第30話 お話し
「──要するに、その彼岸花くんがカフェのショーケースを眺めていたところを、彼の容姿に見覚えが会ったあなたたちがこっそり指摘して……彼の反感を買った、ということで良いのかしら」
華紅夜がまとめた、彼岸花の青年に襲われそうになった経緯がこれだ。
コクコク、とヒイロは頷いて見せる。
多少、嘘は入っている。彼がヒイロを敵視していた理由は未だに分からない。ただ彼らの間には過去に何かがあったのではないか、という憶測だけが生まれているが、それを華紅夜に話すわけにはいかなかった。
とはいえ、すべてが嘘というわけではない。
青年がヒイロと出会う前に何をしていたのかというのはヒイロにも分からないが、青年がヒイロを呼び止めたその瞬間、彼はカフェのショーケースに手を当てのめり込むような姿勢になっていたのだ。彼が何をしていたのであれ、ヒイロから見た青年は『ショーケースを眺めていた』と解釈し、それをそのまま華紅夜に伝えた。実際に彼が何をしていたのであれ、客観的な事実であることは確かだ。
小葉紅や橘穂泉たちとそのカフェ内で軽く食事を済ませ、彼らが去ってからも残った皿を片付けるのにかなりの時間を要した。マリアは一般的なからくりなので食事を摂ることはできないため、小葉紅が注文したスイーツは全てヒイロの胃に消えることとなった。
流石というべきか、ヒイロは全て人間とは思えない尋常ならざる食べっぷりを見せた。本人はとても満足そうに平らげるのを、マリアはにこやかに見守っていた。
そんな(物理的な)甘い時間を過ごした二人が退店したタイミングで、彼岸花の青年と鉢会ってしまったというわけだ。
このように説明すれば、華紅夜にとって違和感のないものとなるだろう。彼女には悪いが、数日前に彼岸花の青年が町で暴れたときにヒイロはその場に居合わせていなかったこと、彼とヒイロの間に何らかの因縁がある可能性があることは、なるべく隠しておきたいところである。
華紅夜の事情聴取を了承したヒイロとマリアは、彼女の案内でとある建物のロビーに訪れていた。
その外見は数十階はある、大手会社が所有していそうな高層ビルだった。白を基調としたシンプルなデザインのエントランスだったが、広々とした内部ではスーツを着た職員らしき人々がせわしなく動き回っており、中には白衣を着用している人も見られる。
これだけでは厳かな雰囲気の職場だなどと思わせてしまうだろうが、人々の流れに加え、建物内を装飾する植物や個性的な装飾が目を引く。さらには案内ロボットが闊歩し、広告音声が響き渡る。まばらに並べられたテーブル席も多くの人々が利用しており、これらは恐らくヒイロたちのような事情聴取だったり、小会議や個人的用途のために提供された場でもあるのだろう。そのため職場の人間のみならず、初めてここを訪れた人でも馴染みやすい雰囲気の空間となっていた。
その活気にヒイロは目を見張った。華紅夜に言われるがまま落ち着きのない様子でテーブル席に着席したヒイロだったが、世間知らずの彼にとってこれほどの人の密集地に身を置くのは数少ない機会だろうから仕方がない、とマリアは気を引き締めた。しかしマリアがこの場を警戒するのにはもう一つ重要な理由がある。
すなわちここが『天草社』本社だからである。
ありあまる社内の活気も、最新的なテクノロジーを多様に用いた設計も、天草社の歴代代表の努力とカリスマによるものだ……と言われている。大手会社が所有していそうな、と言うまでもなく、天草という組織自体が、からくり市場のほとんど全てを独占していると言って良いほどの力を持つ企業である。
しかし、いくらそのような場所に潜り込めたからといって、マリアも自分の立場を忘れるわけにはいかない。むしろ最大限の注意を払わなければならないのだ。
一言で言ってしまえば天草とはシキヤシキの天敵である。花奏たちの祖父に当たる熾鬼椰樹がかつて天草研究所から『遺物』を持ち出した罪で、熾鬼の一族は彼らから命を狙われる身となっている。マリアにとって恩人でもある叶芽やその他の兄弟たちも、このことが災いして肉親を失っているのだ。
万が一ヒイロとマリアがシキヤシキの手の者だと知られてしまえば、彼らにどんな最悪な事態が待っているかは想像に難くない。
招かれた以上は断って悪印象を与えるわけにもいかなかったが、ヒイロはこの状況の重さを理解していないのか、聴取の間も周囲の動きやオブジェに興味津々の様子だった。
「なるほどねえ。やっぱり、あなたたちに非はないのよね」
一通り話を聞いた華紅夜は、手に持ったタブレット型の端末を眺めながらわざとらしく言った。その言葉の意味を理解しかねたヒイロは咄嗟に反応出来なかったが、代わりにマリアが問いを投げかけた。
「どういうことです?」
「彼岸花って『そういう生き物』でしょう。本能のまま、気の向くままに人を襲って、その血肉を貪るの。人間の形をしていたって、彼らの本性は人に害をなす存在だってことは変わらな──」
それは彼女の本心だったのだろう。その口ぶりからは誰かに対する配慮も軽蔑も在りはせず、それが彼女の中で当たり前の認識であることを物語っていた。
そんな彼女が話す言葉を止めた理由は、前方からの強烈な視線を感じたからであろう。
彼女の眼前には、何か言いたげに口を開くヒイロが座っている。しかし瞬時にその口は閉じられ、彼は黙り込んでしまった。一見無反応に見えるかもしれないが、微かに強張った肩と力の入った拳。そこには確かに何かを押し殺したような波があったのは確かだ。でなければ、華紅夜もマリアもこの一瞬の息が詰まるような沈黙を感じることはなかったはずだ。
マリアはヒイロが彼岸花である可能性が高いということを知っているので、ある程度彼の心の内を推測することが出来る。
可能性が高い、といっても彼はただ一人自分を人間であると自称しているようなもので、植物学者である花奏は彼をほぼ確実に彼岸花であると結論付けているし、噂程度の知識しかないマコトでさえヒイロは彼岸花だと言い張るのだ。故に本人以外が彼を彼岸花だと認識しており、敢えて周りがそれを言及することはしていなかった。
しかし今の彼の反応からして、やはりヒイロは彼岸花と密接な関係にある人物で間違いない、とマリアは考えた。
華紅夜が語った彼岸花の像はよくある噂や都市伝説と似た部分が多いため、やや真実とは異なっている部分もあるかもしれない。これまで出会った彼岸花というのは、シキヤシキで保管されている意識も人の形も持たないただの花、あの青年を助けた女性のように人間と敵対する素振りを見せるもののそこまで狂暴な一面を見せないもの、ヒイロのように普通の人間とほとんど変わらないもの。一部例外はあるものの、どれをとっても噂とは異なる像が浮き彫りになってくる。
例外というのは数日前に町で暴れた青年のことだ。彼は純粋に人間の血を求め、さらには人間へ負の感情を抱いている様子であっため、この彼がより怪物としての彼岸花に近い性質を持っていると言える。
華紅夜の話し方や言葉選びの一つひとつでは、彼岸花に対して挑発的で偏見的な表現が見られたのは確かだった。これは即ち、ヒイロにとっては同族を、さらには自身を貶されることと同義であるのではないだろうか。ヒイロはそれに対して動揺してしまったのかもしれない。
「ヒイロさんったら、そんなに見つめられたら恥ずかしくなっちゃうわ」
華紅夜は何事もなかったかのように冗談めかして微笑む。
「あ、いや。すまない、ぼーっとしていただけだよ」
共に冗談では済まされないような雰囲気ではあったものの、つかみ合いにはならなかったようだった。マリアは隣でハラハラと見守っている。
「……あー、なにやってるんですか、華紅夜さん」
その静寂を破った気怠そうな声の主は、ヒイロにとって覚えのある人物だった。
「君たちは……穂泉さん。と、琥桜さん」
「や。また会いましたね」
だらしのない着こなしのスーツに、寝癖が付いたままの黒髪。その経歴だけで彼に関する話は盛り上がろうと言う程の不真面目さを持つ男。つい数時間前に会ったことは流石に向こうも覚えていていたようで、橘穂泉という男は親しげに挨拶を交わした。ヒイロとマリアも会釈で対応する。
「名前覚えててくれたんだ……へへへ」
「お前も挨拶くらいしろ。ほら」
「ぐえ! 痛い! パワハラですよ」
自分のことを他人に記憶してもらえたことが嬉しかったのか、穂泉の隣にいる琥桜は身体をくねらせて嬉々とした感情を表現した。その直後に穂泉から首根っこを掴まれ、強制的に上半身の角度を下げられる様子は見ている方も痛そうなものである。穂積にとってはそれもいつものことで、むしろ痛快なことなのかもしれない。
彼らがここにいる理由は明快だ。二人は天草社で『調査員』としての役割を与えられている、(不真面目とはいえ)れっきとした社員なのである。ヒイロたちが訪れているこの本社に彼らの姿があるのは何らおかしいことではない。
「あなたたち、もう帰って来たのね。小葉紅はいないのかしら?」
「『個人的な用事』だそうで。休暇を満喫してるんじゃないでしょうかね。俺たちは本社に用があったんで、一旦こっちに戻って来てました」
「ふうん……」
「それは良いとして。あんたこそ何やってんですか。なんで中枢管理なんかしてる人がこんなとこまで出張ってるんです?」
開口一番から何をしているのかと問われていながら、それには答えていなかった華紅夜。同類である小葉紅の動向が気になって仕方ないようだ。
小葉紅が穂泉の上司であるのならば、同じ特殊からくりである華紅夜も彼の上司であるということになる。それなのに、彼の態度は不真面目そのもので、およそ目上の人に接するものではない。それに叱責するどころか興味すら示していないのは、華紅夜というからくりが規律に厳しい性格ではないからなのか、はたまた彼女しか知らないような穂積の知られざる経歴が関わっているのかは定かではない。
「いいじゃない。たまには外の空気も吸っておかなきゃ……とは言っても最近は何かと忙しくて、現場に駆り出されることが多いんだけどねえ」
不満げに愚痴をこぼす華紅夜だったが、やはりその裏に何か隠していると感じさせるようなものが、彼女の細かい仕草から伝わってくる気がしてならない。
それが何なのかという疑問はさておいて、ヒイロの正体だけでも知られないために、この場から離れるのは早い方が良いだろう。
「はあ? 情報収集は調査員の仕事でしょう。俺たちがちょっといなかったからって、その仕事をあんたが代わりに引き受ける必要ってあります?」
「ま…………こういうの、ちょーっとやってみたかったっていうのが本音ね!」
二人がいがみ合い、それを琥桜が制している間に、ヒイロはマリアからの小さい合図を受けて立ち上がった。
「で……では、皆さんお忙しいでしょうし。私たちはこれで失礼いたします」
そそくさと退場しようと試みる。この賑やかなロビー内であれば人ごみに紛れて姿を消すことも出来てしまうのではないかと考えてしまうが、そこまで密度が高いわけではなく、ほとんどの人は白衣かスーツを着用しているのでヒイロは目立ってしまう。
どうしたものかと頭を捻らせていると、穂積が首をぐるっと回してヒイロの方を向いた。
「さあ、帰った帰った。どうせくだらない質問ばかりされてたんでしょう。あんたたちにはさっき仕事に付き合ってもらったばかりですし」
「あら、そうだったの? そうならそうと言ってくれれば良いのに。まあ、おかげで楽しかったわ。協力してくれてありがと」
にこにこと手を振りながらその場で見送る華紅夜。その後ろで二人の調査員は浅く礼をした。
唐突に訪れた危機と、それを華麗に救って見せた天草と言う組織。彼らがその裏で行っていることは許されるものではないが、一般で善良な働き手でしかないこの二人、いや三人にそれを咎めるのは筋違いというものだ。
彼らと面と向かって会話を交わすのがこれきりで済むのならそうすべきだ。
ヒイロにもそれは分かっているので、何事も無かったかのように正面のゲートを潜り、ちらりとだけ振り向いて見せた。
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「本当、珍しいっすね。華紅夜さんが直接ここに顔を出すなんて」
「彼らは例の『彼岸花』の重要参考人よ」
「……ええ? 俺らが聞いた時にはそんなこと一言も」
「さっき会ったの。私も」
華紅夜は、なんでもないように衝撃の事実をさらりと放った。
琥桜はともかく、穂泉までもその驚きを隠せない。
「…………えええ!?」
「彼岸花にすか!? 大した騒ぎにもなってないし、そんな情報一個も入ってきてないですよ」
「そう。あれはきっと霧形種ね。一般人に認識されていなかったし、私ですら彼の顔をよく覚えていないもの」
それは特殊からくりがまたも彼岸花を取り逃がしてしまったことを悟らせた。
「……からくりの記憶にまで影響を及ぼすことが出来るなんて、有り得ませんよ。だってあんたたちは……」
「どうでもいいことよ。次会ったときは、アレの頭にぶっ放してあげる。頭部なんて大体の生き物は弱点だもの」
華紅夜は指で銃の形をつくって撃つ動作をし、虚空を穿った。
「にしても……さっきのコたち、どうしてあんなに急いでたのかしらねえ。もっとお話聞きたかったのに」
「おおかた、あんたの話がつまらなくなったんじゃないですか……冗談です。というか、俺たちに仕事回してくれれば良かったじゃないですか。たぶんあんたの聞き方が下手なんですよ」
部下の相変わらずの失礼な物言いにも、華紅夜はやや呆れたような余裕のある態度で椅子にもたれかかった。
「Jaja。何を言っても響かないわ。いま私、結構気分が良いから」
「は? どうして?」
「近いうち、またあのコに会える気がするのよねえ。綺麗な白い瞳をした、彼にね」
膨大な情報処理能力と完全な記憶、何より感情に左右されない合理性。それが人間と機械を隔てる明確な差だ。にもかかわらず、その機械がよもや直感などという非論理的な言葉を発するなど、滑稽以外の何物でもないだろう。
ただし、それは誰も口に出して指摘することはしなかった。
前回の投稿から三か月も経ってました。もっと頑張ります。
ちなみに最近出てくる二人の調査員、プロローグに出てきた監視員だったのはお気づきでしょうか。あんなところで駄弁っていたから監視対象に逃げられちゃったんですね。




