第31話 迷子
「いやあ、こりゃまた随分と派手にやらかしたな」
短い顎鬚を撫でながら、感心したように『駄目男』は言った。
「腕の次は脚と来たか。次は頭でもぶち抜かれるんじゃないか? ははは」
冗談めかして笑う駄目男を朱兎はじろりと睨みつける。そしていつまで経っても姉に首根っこを掴まれているのがよっぽど気に食わないのか、その手を払いのけて姿を消そうとする。
「やっぱし、お前みたいなやつに単独行動は向いてねえなあ。せっかく良いチャンスを作ってやったのに」
朱兎は街に一人放り出されてから、男に与えられたとある任務を遂行する予定だった。しかし程なくして、彼はショーケースのスイーツに目を奪われてしまった訳だが。
「あんなに目を離したら見失うに決まってるでしょう、馬鹿。後ろ姿しか分からなかったじゃない。でもまあ……」
緋雨は朱兎を貶しつつも、ここに帰ってくるまで心ここに在らずといった具合であった。その原因は、朱兎が邂逅したとある人間が原因である。
「秀呂……なんであいつがここにいるの……? あなたの企みじゃ無いでしょうね?」
問い詰められた男は首を振った。
「いやあ、俺も最初は目を疑ったさ。多少変化している部分はあれど、ありゃあ間違いねえ」
「ケッ…………あの能天気さ。思い出すだけでイライラしてきたぜ……!」
朱兎は髪をむしり爪を噛んだ。それでもその怒りが抑えられることはない。
「しかし、お前さんたちの体質は予想以上だな。あんなに暴れ回っても、彼岸花の『ひ』の字も聞こえやしない」
ぎろり、と二人の鋭い視線が男を突き刺す。
「……その呼び方はやめてって言ったわよね。私たちには、お父様とお母様からもらった名前がちゃんと……」
「だーっ、悪かった悪かった。あくまで俺は世間一般的な目線で話をしただけでな? そんなに怒るなって緋雨ちゃん」
改めて名前を呼ばれてもなお、不機嫌な様子は収まりそうにない。
気分屋の朱兎は既に気を取り直して部屋中に散らばる機械をいじくり回している。構造も動かし方も知らないだろうに、恐らく怒りをぶつける為のはけ口にしているだけだろう。
男はそっぽを向く緋雨を宥めて、どんと自身の胸を叩いた。
「プランはいくらでもある。緋雨ちゃんには既に言ってあるが、当面の間はステイだ。未来ちゃんには無駄足踏ませちまったな」
「……あれがあの子を持っていた時点で、こうするしか無かったのよ。野放しにしていたらあいつらは捕まえて、何か聞き出そうとしてくるだろうし」
「全く、お前たちはそうやってすぐ感情を表に出す。そんなんじゃ社会で生きていけないぞ?」
「誰がそんな面倒なことするものですか。それに、あなたみたいな社会不適合者には言われたくないわ……」
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「ふう……や、やっと一息つけます」
そびえ立つ天草社の本社ビルが見上げずとも視界に入る距離まで歩いたころ、マリアがほっと胸を撫で下ろしながら言った。
「そんなに緊張していたの?」
「あ、当たり前です。華紅夜さんの、全てお見通しだって感じの雰囲気に耐えられませんでしたし、かといってそれに言及してくる訳でもなく.……。何を考えているのか分からないのが一番怖いんですよ」
同じからくりであれど、華紅夜のようなひときわ特別な個体には怖気づいてしまうのかもしれない。ヒイロにとっても、あの笑顔の裏を読み取ることは限りなく難しいと感じた。
「それにしても、あの彼岸花の男性……そしてもう一人の女性。彼女の存在は初めて確認しましたが、あの時の周りの方々は反応からして、彼らを認識できていないようでした。唯一、私たちと華紅夜さんだけ……。これはどうしてなんでしょう?」
先程の出来事を思い出す。華紅夜にビルへと案内される前、そのきっかけとなった出来事だ。
何かに夢中になっていた白髪の青年──確か女性の方に朱兎と呼ばれていた──が唐突に、通りかかったヒイロを見てその名を呼んだのだ。ヒイロは朱兎のことを知らず、その態度が更に彼を逆上させた。
マリアは彼らの間に深い因縁があることをほぼ確信していた。それは朱兎が発した言葉の端々から読み取れる。何らかの理由で記憶を失ったヒイロはきっと彼らのことを覚えていないだけで知っているし、彼岸花という生き物について知りたいのならばヒイロの記憶を掘り起こすしかないのだろう。
しかし、その因縁の深さを覗き見るのが少し恐ろしい気もした。赤の他人が介入しても良いものかとマリアの頭を悩ませ、何も聞けずにいた。思い出させないようにヒイロに気を遣っているだけかもしれない。
できることと言えば、関係性よりも彼岸花そのものについて議論することくらいだろう。少なくともヒイロは自分が彼岸花ではないと主張しているし、なぜ自分がそう呼ばれなければならないのか疑問に思っているはずだ。
「そうだね……植物のことなら、やっぱり花奏さんに聞いてみるしかないかな」
ヒイロは何食わぬ顔で答える。マリアの杞憂など塗りつぶしてしまうくらいに。
とは言えヒイロの考えも的を射ている。シキヤシキで独自に保管できている貴重な「花の姿の彼岸花」の欠片を管理し研究しているのは植物学者である花奏だ。
以前彼女にその研究内容、もとい彼岸花の生態について話してもらったことがあるが、いかんせん彼女の元には情報が足りなさすぎた。なにしろ一本の花がパズルの如く散り散りになった姿のそれは最早生きている植物と言えるかどうかも怪しく、人の姿を取るということもヒイロの例があって初めて、それまで存在すら懐疑的であった彼岸花が現実味を帯びてきたのだ。ヒイロが現れたことは、花奏にとっても歓喜に打ち震えるほどの出来事だっただろう。
ただ、ヒイロはあくまで自分自身の考えを話す気はないようだ。単純に彼がそれほど深くは考えていないだけかもしれない。
「そうですね…とりあえず、今日のことを奏羽さまに報告しに行きましょうか」
いくら距離を取ったとはいえ隠れたというわけでもなく、いつまた天草社の人間に目をつけられるか分かったものではいので、地上において最も安全と言える隠れ家・奏羽の仕事場へと向かう。
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扉を開くと鼻を突く埃っぽい空気と金属臭。
そして正面には熊。
「……」
いや、彼は『くま先生』だ。あたかもそこに生きているような仕上がりの熊の頭部を被った、小さな体の科学者である。
「ただいま戻りました、奏羽さ……」
「────遅い!! どれだけ時間かけてきてんだ、アンタたちは!」
椅子に座り足を組んだままではあるが、その剣幕は凄まじい。被り物だと分かっていても、今にもその鋭い牙で噛みちぎって来そうな勢いだ。
「うう、す、すみません……」
マリアはその圧に押され、すっかり萎縮してしまった。
怒りの主はもちろん『くま先生』こと熾鬼奏羽だ。ヒイロの街の様子を見たいという我儘を叶えるために毛染め剤を用意したりと付き合ってはくれたが、それはそうと数時間待つ程の器量はないらしい。
「ったく、ボクの時間は安いもんじゃないんだから、さっさと報告してよね。見つかったんでしょ? 天草野郎をぶっ倒す方法とか。これだけボクを待たせたんだからさぁ」
奏羽は皮肉を込めて言った。
「そ、そんな物騒なことを考えている訳ないじゃないですか……」
これにはマリアも心外だ。からくりとして、人に寄り添い歯車の如く社会に貢献する……という役目を果たさねばならない身だ。決してこの身、この頭は何かを傷付けるという目的に使うまい。
「分かってるよ、そんなこと皆。だからってこのままじゃ、彼岸花も特殊からくりも逃げ続けるだけだよ。何かこの状況を打開する策くらいは考えてもらわないと、いちばん困るのはアンタたちだよ?」
マリアはぐっ、と言葉に詰まる。奏羽の言う通りである。いつまでも逃げるだけではいずれ限界が来る。ヒイロもマコトも追い詰められるばかりだ。今はまだそのような兆しはないとはいえ、埒が明かないのは擁護のしようがない事実なのだ。
その擁護すべきヒイロ本人はというと、
「ねえ。あの彼岸花は? 一緒に来たんじゃないの?」
そんなことを言って、奏羽はマリアの後ろを覗く素振りをした。被り物が邪魔だったのか勢い良くそれを頭から外すも、依然としてヒイロの返事はないし姿も見当たらない。
「あ、あれ……さっきまでそこにいたはずなのですが」
マリアは当然、ヒイロは自分の後を着いてきてこの部屋に入ってきたものだと思っていた。
奏羽の部屋があるのは二階の角部屋だ。そこまでは階段を登って一直線である。特別入り組んでいる訳ではないこの建物で迷子になるはずなどあるわけもないし、他の住人に呼び止められた記憶もない。
むしろ道に迷う可能性があるのは建物の外だ。この建物は社会のはぐれ者が居場所を隠すためか、わざと入り組んだ地形の路地に建てられている。そのためマリアですら気を抜けば辿り着けない可能性が高い。
そんな場所でヒイロが迷ってしまえば、自力で正しいルートを見つけだすのは困難だろう。彼が絶対的な方向感覚を持っていれば話は別だが、今のところそういった様子はない。
そして何より、マリアとヒイロはこの入り組んだ路地を通り抜けてこの事務所まで辿り着いたところまでは事実なのだった。マリアの記憶違いということは有り得ない。
となると、建物の入口からここへ来るまでにヒイロはいなくなったということだ。実は驚かせるために隠れているとか、誤って他の住人の部屋に入ってしまったとかならばまだ問題はない。ところが実際は、彼がそこまで悪戯好きであったり好奇心旺盛だったりという訳ではない。
「ちょっと、なんでアイツ勝手にいなくなったりするわけぇ? 少しはこっちの事情も考えて行動しろっての!」
そうは言っても、ヒイロがいなくなったのは自分の意志なのか、はたまた別の誰かの意思がはたらいたものなのかがはっきりしない限りは文句の言いようもない。
「ああもう、マリア、アンタたちが前回ここを離れてどのくらい経った?」
「ええと、4時間ほどかと。それがどうかしたのですか……?」
「んーー~…………アレが勝手にいなくなる分には別に良い。最悪なパターンは、正体がバレて芋づる式にボクたちのとこまで辿り着かれることだよ。そうなればボクはもちろん、シキヤシキの人間はみーんな処刑。そんでまあ、ここからが重要だけど…………あの毛染め剤の効果は5時間で切れる」
5時間。ヒイロが毛染め剤を使用してからマリアと共に外出したところまでを含めると、街を巡ったり天草社の本社を訪れていたりと濃密な時間を送ったのは、およそ4時間である。
ということは、あと1時間もすればヒイロの頭髪はもとの純白に戻ってしまうのだ。人の多い場所でそれが起これば、真っ先に視線を集めてしまうだろう。そうして伝説の彼岸花だなどと噂が広まるのも時間の問題だ。それだけは阻止しなければならない。
「ですが……どこへ行ったのかも分からないヒイロさんを、どうやって探せば良いのでしょうか……」
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「……君はどうしてこんなところに? 花奏さんからはシキヤシキに帰るような指示はきていないけど」
ヒイロが問いかけたのは小さな人影だった。推定年齢12歳ほどの、ヒイロにとっては何度も見てきた顔である。顔、というのは特定の人物を指すものではなく、そのままの意味である。
「えーと、うーんと、リーダーはぼくを信頼していますので、一人でできるお使いなんかはいっぱいたのまれるんですよ!」
「…………?」
彼は曖昧な回答をした。彼がリーダーと呼ぶ人物とは花奏のことで、これまで何度もヒイロたちをシキヤシキに案内したり地上に送り出したりといった「お使い」をこなしていたので、花奏に信頼されているのはヒイロでも分かった。このコシキは00248、と呼ばれていたはずだ。
それでもこの会話は要領を得ない。ヒイロは首を傾げた。
「でも今日は、リーダーにはないしょで来ちゃいました。ぼくはなにをしに来たと思いますか?」
「さあ。コシキの役割はいつだって、俺たちが安全に地上と地下を行き来できるようにするサポートくらいのものだったから。花奏さんに言われたことしかやらないのだと思っていたよ」
「えへへへ。ぼく、すごいでしょう!」
コシキはどうにもいつもと様子が違う。シキヤシキでの他のコシキたちと繰り広げられるてきぱきとした仕事ぶりを感じさせるものがなく、今の彼は親に褒められた子供のようで、言葉遣いもたどたどしい。
とりあえずは、コシキが何の用事で地上に姿を現したのかを知る必要がある。もしかすると、シキヤシキで何かがあったのかもしれない。
「それで、コシキは何をしに来たの?」
「じつはですね……」
コシキはごそごそと白衣のポケットを探り、何かを取り出した。その手に握られていたのは、数本のキクの花が束になったものだった。
「じゃーん! きれいでしょう? リーダーたちのために取ってきたんです!」
「…………花?」
小さな手の中で、赤と白が混合した花びらが揺れている。
無邪気に笑うコシキを見て、ヒイロは言葉に詰まった。




