第26話 違反者(2)
天草研究所では初代天草社社長が遺した『遺物』の中には、誰にも知られていないものが眠っている、と言われている。
それが具体的にどういうものなのかを知っているのはごく一部の人間だけで、からくりの技術に関係するものだという噂もあるが、詳細は不明だ。
そのような極秘な存在なのだから、許可を得ずに閲覧したり持ち出したりすることは当然ながら処罰の対象になる。少しでもその秘密に迫ろうとする動きを見せれば、問い詰められて職を失うのは免れないだろう、というのがマニアックな研究員の見解だ。
過去に『遺物』を巡って何人かの研究員が研究所と対立したと聞いたことがあるが、それが誰であるのか、彼らがどんな過ちを犯したのかは誰も教えてはくれない。
「だーかーら、いつになったら俺に『遺物』を見せてくれるんすか、社長!」
声を荒げて詰め寄るのは、天草研究所の元研究員であり現在は『小葉紅』に属する臨時捜査官、橘穂泉だった。天草社の現社長は、それに対して気にも留めていないような余裕のある態度で答える。
「落ち着き給え、橘研究員……いや元か。君がいつ『遺物』について知ったのか知らないが、何度言われようと私の答えはノーだ。『いつになったら』という問題ではない、私は初めから教える気がないということが分からないのかね?」
「あんたがその気なら俺もですよ、何度言われようと諦める気はありません。俺はただ知りたいだけなんです、外部に情報を撒いたり違法研究したりするような輩とは違うんで」
橘はこの一年間、社長に対してこの質問をし続けていた。見かけたら近づく、会議が終われば逃がすまいと入口に待ち構える、時には直接彼の部屋の戸を叩くこともあった。実際には戸を叩く礼儀もなく無作法に室内に足を踏み入れるのだが、それでも帰ってくるのはノーの意だった。
そんな様子を見たことのある一部の研究員は、普段の素行の悪さもそうであるが、なぜ彼が社長に対していくら無礼な振る舞いをしても研究所から追い出されないのかを不思議がっていた。彼に対して降級や降格等の処置はあれど、天草社の一社員であることが変わることはなかったのである。
橘自信に強大な後ろ盾があるのかというと、そういうわけでもない。彼の両親も同じく研究所に勤めていたことがあるということ以外は至って普通の研究員だ。
その境遇もあり生まれた時から研究所の一員であった橘だが、そのせいで社長から変に可愛がられているのではないか、と周りの人間は口々に囁いているくらいである。
しかし本人はそれを良しとせず、いい年になっても反抗期の高校生のように反発心をあらわにするのである。面倒くさいので誰もこのことについては口を出そうとしなくなっているというのが現状だ。
「…………」
「チッ……いいですよ。また来ます。『遺物』を見るまでか……あんたが死ぬまで付きまとってやりますよ!」
だんまりを決め込む社長に対して、橘はメンヘラのような捨て台詞を吐いてその場をあとにした。
「面倒なコを相手にしてるのねえ、社長さん」
反抗的な背中を見送る社長の背後から発された声は、艶のある女性のものだ。悪戯な笑みと呆れた失笑が混ざったようにほくそ笑む女性は、天草社の傑作のからくりの一つである、華紅夜だった。
「そんなに『遺物』とやらが大切なの? それにしつこいヒトなんて、あなたの権限でどうにかできるでしょ?」
彼女の言う通り、橘がしつこく付きまとうと宣言した相手は他でもない、彼の勤める会社の社長という立場の人間である。
しかしそのような相手に逆ったり平然と何でも言ってのけたりしているにも関わらず、未だに安定した収入を得られるほどの地位を持っている橘には不明な点も多い。
「その『権限』のおかげで、君たち特殊からくりの行動制限のほとんどが無くなっているのを忘れているわけではないだろう?」
「…………はいはぁい。社長さんたら、カオ怖い。もちろん、私たちは常日頃から、貴方がた天草に感謝しています。……私はともかく、小葉紅には優しくしてやってね?」
張り詰めた空気の中で、断固として油断はしまいとする社長に、華紅夜は不敵な笑みを向けた。
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「………………から……、……い、が…………」
「……! た、橘さん。今なんて……?」
今は言葉を発せなくなったかと思われた橘雄一は、諦めかけたマコトの前で僅かにその声を聞かせた。
マコトの記憶にある、真面目ではっきりとした物言いの彼はそこにはいなかったが、それでも十分な進展だ。このまま彼の言葉を聞けたならと、マコトは体を乗り出して耳を澄ます。
「……ぼくのせいで…………」
かろうじて聞き取れたその一言で、マコトの中にかつての彼との記憶が鮮明に蘇ってくる。
「んー、マコトくんと橘さんって、どういう関係?」
「それを今から聞こうって言ってるんでしょ、姉さんは黙ってて」
空気を読まずに他人の事情に土足で踏み入ろうとする花奏を、叶苗は睨みつけた。
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三年前。
天草研究所において、とある三体のからくりが生み出された。
一つはモデル名『華紅夜』、もう一つはモデル名『小葉紅』。この二つは研究所内で既に構想を練ってあった、全く新しいモデルであった。
そしてもう一つのモデルの出どころは、天草研究所が保管する古い資料であったそうで、特別研究員の称号を持つ研究員率いるチームに開発された。
その中の一人が、橘雄一である。彼は若くして特別研究員となり、研究所内でも指折りの知識と技術、そして平和な家庭と安定した立場を持った、他人も認める模範的な人間だった。
彼はこのモデルに名前を付けて共に研究に励んだ。当のからくりも彼には特別懐いているのを他の研究員は羨んだ。
しかしある時、彼のその立場は一瞬にして崩れ去った。
彼のチームが開発したからくりに『遺物』の技術が使われているとの疑惑が持ち上がったのだ。メンバーは誰一人として『遺物』の存在すら知らなかったが、天草社の上層部がこの疑惑を彼らにだけ向けたことで、彼らが『遺物』のことを知っているという事実を作ってしまったのだった。
上層部の思惑など分かるはずもなく、ただ研究員としての立場が奪われる危機にあるのみだった。
やっていないものはやっていない。そんな主張も虚しく、その責任を負ったのはたった一人の男だった。
疑惑が真実かどうかを確かめる間もないまま、彼は処分を受けることとなった。
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「それが橘さんってわけ?」
ひとしきり事のあらましをが語られたと見て、黙って聞いていた叶苗が口を開いた。
マコトは心を落ち着かせるように一呼吸おいてから答える。
「そうだよ。でも橘さんは、自分の無実を証明することよりも、僕を研究所から逃がすことを優先した」
「え……でも、橘さんがシキヤシキに来たのは数年前のことだよ。マコト君が研究所から逃げて来たっていうのは、ここ数日のことでしょ?」
花奏が口を挟んだ。彼女の疑問はもっともで、橘がマコトを逃がすことに成功していたなら、彼がシキヤシキにやって来たときにはマコトも共にいたはずた。ところが事実、マコトが天草研究所を出てきてからまだ1週間も経過していない。
これは成功していたなら、の話だからだ。
「橘さんは『遺物』の疑いをかけられたばかりか、僕を逃がそうとしたことも知られてしまった……彼の目論見は失敗して、その脚を鉛玉に貫かれた」
橘がシキヤシキに来たときから引きずっている脚を見る。
彼の魂が抜けたような風貌は当時のショック等によるもので、まともに機能しない脚は彼を逃がさないための錘だったのだ。
マコトは、橘が必死に研究所の外に逃げようとしているのを見ていることしか出来なかった。それも、厳重に閉じられた部屋の中に映し出された監視カメラの映像で間接的にだった。
自分にここから飛び出す力と勇気があればどれだけ良かったことか、と何度も自分を責めた。完成しては次々送り出されていく仲間を見て、からくりとしても不甲斐ない自分に嫌気がさしていた。その狭間で揺れる、優柔不断な自分も嫌いだった。
だから、シキヤシキに来て彼を見つけた時、戦慄が走った。
彼は無事に生き延びて居場所を得ることが出来ていたんだ、と安心した。一方で、彼の力になれなかった自分は、彼と顔を合わせる資格などない。そこで反射的に足が動いてしまったのだ。
「……ごめんなさい、橘さん。僕のせいで、あなたの全てを台無しにしてしまった」
こんな言葉で許しが得られるなんて思っていない。そもそも、彼が自身の言葉で話すことが出来ない今にしか面と向かう勇気がないなんて、狡いではないか。
「…………っ」
また動き出しそうになった足を必死に留める。これでは以前と何も変わっていない。
マコトは奏羽の元で彼岸花による暴動の映像を見た時、素直に恐ろしいと感じた。そしてそれを相手にしている、自分と同じ特殊からくり。彼女らにとってはただの仕事、与えられた命令に過ぎなくとも、その恐ろしいものに立ち向かう姿は、言葉では言い表せない程にマコトの中の何かを揺さぶった。
これでは駄目だ、と感じた。何かに縋って、誰かに守られているようじゃ、マコトを庇って傷を負った彼らも、マコトが逃げ出した意味も全てなくなってしまう。
ならばマコトは彼らに報いるために、自身の目的を果たさなければならない。深い森で銃を背負った、気怠げで平穏な生活を求める彼に教えられたそれを見つけるために。
(橘さん…………そして一さん)
「僕、あなたが誇れるようなからくりになりますから────」
マコトが決意を口にしようとしたその時、橘の口が動いた。
「……………………『遺物』は」
「え?」
「『遺物』はどこに……?」
一瞬、その意味が分からなかった。
橘は『遺物』に接触した犯人ではない。マコトの知る限りではそのはずだし、彼がそのようなことをするような人物ではなかったことを知っている。
彼の今の言い草からすると、まるで手にしたものが失われてしまったようではないか。そんなはずはない。
「……橘さん。今日はこのくらいにして、少し休みましょう」
マコトの困惑を見た叶苗は、橘を席から立ち上がらせる。震える手で杖を掴み、重たい腰を持ち上げようとするのを、脇で支えられながらふらふらと立ち上がる。
「あ……も、もう行っちゃうの?」
まだ肝心なことを伝えられていないし、聞けていない。彼から有用な情報を聞き出すこともできなかった。
いくら橘に精神的異常があるからといって、こんなにも呆気なく会話を断ち切られると、何だか拒絶されたようで心にくるものがある。
とはいえ一人の感情的な我儘で、彼のことを粗末に扱うことなどできない。
橘はマコトにとって、他ならぬ恩人である。急を要することでもない限り、彼の調子に応じて様子を見ることができればそれで良いだろう。マコトがシキヤシキでできることと言ったら、最早それくらいである。
「そういえば……花奏さんたちは何で僕をこっちに呼んだの? せっかく奏羽くんに居てもいいよってオッケー出してもらえたのに」
叶苗に付き添われ研究棟の方へと戻って行った橘の背中を見届けながら、マコトは疑問を口にした。シキヤシキに到着してからすぐに橘との面会になったため、マコトを呼び戻した真意を聞けずじまいだった。
花奏たちの調査及の進展び丹波製薬からの連絡があるまで奏羽のもとで待機、というところまでは良かったものの、その後すぐに花奏から「シキヤシキに戻って来い」との連絡があったのだ。
これには奏羽を含むその場にいた全員が首を傾げた。「言ってることが矛盾してるじゃん、あのクソ姉!」と文句を垂れた奏羽のもとにヒイロとマリアを残して、マコトは一人シキヤシキへと帰還したのである。
ただでさえマコトは外で自身の顔を晒す危険があったが、迎えに寄越されたコシキの有能かつ巧妙な手配によって無事に辿り着くことができた。
「花奏さんも一応追われる側の身なんだから分かるよね? いつ誰に見られてるか分からない状況でコソコソここまで来るのって、超怖いんだから」
「そんなこと言われたって、わたし、外に出たことなんてないもん。……というか」
口うるさい一人の責任者と杖をついた一人の研究員がいなくなったテーブルは静まり返っている。
花奏はマコトに対して悪びれるでもなくあざとい態度を取るでもなく、ただ首を傾げるだけだった。
「こっちに戻って来たいって言ったの、マコトくんのほうだよ? だからわたし、コシキを迎えに行かせたんだけど」
「…………ん?」
なにか、おかしな入れ違いが起こっているようだった。




