第19話 音
「何ソレ怖い。知らない知らない」
と、どこかで聞いたことのあるような返答が返ってきた。
マコトたちは今回彼のもとにやって来た理由の一つである、丹波未来の謎の精神病について、これまで得た僅かな情報を奏羽に共有した。
しかし奏羽は興味を示すどころか、不服そうな表情を浮かべて溜息を吐いた。
「ていうかさぁ、今の話聞いて思ったんだけど。アンタたち何か勘違いしてない? ボクは内科医でも小児科医でもないんだけど」
それを聞いて、マコトもふと考える。奏羽は確か、人体解剖学を研究しているのだとか。解剖学は、人体の構造等を把握し外科手術や芸術に役立つものだが、人の身体に似せるという意味ではからくりの設計にも応用されている。
「たしかに。医者とだけ聞いていたけれど、奏羽さんは人体に詳しい外科医のようなものかな」
どこまで思考が追いついているのか分からないヒイロが感心したように言った。
今でこそその研究で得た能力は医者としての腕に直結しているのだろうが、からくりへの応用といった意味ではその研究はシキヤシキでも大いに役立っていたに違いない。が、それらを踏まえて分かる通り、精神病などは専ら専門外なのだ。
「え? つまりどういうこと?」
「アンタたちは姉さんに言われて、ボクに帰ってくるよう説得しに来たんだろ? ついでにその未来とやらについて聞いて来いとも。でも実際、そっちの方面に詳しくないボクはそれに答えられるわけがないし、姉さんもそれは分かってたはずだよ」
嫌な予感とともに、悪魔のような二人の顔が脳内に浮かぶ。あの、他人を道具としか思っていないような二人ならやりかねない。
「つまり、ボクを説得するために、アンタたちの疑問をダシに使われたってことだね。ご愁傷サマ」
言葉とは裏腹に、奏羽は憐れむような目をしている。そこは思い切り罵倒してくれた方が気が楽だった。マリアの方を見ると、申し訳ありませんと何度も頭を下げている。彼女も叶苗たちの企みを知っていたということだ。
奏羽は専門外だから分からない、と言った。彼にその方面に詳しい知り合いがいたとしても、彼岸花の存在を直に伝えてしまうのはリスクがあるため、結局は頼れる人物が他にいないのだ。
それを知りながらこの場にマコトたちを寄越した、性根の曲がった二人の顔が嫌でも浮かんでしまう。顔は同じではあるが。
「……あの性悪!」
こみ上げる悔しさと怒りを抑えても、彼女たちに対する文句は口をついて出てしまう。からくりとか人間とか関係なく、最早あの二人が恐ろしい。
彼女たちであれば、後で問い詰めても「あはは、ごめんね」とか「何か文句でも?」とか、軽く流されてしまうに違いない。そう容易に想像できてしまうのも悔しいが。
「ああもう、こんなところまで来させておいてそんなのひどくない? 僕、もうこのままここに住もうかな……」
「はぁ? やめてよね、ボクのスペースが減っちゃうじゃん。大人しく研究所に帰った方が手厚く面倒見てもらえるんじゃないの?」
冗談半分の嘆きは、奏羽の鋭い否定で砕かれた。
この兄弟たちは、人の心をどこに置いて来たのだろうか。
マコトは頰を膨らませながら、居ても立ってもいられなくなり立ち上がろうとする。
その時。
「……うわあ!?」
喉の奥から変な声が出るくらいの轟音が、建物の外から聞こえてきた。
ぱあん、という何かが弾けるような音と、複数のガラスが割れるような音。どこかのアパートで爆弾でも作っていたのか、と思う程だ。
マコトは驚きのあまり即座にテーブルの下に潜り、奏羽に爆笑されたわけだが。
「だ、だって怖かったんだもん……」
そんな言い訳にもならない情けなく見苦しい姿を晒すマコトを、息ができないくらいに一通り笑い終えた奏羽は、何故か熊の被り物を被った。
「というわけで、マリア……ビビリなからくりが怖がってるからさ……ふっ……外の様子を見に行ってくんない?」
「は、はい、行ってまいります!」
これは絶対、未だに笑っているのを被り物で誤魔化しているつもりだ。明らかに隠しきれていないが、わざと隠さないことでマコトを嘲笑っているのかもしれない。そう考えると腹が立って、テーブルの下から這い出て文句を言おうとする。
するとまたもや、先程と同じ弾けるような音が今度は連続で鳴り始めた。
「うわあ! 怖い怖い! ちょ、ヒイロ助けて!」
「よしよし、マコト。この部屋は安全だから出てきても大丈夫だよ」
そう言って強引に引きずり出そうとするヒイロ。助けるの定義が曖昧だったものの、よりによってなぜ引きずり出すという結論に至るのか。怖いから隠れているというのに。よしよしというのも子ども扱いされているようで不本意だ……などとつい頭の中でけちをつけてしまう。あくまで彼の中では善意でしていることだというのを忘れてはいけない。
その間にも音は続いていた。マリアはもう外に出て行ったようだが、彼女が無事かどうか心配になってくるレベルだ。
「一応ボクもアンタたちもお尋ね者みたいなものなんだから、この音と関係がないとは言い切れないからねぇ。静かにしてなよ?」
二人の茶番を見て呆れる奏羽。外の状況をマリアに確認しに行かせたのも、この場にいる誰もが注目を浴びてはいけない者たちだからだ。
奏羽はその顔を見られるわけにはいかず、マコトに関してもいつどこでマコトを知っている天草社の関係者が現れるのか分からない。ヒイロに関しては言わずもがな、その目立つ髪色は彼が彼岸花である証明に他ならないのだ。
「まあ、ボクはアンタたちと違って大人だから。軟弱なお子様とは違うんだよねぇ」
「ええ……大人って? 何歳?」
その身長は百六十センチメートルにも満たないであろう奏羽を見る。見た目で判断するのは非常識なことだと分かってはいるが、彼の言動や反抗期だという情報からも本当に大人だとは信じられない。面白がって年齢を聞いてみる。
すると本人は実に満足げな笑みで言った。
「ふふん。ボク、二十三歳だけど」
「……嘘だあ!」
絶対にそうは見えない。奏羽の外見は成人どころか中学生ではないかと思えるほどだ。
しかし、シキヤシキにおいて彼よりも大分大人びて見えた叶芽が彼の弟だというのだから、事実として受け止めるしかなさそうだった。
●
しばらくして、マリアが奏羽の部屋へ戻って来た。謎の音が止んでから十分ほどしたところだった。
「な……なになに、何が起こってたの?」
テーブルの下で震えながらうずくまりながら、状況を確認しに外へ出ていたマリアにマコトは問いかけた。
「はい……一言で言うと、大変なことになっておりまりた」
いつもの有能さはどこへ行ったのかと詰めたくなる、要領を得ない回答が返ってくる。帰って来た彼女の表情は、疲労と緊張で張りつめていた。
「まずですね、ええと、なんと言ったらいいのか……その。市街地で争いが起こっていたようです」
争い、とは一体何の争いか。仕事に疲れた者たちのストライキか、痴話喧嘩が周りを巻き込んだ大喧嘩に発展したのか。だとしても先程の大きな音は異常だ。
「ただのケンカじゃないよねぇ。多分あれでしょ、『小葉紅』がまた大活躍して英雄だーとか持ち上げられたんじゃないの?」
「……小葉紅」
マコトはその名に聞き覚えがあった。
マコトが天草研究所にいた頃。
三年ほど前だっただろうか、その頃のマコトはまだ特殊モデルとしての重圧に悩まされていた。
マコトの他に特殊モデルは二体おり、その内の一体である華紅夜は既に特殊モデルのからくりの基準を満たし、性能試験も成功を収めたために研究所から政府のからくりとして送られたばかりだった。
残されたのはマコトと、小葉紅の二体。
『おまえは、華紅夜みたいにすごいからくりとして認められたいか?』
ある日ふと、誰もいない時間に小葉紅は言った。
『どうしたの急に……そりゃあ僕だって、そうなりたいと思ってるよ。小葉紅は違うの?』
『私は、特殊モデルとか関係なく、皆とたくさん話して、一緒に食事をして、一緒にいられる、そんな存在になりたい』
『なにそれ……人間みたい』
『そう。私は、からくりだからって下に見られるのは嫌なんだ』
『そんなことを研究所の人の前で言ったらどうなるか、分かってるの?』
『処分される。分かっている。でも、私だって生きている。みんな……私たちを機械として扱ってくる人たちと、私。何が違うのか、私には分からない』
自分で見て感じて考えて話して、意思を持っている。それのどこが人間と変わらないのか。そんな疑問を、小葉紅は虚空にぶつけていた。
そのときのマコトは知らなかった。小葉紅がどうしてそのようなことを口にするのかを。リスクを冒してまで自分を貫くことの意味を。
からくりである自分たちがそんなことを考える必要はない、あっという間に『失敗作』として処分される。そんな彼女の方こそ何を考えているのか、分からなかった。
あの頃の自分はやや堅苦しかった、と今更ながら反省をする。
「マコトさん、どうかしましたか?」
「あ……ううん、なんでもない」
思いがけず耳にした名から過去を思い出していた。
マコトは天草研究所からシキヤシキに至るまで社会の状況というものから一切遮断されていたので、奏羽が言う小葉紅と彼女が同一人物なのかは分からなかった。
「小葉紅とは誰かの名前? 二人は知り合いなの?」
ヒイロが問いかけた。彼もまた、世間一般の知識を持ち合わせていないのだ。
「あ、えっとですね、小葉紅とは天草社が開発した特殊モデルのからくりの一つです。モデル名も同じく『小葉紅』、彼女が率いる治安維持部隊の名称も『小葉紅』です。これは天草社の戦略の一つで、あるからくりの名前を様々な方面に売り出すことで世間からの支持を得ているようです」
マコトは少しだけ驚いた。かつて研究所にいた頃の小葉紅はとても誰かの前に立って動くような人物ではなかった。芯はあったが、臆病な一面もあったと記憶している。
そんな彼女が、今や誰もが信頼を寄せる存在になったのだと思うと感慨深くもある。彼女の願いも少しは叶ったのだろうか、と。
同時に、自分が今まで世間からどれだけ隔絶された環境にあったかを思い知った。特殊モデルとしての重圧を加えないためか分からないが小葉紅に関する話は天草研究所では一切聞かされなかったし、これまでの行動の軌跡を考えると碌な経歴の持ち主に会っていない。強いて言えば丹波製薬の支社長である和木くらいだが、彼も彼で未来との間に蟠りを抱えているように見えた。
しかし人間とは誰しもそういうものであろう。からくりであるマコトにさえその壁を越えられずにいることがあるのだ。後悔などいくらでも挙げることができる。
「特殊モデル……マコトもそうだと言っていたよね。ならマコトも、そのもでる名というのはマコトということになるの?」
「いや、僕の名前は、当時の開発チームのメンバーがつけてくれたんだ。モデル名は別にあるよ」
研究所にいたころからの不思議。マコトにこの名をくれた人物はあそこにはもういないが、同じ特殊モデルである小葉紅と華紅夜にはマコトのように名前は与えられなかった。その理由を知る者は果たしているのだろうか。
「そんなコト今はいーから。『小葉紅』が一体何をやってたの? 今まであんな激しい音は何回かしか聞いたことないんだけど」
話が脱線し出したので、奏羽が苛立ったように言った。
「ちょっと前まで、あの特殊モデルは調子が悪そうだったんだけどねぇ。最近はわりかし順調って感じだったと思うけど。その様子を見るに、只事じゃないって感じ?」
マリアの表情から、奏羽はそのように読み取る。焦りと驚きを含んだ彼女の瞳だけでも、何か異常事態が起こっていたのだと推測できる。
マリアはしきりに目を泳がせている。伝えたいけれど伝えたくない、どう伝えれば良いものか、果たして口にしても良いのかと、心の内で葛藤しているようだった。
「は、はい、それがですね……『小葉紅』が相手にしていたのは、おそらくですが」
一体誰に対して遠慮しているのか、それは彼女の伏目が捉える回数の最も多い人物だ。
「彼岸花……だったかと」
それを聞いた今この場にいる彼岸花は、真っ白な髪を揺らし、透き通る瞳をぱちくりとさせた。




