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第1話 相反する二つの


 初めて森を歩いた。

 何故ならほとんどの暖かい森は国によって立ち入り禁止区域に設定されているからだ。


 でも、そんなルールに縛られる必要はない。

 何故なら自分はもうあの施設によって管理されることはないからだ。


 こんなのは屁理屈だ。わかっていても、やけくそに考えてしまう。


 今まで経験したことのない地形で足がおぼつかなく、同時にもう一つの恐怖が襲い、理性的な思考を奪っていく。


 ここにはあの”花”があるのではないか、という恐怖。



 誰もその花を見たことはない。

 一般的にはその花についてこう言われている。


 「見かけも名も知らぬその花からは、”彼岸花”が生まれる」、と。



 しばらくは木々や雑草に囲まれた森の中を歩き進めた。どこを見ても同じ景色で、もう来た方向も分からない。

 森は空気が湿っていて薄暗く、時計がなければ時間感覚さえも失われてしまいそうだ。まとわりつくような生暖かさを全身に感じる。

 自分の何倍もある太い木々は、至るところから枝や葉を生やし空を遮っている。立入禁止区域とされているだけあって、人の手が全く行き届いていないのがわかる。 


 そうして歩いていると、目の前にひときわ大きな背丈の雑草の壁が現れた。

 葉以外にも枝やツタが絡み合っており、両開きの扉をこじ開けるようにして道を切り拓いて行く。

 ぎしぎしと小さな音が響く。力を加えて何かが擦れ合うような──


 その瞬間、ばさあっ、と鮮やかな音を立てて雑草が割れた。互いに絡まっていたツタのかけらや葉が舞う。

 それらに目を向けようとするが、反射的に降りてきた瞼に視界を閉ざされてしまう。他でもない日光のせいだ。


 ──日光?


 ゆっくりと目を開けて周りを見渡してみる。

 先程のじめじめとした空気とは一転し、日の光を真っ直ぐに浴びる雑草やそこに咲く花々が輝いて見える。

 何故こんなにも風を感じるのだろうかと思うと、その答えは明白だった。


 そこはただの草原などではなく、木々に囲まれた空き地のような場所だったからだ。

 今しがた破り捨てた雑草の壁が本物の壁の役割を果たしており、閉鎖的な空間となっていたわけだ。空き地と言っても、歩く隙間もないほど一面が花々で埋め尽くされている。

 天井のぽっかりと空いた穴から日光や風が絶え間なく運ばれ、新鮮な空気が漂い、神秘的な空間が演出されていたのだ。逆に言えば、森の中の湿った空気はこの木々の壁による影響だったのかもしれない。


 それにしても、誰も立ち入らぬ森に何故このような場所があるのか……と考えた瞬間、数歩だけ進めた足がぴたりと止まった。


 初めは反射で隠れて見えなかったようだ。視線の先には、色とりどりの花畑──その中心にいる、いや”咲いている”少年。


 何故だか分からなかったが、咄嗟に「咲いている」という表現がぴったりだと思ったのだ。

 少年は、こちらには気付かない様子で虚空を見つめていた。


 年齢は十五歳前後だろうか。その短い髪の毛は一つひとつが真っ白だ。ただの白髪というわけではなく、何にも染まらない、いや何色にも染まってしまいそうな、新品のキャンパスのような白。ところどころがふわふわと小さく波打ち、無邪気さを覚えてしまう。

 その瞳の中には、燃え盛る闘志のような、水平線を眺める平穏のような、それらを覆う憂いのような何か。

 様々な感情が複雑に絡み合って、読み取る事が出来ない。


 この空間と合わせてまるで一つの作品のような美しさがあった。

 気付けばその名を口にしていた。


「──彼岸花……」


 するとこちらの気配に気付いたのか、少年はこちらを振り向き、何か言葉をを発したように見えた。何と言ったのかまでは定かではない。

 美しさに気を取られて、無意識に体が動いてしまう。花畑に踏み込むと、それまでに増していくつもの花弁が舞う。


「……君は、誰?」


 膝を折ってしゃがみ、手を伸ばせばその艶やかな肌に触れられる。そこまで来たところで、謎の少年は発した。


 凛としていて、芯のある声だった。

 初めに見たときに渦巻いていた感情の波はすっかり消え、その髪色と同じ真っ白な純粋さが直に伝わってくるのが分かる。おっとりした言葉遣いで、その感情や仕草は生まれたての赤ん坊のようだ。


 少年が不思議そうに首を傾げているのを見て、はっと我に返る。目の前にいるのはあの”彼岸花”かもしれない。そんな不安などすっかり忘れ、少年の素性に関する疑問が浮かんでくるばかりだった。


 ひと呼吸おいて、少年の問に対する答えを用意する。その無垢な瞳には逆らえなかった。

 今まで何度も耳にした、自分の名前を口にする。


「僕は、マコト。ええと、その…」


 自分の口から発せられた声は、相変わらず嫌になるほど威厳がない。

 肝心の質問に移ろうとすると、少年はにっこりと笑ってこちらに右手を差し出してきた。


「マコト。いい名だね。俺はヒイロ。よろしく、マコト」


 釣られて同じように右手を差し出すと、謎の少年――ヒイロはそれをがしりと掴みぶんぶん振る。

 こんな森の奥深くで、誰かが来るのを待ちわびていたとでも言うような喜びようだ。

 遠くから見たときとは全く異なる感情の表れに、驚きつつも手を握り返してしまう。


「君はこっちに来る前に、『ヒガンバナ』と言ってたけど……。それは、何かの花なの? 聞いたことない」


 それを聞いて、マコトは驚き目を見開いた。思わず「えっ」と口から出てしまうほど。

 先程、確かに自分は「彼岸花」と言ったが。彼──ヒイロがいた場所からは、少なくとも二十メートルはあったはずだ。

 加えて、自分でも気付かなかったかもしれない程の無意識に出た僅かな声だったのにも関わらず、ヒイロはそれが聞き取れた。尋常ではない聴力だ。


「キミ、すっごく耳がいいんだね……。確かに言ったよ。『彼岸花』、って。知らないの?」


 「彼岸花」の存在は、マコトは生まれたときから知っている。

 もちろんそうでなくとも、この国に住む者ならば誰でも知っているものなのだと、そう思っていた。


 どうやらヒイロはそうではないらしい。先程から首を傾げてばかりだ。

 ……何だか身構えていたこちらが馬鹿らしくなってしまった。彼は恐らく彼岸花ではない。ヒイロの純粋な瞳には勝てなかった。


「……知らないなら教えてあげるよ。『彼岸花』っていうのはね──」


 呆れつつも、マコトはそれについて話し始める。



 ”──昔むかし、誰も名を知らない真っ白な花を育てている者がいた。


 大事に丁寧に、愛情込めて育てられたその花は、やがてその主人をうらやましく思った。


 人間は花よりも寿命が長く、自由に移動できる、なんでもできる手足を持っているから。


 とある日、その花は主人を殺して食った。


 人間の姿を得た花は、一番の人間らしさの血の色である赤色をまとい、更なる赤色を求めて人々を襲うようになってしまったのだとか──”



「そしてその花はいつからか彼岸花って呼ばれるようになって、警戒されないように、普段は元の色である白い色をして人間に近づくんだって……!」


 いつの間にかおばけの話でもするかのようなポーズをとってしまっていたが、ヒイロもその動きに合わせてにこにこしながら話を聞いていた。


「それは、怖い話だね。そんな伝説があるなんて知らなかった。……それで、いくつか疑問があるんだけど……」


「ちょっとタンマ!!」


「たんま……面白い言葉。どういう意味?」


「そうじゃなくて! ……ねえ、怖いよね!? 『彼岸花』のお話! 人間を食べちゃうんだよ!? ……き、キミが! そうかもしれないって話を、してる、んだよ……」


 真っ白な髪に、真っ白な瞳。

 それは『彼岸花』の伝説にある、それそのものだった。

 今まで懸命にこらえていた足の震えが、更に大きいものになる。

 怖い話をして、怖がらせて、からかってやろうと思ってたのに。

 子供でも知ってる、『彼岸花』のお話。


 それを知らないということは、やっぱり。


 やっぱりここで、殺されてしまうかもしれない──そう覚悟をした。


「それは怖いけど。僕はその『彼岸花』じゃないし。それに……」


 ……『彼岸花』ではない。本人の口から聞いても意味はないかもしれないが、その瞬間だけは深い安堵を感じてしまった。


「赤い友達なら、俺も知ってるよ」


 純粋無垢かつ爽やかな笑顔で、ヒイロはそう言った。


「赤い友達……って、『彼岸花』のこと……?」


 ヒイロの言っていることが理解できないままだったが、彼は続けて言った。


「俺の友達は人を食べたことなんてないし、俺も『彼岸花』じゃない。君を食べたりはしないから、安心して」


 彼はどんな言葉よりも真っ直ぐに誠実に、一つひとつ声を発した。

 そんなヒイロの言葉を聞いて力が抜けたのか、膝からがくりと崩れ落ちてしまう。


「おお。大丈夫?」


 そんなマコトの体を、ヒイロは素早く支えた。


「ありがとう……。ぼ、僕、重くない……?」


「そんなことないよ。父と同じくらいだったような」


「……失礼じゃない?」


 マコトは、見た目で言うとヒイロと同じくらいの年齢のはず。ヒイロの父親は、ひょっとしたらまだ若いのかもしれない。

 ……それよりも、マコトが気になったことは他にある。


「……キミの父親って誰? 本当に『彼岸花』じゃないの?」


 伝承にもある通り、『彼岸花』とは花から生まれたもの。両親などいるはずもない。

 ヒイロは困った顔をして言った。


「……ごめんね。目覚めたばかりで、まだ記憶がはっきりしないんだ。もし俺が本当に人を食らう花なんだとしたら……」


「だとしたら……?」


「…………どうしよう?」


 ヒイロは、少しの沈黙の後に微妙な顔をして言った。

 彼自身にも何か事情があるのだろうが、他に情報はないのでこんなところで頭を捻っていても埒が明かない。


「ねえ。とりあえず、服着ない? 寒くないの?」


 あろうことか、こんな森の中でヒイロは布一枚すら身に着けていなかった。辛うじて局部は植物で隠されていたものの、それはそれで神秘的に見えなくもない……と余計なことを考えてから、マコトは着ていたジャケットをヒイロに手渡した。

 ヒイロはありがとう、と言って受け取ると、角度を変えながらそれをまじまじと見つめだした。


「な、何? もしかして、変な臭いでもする?」


「なんだかデザインが斬新で、珍しい生地の羽織だ。これを俺が借りてもいいの?」


 特に珍しくもなんともない、安い店で買えるような代物のはずだが、ヒイロの様子はまるで高級ブランドの服を目にした時のそれだ。


「いや……ただのポリエステル繊維のジャケットだけど。どこにでも売ってると思う」


「へえ。一体どこの商人が手に入れたものなんだろう」


 そこでも、多少の違和感を覚えた。ヒイロの話す言葉は、どれも古めかしい。まるでそこだけ時間を巻き戻したかのような感覚がある。


「ありがとう。そこまで寒くはなかったけど、衣服がないと困るよね」


 ヒイロはジャケットを羽織った。何も着ないよりはましだが、他人に見られても良いような仕上がりではないだろう。


「寒くない……確かに、この森は暖かいか」


 ヒイロの言葉につられて空気を感じてみると、湿った空間にいたときと変わらないほど気温は高い。これほど暖かいとなると、この森が立入禁止区域となっていたのも頷ける。


「森……ここは森なのか」


 ヒイロは周囲を見回した。


「こんなに、綺麗な場所だったんだね」


 そう言ったヒイロの目には、何かに憂うような感情が浮かんでいるように見えた。何か思い出しているのか、その場で黙ったままだ。


 綺麗な場所、というのはマコトも実にその通りだと思っていた。彼岸花にも、自分と同じように感じられる感覚があるのだ、とも。

 彼岸花は、実は人間に危害を加える化け物などではなく、温厚で感性の豊かな生命なのかもしれない……と考えてから、マコトは頭を左右に振り思考を中断した。まだヒイロが彼岸花だと確定した訳ではないし、初対面の相手に対してこのように考えては失礼なのではないかと思ったからだ。


「そうだよ。キミは、自分がどこから来たのかも覚えてないの?」


 マコトがそう言うと、ヒイロは頭を抑えて考え出した。


「……俺は、誰かに呼ばれて……外に出たら、何か大変なことが起こっていて、それで……」


 数秒間の沈黙の末に彼が捻り出した言葉はそれだけだった。そこからはまた沈黙が始まってしまう。

 ヒイロは、いくつかの記憶が混同したり抜け落ちてしまったりしているのだろう。ここで推測できることは、彼の言う「大変なこと」が今の状況と関係しているかもしれない、ということだけだ。


「そっかあ……」


「じゃあ、次は俺がマコトに質問する番だね」


「え?」


 マコトはまさかそう来られるとは思っていなかったので、少し間の抜けた返事になってしまった。


「俺は自分のことを話した……って言っても、まだ思い出せない部分がほとんどだけど。良かったら君の話も聞きたいな」


「……」


 話したくない、と言ったら、ヒイロは不公平だと怒るだろうか。

 コンプレックスがあるとか、出自を知られたくないからとかではない。話した後で、自分自身を受け入れられなくなるのが怖い。外面や性質に囚われることなく、自分という存在を見てくれなくなるのが怖い。


「……言いたくなかったら、無理をしなくてもいいよ」


 ヒイロは穏やかに語りかけた。

 そんな彼を見てふと思う。自分を異質だと言うならば、ヒイロだって異質ではないか。

 人間なのか彼岸花なのか、その正体すら分からず、過去の記憶を十分に持たない。その上一人で立ち入り禁止区域にいたなど、普通ではない部分の方が多いのだ。

 マコトがゆっくりと息を吸い、そして吐いたときには決意が固まっていた。


「僕は──」


 マコトがその口を開いた、その瞬間。


「──誰だ! そこにいるのは」


 ここにいる二人のものではない、別の誰かの声が響き渡った。

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