第17話 怪物と英雄
────同時刻、榎山D地区市街地某所。
「ねえ、あれ……あの真っ白の髪の人。超イケメンじゃない?」
「ほんとだ。あんた、声かけて来なよ」
「恥ずかしいからそっちが行ってよお」
住宅や商店街、ビルが立ち並ぶ大通りからは外れたある程度賑やかな通りで、それは注目を集めていた。
そこには一人の青年がいた。
肩まで届きそうな乱れた髪、瞼と視線を動かすたびに光を反射する長い睫毛、その奥で煌めく大きな瞳。そのどれを取っても見紛うことなき純白の美青年。
身長はひょろりと高いが体格はややしっかりした、大学生くらいの年齢だろうか。襟元のよれた白いシャツと黒いズボンを身に着け、どちらも七分丈の長さで、切り取られた袖と裾から覗かせる手足も雪のような色をしている。
無意識的に人を引き付けてしまう妖艶な魅力を纏ってそこに現れた謎の青年は、まるで日向ぼっこをする猫のように、町中に設置されたベンチで陽の光を眺めていた。
周囲には日を遮る建物や木陰があるのだが、青年はそこをわざと避けるように居座るのだ。視線を釘付けにした女性たちはそれを不思議に思ったが、思考は瞬く間にその美貌の前に消え去っていく。
「あ、あのっ」
一人の女性が彼の元へ近付き、勇気を振り絞って声をかけたようだ。
「あン?」
「お兄さん、すごくかっこいいなと思ってっ。良かったらお茶でもしませんか?」
「……いいねェ、それ。俺、喉乾いてたンだよ」
綺麗な見た目に反して、使う言葉遣いはやや品性に欠ける。だがそれも、それを聞く誰もが心を掴まれた。
「わ、わ、じゃあ……」
「でもさァ、飲むなら俺は──」
「?、?」
青年は立ち上がり、声をかけた女性へとさらに近付く。女性はいきなりの急接近に慌てふためき、顔を真っ赤にすることしかできない。
そうして女性の首元まで手を伸ばす。その体温は同じように熱く、女性の体内を巡る血液と調和する。
──青年は己の親指を睨み、力を込める。するとその指先は裂けて血液が溢れ出た。
しかしそれは重力に従って地に落ちるわけではなく、とめどなく溢れてやがて小さな何かを形作る。
それは刃だった。紅血の色を有した、繊細な刃先を持つ刃。誰もそれに気付く者はいない。
しかしそれに気付かなくとも、もう一つの異変は明白に起こっていた。その真っ白な髪の毛が、みるみる燃えるような赤色へと変化したのだ。
だがしかし、それを見て反応するに至るまでは、手遅れだった。
青年は親指から生えたとも見える紅の刃を女性の首にびたりと当て、奥へと押し出すように肉を掻っ切る。
「────お前の血が良いなァ、なんて。アッハハ……♪」
その笑顔は女性が最後に見たものだった。
血飛沫が撒き散らされる。アートのように地面に描かれた鮮血の上に、その身体は力なく倒れ伏す。
青年は血をまとった血の刃を口の上に持っていき、舌を出して滴る一滴を含んで味わう。
しかしその表情は、空腹を紛らわす軽食を口にしたときの満ち足りたものとはかけ離れていた。
「…………やっぱ不味ィわ。あ〜、どうしたらこの飢えは満たされるのかねェ」
「きゃああああ!」
響き渡る悲鳴。先程まで青年にうっとりと見入っていた者たちのものだ。
周囲に混乱が巻き起こる。「通り魔だ」、「化物だ」、「あれは────」
「────彼岸花だ!」
ひときわ通る声が、大衆を押しのけるように放った一言。
自らの血をまるで道具のように扱う、人ならざる芸。そして人間ではあり得ないほどの、息を呑むほど鮮やかな赤い髪。
それは恐ろしい『花』の噂そのものだ。
それは人々の耳から耳へ、口から口へと、伝染していく。
それも青年にとっては雑音でしかない。ノイズは耳をつんざいてこめかみに響く。
「……チッ。うるせェ、うるせェなあ…………」
止むことのないざわめきに舌打ちをし、不機嫌になっていく青年。髪の色は元の色に戻っていたが、人々は最早彼を怪物として認識してしまっている。
青年は周囲を見回し、どいつもこいつもヘンな格好をしやがって、と呟く。するとそこで、あることに気付きはっとする。
「おい」
青年は適当な群衆の中へ身体を潜らせ、適当な人間を選んで問う。
「ひぃっ……やだ、来ないで……」
選ばれた女性は恐怖で身体が動かないらしく、ただただ畏れの目を目の前の怪物に向ける。
「今、何年だ」
「え……?」
予想だにしなかった問いに、僅かに硬直が解ける女性。今が何年かなんて、誰でも知っていることだからだ。わざわざ他人に聞くことではないし、『怪物』が気にすることでもない。
それでも、ここから生き延びる望みに賭けて女性は言葉を選んで、震えた声で回答する。
「れ、令和……五年です」
青年は訝しむ。
「あ? 何だそれ……年号か? 知らねェから西暦にしろ、西暦」
女性にとってはむしろこの青年の方が訝しむ対象である。現在の年号を知らないなどあり得ない。五年ほど前に年号が変わったときには、日本中で話題になったものだ。
しかし口答えをすればどうなるか。女性は魂から振り絞るつもりで声を上げる。
「に、2023年です!」
「…………」
ここでも青年は大きく首を傾げる。理解できていないのか、する気がないのか。どちらにしろ年号、西暦が駄目なら一体どう答えれば良いのか。まさかとは思うが何年か、という問いは、何かの記念日か何かを指していたのか。しかし西暦で答えろと言われたのでそれはないとすぐに気付く。
青年はしばらく考え込んだ後に再び、疑問の声を口にした。
「二千? 二十三……?」
数字を呟きながら、指を折り曲げて何か計算をしているようだ。その間にも青年の眉は歪んでいき、周囲の人間も捌けていく。
そしてざわざわと、青年の中で複雑に絡み合った感情がせり上がってくる。その気迫は人間の一人や二人、簡単に気を失ってしまいそうなほど。
「クソ……どうなってンだよ、こいつはァ!」
通り全体に響き渡った、悪魔の雄叫びの如き罵倒。それが何に向けられたものなのか、怪物がこれから何を仕出かすのか、未知の恐怖による人々の恐怖はいっそう増してゆく。
──しかしそこに、希望が現れる。
ヒーローの如く颯爽と駆けつける彼らは、人々の『善』の象徴。
治安維持、事件解決、犯罪阻止、エトセトラ。
これまで幾度もその活躍を彼らの目に焼き付けてきた、正義の味方だ。
「──ああ、『小葉紅』が来たぞ!」
人々は皆、彼女に目を向ける。その顔には敬意が現れ、希望が溢れ、憧れの眼差しが彼女を貫く。
「────対彼岸花部隊、『小葉紅』だ。怪物め……そこから動くな」
「……あ? 何だ、お前」
そこに善と悪は対立する。どんな物語でも定石で、ヒーローは怪物を打ち倒すものなのだ。そんな期待が、『小葉紅』に向けられる。
『小葉紅』とは政府に所属する、一つの部隊の名だ。訓練と経験を積んだ者たちで構成され、表向きは治安維持のための組織、とされている。
現在はその権限を天草社に委託しており、一時的に対彼岸花部隊という名に改名している。その理由は天草研究所の彼岸花研究グループが、ある危機を察知したからである。
そしてその『危機』が、今目の前に立っている。
「コハクっていったか? 誰なンだよ、お前は」
「いかにも、ワタシの名前も小葉紅だ。この部隊のリーダーを務めている」
そして『小葉紅』のリーダー、特殊モデルのからくり、小葉紅。
黒のボディスーツに身を包み、自らの名を冠した部隊を率い、戦う姿は正に戦乙女。可愛らしい容姿に対して、その実力は本物だ。
何よりも人々を驚かせたのは、からくりであるのにも関わらず人間の部下を持ち、思うままに指揮を執っていることである。また、任務の為ならば人間にすら矛先を向けることは稀にあるという。
それは今までの、からくりは人間に従うべきだという常識を彼女だけが覆した。
初めは受け入れない意見も多かったが、彼女とその部隊の功績に比例して批判的な意見は姿を消していった。元はからくりの情報処理能力や特殊モデルの性能を活かした試用だったらしいのだが、今ではすっかり彼女らに信頼が集まっている。
「ワタシは貴様を捕らえる。抵抗は無駄だと思え」
小葉紅はその背に背負った、彼女の身長の三分の二以上もある長い剣の柄に手を伸ばした。
おそらく牽制のつもりだろう。緊急事態を除けばだが、こんな町の真ん中で刃物を振るおうものなら、いくら所持を認められたからくりであろうと即座に押収、そして処分される。
さらには『小葉紅』の隊員たちが全員大きな盾を構え、怪物をぐるりと囲むように配置され、じりじりと迫っている。背後はビルの壁、前面から横には連なる盾。袋の鼠だ。
「チビひょろのガキが、警察ごっこかァ? ……生憎俺は起きたばっかりなんで、手加減してくれると嬉しいんだが」
しかし青年に焦りは見られない。むしろ欠伸や伸びをして、寝起きだということをアピールしているかのようだ。
「見くびるなよ……取り押さえる!」
痺れを切らせた隊員の一人が命令を待たずに盾を前進させて突撃する。それが他の隊員の敵対心を更に煽り、各々が前進を加速させる。
その距離は最早十メートルもない。この距離から銃でも撃とうものなら、弾丸は確実に怪物を捉える。そうでなくとも身柄を拘束することは十分に可能だ。
そんな状況になろうと、まだ青年は動かない。冷たい瞳で小葉紅を睨んでいる。
なぜ、目の前にいる隊員には目もくれない? なぜこんなにも追い詰められているのに、彼は何もしようとしない?
その余裕が、場にいる者の不安を増幅させた。
思えばどんな生き物なのかも知れない、何をしてくるかも分からない未知の怪物。未知というのは最も恐ろしいのだ。知らないのだから対策のしようもないし、ただそれに怯えることしかできない。
不安を煽られ足が竦む隊員も少なくはない。徐々に減速する彼らを見て、怪物はにこりと笑った。
「いやァ、人間って本当……吐き気がするほど気持ち悪ィな」
「…………は?」
小葉紅は声を漏らした。
「気に入らないもの、自分より優れているもの、自分とは違う生き物だと思ったらすぐに、寄ってたかって排斥しようとする。狡賢く嵌めたり、武力にものを言わせたり。俺たちにとっては楽園みてェだったこの世で、綺麗なものが汚されて、醜いものが埋め尽してるなんて……最高に最悪じゃねェか?」
──この怪物は一体何を言おうとしているのか?
人間によって生み出され、人間に尽くすことが存在意義である小葉紅にとってはそれはこの上なく忌むべき侮蔑である。
今すぐにでもその口を閉じなければ。二度と怪物という分際で人間の言葉を発することがないようにしなければ。
再び背に手を回し、柄を掴み剣を鞘から抜こうとする。
しかし────それも一歩遅かった。
「アッハハ! お前ら、知ってるか? お前らの言う『怪物』は────こんなこともできるんだってなァ!」
嬉々とした高笑い。青年は先程と同じ──声をかけた女性の首を掻き切ったものと同じ血の刃を、その右手に形作る。
それでは届かないだろう、と誰もが思う。しかしその刃を向けた先は一般人でもなく小葉紅でもなく、自らの左手の掌だった。
左手に刃を強く握らせ、一気に引き抜く。言わずもがな、切り口からは生々しい血液がぼたぼたと地に垂れる。
しかしそれも一瞬。流れる血は動きを変え、あり得ない量のそれが彼の拳の周りに停滞する。
青年は握った拳を開きながら、空を裂く勢いで中身を空中に撒き散らした。それが当たり前だとでも言うように、血液は宙でぴたりと止まる。その形状は、想像したくないものを想像させた。
「弾丸…………?」
円柱へと形を変えた血の塊は、撒かれた分だけの数が生成されている。その数およそ数十個。全てが、彼の前に進行を進めたまま動かずにいた盾を持った武装集団へと向けられていた。
小葉紅は即座に理解する──あれは確かに弾丸だ。
「──────全員伏せろ!」
最速の反応速度で、小葉紅は呼びかけながら自らの身体を屈める。
次の瞬間には。
「────バン!」
凄まじい風圧と共に、それは真っ直ぐに放たれる。
ビルの低階層の窓ガラスは割れ、あちこちで悲鳴が上がる。そして弾丸は『小葉紅』へと襲い掛かった。
正確な狙いはどうでも良かったのか、盾を弾かれ身体を痛めている者もいれば、僅かに隙があった頭に直撃して吹き飛んだ者もいた。
それほどの威力を誇る鮮血の弾丸。直前に伏せることができた小葉紅は全くの無傷であった。
「あ~あ、お前は外しちまッたな?」
そこには怪物がいた。人間を憎み、恨み、嫌い。彼らに己の断罪を撃ち込んだことによるいっときの愉悦を感じながら、修羅をまとった血の怪物が。




