れたぁ? なんで。殴り合いでもしたの?」
「うーん、あながち間違ってないね!」
「はあぁ?」
まさか扉と殴り合いしていたとは、夢にも思わないだろう。
あの後、手の治療を終えた叶芽は再び気を失ったように倒れた。幸い今回は夢遊することはなく、ただ眠ってしまっただけのようだった。ひとまずヒイロたちを呼び戻して状況を説明した後、叶芽の身に何が起こっているかを考えることとなったのだ。
もっと詳しく聞かせろ、と強く詰め寄る奏羽をよそに、隣で見守っていたヒイロがマコトをつついた。どうやら何か伝えたことがあるようだ。
「ヒイロも帰って来てたんだっけ。何、どうしたの?」
「奏羽さんについてだよ。シキヤシキに帰りたがらなかった理由を聞いてきた」
「うわ、本当に? あの人のことだから、そういうの絶対に教えてくれないと思ってた」
命を狙われる可能性があるというのに、危険を犯してまでシキヤシキを離れて地上に出て行った理由は何なのか。マコトはヒイロが聞いてきたというその理由を聞いた。
幼い奏羽が、任された従妹を失う原因を作ったと思い込み他の親族と距離を置いていたこと。その従妹というのは、今しがた倒れたと言った叶芽の実の妹であること。
熾鬼という一族が数を減らしているというのは聞いていた。それを実際に経験した当人の口から語られた出来事をヒイロがそのままマコトに伝える。
奏羽という人間は、従妹の命を奪ったのは自分のせいだと思っている。もちろん、子供一人がこっそりと地上に出るだけの隙を作ってしまったと言うところでは奏羽の過失かもしれない。だがそれよりも、
「天草社って、そんな小さな子供まで殺しちゃうとかさ…………おかしいよ。僕、やっぱりあそこには戻りたくないな……」
世間では富も名声も、力も技術もある組織。そんな彼らが、裏では人の命を奪っている。『遺物』だろうが何だろうが、どんな理由があったとしても許されることではない。
「そうだね。でも、悪い人だけじゃない。天草社に所属するほとんどの人は自分たちの組織が、人を殺めているだなんて事実は知らないよ」
ヒイロが言う。聞くと彼は地上で、天草社の誰かと接触し親交を深めたようだ。
「その人たちと偶然会ったんだとしてもさ……キミが人間じゃないかもって疑われたら終わりなんだから、もっと気を付けて動くべきじゃない? もしバレたらどうするつもりだったのさ!」
「大丈夫だよ。ちょっと事情聴取されただけ」
「大丈夫じゃない! 何で!? 事情聴取とかされちゃったの!?」
親交を深めたと言うからてっきりお茶を飲んで談笑するくらいかと思えば、きっちり聴取される側になっている。もしやヒイロが近頃巷をざわつかせている彼岸花と関係があるのではないかと見抜かれた……? とマコトは焦る。
「町で彼岸花に会ったんだ。その現場に俺たちもいたから、特殊からくりの華紅夜さんという人……からくり? が話を聞きたいとかで」
「へ?」
彼岸花に会った? あのガラの悪そうな青年か、もしくはその仲間と?
マコトは口をぽかんと開けたまま何も言えなくなっていた。
さらには華紅夜という名前。マコトと同じ特殊からくりではあるが、彼女はマコトとは違い優秀だ。そんな彼女に事情聴取されたとなると、知っていることすべて吐かされてしまうのではないか。
「俺については何も聞かれなかったから大丈夫だよ。それに、すぐに別の職員さんが来て中断してもらうことになったから」
「…………その人たちも本当に信用できるのお? 後つけられてたりしないよね? 怖いんだけど」
「彼らとはその前に一度会っていたんだ。穂泉……橘さんと、佐倉さんという人たちだよ」
「………………橘…………?」
聞き覚えのある名前に、マコトは耳を疑った。
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久々────でもない再会を喜ぶ暇はなかった。なにしろヒイロと奏羽がシキヤシキに戻って来た理由は、倒れたという叶芽を助けるためだ。
目の前に置かれた疑問を頭の隅に置いておいて、今は元の目的に集中しなければならない。
「(ヒイロが会ったっていう橘さんについて、後で詳しく聞かせてもらうつもりだからね!)」
マコトは誰にも聞かれない声量で、ヒイロに念を押した。ヒイロはこくりと頷く。
「姉さん、私はちょうど別の棟にいて騒ぎに気が付かなかった…………叶芽は何があったの?」
そう問うのは叶芽の双子の姉である叶苗だった。マコトも記憶している通り、叶芽が椅子に縛られているときに狼狽えていた研究員の中に叶苗はいなかった。そのため別の研究棟には騒ぎは行き届いていないようだった。
彼女自身も叶芽に何があったかは分かっていないらしく、それに苛立った奏羽が顔を険しくした。
「うん。まずは現場ね。わたしの研究室…………正直何もないね、叶芽を連れてきたこともあんまりなかった。必要なものがあればわたしに直接言ってくれればいいし」
花奏は探偵の真似事のように、情報を整理し始めた。
叶芽が無意識下で花奏の研究室に押し入ったこと。そんな彼に、花奏の部屋に来る動機はないはずである。
「次にー、叶芽が具体的に何をしてたか。これを見ると分かると思うんだけど……」
部屋の奥には銀色の重たそうな扉が、不相応に壁にくっついている。この扉のおかしいところは、ちょうど人間の目の高さあたりに血痕がべっとりと付着していることだ。
「これは叶芽の血。状況的にもそうだったけど、わたしが調べたから間違いない。なんでこんなところについてるのかっていうのは単純で、叶芽がこの扉をガンガン叩いたから。傷ついて血が出てるのも構わずにね」
「…………なんで?」
叶苗も、それには意味が分からずに首を傾げた。
「そこなの! 叶芽に聞いても知らないって言うし、ひとまず夢遊でもしてたんじゃないかーって結論になったんだけどね。もっと違和感というか、なんか引っかかるでしょ!」
「『なんか』じゃダメ。もっと具体的に言ってよ」
腕を組み、鋭い眼差しで扉を睨むのは熊の頭を取った奏羽。彼には何か検討がついているのだろうか。
「花奏さん。その扉の部屋は、俺のことを閉じ込めた部屋だよね?」
ヒイロの一言に、花奏はびくりと肩を震わせた。どうやらその出来事については反省しているようだが、掘り返されたくないことらしい。
それを初耳の奏羽は呆れながら花奏を責めた。
「閉じ込めたぁ? ナニやってんの、姉さん」
「ううん、まあ……研究が進むと思って……」
「まあボクでも同じことしてるかも。貴重なサンプルだもんねぇ」
ニヤリと口角を上げながら、奏羽はヒイロを見た。やはり、この姉弟はまともではない。
「……コホン。そう、この部屋はヒイロくんを行動不能にしようとして入れたことがあった。何でかっていうと、人の形をとる彼岸花には『寒さに弱い』っていう弱点があるから」
そのような部屋があるということは、ヒイロを閉じ込めたように、何かを保管するという用途がある。そしてそこにあるのが、
「わたしが思うに、怪しいのは彼岸花の欠片だね」
五年前に現れ寒波によって崩れたという彼岸花の、一片の欠片。花奏の母親が研究していたという、魅惑の花である。
「思ったんだけどさ、『遺物』ってその欠片なんじゃないの? どれだけ小さくても、危険だから政府と天草社が回収しますよ……みたいな?」
「違いまーす。『遺物』はシキヤシキができた時……四十年くらい前にはもうあったの。わたしたちは見たことないけど。対して欠片を手に入れたのは五年前だから、全然関係ありませーん」
マコトはこの推理になかなか自信があったものの、違ったようだ。それよりも花奏の嘲笑を含んだ否定の仕方が鼻につくが。
「まあまあ、『遺物』の話は一旦置いておいて。この『彼岸花の欠片』が、叶芽をおかしくした原因なんじゃないかってわたしは思うわけ」
花奏は自信満々に言うが、そのような根拠は一体どこにあると言うのか。ましてや、ただの花弁が人間の精神に影響を及ぼすことなどできるわけがない……と信じたい。
「前にマコトくんとヒイロくん、同じようなものを見たはずだよ。わたしに相談してくれたよね。丹波製薬に交渉しに行った時のこと、覚えてない?」
丹波製薬、そこには件の彼岸花を譲ってもらおうという目的でマコトたちが乗り込んだ場所だ。
そこでマコトは見た。未来という少女が、保管されている彼岸花の前でぐったりしているところを。
そして未来の叔父である和木という人物に話を聞けば、未来はずっと前から、彼岸花に自らの血を与えたいという欲求に駆られているのだということを知った。
この奇病の原因は花奏にも奏羽にも分からなかった。二人の状態の詳細は少し違うが、未来が夢遊状態で彼岸花に血を与えようとしていたのなら、叶芽も何かを求めて彼岸花の欠片が保管されている部屋に押し入ろうとしたのも説明がつくかもしれない。
そしてその何かとは、何らかの方法で人間を魅了し血を与えるよう誘導する、彼岸花という植物だ。
「……確かに、未来さんが心を奪われていたのも彼岸花……」
ヒイロも未来について思い出したのか、ぼそりと呟いた。
「何? 彼岸花には、わざと人間を夢遊状態にさせて血を与えさせる……なんて変な力があるわけ?」
一連の推測をまとめ、叶苗は信じられないというように言った。そして、同じ彼岸花であると思われるヒイロを睨んだ。
「まだ分からないけどね。でも、人間の血を求めるっていう噂にも合ってるし……やっぱりこれ以上の研究を進めるには、新しいサンプルが必要なのよねー」
「……俺は彼岸花じゃ……」
花奏はチラチラとヒイロを見やる。まだヒイロのことをサンプルにするつもりだろうか。あの時のことを反省していないのかもしれない。
「────彼岸花が危ないっていうなら、こいつをシキヤシキに置いておきたくない。叶芽だって、いつ同じようなことになるか分からないもの」
突然、ヒイロを睨んでいた叶苗は冷たくそう言い放った。
とはいえ、彼女の言う危険性はもっともだった。それを分かっているので、その場の全員が息を呑む。
「そ……っ、そこまで言う必要は…………」
「あなたもだよ、マコト。私たちはいつでもあなたたちを解体せるけど、それをしていないのは姉さんの温情があるから。でも、私たちが一番考えなきゃいけないのは、シキヤシキの安全」
叶苗はどこからか取り出したハサミを二人に向ける。無論それで体を切り刻むなんてことはできない。これは彼女なりの警告だ。
「これ以上叶芽に危険が及ぶなら、二人ともここで解体されるか、ここから出ていってもらう」




