第34話 奏羽の罪
「あ………………違う。ご、ごめん。コシキ……」
はっと正気に戻ったかと思うと、地面にばら撒かれた数十本の花を、奏羽は拾い集める。
それを呆然と見ているのは、奏羽にそれらを叩き落とされたコシキだった。
「奏羽さん、どうしてそんなこと……」
そう言いかけて、慌ててヒイロも一緒に花を拾う。今はコシキの気持ちの方が大切だ。
二人はすぐに花をかき集めて、合わせて束を作る。元より更に歪な形になってしまったが、奏羽はそれをコシキの手に握らせようとした。奏羽の顔には後悔と憐憫の感情が浮かんでいる。
「…………コシキ。お前、原始退行に入ったんだな? 早く兄さんたちのところに戻んなよ……」
「……いやです」
奏羽がシキヤシキに帰るよう促すと、俯いたままのコシキは奏羽を押しのけて、部屋を飛び出してしまった。その声は聞こえなくなりそうなほど掠れていた。
「……っ! マリア! 追いかけて」
「は、はいっ」
マリアはコシキを追いかけ、慌てて扉の向こうへ姿を消した。
ヒイロも続いて追いかけようとしたが、奏羽に止められる。
ここは奏羽の部屋のある二階の下の階。コシキが出ていった先は外だ。ヒイロはもう迂闊に外へ出られないし、奏羽も難しい。コシキのことはマリアに託すしかなかった。
「奏羽さん、どうしてあんなことを? 『原始退行』とは一体……?」
静まり返った暗い室内には、花の束だったものが再び散らばっている。追跡を諦めることを余儀なくされたヒイロはそれらを拾い集めながら、奏羽に問う。
奏羽がとった行動はコシキに対して非道いものであるのは、本人も分かって反省しているようだ。だがその裏にある、奏羽がそのとき何を思ったのか、そして彼が言った原始退行という言葉が、今コシキに起こっている異常と何か関係があるのではないかとヒイロは推測した。
奏羽はそれにすぐには答えない。ちらりと彼の方を見ると、顔色が悪くなっていることに気づく。まずは彼を自室に連れていき、ゆっくり休ませるのが先だと考え、ヒイロは奏羽に肩を貸して暗い倉庫を後にした。
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「コシキが植物だってことは、アンタも知ってるよね」
「うん。原理とかは、よく分かっていないけど」
奏羽は自室の椅子に座り机に肘をついて深呼吸してから、ヒイロに問う。ヒイロは無理をしないでベッドで休んだ方が良いと提言したのだが、奏羽は平気だと言って聞かなかったのだ。
ヒイロは仕方なく奏羽の問いに答え、そのまま話を聞くことにした。
「そう。あれは花奏姉さんの母親が創ったものだ。だからボクはその構造も仕組みもよく知らない。姉さんが作るコシキは、母親の技術を真似ているだけの模倣物だ」
奏羽はコシキの基本的な情報について語り出した。コシキが植物である、ということは花奏から聞いているが、具体的に人間とどのように違うのか、どうやってあんなに人間に近しい生態を獲得したのか、は全く知らないし、想像もつかない。
「……あれ。でも、人間と同じような植物といえば、君たちの言う彼岸花だってそうなんじゃ? 俺はこれまで二人の彼岸花を見たけど、人間とほとんど変わらなかった。コシキも、彼らが植物だなんて思えないくらいに人間に似ているよ」
ヒイロが脳内に思い描いたのは二人の彼岸花の姿、そしてシキヤシキでわんさかと通路を埋め尽くすコシキたちの姿だ。
奏羽はそれだ、と言って話の肝を語り出す。
「コシキと彼岸花では根本的な部分が違う。コシキはシキヤシキの研究員と同等の知能を持つし、普通の子供みたいに人と戯れることを好む……けど、ただそれだけ。そう作られたものなんだよ。簡単に言えばプログラムされたロボットと同じ、人間とは違って個性が存在しない。ちなみにあいつらの顔が同じなのはボクたち兄弟のとは少し違って、遺伝子が同じだからっていうそのまんまの理由」
そう言われると、ヒイロにも何となく理解できた気がした。人間よりも機械に近い存在、それがコシキだということだ。
では彼岸花はどうだろうか。
「アンタたちは違う。肉体を持って、思考し、成長する生物だ。そこが不思議なんだけどね」
ヒイロが今まで見た彼岸花は二人(ヒイロは自身を彼岸花と認めていない)、朱兎という青年と、緋雨と呼ばれた女性。過去のヒイロと因縁があるような口ぶりをしていたが、ヒイロ自身は過去のことを覚えていなかった。
それよりもここで思い出したいのは、この二人の会話や振る舞いである。
町中で暴れた朱兎は一瞬の間に怒りを見せることもあれば途端に無関心になるなど、その腹の内が読めなかった。反対に朱兎をなだめるような役回りだった緋雨は、人間に対する怒りを表しながらも終始冷静に振る舞っていたように見えた。
同じ彼岸花であっても、性格や感情などの人間的な部分は、人間と同じように『個性的』であった。
それに比べると、シキヤシキで見たコシキたちは全員が、これまで行動を共にしたコシキ(00248)と同じように、活発で人に関わることを好む子供のような性格だった。これがコシキと彼岸花のあり方を隔てる壁なのだろう。
「そんで原始退行ってのは……まあ、いわゆる退化ってヤツ。コシキは初めから完成されてる代わりに成長もしないって話だったけど、唯一の変化がそれ。具体的には、幼児程度まで知能が減衰し、最後には活動を停止する。一つの個体が活動できるのはせいぜい五年が限界ってとこだね」
五年。植物にしては長い方なのだろうが、社会を生きる人間にとっては瞬きの間の出来事かもしれない。
「そんな事情が…………」
奏羽がコシキに対して哀れみのような目を向けていたのは、原始退行が始まったコシキがもうすぐ活動を終えると悟ったからなのだろうか。
ともあれ、これでコシキの異変の謎が解けた。あのコシキは原始退行が始まって知能が低下し、子供のような行動をとるようになってしまったのだ。わがままを言い、プレゼントと称して奏羽に花を贈ろうとしたのもその一環だろう。
だが、まだ解けていない謎がある。
「奏羽さんは、なぜコシキの渡してくれた花束にあんなことをしたの? シキヤシキでは、コシキは悪戯好きとは言っても、誰かに煩わしいと思われているようなことはなかった。奏羽さんは違うの? もしかして、それが奏羽さんがシキヤシキを出て行った理由?」
「…………」
奏羽は頭を抱えた。その表情は隠れていて読み取れないが、歯を強く食いしばっていることだけが分かる。
「……………………違うよ。コシキは関係ない。コシキは良い研究仲間で、それは変わらない…………だからこれはボクの問題だ。あそこにいても、ボクは兄さんたちの傍を歩けない…………ボクは、取り返しのつかないことをしたんだよ…………」
奏羽は普段の彼からは想像できないような、震える声で懺悔の言葉を吐いた。
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シキヤシキにはかつて、同じ顔を持つ十二人の熾鬼一族が存在した。
彼らは天草社に命を狙われ、時間と共にその命は失われていった。
奏羽が子供のころ、既に『シキ』の顔を持つ者は十人しかいなかった。それでもその頃はまだ残った従兄弟どうしで兄弟と呼び合うほど家族が減っているわけではなかったし、花奏や叶苗、叶芽とは同じ顔をしている親戚、という程度の関係だった。
既に親や兄弟を失った者もいたが、奏羽は両親も兄も健在であったため、自分たちが置かれた状況に対しての危機感が薄かった。自分たちは今までもこれからも、このシキヤシキで幸せに暮らしていけるのだと、そう思っていた。
その頃のシキヤシキでは外に出ることは危険ではあったものの、外からの物資の調達のために一族や研究員自らが地上に赴かなければならなかった。
それをこなすのは決まって大人たちであったが、幼い従兄弟や、もちろん奏羽も地上に出ることを憧れとしていた。
しかしそれを抑えていたのは、研究に対する欲求だった。奏羽は両親が行っていた研究を学び、それを修めることを目標としていたため、地上に出たいというのは頭の隅にある小さな欲に過ぎなかったのだ。
奏羽は一日中、コシキたちと共に研究の手伝いを進んでやっていた。研究員たちにはコシキと間違えられ、それを訂正すると笑いが起こり、可愛がられるのも日課だった。
ある日、奏羽の両親が地上に出る番となったとき。
「いい子で待っててね。昨日渡した論文を読めるようになってたら、すっごく褒めちゃうかも?」
それは、子供を大人しく留守番させるためにその場で思いついた呪い、子供だましだったのだろう。
幼い奏羽は、それを真面目に真に受け、参考書を積み重ね、データベースを漁り、ノートとペンを片手に、論文を読む準備をした。
そこへ、同じく地上に出ることになっていた、叶苗たちの両親が現れて奏羽を呼び止めた。
「叶苗と叶芽、それから叶蔦の面倒をよろしくね。あの子たち、あなたともっと仲良くしたいみたいなの。それに…………私たちが帰ってこなかったら、あなたがあの子たちのお兄ちゃんだからね」
生華という名前の女性だった。奏羽にとっては叔母にあたる。
叶苗と叶芽は双子で、叶蔦はその下の妹ということは知っていた。自分と仲良くなりたがっている、という話は聞いたことがなかったが。
お兄ちゃん、という響きも新鮮だった。兄はいても妹や弟がいなかった奏羽は、それを聞いて気恥ずかしさを感じながらも、彼らに歩み寄りたいという気持ちが生まれた。
生華が帰ってこない、なんていうのはあってほしくはない。それでも彼らがシキヤシキにいない数日間の間、自分が『兄』として、妹たちの面倒を見なければ。その使命感に駆られた。
とは言え、両親が出した課題をないがしろにする気もなかった。どちらの要求も満たせるように、奏羽は叶苗たちと共有のスペースに集い、面倒を見ながら論文を読むことにした。
「かなうにいちゃーん、あそぼ」
妹たちは奏羽に構って欲しそうに話しかけるが、奏羽はあまりに集中するのでそれに気付くことすら少なかった。
名前を読んで、頭を撫でて。奏羽はそれで甘やかしているつもりでも、論文片手にお菓子をつまむ感覚でされていることに、子供は意外と敏感なものなのだ。聞き分けの良い叶苗と叶芽の双子は渋々本を読み始めたが、まだ更に幼い叶蔦はしきりに奏羽に構って欲しそうにした。
「にいちゃん、何よんでるの?」
「あー…………コレはねえ、『茎頂分裂組織における細胞周期進行の解剖学的再検討』」
「むずかしそう……………………しょくぶつ? お花、ほしい?」
「うん…………欲しいかも……お花ね。キレイだよね」
奏羽は論文を読むのに集中するあまり、叶蔦が何と言っているのか、自分がどう返しているのか、あまり気にしていなかった。
叶蔦は論文の内容どころか日本語だって習得中の段階だというのに、難しい内容について質問されたところで真面目に答える意味などない。花が欲しいと答えたことで彼女がどんな行動に出るのか、そんなことは考えもしなかった。
「あれ…………兄ちゃん、叶蔦は?」
どれくらい時間が経ったか、本を読み終わったであろう叶苗と叶芽が言った。
見ると、叶蔦の姿が見当たらない。机の下にも、本棚の隙間にもいない。
扉を開けて廊下を覗き込むも、そこには叶蔦とも同じ顔をしたコシキだらけ。叶蔦は白衣ではなく普通の衣服を身に着けているため、違いは一目瞭然のはずだが、そこに彼女の姿はなかった。奏羽は稀に白衣を着てコシキのふりをして悪戯をすることがあるが、コシキとは明らかに振る舞いが違うという理由ですぐに見破られていた。もしも叶蔦がそんな悪戯をしているならすぐにわかるはずだ。
奏羽の頬を冷や汗が伝った。可能性は限りなく低いが、最悪の可能性が頭に浮かぶ。
シキヤシキ内をうろついているのなら良いが、もしも地上に出てしまっていたら。花が欲しいと半分上の空で答えてしまったがために、本当にそれを摘みに行ってしまっていたら。
奏羽は駆け出した。まずは研究棟にいる研究員たちに。
「叶蔦ちゃん? 見たような気もするけど……外の方に走って行ったかな?」
研究棟を出る。同じような建物が連なり、ドーム状の天井からはまぶしいくらいに光が降り注ぐ。整備され尽くした道を歩く研究員に片っ端から声をかける。
「さあ…………見てないな。セキュリティカメラを確認してみたら?」
その手があったか、と奏羽は走り出す。カメラを確認することができるのは管理棟だ。叶蔦の行方を探る方法はそれしかない。
奏羽が管理棟に向かっていた、その時。向かう方角から、誰かが走ってくるのが見える。従兄弟である花奏だ。
花奏は息を切らして奏羽の前で立ち止まり、肩で息をしながら言った。
「はぁ、はぁ…………奏羽…………っ。どうしよう、叶蔦ちゃんが………………地上にっ」
────────まさか。
悪夢が現実になってしまった、そんな気分だった。




