第28話 対するは純なる悪
緋雨が朱兎に対して施していた細工。彼が取れ、と言っていた効力の正体。それは、『周囲の人間の認識をある程度阻害する』というものだった。
もちろんそのような技術は今も昔も存在しないだろうし、かつて緋雨自身もこのような芸ができるとは思ってもいなかった。
しかしできてしまったものは仕方がない。これは有効活用しなければ、とこの謎の能力について試行錯誤を繰り返した。
その正体は、端的に言えば霧形の血液である。
体外に出した血液を霧状に分散させ、それらの光の反射を操作することで物理的に見えなくする、というもの。応用がきけば周波数を操って音の伝達をも操作することができる優れものだ。
もともと自らの血を操ることができることは知っていたが、朱兎のように巨大な塊を作って殴るということもできないし、そもそも固形の血液を作り出すということが緋雨にとっては難しい。反対に朱兎にとっては血を霧状にすることが難しいようで、得意不得意があるのかと思うのは良いが、緋雨は果たして自分に何が出来るのかが分からなかった。
そんな中彼女の前に現れたのが通称『駄目男』である。
彼は科学や工学、物理学や医学etc。その言動からは想像もしないようなあらゆる知識と技術を持っており、血を操るという異質な生き物である緋雨と朱兎の存在を知ってなお驚くことも逃げることもせず、彼らに最適な助言を与えた。
彼の助言を通じて緋雨が出来るようになったことというのが、霧形の血を使った認識阻害なのであった。彼女が今まで町へ出て生活に必要なものを(無断で)調達してこれていたのはこの力の為だ。人間にはない特徴的な髪色や容姿を持っていても、他人の目にはまるでそこには存在しないかのように映る。それは映ると言って良いのかという問題については、『見えてはいるが認識しようとしない』というのが正しい。限りなく存在感を薄めるようなものなのだ。
そしてこの力の他にももう一つあるのだが、とある簡単な任務の為に町へ蹴りだした朱兎に使う分はこれだけで十分だった。
彼に与えた任務とはある人物の追跡なのだが、彼が追跡などという慎重さと集中力を必要とする作業を完遂できるとは到底思えなかったし、さらに言えばその懸念通り、朱兎は町に蔓延る飲食店という飲食店を巡ることしか考えていなかったではないか。
それが緋雨が苛立っていた理由だった。どうせできるわけもない事をできるわけもない人物に押し付け、まだ運用の経験を積んでいないような力まで使わされた挙句、当の本人はへらへらと引きこもっている『駄目男』に腹が立っていたのである。
それも朱兎が大人しく任務をこなそうとしていれば良かったものを、彼は毎度のように問題を起こす。いつからか可愛げのない口調と態度になってしまったのにもうんざりしていた。
しかしそんなことはどうでも良くなるほど、今回の『問題』はいつもとは違う。なにせ相手が悪かった。緋雨たちがもう二度と会うことはないだろうと思っていた人物であり、同時に仇敵とも言える存在がそこにいるのだから。
今回ばかりは自分も冷静ではいられないだろうと考えてはいたが、意外にも緋雨の脳は冴えわたっていた。
感情的になってはいけない、機を見るのだと自分に言い聞かせながら、爪が手に平に深く刺さりそうなほど強く握った拳で胸を叩くのだった。
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「マリア。俺は大事なことを覚えていないけど、きっとそれは思い出さなければならないものだと思う。……だから、それを思い出すまでは何も聞かないでくれると助かるよ」
膨れ上がる憎悪を前にして、決して動じることはないヒイロはそう言った。
彼岸花の青年の怒りは二人を圧倒しているのにも関わらず、周囲の人々はそれを気に留めている様子もない。しかしそんな不可解な状況に頭を悩ませる暇もない。まずは目の前の彼を何とかしなければならないのだから。
当然、ヒイロの言葉は青年の中の火に油を注ぐようなもので、青年はさらに感情を昂らせた。
「からくりには仲間ヅラかよ……てめェのそういうところが、俺は昔から大ッ嫌いだったよ。自分の立場も理解してねェクセに、他人にすり寄ることしかできねェてめェがな!!」
またしても、本人以外には理解できない言葉が飛び出す。自分の話をされているはずのヒイロも、困惑するしかない状況だ。ヒイロには今自分にできる最大限の対応を取る以外にできることはなかった。
「……ごめん。君は俺のことを知っているのかもしれないけど、俺が君のことを思い出すには時間がかかるみたい」
一つ一つ言葉を選ぶように、癇癪を起こす子供をなだめるように、ヒイロは言葉を紡いだ。それもこの青年には無意味かと思われたが、青年は意外にも落ち着きを取り戻した様子だった。
「…………だから見逃せって言うのかよ」
当然それでも逃がすまいという目つきは変わらないが、余程の気分屋なのか、先程とは打って変わった態度の違いに思わず身体が硬直するのを感じる。
だからと言ってヒイロも屈服するわけにはいかないが、青年をこの場から逃がしてしまえばまた何処で被害が出るか分からないだろう。世間知らずのヒイロにだってそれくらいは予想できる。
同時に、世間知らずである彼にできることも限られる。どこか信頼のおける機関に助けを求めることも、入り組んだ地を慣れた土地勘で逃げ回ることもできない。
しかしヒイロはその場から動く気配を見せなかった。焦りの中にどこか余裕を抱えた面持ちで、強大な憎悪に向けて言い放った。
「いいや。君がここから逃げればいい」
キン、という空間を切り裂くような音が響いた。
瞬きの間に、白く細い道筋がヒイロと彼岸花の青年の眼前を通り過ぎ、壁を穿ち穴を開けた。
命中した壁の方をちらりと見やると、めり込んだ場所から半径数センチにかけて小さなヒビが入っており、たいして大きな衝撃を与えるものでも、明確な殺意のあるものでもなかったことが分かる。
牽制が目的なのか、はたまた他の目的があるのか分からないが、その小さな一点から漏れ出すひやりとした空気は自分にとって危険なものだとヒイロは直感で悟った。以前、シキヤシキで花奏に冷室に閉じ込められたときのことを思い出す。
「Scheiße。全く、小葉紅ってば……こんなところまで呼びつけるなんて、人使い……いえ、からくり使いの荒い子ね」
そんな二人に隙を与えないほどの間に、彼女はそこにいた。
黒のボディスーツがその豊満な身体を強く強調し、撫でるような視線と端々の所作はまるで甘美な罠を巧みに操る諜報員のように、妖艶さと知略を兼ね備えた魅力を醸し出している。
今しがた彼岸花に対して行使しようとしたであろう太長く黒い筒のようなものを軽々と背負いながら涼し気な表情をして、鋭い目で二人を一瞥した。
「てめ……あンときの!」
それにいち早く反応した彼岸花の青年が、瞬時に数歩分後ろに飛び退き威嚇する。
「自分から姿を見せてくれるなんて、思ったより素直な怪物じゃない。探す手間が省けたわ……それとも、やっぱり腕だけじゃ物足りなかったのかしら?」
煽るような口調で彼女は言い放った。その様子から、この二人には面識があることが分かる。ヒイロは一触即発の空気をひしひしと感じ取り、どうやってこの場を抜け出すか考え始める。
まず、ヒイロの前に現れた女性は『華紅夜』というからくりで間違いないだろう。
なぜこのようなタイミングでやって来たのかといえば簡単なことで、ヒイロ自身が彼女をここへ呼んだからである。この表現にはやや語弊があるかもしれないが、そうと言っても差し支えない働きをしたと言えよう。
数時間前、プライベートな時間を過ごしていたであろう小葉紅という特殊からくりとその部下たちと出会い会話を交わしていた中で、ヒイロとマリアは小葉紅というからくりの仕事と役割を聞いていた。
簡単に言えば、小葉紅というからくりがその名を冠するチームを率い、町の治安維持やパトロールなどに力を尽くす政府の組織なのだという。
現在は諸事情によりその所属を変えられているものの、その働きぶりは変わらない。
「警察のようなものなのかな?」
「あっ、警察は知ってるんですね。ヒイロさん」
と、マリアとのこのような会話もあった。現代についての知識が乏しいヒイロでさえ、その手の職種の重要さは理解できるということだ。
もちろん小葉紅については、警察とは異なる点も存在する。
それは単純な戦闘能力である。天草社が政府に提供する二体の特殊からくりとその他警備用のからくりの内でも、小葉紅は飛びぬけてその能力が最適化されていた。主に現場に赴くのが小葉紅、彼女のナビゲーターやサポートの役回りを多く担当するのが、もう一体の特殊からくりである華紅夜であるのだそう。
些細な頼み事から犯罪の阻止、テロ事件の取り締まりまで、数々の案件を解決しており、この二人を中心とした治安維持は人々の信頼を確かに得て、しまいには彼女らのことを英雄などと呼称する敬虔な信望者も現れたのだという。
そんなわけで、ヒイロは何かあれば彼女らのことを頼ろうと決めていた。天草社とはなるべく関わらない方針を立てていたはずだが、捜査官という役職の二人と出会ってしまったり、小葉紅本人と密接な関わりを持つ手前まで来てしまっていたりと、予定と異なる出来事が立て続けに起こったため、吹っ切れたというわけだ。こうなれば、とことん有効活用しようという目論見である。
ヒイロが取った行動というのは、あのとき──ヒイロたちが彼岸花の青年に絡まれ危機を察知した瞬間、カフェで小葉紅と会話が弾んだマリアが入手することの出来た小葉紅の連絡先──おそらくプライベート用──に、一報を入れるようマリアに指示をしていたのだ。
人通りの多い町中で目立つようなことはあまりしたくはないが、地上においてシキヤシキの力を借りることが出来ない以上、それなりの力を持ち、身を預けることのできる機関を頼るほかない。
そのような状況で、政府もしくは天草社という組織は都合が良かった。そもそもの話、追われる身であるマコトや熾鬼たちとは違い誰もヒイロのことを知らないので、傍から見れば身を守る力を持たない人間であるヒイロのことは警察のような組織が守ってくれる、そういった謎の自信がヒイロの中にはあった。ヒイロ自身、お前は彼岸花だと頑なに言うマコトとは違い自分は人間だと言い張っているので、誰もヒイロの事を疑うことはしないだろう。
つまり、現在ここにいる特殊からくりが守るべき対象は『彼岸花という怪物に敵意を向けられている一般人とそのお付きのからくり』なのである。
「はあい。あなたがヒイロ? うちの小葉紅がお世話になったみたいね」
駆けつけたのは華紅夜。カフェで出会った小葉紅はマリアの映像で見た時のボディスーツとは違いラフな服装で、自身の連絡先でさえも軽々と渡してきたことを考えると、あの時の小葉紅は勤務中ではなかったのだろう。
個人的な用事で手が離せなかったのか、勤務時間外の労働は不可能であるのか定かではないが、彼女が代わりに向かわせたのが、同じデザインのスーツを身に纏った華紅夜という個体であると推測できる。
「ええ、はい。彼は私の主人です。私たち、偶然ですけれど、この町の”英雄”である小葉紅さんとお食事をさせていただいたのです。彼女なら、怪物から私たちのことを助けてくれるのではないかと期待していたのですよ」
ヒイロが答えるよりも早く、マリアは持ち前(?)の演技力で、いかにも自分は小葉紅の信望者ですと言わんばかりの剣幕で華紅夜に救援を依頼した。
「ふうん。あなたたちは、この怪物を見たことがあって、あの場で起こった出来事についても知っている……ってことでいいのかしら」
じとりとした目つきで、華紅夜は問いかけた。その問いにヒイロはぴくりと肩を震わせる。
ヒイロが小葉紅を呼んだのは、彼岸花がここにいるということを伝えるためだった。しかしながら、数日前に彼岸花が町に現れたという事実は制限されており、一部の者しか知り得ない情報となっている。一部の者というのは、政府の関係者だったり、当時その場に居合わせた一般人であったり。
そのせいもあって、彼岸花についての情報は世間には拡散されずに呑まれることとなったのである。奏羽の言った通り、政府とやらは何か不都合があればすぐにでも情報をもみ消せるのだろう。
そして逆に言えば、一般人は既に口止めをされているはずなので、彼岸花の容姿と彼が本当にそうであるかを知っているということは、ヒイロは彼岸花の青年が暴れたその日その場に居合わせたということになる。
もちろんヒイロはそこにはいなかった。彼が彼岸花の容姿を判別できるのは、マリアの記憶メモリに刻まれた現場の映像を見たからである。それを行ったのは熾鬼の顔を持つ奏羽であるため、このことを漏らせば奏羽の命が危険にさらされてしまうことはヒイロにも分かっていた。
なので彼は嘘を吐くしかない。自身の命の恩人である一に手をかけ、花奏たち熾鬼一族を蹂躙したという組織が相手であっても。それに対する負の感情は、今は見せる時ではない。
「そう。助けて欲しいんだ。あの赤い生き物は恐ろしいって……父も言っていたから」
「Stimmt。そうよねぇ、平和を乱す害虫は早急にいなくなってもらわなくちゃ……」
聞き慣れない言語で同意の意を示す華紅夜は、恐らく狙撃銃の役割を果たすであろう長い筒状のものを背負ったまま、今度は腰から小さな鉄の塊を抜き出す。先程彼女が使用していたものとは反対に、片手で握って狙いを定めることのできる拳銃だった。
銃弾は何だ? もしや先程と同じ、とてつもない冷気が込められたものなのだろうか。であれば、それを向けられた彼岸花の青年がこの後どのようになってしまうかは想像に難くない。
以前シキヤシキで花奏に冷室に閉じ込められたとき、ヒイロの身体は信じられない程機能が低下した。全身が刺されるように痛み、身体の内側から破壊されていくような感覚。この身体にとって、冷気とは命に関わるほど危険なものだと実感した。
ヒイロは自身が彼岸花だと仮定すると──決してそんなことはないと言いたいが──この青年にも同じことが言えるのではないか、と推測を立てる。先程壁に撃ち込まれた冷気を含む弾丸を見たときの青年の表情は苦痛を思い出しているかのようだった。華紅夜の口ぶりから、青年は過去にもこの弾で撃たれるかしてこの異様な冷気を味わったに違いない。
────キン、と音が鳴り響いた。記憶に新しい、冷弾が発砲された音だ。
僅かに伝わる冷気に身体を震わせながら、ヒイロは青年の方を見やる。しかしそこにはヒイロの予想とは違い、苦痛などなく、得意気な笑みを浮かべる青年の顔があるばかりだった。
一体どういうことだろうか。華紅夜は確かに構えた銃を発砲したはずだ。そしてそれを確定させるのが、青年の左の腿の辺りに見える、確かにそこに命中したと言わんばかりの銃弾の痕。
「あーー……痛ェ────クソッ」
青年は苦痛を感じている様子はないが、そのような旨の内容を呟き身体をよじらせながらゴソゴソと懐を探った。
「…………何、それ。玉入れでもするつもりなの?」
青年が取り出し掲げたものを見て、華紅夜は苦笑した。彼女の言う通り、手のひらサイズのそれは玉入れにでも使われていそうな見た目の何かであった。
「──────あ……」
無意識に声を漏らした。ヒイロはそれを知っていた。否、具体的にどのようなものなのかは知らないが、とにかくその風貌は記憶に焼き付いていたし、この手に握りこの目で見たことだってあるものだ。
一見ただのおもちゃのような、真っ赤な小球。すなわち、かの男の手によって作り出された『お守り』である。
ちょっと長くなってしまいました。すみません(_ _;)




