第23話 カフェー?
────数日後。
マコトはシキヤシキのカフェテリアにいた。ずらりと並ぶテーブルと椅子の一つに腰掛け、数人の仲間と円卓を囲んでいた。
決して奏羽に追い出されたというわけではない。マコトは自らの意思で、というか頼み込まれて単独でここに戻ってきたのだが、重要なのはその顔触れであった。
一人目はしきりにマコトを解体したがる倫理観の欠如した技術者、熾鬼叶苗。もう一人は、こちらにも同じ顔が並んでいる。同じくどこか抜けた価値観の持ち主である叶苗の姉、花奏だ。
ここまではいつもと変わらないと思うだろうが、向かって正面、マコトの目の前に座るその人物こそ、マコトが会うことを最も恐れていた人物であった。
「ど……どうも、お久しぶりです。橘さん」
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「じゃ~ん、知り合い特製の毛染め剤~」
「…………なぜそんなに張り切っているのかな」
「うるさい。アンタの我儘で用意してやったんだから、感謝してほしいくらいなんだけど」
奏羽が手に持つのは、長さ十センチほどの筒状のガラス容器だった。無地のラベルが貼られているので中身は確認できないが、何らかの液体状のものであることだけが分かる。それを覗き込むのは、ヒイロとマリアの二人だ。
なぜ毛染め剤など用意したのかというと、事は数日前に遡る。
奏羽の住む建物はマンションのようになっていて、他に彼の知り合いが住んでいるらしかった。奏羽の知り合いというと、裏社会に通じていたり闇医者を営んでいたりとあまり関わりたくないものとなっているので、建物の空いている一室を使用するにもマコトが怖がってしまい、なかなか事が進まなかった。
そんな中で、ヒイロが突如「外を出歩いてみたい」という旨の発言をしたのだ。一同は当然驚いたのちに反対した。何しろ彼岸花が街で暴れた件もあって危険な上に、そもそもヒイロはその彼岸花である──今のところそう結論付けられている──ため、もしも誰かにそれが知られてしまえば、ヒイロがどうなるか分からない。最悪の場合、初めにシキヤシキを訪れた際のように、貴重な被検体として捕らえられてしまう……ということもあり得る。
しかし、ヒイロも譲らなかった。自分の我儘だということは分かっているが、どうしても確認したいことがあるのだ、と引き下がろうとしない。
断固として諦める様子のヒイロを見た奏羽は仕方なく、彼の要求を許可した。そして自身の人脈を利用して、最低限の安全確保のための道具、すなわち特徴的な髪色を隠すための毛染め剤を用意するに至った。
奏羽をシキヤシキに連れ帰る話はどうなったのかというと、「まだ帰ってこなくて大丈夫(意訳)」との指示で有耶無耶になっている。それには心なしか奏羽もご満悦の様子だったが、マコトたちには早く帰って行って欲しいとも思っているようだった。
ともかく、ヒイロの外出計画は彼の思い通りに実行されることとなった。とはいえもちろん世間知らずなヒイロを一人でふらつかせることは危険なので、姿を見せても大丈夫だという点で言うと同行者はやはりマリアが適任となった。
「髪の毛、似合っていますね」
「そうかな……俺も、鏡を見るとこちらの方が妙にしっくり来るかも」
「はい。日本男児、という感じですっ」
毛染め剤の効果で変化したヒイロの髪の色は、普段の白色とは真逆の、どこにでもいそうな黒髪へと変わっていた。彼の言う通り、こちらの方が違和感がないと言っても過言ではないほどである。無論、正体を隠すため、というならば目立たないに越したことはない。
「ところで、マコトは来なくてよかったのかな」
「はい。なんでも、花奏さまがシキヤシキに直接来るようにとの連絡があったとのことで。なぜマコトさんだけなのかは分かりませんが……メンテナンスでも依頼したのでしょうかね?」
外は危険なので一旦は待機、という方針だったはずが、結局それはなかったことになってしまっている。花奏のめちゃくちゃな物言いにも勘弁してほしいものだ、と奏羽は疲労感をあらわにして言った。きっと彼らは幼い頃からここに至るまで、このような関係性なのだろう。
ともかく、マコトは単独でシキヤシキに帰還、マリアとヒイロは町の偵察、といった指針が立てられ、各々が行動を開始した。マコトは花奏からの急かしもあって、一足早くここ奏羽の拠点を後にした。町の郊外に繋がるエレベーターのあるあの工具屋に、コシキの迎えが来ているとのことだった。
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髪の色を変えたからといって、気を抜いていいとか、周りを警戒しなくても良いというわけでは全くない。むしろ、ヒイロには自身が彼岸花であることを知られてはいけないことに加え、天草社の関係者と接触してはいけない、という二重の点に気を配らなければならない。
一般的かつ人気の高いモデルのからくりであるマリアが隣にいることで、ヒイロはあたかも『どこにでもいる少年』になることができる。ごく普通の家庭に生まれた者ならば、個人が所有しているからくりを連れて外を歩くのも珍しくないからだ。もちろん、ヒイロはそのような常識は知らないので、信頼できる人が一緒にいてくれることで安心できる、くらいの認識でしかない。
しかし、そんな安堵の感情も些細な不安も、彼の目に映る光景の前による感動に塗りつぶされる。
そこはありふれた日常の風景だ。信号機に横断を急かされる歩行者、持ち物の装飾を見せながら笑い合う男女、落ち着きのない子供の手を引いて歩く母親。誰にとっても当たり前の事でも、彼──ヒイロにとっては違ったようだ。
その目はまるで輝く宝石を見るかのよう。恍惚とした表情で、視界の隅から隅までを堪能するように見ていた。
「あの……ヒイロさんは、どうして外を歩いてみたいと仰ったのですか? 確認したいことがある、というのは?」
マリアはそんな状態で立ち尽くすヒイロに問う。『確認したいこと』の内容は、奏羽の拠点で明かされることはなかったのだ。
余程の事態でもあったのかと思うだろうが、ヒイロには禁制区域で目覚める以前の記憶がないとのことなので、そんな彼が確かめなければならないこと、もしくは個人の事情などが果たしてあるのだろうか。
「ああ……それは半分、建前みたいなものだよ。世間は俺の知るものではないみたいだったから、気になって見てみたかっただけなんだ」
ヒイロは困ったように眉を下げる。それは傍から見て気付くのものではないほどだったが。
「俺は自分が何なのかすら分からずに、一人で目が覚めて……マコトやはじめん、シキヤシキの人達に助けられてきた。今の俺なら、それを探し出すことだってきっとできる。でも……何の役にも立たない俺のために、ここまでしてもらっているのだから、せめて俺にも何か出来ることをしようと思って。そのための一歩に過ぎない、というだけだけど」
ヒイロの様子から、それは本心なのだと分かる。
マリアはこう思った──少なくとも彼は、血も涙もない彼岸花などではない。そこには間違いなく、人間が心と呼ぶものがあるのだ、と。
からくりの自分が何を言っているのか、という指摘は考えない。もとよりマリアも、からくり社会を代表するモデルの一つである。他人の心情を推し量ることだって、それに応じた正確な対応を取ることだってお手の物なのである。すなわち、今彼女が取れる行動というのは、
「私、ヒイロさんに全面的に協力いたします。いえ、今まで協力的ではなかったという訳ではなく、その、とても感動してしまったというかですね……」
「? からくりも感動するものなの?」
「もちろんです。たとえそれが、生物を模したニューロンや電子信号によるものでしかないとしてもです」
「信号…………にゅーろ…………?」
ヒイロは初めて聞く言葉だったのか理解できていないようだったが、少なくともこれらはマリアの本音である。彼女の言う通り、本物の人間の感情とは違ったものかもしれないが。
「どこか行きたいところはありますか? なければ、ガイドに従って歩きますか……情報を集めたいならば、あちらの商店街か、カフェが良いのではないでしょうか」
マリアは話題を切り替えて、当初の目的であった情報集めに焦点を向けた提案をした。それらを一瞥したヒイロは、怪訝な顔をした。
「カフェー? それはあの、美しいのが渦巻いているという……」
彼の口から、何やら意味不明な言葉が飛び出した。
「美しいの?」
「女性従業員を見るために客が集まる場所だ、とか。ああ、でも、著名な芸術家や文学者が通うというのもあったような?」
「た、多分違いますよ。いつの知識ですか、それ」
マリアが知る限り、それは数十年前あるいはそれ以前に存在していた「カフェー」のことで、女給が客と同じテーブルに座り接待をする営業形態であったとかなんとか。つまり、今でいうナイトクラブとかうスナックに似ているのだという。
そのような偏った知識しか備わっていないとは、ヒイロがどういう教育を受けてここまで育ったのか、謎が深まる一方である。本人に聞き出そうにも、記憶喪失だというのだからどうしようもない。ただし、ここまで詳細な言い方をされると、本当に記憶喪失なのかすら疑いたくなってしまうが。
「そういうものではないので安心してください。仮にそうだとしても、私がヒイロさんを連れてわざわざ入る訳がないじゃないですか!」
「確かにそうだね。であれば、シキヤシキのかふぇてりあと同じように和やかな雰囲気なのかな?」
「そうです、その認識で構いません。あそこ以上にメニューの種類は豊富でいい休息にもなるでしょうし、利用する方の層も様々なのでたくさん情報が集まると思いますよ」
こうして知恵と美食のオアシスに足を運ぶこととなった二人だが、ここで思わぬ出会いを果たすこととなるのだった。
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目をつけたカフェに足を踏み入れると、洗練されたモダンなインテリアが目に飛び込んでくる。大きな窓からは自然光が差し込み、木製のテーブルやレザーのチェアが落ち着いた雰囲気を醸し出している。バリスタが淹れるエスプレッソの香りが店内に広がり、カウンターには手書きのメニューボードとトレンド感のあるドリンクが並んでいる。耳には心地よいジャズが流れ、ほどよく賑わう店内には、会話とカップが触れ合う音が響いている。ゆったりと過ごすにはぴったりの、洗練されたカフェだ。
ヒイロは、その賑わいに驚いたのか、もしくは人々が口に運ぶ数々の軽食が羨ましいのか、じっくりと店内を眺めている。
「どうかされましたか、ヒイロさん?」
「いや……彼女たちが気になって」
そう言ってヒイロが目を向けた先にいるのは、四人がけのテーブル席に座る三人組だった。一人は丸みのある黒いキャスケットを目の上にまで深く被り、ブラウンのシャツを着ている小柄な少女。他の二人は、職場の制服であろうと思われるスーツを身に着けている男性だった。
傍から見れば、二人の男性がこの少女とどのような関りがあるのか見当も付かない。家出少女を指導する警察官、にも見えなくもない。
しかしここで発生する違和感というのは、少女の目の前に続々と運ばれてくるスイーツだ。パフェ、マカロン、クレープ、それに何だか分からないカラフルなものが飾り付けられた皿。その種類は多岐に渡るが、もれなく少女の胃の中へと消えていってしまう。
男性たちはその様子を見て表情を和ませているし、少女の方も実に満足気な様子で皿を空にしていく。となるとこの二人の男性は少女の兄か、世話を任された親戚か……。およそそのような推測が出来るが、定かではない。
「なあ、なあ……小葉紅さん、そろそろいいでしょう。誰の財布から金が出ると思ってるんすか、これ」
呆れと苛立ちを抱えた様子で黒髪の男性が言った。それに対して顔色一つ変えずに、イチゴを口に放り込みながら少女は答える。
「無論、君のだが。からくりには給与が支給されない故……」
すると少女をカバーするように、茶髪の男性が口を挟む。
「やっぱり、年頃の女の子はこういうのが食べたいものなんですよ。連れてきて正解でしたね、先輩」
「ち……からくりに年頃も何もあるか。いちいちロマンだとか女の子だとか、お前の脳内はお花畑だな……まあいい、とりあえずそれで最後にしてくださいよ、小葉紅さん」
少女は了解の意を示す相槌の後に、すかさず大きな口を開けてケーキを放り込んだ。
マリアはそれを見て、違和感は感じたものの、何の変哲もない若者の集まりだろうとすら思った。ヒイロが気になったのは大方テーブルの上の大量のスイーツが原因か、それとも他の要素があるのだろうか。
「むぐ…………幸せだ。今後もここに通うとしよう。その時はまた頼むぞ、橘捜査官」
「俺の機嫌が良いときにしてください。にしても、捜査官かー……慣れねー…………」
「先輩はどっちかというと、給料泥棒ですもんね」
「おっと、足が勝手に…………ん?」
爪先を抱えて絶叫する茶髪の男性に背を向け、黒髪の男性はヒイロたちの視線に気づいたようだった。先程かすかに聞こえた彼の名前はそう、確か、
「何見てるんすか。俺たちに何か用でも?」
橘という名の男性は少しの警戒心を覗かせながら、ガラの悪そうに背を丸めて、ヒイロたちに詰め寄った。




