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第36話 夢遊


 問題は、マコトがシキヤシキに戻り、(たちばな)雄一(ゆういち)との対面を終えた後に起こった。




「え? 00248(あの子)、戻ってきてないの?」


 花奏(かなで)は驚きの声をあげた。

 彼がいないことについて、今まで花奏は把握していないようだった。

 何があったのかというと、マコトを奏羽(かなう)のところまで迎えに来てシキヤシキ案内してくれたのはおなじみのコシキ(00248)であったが、彼はマコトを無事送り届けた後「リーダーにはないしょでおでかけしてきます」と言ってどこかへ行ってしまったのだった。


 内緒とは言われたものの、不安になったマコトはそれを花奏に伝えると、やはり彼女にもコシキが何の目的で一人地上に出て行ったのか分からないらしい。


「奏羽の説得に付き合ってくれてるのかな? ヒイロくんだけじゃ確かに心もとないもんね」


 さらりとヒイロが貶されている気もするが、花奏のことなのでそれも通常運転だ。


「で、でも、やっぱり不安だよね。見た目子供だし、一人でいるところを誰かに怪しまれでもしたら……」


 子供の家出かと疑われて警察にでも連れていかれたら、その身元を調べられる。少しでも天草社の耳と目に入れば、その顔は天草社お尋ね者の熾鬼(しき)椰樹(やしき)と同じだということが、いずれ分かってしまうだろう。

 もしも、コシキがどこから来たかを調べられてしまったら。シキヤシキに、天草社の特殊部隊が押し入る事態になってしまうかもしれない。今まで何人もの家族を失った花奏にとっても、それは許し難いことだ。


「んー、まあ大丈夫! ここで心配してもしょうがないし。マコトくんだけでも地上に出て探しに行く? 別のコシキをつけるよ」


「え……いや、僕はいいかな…………怖いし」


 彼岸花や天草社の追手を恐れるあまり、そんな事しか言えない自分が情けない。いざとなればヒイロがなんとかしてくれるだろう、という他人任せの考えが浮かんでくるのも情けない。


 ヒイロはシキヤシキに初めて来た際、彼岸花としての特徴を発現させた例がある。その気になれば、街で暴れた彼岸花のように戦うことも出来るのではないか……と思う。

 しかしそんなことをすればヒイロも彼岸花という脅威の対象に見られることになってしまうし、そんな状況になるとは余程の出来事が彼を襲ったことになるので、それは好ましくない。


「とりあえず、戻ろっか。橘さんのことは叶苗(かなえ)に任せるとして、わたしは丹波(たんば)製薬のほうの調べ物の続きをやらなくちゃ。………………コシキのことは、大丈夫。ヒイロくんとマリアと……奏羽がいるから」


 そう言って立ち上がる花奏の手は震えていた。コシキについて、まだ心配事があるようだった。

 マコトは花奏と共に、研究棟に戻ることとなった。1階の端の方には使われていない部屋がいくつかあり、そこがマコトとヒイロに一時的に貸し与えられている寝床だった。


「結局、僕にシキヤシキに戻るよう連絡してきたのは花奏さんで良かったのかな……? 覚えてないみたいだったけど、花奏さん、疲れてるのかも」


 マコトは花奏を見送ろうと、扉の外にひょっこりと顔を出した瞬間。


 ドタバタ、と上の階がなにやら騒がしかった。


「……? どうしたんだろう。わたし、見に行ってくる」


「ぼ、僕も行く!」


 シキヤシキの研究員たちに何かあったのかもしれない。最悪、部外者の侵入を許してしまったのかもしれない…………というマコトの心配は外れたようだった。2階に上がると、廊下を行き交う研究員とコシキたちがいる。部外者の姿は見当たらない。

 とはいえ、騒がしいのはいつものことだが、どこか普段の様子と違う焦り具合の者もいた。

 そのうちの1人が花奏を見つけて即座に口を開いた。


「か、花奏さん! 来てください、大変なんです! 叶芽さんが…………」


「叶芽が……?」


 花奏は首を傾げた。

 叶芽といえば、シキヤシキにいる『シキ』たちの中でも現末っ子であるが、誰よりも常識人でマトモな青年だったと記憶している。花奏や叶苗がおかしいといったところもあるが。

 そんな叶芽は、どうやらこの騒ぎと関係しているらしい。何か問題を起こしてしまったのか、あるいは面倒ごとを持ち込んでしまったのか。いずれにせよ、そのようなことをする人物には見えなかった。







 花奏とマコトが駆けつけた時には、叶芽は気を失い椅子に縛られている状態だった。

 何が起こっているか分からず、余計に混乱する。一体何があって、なぜ彼が縛られているのか。


「ここ、わたしの部屋だよね……? なんでここでこんなことが起こってるの?」


 現場は、花奏の部屋という名の研究室の一つだった。ヒイロを閉じ込めたというのもこの部屋だったはずだ。

 その場にいたコシキの一人が、ことの説明をし始める。


「叶芽リーダーは、突然この部屋に押し入ったんですって。誰も入ったところを見てなくて、気にもしていなかったんですけど……おっきい物音がして、覗いてみたら叶芽リーダーがいたんです。そこの、保管室の扉を強く叩いて何か言ってました! 皆さんが数人がかりで押さえて、動けなくしてからようやく静かになりました」


 花奏の表情は少しずつ曇っていく。部屋に押し入ったとは言うが、叶芽がそのようなことをする人物ではないのは誰もが知っているし、扉を叩くなどという行為に及ぶわけがない。ましてや、あの保管室は大人一人では絶対に壊せない固さのはずなのに、それを強く叩くなど、どれだけ手を痛めることになるだろうか……と花奏は一人考える。


「んー………………保管室?」


 なぜ花奏の部屋にある保管室の扉が頑丈に設計されているのか。あの部屋は何の用途だったか。それを思い出すのに時間はかからなかった。少し前にヒイロを連れてここへ来た記憶が思い出される。


「あの部屋って……彼岸花の欠片があるっていう、寒い部屋……だよね?」


 マコトもそれを思い出し、身震いする。ヒイロが彼岸花だから研究材料にしようとした、という花奏の恐ろしい思考回路、そしてマコトを解体(バラ)したいという叶苗の身の毛がよだつような要求が、同時に思い起こされたからだ。


「とりあえず、他に叶芽に変わったことは?」


「とにかく必死……な状態でしたけど、少し前に見たときには心ここにあらずって印象でした! 寝不足かなーと思ったんですけど」


 話を聞く限り、寝不足だけでそんなことになるはずはない。

 花奏の部屋に集った研究員とコシキたちは心配そうに叶芽を覗き込む。縛られ気を失ってうなだれている叶芽は、気分が悪そうに唸る。


 頑丈な保管庫の扉には傷がついているが、それはヒイロが吹っ飛ばしてしまった時のものだ。コシキたちが大急ぎで修復したのだが、表面の傷までは消さなかったようだ。

 それよりも目につくのは、扉にこすりつけられるように付着した血痕だった。叶芽が扉を叩いたときに付いたものなのだとしたら、血が出るのもお構いなしに扉を叩き続けたということになる。明らかにおかしい行動だ。マコトはこっそりと叶芽が座る椅子の後ろに回って見ると、両手が血まみれになっていた。

 常軌を逸した、叶芽の何かへの執着に冷や汗が流れる。彼は一体何を求めてこのような行動に出たのだろうか。


 パシ、パシ。という、餅をつくような音が響く。花奏が叶芽に軽いビンタを食らわせているところだった。


「な、何やってんの花奏さん」


「なにって、叶芽を起こすのよ。ほら、おーきーろー。叶芽ー」


 容赦のないビンタは次第に音を大きくしていき、そろそろ後で痛みが残ってしまうのではないかというところだ。


「あの……可哀そうなんじゃ……」


「えー、マイルームを荒らされたわたしの方が可哀そうなんだけど。あの……冗談だよ?」


 彼女の「冗談」は信用ならない。それに、弟に何か大変なことが起こっているかもしれないというのに、いつもの調子のままでいられる彼女の神経の図太さが恐ろしい。


「…………あ………………なんだこれ? って痛!」


 すると、かすれた声が聞こえる。うっすらと目を開けた叶芽は、自身の置かれた状況をすぐに理解して完全に覚醒した。そして赤くなった頬から、ワンテンポ遅れて痛みが脳に伝わったようだ。


「あ、起きた! よかったー、叶芽!」


「ちょ、やめろ。抱きつくな。頬が痛いんだよ。あと手も………………何で俺は縛られてる?」


 痛む手を確認しようとしてその手を伸ばせないことを思い出した叶芽は、もがくのを諦めて力を抜いた。自身の周りに集まる研究員たちにも、何事かと視線を投げながら花奏に問う。


「覚えてないの? あ、わたしは実際に見てたわけじゃないんだけど。まず、ここがどこか分かる?」


「……花奏姉さんの部屋?」


「うん。じゃ、あれ見える?」


「……血だ。扉についてる」


 一つ一つの問答を、当たり前だと言うように答えていく叶芽。聞く側だったはずが逆に聞かれているのはなぜだ、とそこで叶芽は考えるのをやめた。


「うーん、次はねえ……」


「単刀直入に言いますと、叶芽リーダーは無意識状態でこの部屋に押し入った後、血が出てるのも気にせずあの扉を必死に叩いていました。皆さんで取り押さえて、椅子に縛り付けさせてもらった、という状況です」


 花奏が次の問題を考える隙に、コシキが全部説明してしまった。花奏は自分の口から言いたかった、と意気消沈している。


「………………はあ? 俺が? そんなことするわけないだろう」


 まあ、本人はそう言うだろう。気を失って目覚めた叶芽はどう見ても、異常な行動をした後の人には見えない。


「コシキたちが言うにはね、これまでも叶芽がぼーっとしてるようなことがあったんだって。夢遊病にでもなっちゃった?」


「……まあ……そういうこともある」


 日々研究に脳を費やしているのだから、ちょっとした不調などいくらでもある。叶芽はそう思うことにし、自由の利かない体を動かしたくなる欲に駆られる。


「とりあえずこれ解いてくれ。治療したい」


 言う通り、コシキの一人が叶芽の腕と腰を縛ったロープを解く。拘束が解けた叶芽は手を前に回してくると、自身の傷を見て顔をしかめた。


「うわあ……痛みくらい、感じられるだろ……寝てるときの俺」


 コシキたちが救急箱を持ってきて、叶芽の手を診る。素早い手際で、叶芽の手には包帯がぐるぐる巻きに巻かれていった。


 …………本当にただの夢遊病で済ませて良いものなのか? 頭の隅に残った違和感をつなぎ合わせようと、マコトは必死に考える。


「そうだ、奏羽を通してヒイロくんに言ったら、こっちに戻ってきてくれるって。奏羽も一緒に来るかな?」


 その可能性はかなり低いだろう。マコトは奏羽がどうしても戻りたくない、と言っていたのを何度も聞いた。









「………………………………………………来たよ」




 あんぐりと、マコトは口を開ける。ここで見ることはないだろうと思っていた人物の姿が、そこにはあったからだ。


「おかえりー! 奏羽! あれ? 何か言うことない? 久しぶりに会った姉さんに向かって! 我が家に向かって!」


 絶対に言わない、という意思は感じるが、やはり懐かしの我が家に帰って来た人間ならば誰しも言ってしまう一言が、奏羽の口からぽろりとこぼれ落ちた。


「………………………………………………………………ただいま……………………」


 そう言ってふいっと顔を背けた奏羽は、どこかからそっと熊の被り物を取り出して被ってしまった。


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