第21話 生態
「……」
人の出払った研究棟の一角で、小葉紅は歩みを進める。その沈黙には、今回のやりきれない思いが重々しく伸し掛かっていた。
正体不明の彼岸花と一戦を交えた後に逃亡を許してから、小葉紅は遺憾を抱えながら本部へと帰還した。
本部といっても、統制の権限を委託された今現在の拠点は天草研究所に移っていた。小葉紅にとっては生まれた場所であり、定期的なメンテナンスもこの研究所で行っているので実家のような安心感があると言っても過言ではない。
しかしそれも、緊急だったとはいえ任務を失敗した小葉紅にとっては不安を煽る要素でしかない。
自分は失敗作として処分されてしまうのではないか、再起不能にされてしまうのではないか、と胸の奥底で渦巻く泥に何度も飲み込まれそうになるのを必死に堪えている。
それもこれも────あの彼岸花のせいだ。身勝手な行動、軽薄な態度でこちらを惑わせ、あまつさえ最後には仲間を呼んで逃げた。
彼の言葉一つ一つが頭から離れない。気怠げに佇むシルエットが焼き付いている。
「むむ…………」
小葉紅は顔をしかめた。どうも調子が良くない。理論は不明だが、これ以上このことについて考えると脳が焼き切れてしまいそうな気さえした。
取り乱した心を落ち着かせるべく、即座に今後取るべき行動について頭を働かせようとする。
小葉紅が今いる場所は、基本的に人の出入りが少ない管理棟だ。研究所の膨大なデータを統制・処理するための機器とシステムが備わっている。厳重なセキュリティのために、最低限の技術者と警備員の配置しかしていないので、薄暗く冷たい通路を歩いていても誰かとすれ違うことはほとんどない。
そのためここは考え事をするのにちょうど良い場所だった。その立場故から行動の制約を設けられていない小葉紅は、これまで幾許かこの場所に訪れていた。
「あら。お帰りなさい、小葉紅」
しかしその平坦な空気は、ある人物によって破られた。廊下の一角に静かに立って小葉紅を待っていたのは、同じ特殊モデルの華紅夜だった。
特殊モデルといっても外見や性能は大きく異なっており、小葉紅は小柄で激しい動きに特化しているが、華紅夜は研究所内の事務やシステムの管理を想定した作りになっている。彼女がこの棟にいるのもそのためだ。
特に……気にすることではないが、華紅夜は小葉紅にはない豊満なボディを持っている。研究で疲れている研究員たちの目は特に、彼女の胸部や腰回りに目を向けていることが多い。特に気にすることではない。
彼女の目線、手の動き、表情の使い方までもが計算し尽くされている……と感じる。そのような特徴があるという話は研究員からも聞いたことがないが、彼らは皆既に華紅夜の魅力に釘付けになっているのだ。
小葉紅から見た彼女は何というか、どんな人間よりも人間らしい。「完璧すぎてまるで偽物」……どこかで聞いた言葉だが、それは彼女にぴたりと当てはまるだろう。奥底を見せない、自身の表面的な情報だけで他人をコントロールすることに長けている彼女は、小葉紅としては常に一線を引いておきたい相手でもあった。
思わぬところで遭遇してしまったことで、誰にも分からないほどの小さな尻込みをしてしまう。
「華紅夜…………貴様、何故一足早く撤退した? おかけで標的には逃げられてしまった」
自身の心境を悟られないために、少しでも身体を大きく見せる動物のように詰め寄る。これは元々彼女に問おうと思っていたことだ。
「私が受けた命令は『小葉紅の援護をすること』だけだもの、これ以上ない支援だったと思うけれど。私はあなたみたいに激しい動きに特化して作られているわけではないから、あの場ではそう判断しただけよ」
しかし華紅夜は、その貼り付けられたような微笑みに一片の揺らぎも見せない。かといって小葉紅を嘲笑っているという訳でもなく、ただ飄々とした態度を取りながらそこにいるだけ。
「……」
彼女の言うことも尤もだった。
あのとき、小葉紅が彼岸花の一言で取り乱していたところに狙撃を行ったのは華紅夜なのだ。そこを正常な判断を下せずに、みすみす標的を取り逃がしてしまったのは間違いなく小葉紅の責任である。
「Quatsch。あなた、一週間前にメンテナンスをしたばかりよね。それまでは調子が悪かったみたいだけど、今の状態を見る限り、一時的にしか良くならなかったんじゃない?」
彼女にとっては、ただ心配しているだけの言葉なのは分かる。しかし、それは今の小葉紅には薬も過ぎれば毒となる。自身の問題は避けては通れないものだが、小葉紅にだって自身を落ち着かせる時間は必要なのだ。簡単に言えば……仕事のミスで落ち込んでいる、といったところだろうか。
「上には『小葉紅』の隊員の独断行動で被害が拡大したとだけ報告しておいたわ。だからあなたのミスは、監督不行き届きってことだけね」
「……すまない」
ありがとう、とは言えない。自身のプライドか、単にそれを口に出す元気すらないのか。
隊員たちに全てを押し付けるようなことはしたくはない。華紅夜がそういったやり方を取る辺り、やはり彼女とは考え方に相違が出る。
以前から二週間ほど前までは、『小葉紅』はまだ人々に『英雄』と言われるまでの実績と信頼を誇っていた、のだと思う。それも小葉紅だけの功績ではない。彼岸花との衝突によってその隊員の半数弱が失われてしまい、今やこの有り様だ。
どちらにしろ、早急に挽回しなければならない。
「ところで、小葉紅。あなたは、彼岸花についてどのくらいの情報を持っているんだっけ?」
「それは……研究所で、与えられただけの知識は……いや」
当然、小葉紅の頭にはそれがあるはずだった。しかし、探れば探るほどそれが微々たるものだと気がつく。彼岸花についての情報はせいぜい、五年ほど前に一度だけ姿を現した、人間の血を求める怪物だというくらいだ。そして今は丹波製薬という組織がそれを保管しているということ。
「記憶装置が故障しているようだ……詳しく思い出すことができない」
華紅夜の言い草から、彼女が彼岸花について知っていることはそれだけではないことが分かる。今後のためにも、少しでも早く多くの情報をこの頭に叩き込まねばならない。
「bitte? 本当に?」
華紅夜の反応から、重要な情報は既に共有されていたのだろう。しかし小葉紅自身も、いつから記憶が抜け落ちていたのか分からない。
一週間前の整備時に研究所側の不手際があったのだろうか……後で確かめる必要がある。
「あなたがあんなに困惑していた理由が分かったわ……といっても、知ってた私もその場にいたら動けなかったでしょうけどね」
小葉紅が一度戦闘を交えた、彼岸花の青年。彼の血を操る謎の力、と言えば良いのだろうか。それについて、華紅夜は一部ではあるが知っていたらしい。実際に目にしたのは彼女も小葉紅自身も初めてである。
────これは丹波製薬と天草研究所の共同研究であるらしい。
突如現れた未知の生命体。最小限の被害をもたらして沈黙したそれを彼岸花と名付け、それ以上人々の平穏と安寧を破壊されないようにと、彼らに対する対抗策を講じるための研究。
具体的な内容は伏せられているが、その研究で判明したことは『何もなかった』。
なぜならその花は欠けており、対象としても生命体としても不十分であったから。
欠けていても良いから、少しでもこの花について知ることは出来まいかと研究は続けられたが、それでも得られたものは少なかった。
「でもね、天草は彼岸花についての情報をある程度握っているのよ」
「……それはどうして?」
「私にも分からないわ。当時の研究を担当していて、私たちの開発チーム『元』メンバーでもあった誰かが知っている、って噂は聞くけれどね」
その誰かとは一体誰なのだ──謎は深まるばかりだ。そもそも、天草が持つ彼岸花の情報がどこから来たものなのか、それを誰も知らないということだろうか。
「というか……答えになっていないぞ。早くその、彼岸花の性質というかあの男の能力の謎を教えてくれないか」
「あら、そうだった……そうね、こんなこと言いたくはないけれど。科学じゃ説明できない、超常現象ってことになっちゃうのかしら。一応、人間なりに解釈しているみたいよ?」
その『人間の解釈』というのがこうである。
まず、彼岸花は二つの姿、さらにそこから二種類にに分けられる。
一つは植物の姿である。非活動時にはその牙をしまい、身を潜める。
そしてもう一つは人間の姿。何らかを引き金に、彼らは人間の姿を模倣して活動を始める。その目的は、恐らく人間の血液を得るためだと予想される。ここから彼らにとっての栄養は人の血だということが分かるが、本当にそうなのか、生き物としてのメリットがどうとかそういった話をし出すと、植物学者やら生物学者を大量に集める必要がある。
そしてもう一つの分類は、彼らの特殊な能力にある。
彼岸花は自身の血液を自在に操ることが出来るのだ。体外に流れ出た血液は重力に逆らって様々なものを形作る。
そこに特徴が現れるのだが、体外に出た彼らの血液は人間とは違って液体の形を取らない。ではどうなるかというと、固体もしくは気体となるのだ。
彼岸花はそのどちらかの形状の血液を操り、それらを操る個体はそれぞれ、便宜上『固形種』と『霧形種』と呼ばれる。
固形種は体外に出した血を固めて打撃に有効な武器や盾を作ることができ、霧形種は血を霧状に散布させ操ることができる──これはあるロマンと妄想好きの研究員が嬉々として語ったことだが、今はそれが現実である可能性がある、と言わざるを得ない。それは小葉紅が一番分かっている。
「いや────こんな情報を、研究所は一体どこから仕入れたんだ?」
これだけでも中々に莫大な情報量だというのに、それを忘れたまま彼岸花と遭遇して無事に生還できた自分に小葉紅は驚いている。
「あの男は固形種で……あいつを連れて消えた女が霧形種だった、ということか」
数時間前の、彼岸花との邂逅を思い出す。彼岸花の青年はその手から出した血液をまるで弾丸のように放ち、固形の血液で形作った巨大な手を自身の一部のように扱っていた。であるならば、彼は固形種ということになるだろう。
そしてもう一人、突如現れて消えた女性。彼女も十中八九彼岸花だ。青年のように固形の血液を操っている様子はなく、代わりに姿を消すことができる……原理は不明だが、恐らく彼女は霧形種だ。
「この情報になぞらえるなら、ね。でも、知っておいたほうが戦いやすいでしょう?」
「そうだな──いや、また戦うのか……正直、あの男の顔はもう見たくない」
出来ることなら、彼岸花の件は華紅夜に任せて別の任務に集中したい。あの青年の彼岸花と再び面と向かって話す機会があれば、きっと動けなくなってしまうだろうから。
他に遂行中の任務と言えば──。
「そうだ。あなたが追っていたあの……ナントカっていう一族のことはどうなったって言っていたかしら?」
「…………熾鬼、だ。彼らは変わらず身を潜めている。ワタシはまだ任務を完遂できていない」
小葉紅が請け負っている四つの任務の内の一つ。天草社を裏切り逃亡した熾鬼椰樹の所在を突き止め、彼と彼の血を引く、顔の同じ一族を始末し、椰樹が持ち去った『遺物』を回収する……しかし彼らはしぶとかった。小葉紅が作られたときから与えられた命令だが、未だに成し遂げられずにいるのだ。
何しろ彼らは数が多い。同じ顔の人間を探し出すとは容易なことのように思えるが、小さな影武者が溢れるほど存在している、という情報がある。
「そう……頑張ってね♪」
「貴様、他人事だからといって…………はあ、もういい。情報は得られた、ワタシはすぐにでも奴を追わねばならない」
頭を冷やしに来たはずが、なぜだか熱が灯り始めた気がした。この熱が冷めない内に──冷めることはないとは思うが──胸に抱いた使命感を燃やして、元来た道を華紅夜に背を向けて早歩きをする。
「そうだ、小葉紅」
そんな小葉紅を、華紅夜は呼び止めた。
「なんだ」
空気の読めない奴だ、と額に皺を寄せながら、小葉紅は振り返る。
「────あまり、自分を出し過ぎちゃだめよ?」
それはどういう趣旨のアドバイスなのか、それともただからかっているだけなのか。釈然としないまま、すぐにまた振り返って歩き始める小葉紅であった。




